第二章ー2話
居住区の建設を進める人々の横を。神々の姿が描かれた巨大な石柱の横を。一気に通り抜けて、シリアは高みに位置する王宮地域へと向かう。
城を守り囲むように儲けられた兵舎のひとつに辿り着くと、ドアを開けるのももどかしいというように、シリアは夢中で部屋の中に飛び込んだ。
懐かしい、少年の亜麻色の髪が開いた扉から流れ込む風にふわりと舞いあがるのを見て、シリアは思わず涙が出そうになる。
けれどもアリューシャは何やらヒューイと話しこんでいるようで、シリアが入ってきた事にも気付いていないようだった。
―― もし、あれが幻だったら?
触れたら消えてなくなってしまう夢だったら、もう自分は立ち直れないかもしれない。シリアは一瞬とまどい、声をかけるのを迷うように足を止めた。
「シリアっ!!」
そんな少女の様子に、アリューシャが気がついた。
大きな声でその名を呼びながら、飛ぶように駆け寄ってくると、シリアをひっしと抱きすくめる。
「無事で良かった、シリア!」
「 ―― それはこっちの台詞だよ。……良かった。アリューシャだけでも、生きていてくれて……」
悲しみに壊れてしまいそうだった心が、アリューシャに再び出会えたことで僅かな光明を見出したような気がする。
血はつながっていなくとも、幼い頃から一緒に過ごし育ったアリューシャは、かけがえのない家族だったのだから。
「何を言ってるんだよ、シリア」
アリューシャはたしなめるように、シリアを空色の瞳をじっと見つめた。
彼女の両親の死と、ユーシスレイアが行方不明だという事実は、さっきヒューイから聞いて知っていた。だから、彼女の不安な気持ちはよく分かった。
アリューシャにとって、シリアの両親……カーデュ夫妻は恩人だった。
両親を亡くした幼い自分を、友人の遺児だからという理由だけで躊躇なく引き取り、ここまで養育してくれたのは彼らだ。
養父母であるアルシェたちに恩返しがしたくて、騎士を目指して頑張っていたというのに、もうその人達はいない。それが悔しく、そして哀しかった。
けれども。死亡が確認されたアルシェたちはともかく、行方知れずのユーシスレイアには希望を持っていいはずだとアリューシャは思うのである。
あの強靭な彼が。自分がずっと憧れ、そして目標としてきたユーシスレイアがそう簡単に死ぬとは思えない。いや、思いたくなかった。
「俺だけじゃない。ユールも生きてるさ。俺みたいに、怪我をしているところを運良く誰かに拾われて、治療を受けてるんだ。元気になったらここに来る。絶対だ」
「……うん。お兄ちゃんは約束を破ったことはないもの。必ず帰ってくるよね」
気持ち良くなるようなアリューシャの断定に、シリアは涙を溜めた瞳を細め、にっこりと笑った。
なんだか彼がそう断言する事で、自分の中にあった不安で悲痛な思考がゆるゆると溶けて消えていくような気がした。
―― 兄は生きている。そう思えてくるのが不思議だった。
「俺ね、シリア。あとで陛下にお会いして、軍に加えて頂こうと思うんだ。さっきもヒューイさんと話していたんだ。俺はまだ騎士になれる年齢じゃないけど……今は非常時だし、きっと認めてもらえると思う。そうしたら、ユールが帰ってくるまでは俺がシリアを守るから。だから、心配するなよな」
淡い水色の瞳に強い意志を表し、アリューシャは少女に告げる。
自分を容赦なく薙ぎ払ったあの炎彩五騎士がいる帝国。
そして人にあらざる魔に対する恐怖は、そう簡単に拭えるものではなかったけれど、それ以上に、シリアを守るという決意は固い。
言葉にすることで、揺れる気持ちを固めようとしていたのかもしれない。
「ラーカディアストの好きになんか、させやしない」
どこかぎこちなく。けれどもひどく暖かく。アリューシャはユーシスレイアがよくやっていたように、彼女の金色の髪を優しく撫でてやった。
この数ヶ月の間に彼の中で何かが変わったのだろうか。今までやんちゃな『少年』だと思っていたアリューシャの瞳が、どこか大人びて見える。
「ありがと。アリューシャ……」
シリアは深く安心したように、泣き笑いのように微笑んだ。
数ヶ月ぶりの再会を果たした二人の様子に、ヒューイは笑むように目を細めた。
王都陥落以来、ずっと見る事が叶わなかったシリアの心からの笑顔が、今は何よりも嬉しい。
敬愛していた上官の愛娘だ。
