第一の刺客(2)
「お二人仲いいね~。何飲んでるの?」
個室の入口に手をかけ体を乗り出しているのは、全く面識のない青年だった。
年齢は井ノ上と同じくらいだろう。驚いた表情をしている井ノ上の顔が、みるみる赤らんでいく。
にこやかに声を掛けててきた青年は、ちょっと見ないような男前だった。
日本人らしい肌色にすこしクセのある黒髪の青年は、顔立ちとはこんなに整うものかと驚く程の美形だったが、浮かべる表情がいかにも男性的で、綺麗な顔立ちを男前に見せている。
背も高く、何かスポーツでもしているのか適度に厚みのあるしっかりとした体つきで、Uネックのシャツにジャケットを羽織っただけのシンプルな服装も、雑誌のモデルの様に映えていた。
青年は、男でも女でも思わず目を止めてしまう様なその顔に、にこにこと人懐こい笑顔を浮かべながら座敷の上がり口に腰掛ける。
「俺、隣の個室で待ち合わせしてたんだけどすっぽかされちゃって。仕方ないから一人で飲んでたんだけど、お隣がとっても楽しそうで、男の人が席立ったのが見えたからついついお邪魔しちゃった。あの人職場の上司?」
「そ、そう、だけど。え、すっぽかされたの?あなたみたいな人が?ありえない」
尋ねられ井ノ上は顔を赤らめたまま素直に返答する。普段のキレは全く無い。青年の、人懐こい猫の様な雰囲気にすっかり警戒心が溶けてしまったようだ。
唯真は真顔でゆずサワーに口を付けた。眼鏡越しの冷めた目で、いやに愛想の良い年下の男前を観察していた。
「人間は言葉じゃなくて行動を見るように」と、井ノ上にもだいぶ教えたような気がしたが、今は目の前の男前と弾んで話をしている。
これは井ノ上が愚かなのではないと、唯真は目の前の状況を観察しながら判断した。男前が異常に人当たりが良すぎるのだ。
井ノ上が返しやすい言葉を想定して口にし、一つ言葉が返ってきたらそこから相手の趣向を読み取りより更に喜ばれる話題を振って来る。
そして腹の底は見せない。本音と感情の間に仕切りが一枚入っていて、本音がキレイに隠されている。
この男は、腹の探り合いを日常的に交わす立場にいる、頭の回転が速い人物だと推測した。
視線に気づいたように、男前の青年は唯真に顔を向ける。なおにっこり笑ってみせる。
「お姉さん、せっかく美人なのにもったいない格好してるね~。もっとおしゃれ楽しめばいいのに」
青年の台詞に、唯真の目がトゲつく。
初対面の女性の服装にケチをつけるとは、この男前はコミュニケーションが得意な割に礼儀は知らないらしい。
にこにこと無邪気なほど笑顔を振りまきながら青年は話を続ける。
「ジャケットワンサイズ下のにして~、タートルじゃなくてVネックかUネックの鎖骨見えるインナーに変えて~。あ、メガネ外して髪も伸ばすといいよ。顔立ちが綺麗だから女らしい髪形も似合うよきっと」
ぺらぺらと一人語り倒す青年を、唯真は冷めきった目で見返す。
唯真の髪は短い。ゆるくクセのある黒髪をショートカットにしている。
服装はインディゴのストレートジーンズに、ブルーの綿タートルと大きめの黒のジャケットを合わせた、全く肌の見えないコーディネートだ。
それは警察時代から変わらない、動きやすく目立たない定番のコーディネートだった。
「その恰好じゃ男に間違われない?背も高いし正に宝塚の男役だね。女性のファンがいたりして」
その台詞に、井ノ上が思わずと言った様子で口を挟む。
「実はそうなんです!この人、前の職場で女の子達からちょっとしたアイドルみたいに扱われていたんですよ。
逮捕術……運動神経も抜群に良くて余計騒がれちゃって、男性職員が『俺達の立場ない』って陰で愚痴ってたくらいなんです」
「うわぁ、カッコいいねお姉さん俺も負けそう。逮捕術って、もしかして二人とも警察の人?」
答えようとした井ノ上の背中を、唯真は静かに指でつつく。
その合図に井ノ上が我に返る。井ノ上と組んで警邏活動中の時、唯真が前に出る場合はこうやって合図したものだった。
「一人じゃつまらないんだろうけど、そろそろ上司が帰って来るから自分の席に戻ってくれない?」
笑顔の男前に、話は終わりとばかりに真顔で言う。
初対面でやたら愛想のいい人間など、向こうに自分都合の用事がある人間だけだ。まともに相手する必要はない。
しかし唯真のシャットアウトなど意にも介さず、男前はまだ腰を上げない。
「あれ、お姉さん、もしかして白人系の血入ってる?ハーフではなさそうだね。クォーターかな?よっく見ると白人と日本人のいいとこどりの顔立ちだね。モテるでしょ~」
