もういいよ
要 九十九
もういいよ
「マジでこんな所入るのか?」
目の前に広がる廃墟を見ながら、念のため皆に確認をとる。
「何だ太一、ビビってんの~?」
目が痛くなるような派手な金髪にグラサン、こんがりと焼けた肌、どこのパリピだとツッコミたくなるような見た目の男が、一際軽薄そうな口調で聞いてくる。
「ビビってねぇよ。ただイヤなだけで」
「それをビビってるって言うんじゃ?」
メガネを掛けた、理知的な雰囲気のショートカットの女性が、落ち着いた雰囲気で指摘してくる。
「うるせぇな、美玲。お前だって来る前は怖がってただろうが」
「いやわたしはただ、こういった場所に来るのはそれなりのリスクがあると進言しただけで……」
俺の発言に、急にしどろもどろになる美玲にパリピが絡んでいく。
「何だよ、美玲ちんもビビってんの~?」
「茂雄は黙って下さい」
「ちょっ! 本名で呼ぶのは止めてよ~! 俺はゲーシーだから! 本名禁止!」
「うるさいです! あなた本名を恥ずかしがってますけど、ゲーシーも正直ダサいですよ」
美玲にバッサリと斬られるゲーシー茂雄くんの後ろでは、カップルが手を繋いでいた。
「大丈夫、直美?」
長身で目鼻立ちが整った茶髪のイケメンが、黒髪ロングの清楚な見た目の女性を心配している。
「うん、大丈夫だよ。直也くんありがとう」
そう笑顔で返す直美を見て、直也も満面の笑みになる。
「お前ら、こんな所でもイチャついてんじゃねぇよ」
「えっ! いや僕は!」
「ち、違うの! これはたまたまで!」
繋いでいた手を離し、二人揃って両手を前に出して、違う違うと全く同じリズムでアピールする二人。こいつら仲良すぎだろ!
「熱々カップルは置いといて……」
騒がしい四人を見ながら確認をとる。
「マジでこんな所入るの?」
「何だ太一、ビビってんの~?」
「さっきと全く同じ返ししてんじゃねぇよ。真面目に聞いてんの」
足元には車の侵入を防止する為の柵が、何本か並んでいる。一歩踏み出せば、廃墟の敷地に入るだろう。
「それは~」
茂雄が様子を窺うようにカップル二人を見る。直也がそれに答えるように話し始める。
「もちろん! 僕らは明光大学オカルト研究会だからね」
「マジかよ……あー、クソ! 殆ど活動しないって聞いたから入ったのによぉ。騙された!」
悪態をつきながら、目の前の光景をじっくりと見る。足元には、先ほど確認した車の侵入を防止する柵が横に何本か均等に並んでおり、それを右に辿っていくと『明光団地』と書かれた大きな看板が鎮座している。
柵を越えて少し歩いた先には、大きな一本の木が植えられており、それを囲む様にジャングルジムやブランコなどの遊具が置かれている公園があった。
その公園を中心にして、3つの大きな棟がコの字の様に建てられている。ちょうど、それぞれの棟のベランダから公園を見下ろせる様な感じだ。
入り口からでもその広さに驚くが、何よりそれだけの大きさにも関わらず、人の気配が全く感じられないのが不気味だった。
まぁ、廃墟なんだから当たり前と言えば当たり前なんだが、真っ昼間にこの静けさは、団地の不気味さをより一層際立てていた。
「にしても、今日暑いなぁ……」
そんな俺の内心を余所に、茂雄が額の汗を腕で拭いながら空を見ている。
「確かに5月にしては暑いですね」
ハンカチで汗を拭いながら、美玲が同意する。
「夜はまだ肌寒いのになぁ」
茂雄と一緒に空を見る。雲一つない快晴だからか、5月に入ったばかりとは思えないほど今日は暑かった。見ると手をうちわ代わりにパタパタしたり、腕で太陽から影を作ったりと、皆暑そうにしている。
「というか、直美大丈夫か?」
「えっ? どうして?」
「体調悪そうだから」
青ざめた、とまで言うと過剰な表現だと思うが、直美の顔色はあまり良いとは言えなかった。
