序章-2話

 王都シェスタの中でも王城から離れた閑静な街の一画に、ユーシスレイアの家は建っていた。

 カーデュ家は今の国王が即位し、王太子時代からその武道の師であった父アルシェが宮廷内で要職を得てはいたけれど、もともとは一般騎士の出身であり、住んでいるのはごく当たり前の家だ。

 母セリカと妹のシリアが趣味でたくさんの花を植えているので、この時期はとくに多くの花が庭に咲き乱れ、色とりどりの景色が訪れる者を優しく出迎えてくれる。

 ユーシスレイアはゆったりと緑のアーチをくぐり、そんな庭の花々を眺めながら玄関へと向かった。


「お帰りなさい、お兄ちゃん」

 ユーシスレイアが帰ってくるのをどこかで見ていたのか、彼が手をかけるよりも早くドアが開き、中から明るい空色の瞳がにっこりと笑い掛けてきた。

 少し癖のある柔らかそうな金の髪に彩られた顔はまだ幼さを残し、どこか童女のような無邪気さがあった。

「ああ。ただいま。みんなはもう揃っているのか?」

 滅多に他人ひとには見せないような優しい笑顔を浮かべ、ユーシスレイアはやんわりと訊く。

「ううん。父さまはまだ。でも、お兄ちゃんのことずっと待ってたのよ。だから、早く早くっ!」

 シリアは家の中へと導くように兄の腕を引いた。


「シリア、誕生日おめでとう」

 甘えるように自分の腕にしがみつく妹に、ユーシスレイアは可笑しそうに祝いの言葉を向けると、赤いリボンのかかった小さな包みをポンっと頭の上に置く。

「えっ? わっ!」

 ふわりと頭に感じた微かな重みに、シリアは慌てたように手のひらでそれをおさえた。

「プレゼント?」

 包み込むようにして顔の前へと持ってくると、その可愛らしく飾られた小さな包みに、少し驚いたように兄を見やる。

 これまで誕生日には人形や雑貨などをもらっていたけれど、目の前にあるこの包みは、王都でも有名な宝飾店の物だとシリアにも分かった。

「十五歳だから、記念にな」

 ユーシスレイアが軽く片目を閉じてみせると、シリアはぱあっと顔を輝かせた。

 十五歳は、カスティナの女性が社交活動ができるようになる節目の年齢としだった。


「ありがとうっ!」

 兄の言葉に、自分がすこしだけ大人に近づけたような気がして嬉しくなる。

 けれどもその行動は大人とは縁遠く、シリアは待ちきれないとばかりにその場で包装を開けていく。

「うわ……あ。こんなに綺麗な石、初めて見た……」

 最後の包みを破かないようにそっと開くと、雫型の可愛らしいピアスがその中に入っていた。

 角度によって色合いの異なって見えるその石は、夕暮れ時の淡い光を結晶したかのように慎ましやかに。けれども美しく多彩ないろをまとい、揺らめくように輝いていた。

「つけてきてもいい?」

 神秘的な輝きに魅入られるように深いため息をつき、そうしてゆるゆると、空色の瞳に歓喜の彩が浮かぶ。

「ああ、もちろん」

 世界一の宝物でも貰ったかのようにはしゃぐ妹の笑顔に、ユーシスレイアはにこりと頷いた。

 嬉しそうに鏡のある部屋へと走っていく妹の後ろ姿を眺めながら、普段は厳しい目許が和むようにほころぶ。

 歳の離れた妹の無邪気さが微笑ましくて、見ているのが楽しかった。


