第一章ー6話
ラーカディアストの帝都ザリアの大通りを、大きな鹿毛の馬が駆けていった。
馬上では月の光を思わせる銀色の髪と、深くあざやかな紺碧の外套が風をはらんで流れるように過ぎていく。
その外套が、炎彩五騎士にのみ許される炎色であることは一目で分かる。
外套を左肩で留める飾りも、皇帝と五騎士のみが身に付けることを許された帝国至高の紋章『月と稲妻』をイメージしたものだ。
まだ『
他の国 ―― カスティナでもそうだったが、皇帝の次位に位置するほど身分の高い者ならば暗殺等を警戒し、はっきり正体が分かるような装束をつけて一人出掛けることなどありえなかった。
けれどもラーカディアストでは違う。襲われても回避するだけの自信と力量がない人間は皇帝が任官しない。
文官であれば仕方ないが、武をもって身を立てる武官である以上、己の身も守れないような輩を高位に就けるつもりはないということらしい。
「暗殺を恐れるような武人は私の周りには
それが、皇帝エルレアの言葉だ。
もちろんそれは自分自身にも当てはまるのだと、苛烈なグレイの眼差しで言いきった皇帝に、本当に炎のような人だとユーシスレイアは思ったものだった。
「あ、新しい五騎士様だ」
「碧焔様だ」
街の者たちは通り過ぎる碧衣の青年を見て、口々にそう言った。
これで再び炎彩五騎士は五人揃った。ラーカディアストは更に強大に豊かになるだろう。そんな期待が人々の夢を駆り立てる。
ユーシスレイアは人々のそんな声を聞かないように、馬をより速く走らせた。
かつて、カスティナでも人々の期待と賛辞を山ほど受けた。その自分は今どこにいる? 最大の敵だったラーカディアスト帝国だ。
後悔ではない。嫌悪でもない。ただ、その事実がひどくユーシスレイアを疲れさせた。
「あっ! 碧焔さまっ」
不意に脇から明るく弾むような声が上がった。
他とは違い、聞き覚えのあるその声に彼は馬を止めて振り返った。
そこに毎朝部屋を掃除に来る元気な少女の姿を見出して、小さく笑ってみせる。買出しにでも行っていたのだろうか。両手に大きな紙袋を抱えていた。
「もう会議は終わったんですか?」
「まあな。……少しだけ海を見に行こうとしていたところだ。あの高台から見る景色は、好きでな」
にこにこと問いかけてくる少女に軽くこたえると、ユーシスレイアはこれから自分が向かう先を眺めるように顔を上げた。
「そうだったんですね。碧焔さまって、もしかして元々はこの国の方ではないんですか?」
「 ―― なんで、そう思う?」
「あそこから見る海が好きだという人は、ほとんど他に故郷を持っている人だもの。
セリカは思い出すように少し首を傾げる。
「私のおじいちゃんも移民者だったんですよ。ラーカディアストって、とても移民者が多いですよね。前の碧炎様は見るからに異国の方だったし、緋炎様はナファスのご出身だって、ご自分でおっしゃっていたもの」
楽しそうに笑いながら、セリカは碧焔の騎士の彫像のように整った顔を見上げた。
「そうらしいな……」
皇帝の次位に位置する炎彩五騎士の出身国を見れば、ラーカディアスト内での移民者の扱いが分かる。
炎彩五騎士の中で生粋の帝国人民なのは、実を言えば公爵家出身の
ユーシスレイアがこの帝国の地にやって来て、驚いたことは多かった。
西側諸国で噂されているような、凄惨な状況など何一つありはしない。
帝国出身以外の人間を虫けらと呼んで蔑み迫害し、簡単に殺傷するなどという馬鹿げた噂はいったいどこから出てきたのか?
