第一の刺客(4)
今朝は普段よりずっと寝覚めが悪かった。
瞼が今までになく重く、何とか目を開けようとするのだが引き込まれるように目を閉じてしまう。
やばい昨日飲み過ぎたかなと思いながら、眠気を振り払おうと枕の上で頭を振る。
しかし何故か顔周りがガサガサするような気がした。
それに枕の具合がいつもと違うような気がする。いつもよりずっと、寝心地が良いような気がした。
夕べは本当に変な夢を見たと思いながら頭を振り続けると、ふわりと上品な香りがした。
唯真は知らなかったが、それは白檀を主とした和の香りだった。
「気が付きましたか?すごく気分が悪いですか?」
若い女の声が、唯真を一気に現実に引き上げた。思い切り目を見開いて、そして起き上がる。
見えた景色は、全く見覚えがない部屋と、落ち着いた紺色の着物を纏う若い女性と黄色いエプロン姿の少女だった。
起き上がったはいいが、すぐにぐらりと視界が回る。
目を開けていられない不快さが唯真を襲い、思わずうつむき右手で額を支えようとする。
しかし目に入った自分の身体に愕然とする。
手や腕はあちこち大きなガーゼが貼られ、いかにも怪我人と言う様相だった。
夢じゃなかった、と、唯真は暗澹たる気持ちになった。
自分の記憶が夢でないのなら、燃えたマンションの部屋はどうなったのだろうと、不安で一気に胸が苦しくなる。
着物の女性が素早くベットに近寄り唯真を支える。
ガーゼが貼られていない場所を選んで慎重に、脆いものを扱うような手つきで唯真の身体に触れた。
「横になっていてください。もう大丈夫ですから」
大変でしたね、と、優しい口調で声をかける。ゆったりとした、品のある話しぶりだった。
そのままゆっくりと唯真の身体を元通り寝かせ、傍らに控えるエプロン姿の少女へ告げる。
「内川医師を呼んできて頂戴。あと
かしこまりました、と、少女は行儀良く答えて部屋を出ていく。
横になってめまいが落ち着いた唯真は、状況を少しでも理解しようと目だけでゆっくりと周囲を見回す。
部屋は洒落た旅館のような、モダンな和室だった。
床には若草色の琉球畳が敷かれているが、セミダブルのローベットが並んで置かれている一角はフローリングになっている。その一つに唯真は寝かされていた。
二つのベットの間には、北欧調のライティングデスクが設置されている。
今は折り畳まれているデスクの建材は無垢材で、飾り棚の細工もシンプルながら品がある。高価な家具であるのが分かった。
視線を足元に向けると、ベットから正面に黒塗りの板戸が閉められた窓があり、その下に白木の丸テーブルと一人掛けソファが一対置かれているのが見えた。
部屋の右奥は白木の格子の仕切りでゆるく区切られ、その向こうは掛け軸と生け花が飾られた床の間になっている。
壁やサッシなどの重厚さや、和洋違和感なく併設されたデザインセンスなどから、この建物が非常に金銭の掛かった造りであるのが推測された。
具合が悪いながらも油断なく周囲を観察する唯真を、着物の女性は静かに見守っていた。
ふとその女性と目が合い、向こうが微笑みを浮かべて唯真に声をかけた。
「気丈な方なのですね。大変な目に遭われたのに、
どこか感嘆したように言われた台詞に、嫌味や含みは感じられなかった。
女性の様子は取り繕う様子もなく素直で、唯真を傷つけようとする悪意を感じなかった。
その様子に、唯真は少しだけ警戒を緩めて口を開く。
「……あなたは、どなたですか?」
ここはどこですか、と、ゆっくりと尋ねる。
顔もあちこちガーゼが貼られていて、引きつるようでしゃべりにくい。
着物の女性は少しの間沈黙し、唯真の質問に答えた。笑みのない、落ち着いた表情だった。
「私は
そしてここは屋敷の敷地内にある離れの一つです。あなたは襲われて怪我を負って、ここに運ばれてきたのです。
物理的な怪我は
美鈴と名乗った女性の話を聞いて、唯真は閃くようにあることを思い出す。美鈴に、立て続けに聞く。
「私を助けてくれたのは、あれは誰ですか?あの人……」
そこまで言った時、床の間とは反対側からドアノブの回る音がする。
入ってきたのは、先ほどのエプロン姿の少女を先頭に、白衣を着た初老の男性と、二人の若い男性だった。
