第一章-4話

 紫炎の問うような眼差しを臆することなく受け止めると、ユーシスレイアはそれに応えることはせず、そのままルーヴェスタへと視線を向けた。

「準備期間は、どの程度もらえるんだ?」

「特に決まってはいない。だが、作戦立案・兵の調練・補充もかねて、ひと月以内というところが無難な線であろうな」

 何でもないことだというように、緋炎は静かに期日を示す。

「……ひと月か。なんとか間に合うといったところだな」

 ユーシスレイアは溜息まじりに苦笑を浮かべた。


 かつて西大陸連盟軍を率いる将として、多国籍であまり協調性のない軍を統率したこともあった。

 もちろんそのときは、自分の手足のように動くの部隊がいた。

 まだ碧焔直属の人事すらまともに終えていない今、慣れない軍を率いて一ヶ月足らずで実戦までもっていくのかと思うとさすがに厳しい気もするが、出来ないということはないだろう。


「 ―― そんなに帝国軍には人材が少ないかい? いまだに碧焔の目にかなう者が一人も居ないほどに」

 柔らかそうな紅茶色の前髪を軽くかきあげながら、ミレザは可笑しそうに碧衣の青年を眺めやる。

 彼が新たに碧焔の騎士となって既に一ヶ月ちかく経つというのに、まだ幕僚さえ定めていないということは周知の事実だった。

 時折、彼が兵舎や官舎などに出入りしているらしいという報告は部下から受けていたけれども。一向に人事が進んでいる気配はなかった。


「そういうわけではない。全体を見てから最終的な判断をしたかっただけだ。もう数名はリストアップしてある」

 口許だけをわずかに笑ませて、碧焔は淡々とそう告げる。

「だが、そう悠々と構えているわけにもいかなくなったようだな。悪いが、今日はこれで下がらせてもらう。リュバサ攻略の準備に入りたい」

 白金の双眸に見たものすべてを射抜くような強く鋭い眼光が閃き、他の四人をそれぞれ見据えるように視線が流れた。


「…………」

 強く鋭い戦意を宿した碧焔の騎士のその表情に、ラディカは不本意ながらも思わず見惚れた。

 それが、先ほどの自分の問いに対する答えなのだろうと分かった。

 この男を緋炎が強く推し、そして皇帝も認めた理由。そのが少しだけ分かったような気がする。

 それは闘うことの強さだけではない。戦意と、狂気と、激しい憎哀。それらをない混ぜにした

 この男のそれは、確かに炎彩五騎士の名に相応しい。


「 ―― ああ。構わんよ。今日はこの他に大事な話題があるわけではないからな。先に戻るがいい」

「では、失礼する」

 五騎士の主座である男の許可を得て、ユーシスレイアはそのまま部屋から出て行こうとする。

 けれどもふと、途中で何かに気付いたように緋炎を振り返った。


「ひとつ確認しておこう。リュバサを陥落させたあと、帝国は湖底都市を使うのか? それとも、国王フィスカを捕らえることが目的か?」

 その問いかけに、緋炎の騎士の琥珀の双眸が、どこか満足そうな笑みを宿して細められる。

「湖底都市は、帝国が使う」

 リュバサの攻略を命じられても動じる様子が見えないばかりか、碧焔が元の主君であるカスティナの国王を、ためらいもなく『フィスカ』と名で呼び捨てたことも小気味よかった。


「そうか……。面倒な方だな。まあいい。それを前提とした策を立てよう」

「どっちにしても、碧焔の軍はまだ調練途中だろ。俺の精鋭『光嵐こうらん』が役に立つと思うが、どうだ?」

 クォーレスは立ち去ろうとする青年に声をかけた。

 正規の帝国軍のほかに、みずから編成した直属のを五騎士はそれぞれ持っている。その絶対数は少ないが五騎士が自ら仕込んだだけのことはあり、かなり腕が立つ優秀な者たちだった。

