序章 「邂逅の焔」

序章-1話

 ―― 序章 『邂逅かいこうほむら』 



 目に映るすべての景色が、燃え立つようなあけの色に染まっていた。

 空も、大地も建物も。人の顔さえも茜の光に照らされて、まるで夢幻の中に迷い込んだようにすら思える。

 そんな幻想的な光景に、通り行く人々はそれぞれ空を見上げては感嘆の吐息を漏らし、見惚れるように歩みを止めた。

 春まだ浅いこの時期に、こんなにも強い夕焼け空が出現するのは珍しく、思わず見入ってしまうのも仕方がなかった。


「 ―― ?」

 通りの宝飾店から出てきたばかりの青年……ユーシスレイアは、人々の浮き立つようなざわめきに導かれ、白金の瞳をゆるやかに空に上げた。

 大気を染める夕日のいろが青年の銀の髪に映り込み、あざやかな紅に染まって見えるのがまた、幻想的な雰囲気を更に引き立てるようだった。


「……確かに、すごい夕焼けだな」

 濃い朱の中に揺らめくように輝く夕日は美しく……けれどもどこか毒々しい。そんな夕焼け空を見たのは初めてだった。

「 ―― あれは?」

 ふと、朱金の光差す空の端に、黒い影のようなものが浮かび上がって見えた気がして、ユーシスレイアはわずかに目を見張る。

 美しい光景とは裏腹に、何故だか不安になるような、どこか奇妙な胸騒ぎがした。

 けれども ―― 確かに見えたと思ったその黒い影は、すぐに跡形もなく消え去って、そのあといくら目を凝らしてみても、もう見つけることは出来なかった。

「気のせいか? ……まあ、今はのんびり空など見ている場合ではなかったな」

 気分を変えるように軽く頭を振ると、ユーシスレイアは小さく笑う。

 その視線の先には、今しがた宝飾店で買ったばかりの、赤いリボンが飾られた小さな包みがあった。


 ―― いったい誰へのプレゼントなのだろう?

 道行く青年の姿をちらりちらりと眺めながら、口さがない街の女たちは口々に。ある者は悔しげに。ある者は興味深そうに。噂話の花を咲かせた。


 武人らしく引き締まった長身に、カスティナ王国軍将の大きな白い外套マントをはおり颯爽と歩くその姿は、多くの女性たちの感嘆と溜息を誘う。

 うしろでひとつに結ばれた銀色の長い髪と、すべての真実を見据えるような白金の瞳が端正な容貌に溶け込み、見る者に強烈な印象を与えた。

 そのうえ二十七歳という若さで、ユーシスレイアはこのカスティナ王国が誇る随一の将なのである。

 今まで彼が率いた軍が敗れたことはなく、民や兵たちからは聖王国カスティナの軍神と讃えられる。

 名将『ユーシスレイア・カーデュ』の名は、羨望と畏敬を込めて近隣諸国にも語られるほどで、そんな彼が世の婦人達の注目を浴びるのも、致し方がないというものだった。


「ユール。今帰りかい?」

 ふいに楽しそうな明るい声が通りに響いた。

 その大きな声に、今までユーシスレイアを見ていた人々の視線が声の方へと向けられる。

 それまではどんな周囲の反応も気にせずに帰路を急いでいた青年は、『ユール』という愛称で呼ばれてようやく立ち止まった。

 ゆらりと髪を風に遊ばせるように振り返り声の主へと視線を向けると、通りに並ぶ多くの店のひとつから、体格のよすぎる男が楽しげに顔を出しているのが見えた。


「新しい剣が入荷したんだ。寄って行きな。凄い名剣だぜ」

 自信ありげに笑うと、刀剣商の主人は店に入って来いと親指で入り口を指し示す。

「ああ、リレスか。悪いな。今日は急いでいるんだ」

「デートかい?」

 リレスは青年が手に持った包みを見やり、今度は小指を軽く立て、からかうように笑ってみせた。

 女たちの思慕を集めてやまないこの青年は、その端正な容貌とは裏腹に、今までほとんど浮いた噂のない男だった。

 そのユーシスレイアが女へのプレゼントとしか思えない、可愛らしい包みを持っているとあっては、相手の娘に対して興味津々にもなる。

 その心を射止めた女性というのは、いったいどんな娘なのだろうか? リレスは青年の答えを好奇に満ちた表情で待った。


「……いや、妹の誕生日なんだ」

 あまりに身を乗り出して訊いてくるリレスに、ユーシスレイアは苦笑を浮かべて答えを返す。

「あははは。そうかい、シリアにだったのか」

 刀剣商の主人は声を上げて笑った。

 デートじゃないというのは拍子抜けだったけれど、この青年が歳の離れた妹にはたいそう甘いという話を、この街で知らない者はいなかった。

 普段の引き締まった怜悧な表情と、妹と話しているときの優しい表情とのギャップがまた素敵なのだと。彼をならまず妹から好かれることが近道だと。婦人たちがまことしやかに囁きあうほどだ。