白衣の男性がベットサイドに来て、唯真の顔をのぞき込む。
自分が医者であることを告げ、唯真にいくつかの質問をする。「失礼します」と声をかけて、唯真の下瞼を引いたり手首を取って脈を取る。
一通り健康観察をして、後ろに立つ眼鏡を掛けた男性にうなづいて見せる。
「お話しされても結構です。ただ、短めがよろしいかと」
「分かりました。ありがとうございます」
ではこれで、と医師はエプロン姿の少女に先導されて部屋を出て行った。
残った男性二人と美鈴は、それぞれベットサイドに並べられた椅子に座る。美鈴が和服であるのに対して、男性二人はごく普通の洋装だった。
向こうが何か言うより早く、唯真が口を開いた。眼鏡の男性の隣に座る、見覚えのある男前に。
「あなた、私の事知ってて声かけてきたのね。私が目当てだった訳ね」
ベットから起き上がれないままの弱った格好だとは分かっていたが、それでも睨みつけずにはいられなかった。相手の目的に気が付けなかったのが悔しかったのだ。
唯真を居酒屋でナンパした翌日、訳の分からない状況から助け出してくれたらしい男前は、相変わらずの笑顔で答える。
「そんなに怖い顔しないでお姉さん、傷に障っちゃうよ。居酒屋でもう少し側まで近づけたらここまで火傷させることはなかったんだけど、あなたの上司に追い払われちゃったから」
「どういうこと?」
「あの時話をしながらあなたを護る術を掛けてたんだよ。でも距離があったからそこまで強いものは掛けられなかった。まぁ、あなたを狙う連中に俺が護衛に就いたことを見せつける目的もあったけどね。
でもかえってそれが連中煽っちゃったみたいだな。なりふり構わず、表沙汰になるのも構わずあなたを殺しに来たからね。俺もちょっと焦ったよ」
訳の分からない部分もあったが、さらりと言われた物騒過ぎる単語に、唯真は顔をこわばらせる。
警察官時代、唯真もかなり物騒な現場に立ち会ってきた。だから一般的な仕事に就いている女性よりは荒事には慣れているつもりだ。
けれど、笑顔の男前から言われた台詞は物騒過ぎた。
なまじその単語の意味を体感として把握しているだけに、それが我が身に降ってきたと考えると、背筋に冷たいものが走った。
『あなたを殺しに来たからね』
ガーゼの張られた顔がこわばったのを見て取って、男前より唯真に近い方に座っている眼鏡の男性が振り向いて言う。
「織哉言葉を選べ。こんな状態の女性に言う事じゃないだろう」
眼鏡の男性に言われて、男前は「ごめん口が滑った」と謝罪する。
しかしお互い大して厳しさはない。そのやり取りで、二人が何でも言い合える、非常に親しい間柄であるのが察せられた。
眼鏡の男性が向き直り、横になる唯真をのぞき込むような姿勢となる。
眼鏡の男性はさして目立つ容姿ではないが、放つ迫力が強く、重かった。織哉と呼ばれた男前より一回り背も低く体つきも細いが、存在感がゆるぎない。
唯真と同じ年頃に見えるが、多大な責任を負う、人の上に立つ人間であるのが分かった。
ほんの一時唯真を見つめ、そして改めたように姿勢を正して眼鏡の男性は唯真に話しかける。
「体調が優れない時に弟が余計な事を言ってしまって申し訳ない。僕はこの屋敷の主で
隣は弟の
色々知りたい事があると思うのですが、まだ具合が悪いと思うので、まずは体を休めてください」
尊大ではないが、高い場所から物を言い慣れた口調だった。
威厳を持って丁寧に語って来る様子は、若いながらも明晰な指導者という印象だった。
少々の事では動じない肝の太さが表情から感じられ、けれど乱暴な気配はない。
決して美男子ではないが、切れ長の目に細面の顔は、一昼一夜では培われない品の良さがあった。
こんな男性、初めて見たと唯真は思った。輝明の自己紹介に応える。
「私こそ、起き上がれもせずこんな姿で申し訳ありません。助けていただいたことをお礼申し上げます。
あの、私は大丈夫なので、今の状況を教えていただけませんか?何が起こっているのか、まるで見当がつかないので……」
輝明の申し出に丁寧に答える唯真を見て、織哉が腕を組んでぼやく。