その上官……アルシェ亡き今、家族をすべて失ってしまったシリアをどうにか元気付けて、守り育てるのが自分の役目だとヒューイは思っていた。
だからこそ。悲しみに沈んでいた彼女に再び希望と元気をもたらし、『守る』と言い切ったアリューシャが微笑ましく。そして頼もしくも感じられた。
「今日は自分で見回りに出て良かったよ。こうしてアリューシャに会って、連れてくることが出来たんだからな」
ヒューイはゆったりと二人に歩み寄り、ぽんっと少年の背をたたく。
「俺も、ヒューイさんに会えて助かりました。リュバサがアリナスの方面にあるってことは避難してくる時にユールに聞いてたけど、詳しい場所は分からなかったから。怪我が治ってからずっと探してたんですよ」
アリューシャはシリアを抱きしめていた腕をほどくと、ヒューイに向き直りながら照れたような笑顔になった。
彼に出会えなかったら、自分はまだアリナス山麓や湖の周りをうろうろしていた事だろう。
「はは。どちらも助かったと言うわけだな。カスティナを守護する神々のお導きか。あるいは……」
アルシェ様の、と口走りかけてヒューイは言葉を呑み込む。
せっかく元気を取り戻したシリアに、親の死を思い起こさせるようなことを言うべきではないと思った。
けれどもアリューシャはヒューイが呑み込んだ言葉を理解したように、力強い笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。きっとアルシェおじさんたちが俺にシリアを守れって。それでカスティナの役にも立てって言ってるんですよ」
背後からシリアの両肩を抱くように、アリューシャは腕に力を込めて笑う。
「だろっ、シリア」
「……うんっ!」
一瞬シリアの表情に走った暗い影が、アリューシャの腕の温かさと表情の明るさに霧散するように消えた。
やはり長年一緒に過ごしている者にしか出来ないことがあるのだと、ヒューイはちょっと苦笑した。自分の下手な気遣いなど無用なほどに、彼らの間にはしっかりとした理解と絆があるのだろう。
「本当なら、このままゆっくり再会の喜びを味わわせてやりたいところだが、そうもいかない。アリューシャがもたらしてくれた情報があってね。今からジェラード将軍の所に報告に行かなければならないんだ。良いかな、シリア?」
「ジェラード……将軍?」
申し訳なさそうなヒューイの言葉に、シリアはきょとんと空色の瞳をまるくした。
ジェラードと言えば、兄の部下でもあった老練の騎士だ。
いつのまにか将軍の一人へと格上げされていたらしい。ユーシスレイアが居なくなったために、彼の直属をそのまま統率しているのかもしれない。
「お兄ちゃんの事で、何か分かったの?」
「それなら真っ先にシリアに言うよ、俺は」
心外だと言うようにちょっと頬をふくらませて見せて、アリューシャはシリアの金色の頭を小突く。
「じゃあ、なあに?」
無邪気に、しかしひっしと尋ねてくるシリアに、アリューシャとヒューイは思わず顔を見合わせた。
普段はわがままな娘ではないけれども、今のこの目は彼女が何かをねだる時のものだ。
本当にその内容が聞きたいわけではなく、単にアリューシャがジェラードの所に行ってしまうまでの時間を少しでも長引かせたいに違いない。
死んだと思っていた大切な家族に久しぶりに会えたのだ。その気持ちは分からないではなかった。アリューシャだって、もっともっとたくさんシリアと話をしていたいのだから。
けれども今は、そんなにゆっくりしている場合ではないことも、ちゃんと分かっていた。
だからアリューシャは軽く表情を改めると、なだめるようにシリアの目を見やる。
「俺がリュバサを探している時にさ、カエナの港街の辺りを何度か通ったんだ。そこに、以前はいなかった多くの船が停泊してた。たぶん、帝国の船だと思う。その船団の中で一際大きい船に旗が見えたから。……月と稲妻の紋章が刺繍された、
「 ―― っ! 炎彩……五騎士」
以前兄から聞いた話を思い出し、シリアは呆然と呟いた。
ラーカディアスト帝国で『月と稲妻』の紋章を使うのは、皇帝と炎彩五騎士だけだと兄は言っていた。
その旗が碧かったのだとすれば、意味するのは『碧炎の騎士』ということだろう。
「どうして……」
それは ―― 二年前に。
兄ユーシスレイアとナファスで戦い、討ち死にしたはずの存在だった。
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