「ユール、帰ったの? それなら早くいらっしゃい。シリアのお祝いをしましょう。あなたを待っていたのよ」

 ふと、居間の方から明るい母の声が息子を呼びかけた。

 今にも歌いだすのではないかと思うほど楽しげな母の声に、思わずくすりと笑う。

「すぐに行くよ」

 ユーシスレイアは服に付いた埃を軽く玄関先で払い、ゆったりと居間に足を向けた。

 こうしていると、周囲の慌ただしさが他人事のように思えてくる。

 シリアの誕生日を祝うために華やかに飾り付けられた壁やテーブルが、この日の幸福を象徴しているようで、とても穏やかな気分になった。


「お帰りユール。帝国の動きはどうだって?」

 ユーシスレイアが居間に入ると、待っていたとばかりに声がかけられた。

 短く切りそろえられた亜麻色の髪と、好奇心旺盛な淡い水色の瞳が清々しい、アリューシャ・ラーンという騎士見習いの少年だった。

 十年前に両親を亡くし、親同士が友人だったことでこの家に引き取られたので、共に育ってきた家族でもある。

 カスティナ王国では騎士の資格を有するのは十八歳からと定められているため、彼が正式に騎士として認められるまであと一年半ほどかかるが、アリューシャは有望視されており、正式に騎士となった暁には近衛隊への編入が既に内定していた。

 そのせいか、軍事のことには何でも興味を示す。

「ユールが呼ばれたくらいだ。何かあったんだろう?」

 アリューシャは目を輝かせるように、人々から軍神と呼ばれる青年を見た。


「……ああ。最北の島サレア王国が攻められて、サレアの王家は滅亡したそうだ。あまりに迅速すぎる攻撃に、連盟への救援要請が間に合わなかったようだな」

 ユーシスレイアは僅かに顔をしかめ、そう応えた。

 二年前の『ナファスの海上戦』での敗戦以来、あまり大きな動きを見せていなかった帝国が再び活発に動き始めたということ。そして大きな戦が起こりそうだという話を先ほど王宮で聞いてきたのだ。

 もうすぐ自分に出陣準備の命も下るだろう、そう彼は思っていた。だからこそ、できれば妹の誕生日くらいは殺伐とした話は避けたかった。

 その話はまた今度だと言うように軽く右手を動かし、少年から視線を外して窓の外を見る。アリューシャにもその心情が理解できたのか、それ以上話をせがみはしなかった。


「どう似合う? お兄ちゃん」

 はしゃいだ声と共に、ピアスを着けたシリアが居間に戻ってきた。

 十五歳の少女がつけても派手過ぎず、けれどもあでやかな存在感を感じさせるそのピアスは、金色の髪に映えて美しく柔らかな光彩を放ち、彼女の愛らしさをいっそう引き立てるようだった。

「よく似合ってるよ。なあ、アリューシャ」

「うん、すっごい可愛い。でもさ、ユールがそれを買いに行った姿って、まったく想像できないよ」

 女性たちの視線を独占するも可能なくせに、浮いた噂のまったく出ない堅物なこの男が、どんな顔で女物の装飾具を買いに行ったのだろう? 

 アリューシャはくすりと笑って、仲の良い兄妹を交互に見やる。

「……別に、特別なことではないだろう」

 確かに店の人間の好奇の目はあったが、必要なものを買うのに気にしてはいられなかった。けれども。どうして自分が女性用のピアスを買うだけで、あんな好奇の目を向けられるのか。ユーシスレイアはさっぱり分からない。