「俺に対する態度とはだいぶ違うねお姉さん……」
助けたの俺なんだけどね、とこぼす織哉は放置して、輝明は口を開く。
「あなたにとってかなり大変な話だと思うが……明日にしませんか?」
「いえ、横になっていれば大丈夫なので、話を聞かせてください」
ベットに横たわったまま、しっかりと自分を見上げて伝えてくる様子に、輝明は納得したようだった。改めて椅子に腰かけ直し、唯真を見つめる。
「分かりました、お話ししましょう。疲れたらすぐに言って下さい。まずはあなたの今の状況ですが……」
部屋は静かだった。街の喧騒や自動車の走行音は全く聞こえない。屋敷の立地が、市街地から離れた場所なのだと推測された。
そして母屋からの生活音も全く聞こえない。美鈴はこの建物の事を「敷地内にある離れの一つ」と言っていた。
ということは、他にも同じような離れがいくつかあるということだ。この屋敷とやらの敷地はかなり広いようだ。
輝明や美鈴を見ても、隠しようのない上流の雰囲気を感じる。ここは大きな財力を持つ家であると察しがついた。
話すと言いながらも、輝明は若干ためらっている様子だった。考える様にいったん口を閉じて、そしてようやく話し始めた。
「もう分かっていると思いますが。あなたは命を狙われています。あなたの存在を消そうと、多数の
始めは自分達の関与を悟られないよう自然な事故に見せかけようとしていたようですが、僕に気づかれたことに向こうも気づき、確実にあなたを……仕留めにきました。
あれほどの呪詛を行使すれば、同業の者には必ず分かります。すなわち、なりふり構わず来たということです。なので、恐らく一番安全なこの
先程も、にぎやかな男前もとい御乙神織哉に同じような事を言われたが、地に足の着いた様子の輝明に言われると、自分の身に迫る
じりじりと不安が心を焼いていく。取り囲む赤い炎が迫ってきた光景を思い出し、震えそうな恐怖が蘇った。
混乱しそうな思考を無理やり落ち着け、何を質問しようか懸命に考える。ごちゃつく頭の中で強引に質問を絞り、沈黙する輝明に言った。
「どうして私が命を狙われるんですか?」
ガーゼがあちこち張り付く顔をゆがめ、唯真は更に問う。
「あなた達、一体どういった方達なんですか?何で割れたガラスがひとりでに飛んでくるんですか?どうしてガステーブルの火が……襲ってくるんですか?」
一体何なんですかと、困惑と険しさを混ぜた表情で問うてくる唯真に、輝明は眉根を寄せる。
またしばらく沈黙し、考えをまとめたようで、話し始めた。
「……ではまず、僕らの事を話しましょう。一般の世界に生きるあなたには少し理解しづらい話かもしれませんが。
僕らは、世間で言われるいわゆる霊能者という人種になるでしょう。僕が宗主を務める御乙神一族は、常識では測れない能力を持つ人間が生まれやすい血筋で、今は一族を名乗る者がざっと三〇〇人ほどいます。
本家は僕ら
「霊能者……」
いきなり理解しがたい方向に向かった話を、唯真は最後まで聞こうとあえて口を閉じる。
胡散臭い、と心の中は一刀両断してやりたい気持ちでいっぱいだったが、聡明と威厳が服を着ているような輝明に言われると、取り合えず最後まで話を聞こうという気になる。
黙って話を聞く姿勢を崩さない唯真へ、輝明は丁寧に話を進めていく。
「霊能の仕事は色々あって、たぶん世間一般で知られている占術や穢れの祓い、目に見えない世界からの干渉への対応……そんなところです。
そして最近、一族の占術を専門とする者達が次々と『一族を滅ぼす者が生まれる』と訴えてきました。
そのうちさほど占術が得意でない者の未来を視る占術、
輝明は一旦話を切り、唯真の顔を改めて見つめる。困惑した表情を浮かべる唯真を見つめ、ゆっくりと告げた。
「あなたはその『滅亡の子』の母親なのです。あなたの事は、一族内では『滅亡の母』と呼ばれています。
占術であなたの素性を突き止めた一部の術者が、一族が滅ぶ未来を変えるために、子供が生まれる前にあなたを抹殺しようとしたのです。これが、あなたが狙われた理由です」
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