相当酔っているのか自分の言葉を無視して一人しゃべってくる相手に、唯真は口調をきつくして言ってやる。
「あなたの言う通りここは警官の飲み会なの。あんまりしつこいと前歴付くわよ」
唯真のどぎつい脅しにも、男前は堪えた様子もなくにこにこ笑っている。始めの頃より余計楽しそうに見えた。
「お姉さんそんなに尖ってないで肩の力抜いて笑えばいいのに~。笑顔の方が絶対いいよ俺が保証する。俺が笑わせよっか?一緒に飲まない?一時間は笑いっ放しを保証するよ」
唯真はテーブルの下の右手を握りしめた。隣で井ノ上が、唯真の急降下した機嫌を察知して「ヤバい」と笑顔を強張らせる。
男前は何も感じていないのか、相変わらずにこにこしている。しかしその時、高遠のドスの効いた声が重低音で割り込んできた。
「俺達は三人で飲んでるんだ。邪魔をしないでくれるか」
帰ってきた高遠は、地味な造りの顔に青筋が立たんばかりの怒りを浮かべていた。
その顔を見た途端、井ノ上は浮かれた気分が全て吹っ飛んだようで、一瞬で冷水を浴びせられたような表情になった。
見た目は地味な高遠は、実は機動隊の武術指導を務めるほどの猛者で、その腕前は、若かりし頃は警察内の全国武術大会で上位入賞経験もあるほどだった。
そんな現役上司と元先輩の、虎か竜かという怒気に挟まれて、井ノ上はもう地蔵のように固まっている。
そして男前の方も、どうやら高遠の怒りには気持ちを動かされたようで、にこやかスマイルのまま高遠に言った。
「どうもお邪魔し過ぎてすみません。そこのお姉さんがあんまり目を引くからついちょっかいかけちゃって。俺は退散しますから、皆さんでゆっくり飲んでください」
相変わらず笑顔のまま高遠に会釈して腰を上げる。どうやら酔ってはいなかったらしい。
去り掛けに、肩越しに振り向いて唯真に片手を上げた。ぴらぴらと指だけ振ってから会計に向かう。
高遠の険しい視線を背中に受けたまま会計を済ませ、にぎやかな男前はそのまま店を出て行った。
男前が店を出るのを確認してから、高遠は渋面の唯真へ声をかける。声音はいつもの様子に戻っていた。
「佐藤。あいつ知り合いか?」
「まさか。全くの初対面です。第一あんな訳の分からない男と知り合いになんかなりませんから」
そうか、と呟いて、高遠はまた出入り口に目をやる。何か気になる様子だった。
ようやく金縛りが解けたらしい井ノ上が、ため息をつきながらこぼす。
「ああ、極上イケメン君が去ってしまった……」
まるで天然記念動物でも取り逃がしたような深刻さで呟く井ノ上を、高遠が心底呆れた顔で見やる。
「お前は顔さえよければ何でもいいのか。そのうち酒に薬混ぜられても知らんぞ」
「あのイケメン君は絶対良い人でしたよ!私の百戦錬磨のイケメンセンサーがきっちり判別しましたから!今の彼は性格もバッチリの超優良物件でした!」
「どんなセンサーだそりゃ。そんな訳の分からんセンサー鍛えてないで、痴漢や万引き犯を判別するセンサーを磨け」
「これでも友達の間ではオトコ見る目あるって言われてるんですよ私。
あ、高遠さん若いイケメンにやきもち焼いてるんでしょ?『俺の可愛いムスメ達にちょっかい出すとは許さ~ん』って。父親の怒りってやつですかぁ?」
「お前の様な男のツラしか見ないアホな娘は要らん。俺は息子二人で手いっぱいだ」
掛け合い漫才を披露する二人に、唯真が渋面を崩して噴き出す。まるで本当の親子の様に仲の良い二人なのだ。
口元に手を当て笑う唯真は、普段見せる姿とは違って、どこか可愛らしい様子だった。
その様子につられた様に、高遠も薄い笑みを浮かべる。自分のグラスを持ち上げ、冷めた焼酎に口を付けた。
「佐藤、さっきの顔だけ男を含めて色々ツイてないのは間違いないみたいだから、しばらくは気を付けるんだぞ」
「はい、受験前ですし、怪我でもしたら一年を棒に振りますから気を付けて行動します。……おかしな男にも十分気を付けますから」
「じゃあ仕切り直しに乾杯し直しましょうよ。新しい飲み物頼みませんか?」
井ノ上が場の空気を切り替えるように、メニュー表を手に取る。
オレンジ色の柔らかい照明の下で、皆で額を突き合わせるようにメニュー表をのぞき込む。あれやこれやと言い合いながら飲み物を選び、中断していた忘年会が再開した。
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