 その私軍の協力投入を、白炎は提言したのである。


「干渉するわけじゃないぞ。もちろん、現地では碧焔の指示を最優先させる」

 どこか拗ねたような、しかし鋭い戦意をうかがわせる強い表情を浮かべ、白炎クォーレスは言う。

 どうしても、リュバサ攻略に加わりたかった。

 国王が逃げ込んだというその街には、と謳われるもいるに違いないのだ。

 そう思うと、このまま黙って本国に留まることを了承するなど出来なかった。


「…………」

 ユーシスレイアは振り向きもせず、ちらりと、視線だけで白炎の騎士を見やる。

「 ―― じゃあ、部隊だけ借りて行こうか」

「冗談っ! 光嵐は俺の指示じゃなければ動かないさ」

 まったく話にならないと、クォーレスは頭を振った。

 自分が一緒に行かなければ『ゼアの仇』にまみえることが出来ないではないか。それでは何も意味がない。

「なら、必要ない」

 きっぱりとユーシスレイアは白炎の言い分を却下する。そして、もう見向きもせずに今度こそ部屋を出て行った。



「……ったく、腹のたつ奴だよ」

 クォーレスは苛立たしげに床を蹴った。

 申し出を断られたことにも腹が立ったが、それよりも自分に対するあの男の態度が更に苛立たしい。

 何故だか知らないけれど、碧焔は特に自分に対してと白炎は思う。

 緋炎や橙炎などと話をするときは、もう少し穏やかに接しているというのに。白炎に向けられる視線はいつもどこか険しい。

「絶対あいつ、俺のこと嫌いだよな。俺が何したっていうんだよ。ったく」

 考えれば考えるほどに腹立たしくなって、クォーレスはガンッと、さっきまで碧焔の騎士が座っていた隣の椅子を蹴飛ばした。


「まあまあ、シロ。……彼は、ではないんだよ?」

「 ―― っ!? そんなこと、おまえに言われなくたって分かってるんだよ! あんなヤツとを一緒くたにすんな、馬鹿」

 むっと口を真一文字に引き結び、クォーレスは橙炎を睨みつける。

「そうか。それは悪かったね」

 にこりと。ミレザは駄々っ子をなだめるように軽く笑った。


「まあ、とりあえず、いまは彼のお手並み拝見というところかな。協力を要請してくれれば喜んで手助けするんだけれどね」

 歌うように穏やかな口調で言いながら、橙炎ミレザは腰に佩いた愛用の鞭に手をかける。

 ふと、怖しいほどに、狂気にも似た笑みが彼の口元を彩った。

 彼は戦場で剣も槍も持たない。この鞭のみで敵を屠る。ひと振りで敵将の首三つを落としたという伝説的な経歴さえ持っているほどだ。

 戦場で戦うこと。を倒すこと。

 それは ―― ミレザにとって、何よりも楽しいだった。


「有り得そうにないですね。さっきの白炎への返答をみても」

 危険な笑みを宿した橙炎ミレザにそう水を浴びせかけてから、紫炎は、どちらにしてもまた自分は出陣できないのかと深い溜息を吐く。

 橙炎は極端にすぎるが、五騎士の中で戦いを厭う者は誰一人いなかった。


「そんなに戦いたいなら、その辺の小国攻略にでも加わってみるか? 紫炎」

 前回のカスティナ戦で帝都守備に残されたことがよほど不満だったのだろう。あからさまに出陣したがっている紫炎の様子が可笑しくて、ルーヴェスタはくつくつと笑いながら金髪の青年をからかった。

「……弱い敵は嫌いです。僕の翠珠槍が可哀相じゃないですか」

 愛用している槍の銘を溜息交じりに呼びながら、紫炎はふうっと肩を落とした。

 世界でも希少な翠珠とよばれる鉱石で作られたその槍は、皇帝エルレアから賜った紫炎の宝だ。それを、弱い敵あいてなんかに対して使いたくはないというのがラディカの本音だった。

「ならば、我慢するのだな」

 黒豹のような琥珀の瞳を紫炎に向け、ルーヴェスタは楽しげにそう諭す。

 そして、もう話すことはないとばかりに本日の五騎士会議を終了させ、振り返ることなく部屋から出て行った。

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