「あ~、ちょっと朝から頭痛が酷くて」
ここに来るまで、しきりに直也が直美に大丈夫と聞いていた理由が分かった。
「あんまり無理すんなよ? もしあれだったら今すぐ皆で帰っても……」
「何だ太一、ビビってんの~?」
「お前は壊れたロボットか! どんだけ同じこと言うんだよ」
全く同じ調子で、同じ発言を繰り返す茂雄を適当にあしらう。
「というか直美ちんもしっかりしてくれよ~? ここに来たい~って言ったのは直美ちんなんだからさ~」
「えっ!? あたしが?」
その一言に、直美を除いた全員が不思議そうに顔を見合わせる。
「いや、何言ってんだ? 直美が昨日の夜中に電話掛けてきたんだろ?」
俺たちはオカルト研究会なんて名乗ってはいるが、まともに活動してるのは部長の直也と直美のカップルと美玲くらいで、茂雄と俺はほぼ幽霊部員だ。
それなのに、昨日は珍しく直美から夜中にこの五人へグループ通話が掛かってきた。
夜遅くまで起きていた俺はともかく、他の三人が眠そうにしている中で、皆で行きたい場所があるとか、そこには噂が……とか、話を聞いて渋る俺たちに、たまには皆で活動しようよ! と言ってきたのも直美である。
そんな彼女が、覚えのなさそうな態度をしていれば、皆も不思議そうに顔を見合わせるだろ。
「お酒少し飲んでたからか、昨日の事あんまり覚えてなくて。みんなごめんね」
「何だよ。じゃあ頭痛もただの二日酔いじゃねぇか!」
「そうかも?」
仲良くなって三年くらいだが、直美が酔って記憶をなくしたなんて話は初めて聞いた。珍しい事もあるもんだな。
「あたしは何て言ってたの?」
「僕らが聞いたのは、この団地がいわくつきって話かな」
「いわく付き?」
「何で太一がそこで反応するの?」
「えっ? いやー、アハハ」
新作のモンスターを狩るゲームに熱中し過ぎて聞いてなかったとは流石に言えず、笑顔で誤魔化す。
「確か最初のオーナーがなくなってから、代理でオーナーが代わる度に、その人たちが事故やら病気で突然亡くなったとか……」
「後は同じタイミングで、団地に住む人が自殺したり、失踪したりもあったと聞きました」
ゆっくり思い出すように話していた直也を、補足するような形で美玲が続ける。二人とも説明助かります! あざーす!
「というか、太一?」
「な、なんだよ」
「あなた昨日の話聞いてませんでしたね?」
「なっ!? い、いやそんな訳ないだろ」
美玲の指摘に思わず動揺する。相変わらずこいつは鋭いな。
「大方、新作ゲームでもやってたんでしょうけど」
美玲が呆れた様に腕を組みながら、話を続ける。
「何でそれを!?」
「やっぱり。てことは、わたしたちが何しに来たのかも分かってませんね?」
「え? ただ廃墟になった団地を皆でまわるだけじゃ?」
「違いますよ。直美が最後に言っていた噂を確かめるためです」
「うわさ?」
首を傾げながら、通話の事を思い返すが、確かにそんな事を言ってた気がしなくもない。そんな俺を見て、美玲が嘆息しながら続きを話してくれる。
「この団地でかくれんぼをすると不思議な事が起きる」
「かくれんぼねぇ。で、その不思議な事って何なんだ?」
「わたしも知りませんよ。この話題が出る頃には皆も行く雰囲気になってましたし、夜も遅かったですから続きは明日にと」
「まぁ、皆眠そうだったもんな」
「仕方ないとはいえ、言い出した本人もこの状態ですし」
そう言う美玲の目線の先には、目を閉じて考え込むような仕草の直美がいた。
「うーん……」
自分が話した内容を一通り聞かされても、直美はいまいちピンと来ていないようだ。
「やっぱり覚えてないみたい、ごめんねみんな」
「それはいいが、本当に体調には気を付けろよ。何かあったら直ぐに直也に言えよ」
「太一ありがとう。直也くんよろしくね?」
「もちろんだよ直美。僕に任せて」
