第一章-2話

碧焔へきえん、遅かったな」

 無言のまま隣の席に着いた同僚を見やり、白い騎士服を着た青年が笑うように声をかけた。

 その身にまとう衣服だけではなく、ゆるく三つ編みにして前に流した長い髪もまた『白炎』の名の通りに白く輝き、意志の強そうな紅い瞳が印象的だった。


 白炎はくえんの騎士、クォーレス・ジゼル。

 目には見えないほど遠く離れた獲物でさえも逃したことがないと謳われる、神技のような弓さばきを有する若干二十一歳の最年少五騎士だ。


「遅れてはいない」

 ちらりとクォーレスを見やり、碧焔の騎士は短く応えた。

 そうしてふいっと反対側を見ると、再び無言になる。セリカと話しているのとはまるで別人のように、どこか冷徹な声音だった。


 確かに彼の言うとおり時を示す鐘はまだ鳴っておらず、遅刻したわけではない。

 けれども。なんとも可愛げのない男だ。白炎は苦々しく思った。

 比べるつもりはないのだが、親友だったゼア・カリムと、この現在の『碧焔』の差はあまりに激しい。

 ―― ゼアなら、もっと楽しい会話ができただろうに。

 亡き友と同じ碧衣を身にまとっているだけに、どうしてもそう思ってしまうのだ。

 別に仲良くなりたいわけではなかったけれど、こうもあからさまに無視をされると腹も立つ。


 くすくすくすと、楽しげな笑声がクォーレスの耳に入ってきた。

「……何がおかしいんだよ、橙炎とうえん

 窓を背にして悠々と腰を下ろし、周りを見渡すように視線を遊ばせていた青年に、白炎の騎士はさらにむっとしたように目を向ける。

「いや、まるで子供のケンカみたいだなと思ってね」

 品のある深い翠の瞳に穏やかな笑みを浮かべ、橙炎と呼ばれた青年はそう応えた。


 優雅なまでのその口調と所作に、彼のを知らない者は温和な貴公子だと噂する。

 確かに橙炎、ミレザ・ロード・マセルは、ラーカディアスト帝国で皇家の次に家柄の良いマセル公爵家の嫡子であり、貴公子というのは嘘ではない。また、天使のごとく優麗な美貌も誰もが認める青年だった。

 一見すると武人というよりは人の好い芸術家とでもいった方が似合う気もする。その、虫も殺せないような優しげな顔が、楽しそうに白炎を見つめていた。


「ふん。悪かったな」

 この穏やかな仮面の下に隠された本性を知りすぎるほどに知っている白炎は、貴公子めいた笑みを浮かべる橙炎に呆れたような眼差しを向けた。

 無駄に爽やかな笑顔が、逆に腹立たしい。

「ふふ。悪いとは言ってないさ。私は誉めたつもりだけどね、シロ」

「……その呼び方はやめろって何度も言ってるだろ。主人おまえがそうだから、橙炎配下あいつらが俺のことを『シロ様』って呼ぶようになったんだからなっ。俺は犬じゃないっての」