「あはは。そう思ってるのは、ユールだけだ」

 何でも卒なくこなすくせに色恋沙汰には疎いこの青年が、アリューシャは可笑しくて仕方がなかった。


「ふふ。じゃあそろそろ、始めましょうか」

 母セリカはそんな子供たちを楽しそうに見回しながら、それぞれの前に美味しそうに香る琥珀色のスープを配っていく。

「早くしないと、せっかくの御馳走が冷めてしまうわ」

「 ―― 父さまは?」

「お父様は、やっぱり今日はお仕事で欠席よ」

「もう、いつもそうなんだから……」

 母の言葉に、シリアは駄々っ子のように溜息をついた。

 彼らの父アルシェは、カスティナの軍を統括する長として任に就いていた。王の信任も厚く、側に召し上げられることも多いと聞く。

 帝国が動き始めたこの不穏な時期、何かと対策を講じるのに忙しく、娘の誕生日にも帰って来れないようだった。


「仕方がないだろう、シリア。おれが父さんの分も祝ってやるから我慢しな」

 ユーシスレイアは軽く笑って、妹の金色の髪を軽くぽんぽんとたたく。

 シリアはちょっと残念そうに口を尖らせ。しかしすぐに気を取り直したように、にこりと笑った。

「うん、分かった。じゃあ、お兄ちゃんがこれ開けてね」

 テーブルの上に置かれた綺麗な色をした瓶を指して、シリアは明るい笑顔を兄に向ける。ユーシスレイアはくすりと笑って、テーブルのそれを取り上げた。


「 ―― っ!?」

 その刹那。コルクを抜く勢いのよい音に、激しい爆音が重なった。

 それを追うかのように腹の底に響く低い地鳴りが起こり、家屋が悲鳴をあげておおきく震える。

 その大きな揺れは、座っていた椅子から人間が放り出されそうになるほど強く、棚や高所に置かれていた物たちも、安定を欠いて次々と飛ぶように落ちた。

「アリューシャ、物陰に隠れろっ!」

 椅子から転げ落ちたアリューシャに叫びながら、ユーシスレイアは素早く母と妹を引き寄せ、落下物から二人を守るように自分も物陰へと移動した。

 月の光を思わせる銀色の髪をかすめて、シリアのためにつくられた御馳走が、食器が、床に落ちては激しく飛び散る。

 硝子の割れる甲高い音や、石のぶつかるような鈍い衝撃の中で、彼らは息を潜めて時がすぎるのを待つことしか出来なかった。


 しばらくして揺れがおさまると、シリアは恐る恐る目を開けて、そっと周囲の様子を見回した。

 飛び散ったサラダやスープが床いっぱいに広がり、食器棚やテーブルも竜巻にでもあったかのように無造作に散らばっている。

 所々では屋根が崩れ落ち、夕暮れ時の赤い空が顔を覗かせていた。


「 ―― お兄ちゃんっ!!」

 シリアは悲鳴を上げた。

 自分と母を守るように覆い被さっていた兄の左足に、崩れ落ちた屋根の一部が重石のように圧し掛かっているのが見えた。

 見上げてみれば、ユーシスレイアの額にはわずかな汗が滲んでいた。

 決して自分や母には言わないだろうけれども。兄は苦痛をこらえているのだと、シリアには分かった。

 慌てて兄の下から這い出ると、その足を覆う瓦礫を懸命に持ち上げる。

 母やアリューシャも必死に手伝ってようやく少しの隙間がうまれ、ユーシスレイアはなんとか足を引き抜くことができた。


「大丈夫? お兄ちゃん、立てる?」

「……ああ。大丈夫だよ」

 急いで救急道具を用意して応急手当てをしてくれた母と、心配そうに泣きべそ顔できいてくる妹に、ユーシスレイアは軽く笑んで見せる。

 地についた左足に重く鈍い痛みと痺れはあったが、折れてはいないようだ。

 ひびくらいは入っているかもしれないが ―― それを言って家族を心配させるのは彼の本意ではなかった。

「それより、今の揺れは?」

 恐らくただの地震ではない。その予感が、ユーシスレイアの表情を曇らせた。地面の揺れよりも、何かが弾け飛ぶような大きな爆音が気になる。

 音がしたのは、王城の方だった。


「あれは ―― 何だ? ユール……あれ……」

 割れた窓ガラスの向こうに、捩れたように歪み、ぽっかりと口を開ける奇妙な空があった。

 空の歪みは城の真上を覆うように広がって、そこから異形の者たちが次々と姿を現していた。

「な……魔物……だと!?」

「えっ。そんなの、おかしいだろっ。何で魔物それが居るんだよ!?」

 アリューシャは驚きに目を見開いた。

 太古に人とは違う、魔物という存在ものが居たことは歴史でも習って知っていた。けれども、それは遥か昔にすべて封じられているはずだった。


「 ―― ラーカディアストの皇帝が……封印を解いたのかもしれん」

 ユーシスレイアは思い当たったその答えに、強く唇を噛み締めた。今をやる人間など、ラーカディアストのしか考えられなかった。

 魔は人の命をなんとも思わない。流血と殺戮を好む残酷な種族だと言われている。

 それを ―― 再び世に放つとは。


「愚かな……」

 この先訪れるであろう『』を思い、ユーシスレイアはその白金の瞳に鋭い眼光をたたえ、じっと外の光景を睨み据えた。

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