「それなら仕方ないなあ。まあ、今度ゆっくりおいで。おまえさんの為にとっておいてやるよ」

「ああ。ありがとう」

 白金の瞳にあざやかな笑みを浮かべ、ユーシスレイアはリレスの顔を見やる。

 何かと便宜をはかってくれるこの刀剣商の主人には、いつも世話になっていたし感謝もしていた。

「なあに、あの長剣を扱える奴なんざカスティナ王国きっての名将、ユール以外にゃいないからなあ。それで、をやっつけてくれれば、それでいいさ」

 刀剣商の主人は逞しい体を揺すって豪快に笑った。


 東のダーレイ大陸全土を治める巨大な国家ラーカディアスト帝国が、全世界の統一を謳い行動を始めた今となっては、ユーシスレイアという存在は、この西大陸に住む人々にとって大きな希望ともいえる。

 ラーカディアストの皇帝エルレアの侵略に対抗するため、カスティナ王国を盟主とする『西大陸連盟』が結成されてから二年以上経つが、そのかんユーシスレイアは侵入してきた帝国軍を幾度も打ち破り、西大陸の地を護って来た。

 特に二年前、東西の両大陸間の中心にある海上国家ナファスにおいて起きた『ナファスの海上戦』と呼ばれる攻防戦での彼の活躍は、まさに軍神と謳われるに相応しいものだった。

 ラーカディアストが最強と誇る『炎彩五騎士えんさいごきし』のひとり、碧炎へきえんの騎士ゼア・カリムが指揮する一団『蒼天』の攻撃に敗色濃かった西大陸連盟軍に救援として駆けつけ、一戦にして勝利に導いたのが当時二十五歳になったばかりのユーシスレイアだった。

 それまではただの一武将でしかなかったユーシスレイアの声望が、各国にまでとどろいたのはこの戦がきっかけだ。


「本当に、この国にユールが居てくれて良かったよ」

 リレスはにこにこと笑う。どんなに帝国が怖ろしく強くとも、彼が居れば自分たちは安全だと思えることが心強かった。

「あんな皇帝がいる国なんか、早く滅ぼして欲しいもんさ」

 悪魔のような皇帝が治める混沌に満ちた国家。かの国の様々なを思い出し、リレスは忌々しそうに言い放つ。

「……リレス。カスティナは防衛はするが侵攻はしない。だから帝国を滅ぼすような戦をすることもないさ」

 リレスの過激な発言に、ユーシスレイアは苦笑を浮かべて静かに訂正してみせる。

 カスティナが他の国々から『聖王国』と尊称される所以ゆえんも、そこに在った。

 

 太古に建国して以来、カスティナ王国は防衛以外で自発的に軍事を発動したことは一度もなく、それでもを以って、その領土広げてきたと言われる珍しい国だった。

 そのことを、カスティナの騎士たちは皆誇りに思っている。

「あははは、そうだった。慈悲深き聖王陛下がそんなことを許可するはずもないか。ちょっと残念だけどなぁ」

 民にとっても、自国の王が各国から尊敬されているのは誇らしい。それでも今の力をもってすれば帝国をも倒せるのではないかと思ってしまうのは、目の前の青年から溢れ出るような力強さに魅せられるからだ。


「もちろん攻めてくれば、これ以上帝国が西側に進攻しようなどという気を起こさないように、しっかり叩きはするがな」

 すべての真実を見据えるような強く鋭い白金の双眸が、あざやかな笑みを宿してリレスを見やる。

 その声は力強く鮮明で、リレスだけではなく二人の様子を周囲で見ていた人々の表情をも明るく勇気付けた。


「ああ、期待してるよ、ユール」

 頼もしい言葉をあとに、再び帰路を急ぐよう離れていく青年の後ろ姿を、リレスは満足そうにゆったりと見送った。

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