 辟易したように、クォーレスは髪を揺らした。いくら"様"と敬称をつけられても、『シロ』と『白炎』では受ける印象があまりに違いすぎる。


「おや。私は親愛をこめて呼んでいるんだけどな。おまえは、私が名を呼ぶことを許してはくれないから」

 くすくすと再び笑い、橙炎ミレザはテーブルの上に置かれたティーカップを手にとった。どこまでもな翠玉の瞳が、白炎をからかうのは楽しいと雄弁に語っている。

「まあ、それでもイヤなら気をつけてけれどね」

 にこやかに笑んでそう言うと、橙炎はカップの中のハーブの匂りを楽しむように、ゆうるりと揺らす。

 子供のように拗ねた表情でじっと自分を睨んでいる白炎に柔らかな視線を返しながら、くいっとそれをあおった。

「……ったく、一人で寛いでんじゃないよ」

「うん? 朝から気を立てていたら、すぐに疲れてしまうよ、白炎」

 やんわりと微笑みながら白炎の騎士を見ると、ミレザは優雅に円卓にカップを戻す。

 別にクォーレスに言われたからではなく、朝の会議の定刻を告げる鐘が、繊細な響きを周囲に紡がせたからだった。


「 ―― 始める」

 今まで他人の会話に見向きもせず愛刀の手入れをしていた男は、鐘の音を耳にするとすっと顔を上げ、集まった五騎士を眺めやった。

 カスティナの王都シェスタを攻めたとき先陣にいた男。炎彩五騎士の主座である緋炎の騎士、ルーヴェスタ・カイセードだ。

 戦場に在れば酷薄なその瞳も、しかし今は楽しげな光を帯び、同僚である他の四人に向けられていた。


「今日はどこを攻略する話です? カスティナ関係でしたら、次は僕も出陣させていただきたいところです」

 ルーヴェスタの右隣に座した紫炎の騎士ラディカ・ローセアは、あざやかな紫色の瞳に静かな、けれどもどこか鋭い戦意を宿した笑み浮かべてそう言った。

 前回カスティナを攻めたとき、紫炎は帝都守備に残されていたのである。

 緋炎・白炎・橙炎の三人が出陣するのを羨ましく見送った。カスティナには強い武将が多いと聞く。そんな相手と闘うことができた彼らが、非常に羨ましかった。


 本来、炎彩五騎士が揃って戦に出陣することなどほとんど無い。彼らが相手にしたいと思うほどの強い敵は、そういるものではない。

 けれどもカスティナ王国は二年前に帝国の軍、それも五騎士の一人である碧炎の騎士ゼア・カリムが指揮した精鋭『蒼天』の軍を壊滅させた国だ。

 それを指揮した将が自分たちと同様にまだ二十代だったのだと聞いて、いつか戦いたいと思っていた。

 そこに、二年経ってようやく舞い込んできたカスティナ王都襲撃の知らせ。その絶好の機会を逃すまいと、五騎士自ら出陣を希望したのである。

 しかし一人は帝都に残れという条件が皇帝から出され、その結果、カードゲームで負けた紫炎が残ることになったのだった。


「紫炎。この間の戦いはそんなに楽しめる戦でもなかったよ」

「よく言いますね、橙炎」

 呆れたようにラディカは橙炎を見やる。

 王都シェスタを落としたあと、先に緋炎だけは本国に戻ってきていた。

 けれどもあとの二人……白炎も橙炎もいっこうに戻っては来ず、そのあと二ヶ月間でカスティナの海岸部の多くを平定していたのだから。

 一ヶ月ひとつき前に新たな碧焔が立つという知らせを受けて、ようやく彼らはラーカディアストの帝都ザリアに戻ってきたのだ。次は自分が出ても良いだろうという気持ちが紫炎は強かった。


「本当のことだよ。邪魔な魔物たちがいたからね。思うように戦えなかった」

 橙炎はあざやかな紅茶色の髪を軽く揺らすように溜息をついた。

 封印を解き、魔物を世界に解放したのはラーカディアストではあるのだが、五騎士にはそれが邪魔だった。

 今回は軍としての戦はほとんど起こらず、起きても地方都市の守備隊のみで思ったほどに強くはなかった。

 しかも好き放題に戦えたはずの場面でも必ず魔物が邪魔をする。それで、ミレザはこころゆくまで戦うことが出来なかったのだ。


「それに、カスティナの国王も国軍本隊も。ようとして行方が知れないわけだしね」

 カスティナの国王フィスカは、王都シェスタから逃げ出した後にはか各地に檄を飛ばしてはいるようではあったけれど、その行方は掴めなかった。

 それは、三ヶ月たった今も変わらない。

「だから ―― 早く見つけてあげないとだ」

 にっこりと微笑んで、ミレザは紫炎ラディカを見やる。

 まるで行方不明になった者の安否を気遣っているかのようなその口調に、紫炎は再び呆れたようにため息を吐いた。

 けっきょくは、次も自分が出たいとミレザはそう言いたいだけなのだろう。


「でもホント、あれだけ自分の国土がされているっていうのに、国軍本隊が姿を現さないんだから驚きだよな。おかげで、ゼアを殺した奴には結局会えなかったからな。俺だって、カスティナ攻略なら次の作戦にも出たいぞ」

 親友のゼア・カリムを殺した『ユーシスレイア・カーデュ』を見つけたら、速攻に弓で射殺してやるのに。

 白炎は悔しげに呟き、弓を射る真似をする。


 その言葉に、今まで黙って会話を聞いていたルーヴェスタは、ちらりと向かいに座る碧焔の騎士を見やった。そして、わずかに苦笑する。

「…………」

 碧い衣に身を包んだ青年は、思わず深く息を吐きだした。

 ルーヴェスタの言いたいことは分かった。白炎の騎士のその願いが叶うことは、もう決して有り得ない。

 ここにこうして座っている自分こそが、二年前に碧炎の騎士を討ち取った張本人。ユーシスレイア・カーデュなのだから。


 聖王国の軍神と讃えられ、西側諸国の連合軍を指揮していたカスティナの将。

 今は ―― こうしてラーカディアストの軍装に身を包んでいる、裏切り者。


 それを知っているのは本人である自分と、緋炎の騎士ルーヴェスタ。そしてラーカディアストの皇帝エルレア・シーイ・フュションとその腹心、カレン・ダルティニスの四人だけだった。

 公表するに今は時期ではないと、皇帝が言った。

 ずっと隠しとおさせるつもりはない。いつか最も効果的な場面でそのことを全世界に公表させる。それはカスティナ王国、ひいては西側諸国にとって非常に大きな激震となるだろう。そう、皇帝の腹心カレンも言った。

 だから、本名は他の五騎士にも名乗ってはいない。

 もともと自分が許した者以外には決して名を呼ばせない『炎彩五騎士』である。名を名乗らないことは、特に不都合なことでもなかったのである。


「次に出るのは碧焔だ。カスティナの王が逃げ込んだを攻略する」

 ルーヴェスタはすべての者の思惑を無視するように、淡々とそう告げた。

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