まして、民は皇帝の横暴なる威を恐れて縮こまるように生活し、兵はその威を借りて傲慢な振る舞いをしているとは笑止千万だ。
民は皆いきいきと過ごし、他のどこの国よりも豊かで闊達な暮らしをしている。それは、皇帝が魔の封印をといた今も変わってはいない。
確かに皇帝エルレアは
けれども決して、彼らは無差別な殺戮をしてはいなかった。
それは民の言うように炎彩五騎士の力なのか。それとも皇帝エルレアと『カレン』の力なのか。おそらくすべての尽力の結果なのだろう。
ラーカディアストは噂のような暴君が治める混沌の国家ではなく、
「おまえは、ラーカディアストが好きか?」
「もちろんです! 皇帝陛下は聡明な御方だし、炎彩五騎士の方々も強くてお優しいし、大好きです」
とくに碧焔さまが、とは口に出しては言えなかったけれど、セリカは心の中でそう呟く。
「 ―― そうか」
ユーシスレイアは小さく笑った。
無邪気に笑うこの少女が、失われた妹のシリアに少し似ている。そう思った。
顔はまったくといっていいほど違う。けれどもその無邪気さと明るい空色の瞳が妹を連想させるのだ。
ふうっと懐かしげに、そしてどこか哀しげに、ユーシスレイアは目を細めて彼女を見やった。
その表情が、自分がはじめて名前を告げた時と同じだとセリカは思う。
「どうか、したんですか? なんだかとても哀しそうです」
おそるおそる、訊いてみる。
碧焔の騎士は、口元に苦い笑みを刻んだ。
「……ただ、おまえと同じ年頃の妹を思い出しただけだ。三ヶ月ほど前に、死んでしまったんだけどな」
「その妹さん、もしかしてセリカっていうんですか?」
気遣うように、セリカは碧焔の顔を見上げた。
「なぜ?」
「……私がセリカって名乗った時も、今みたいな
この世の深淵を覗き見たかのように苦しげで、どこかが壊れているような
くっくっと、不意にユーシスレイアは笑い出した。
まさか、自分がこの少女の前でそんなにも感情を面に表しているとは思いもしなかった。
守りきれなかった家族。
カスティナを守るために戦い抜いて死んだであろう父。
そんな彼らが、人が死後に行くという"天上"とやらで、自慢の息子が敵国ラーカディアストに寝返ったのを見て、どう思っていることか。
そう考えて、ユーシスレイアは可笑しくなった。
「セリカ、か。それは母の名前だ。やはり三ヶ月前に死んだんだよ」
ひとしきり笑ったあと、ユーシスレイアは淡々とそう言った。
「……ごめんなさい」
なぜ彼が笑っていたのか。セリカにはその理由が分からなかった。
けれどもそれは、とても渇いた笑いだと思った。辛いことを思い出させてしまったのだと、セリカは自分の問い掛けを後悔した。
母と妹を同時に亡くしたと聞けば、彼がどこの国の人間なのか見当がつく。
当時、彼自身もひどい怪我を負い、緋炎の騎士の館で治療を受けていたのだから。
その頃にあった緋炎が出るほどの戦といえば、カスティナとの戦いだけだった。
「うん? 謝る必要はない。……それよりも、おれの出身地については、まだ
セリカに自分がカスティナ出身だと気付かれたことを悟ったユーシスレイアは、軽く笑って少女のふわふわとした栗色の頭にぽんっと手を置く。
「はいっ」
セリカは大きく頷いた。もちろん軽々しく口にするつもりはなかった。
「じゃあ、おれはもう行く。……おまえは気をつけて帰れ、セリカ」
「!?」
去り際にほんの少し柔らかな笑みを浮かべた碧焔の騎士に、セリカは思わず真っ赤になる。
初めて自分の名を呼んでくれた。その事実がとにかく嬉しかった。
「ありがとうございますっ。碧焔さまも、お気をつけて!!」
小さくなっていく碧焔の騎士のうしろ姿にそう叫び、彼女は大きく手を振った。
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