親指を立てながら優しく微笑む直也。心なしか口の隙間から覗く歯も輝いて見える。これがイケメンの力か……。
「まぁ、こんな所でずっと喋ってても仕方ないし、早く入ろうぜ~?」
「お前、この廃墟見てよくそんなテンション保てるな」
普段ならそのテンションの高さに鬱陶しさを感じている所だが、今日ほどそのノリを心強いと思ったことはない。
「茂雄の場合、何も考えていないだけでは?」
「美玲ちんひ~ど~い~!」
そんな毒舌も意に介さず、俺が二の足を踏んでいた入り口の柵を軽やかに飛び越して入っていく。
「それに、ただ噂を確かめるだけで終わりじゃないんでしょ~?」
茂雄はニッコリとした笑顔で、直也の方を見る。
「そうだね。一応大学の方に今日確かめた事をレポートにまとめて、オカルト研究会の成果として提出する事になってるよ」
「あー、だから大学に朝から集合だったのか」
この団地に来る前、一度大学に集まったのはそれが理由か。
「そうそう。念のため大学の方にここに来ることと、あと先生がこの団地の今の持ち主に連絡をとってくれて、かくれんぼをする事と、敷地内に入る許可も貰えたんだ」
流石、直也だ。イケメンなだけじゃなくて、手際もいい。というか、許可貰えなかったら外から見るだけで済んでたんじゃ?
「廃墟……とは言いますが、持ち主もいると聞くと、一気に印象が変わりますね」
「確かに。全然怖くなくなった」
少し安心した表情の美玲に同意する。
「やっぱり太一もビビってるじゃないですか」
「う、うるせぇ。早く行くぞ」
先頭を歩く茂雄に続いて、直也と直美、美玲と俺も団地の入り口に入っていく。
「こうやって見ると本当に廃墟って感じだな」
「確かに。遠目だと気にならなかったですけど、実際に歩いてみると中々に雰囲気がありますね」
足元の柵を越えた先には大きな木や遊具が見えるが、そこまでの歩道はコンクリートで出来ていた。
その表面には欠けた部分や、小さな亀裂、植物の蔦が這っている。他にも、誰が捨てたのか空き瓶やビニール袋、雨で濡れて地面に張り付いた落ち葉や、それとは逆に乾燥して色が変わった落ち葉など、長年整備されてないのがよく分かる光景だ。
俺たちが足元を見ながらゆっくり歩いている間に、先頭を歩いていた茂雄が公園に入っていった。その後ろに直美と直也が続く。直也はスマホを取り出して耳に当てている。誰かと電話か? 少し遅れて美玲と俺も公園の中に入った。
「うわぁ~! ボロボロじゃ~ん!」
「そ、そうだな……」
入り口から遠目に見てただけでは分からなかったが、実際に公園に入ってみるとかなりボロボロだった。
公園の中心に、入り口からも見えた大きな木が一本。枝木が乱雑に育っており、根元には落ち葉が溜まっている。木自体にも虫に喰われた後があるのが、長い間放置されていた事を物語っていた。
その木を囲む様にジャングルジムとブランコ、砂場と滑り台が少し離れた位置に置かれている。遊具の金属部分は殆ど錆びていて、滑り台の滑り降りた先には落ち葉やゴミがある。
地面は先ほどまでのコンクリートと違って土だが、全体を見回すとまばらに雑草が生えていた。
鬼ごっことかで走り回るには少し狭い気がするが、人が住んでた頃には子ども達の遊び場としてよく使われていたんだろうな。
そんな事を思いながら、公園を囲む3つの棟を確認する。それぞれのベランダを見てみるが、やはり人の気配はない。ここから見ているだけでも割れた窓ガラスや、鳥の糞まみれのベランダが確認出来る。
「おかしいな」
俺たちが公園や団地を見ている間、ずっとスマホを耳に当てていた直也が首を傾げている。
「どうしたんだ?」
「いや、先生からは団地の持ち主がここを軽く案内してくれるって聞いていたんだけど」
それを聞いて辺りを見回してみるが、俺と茂雄、美玲、直美に直也以外の人物はいない。公園を出て団地の方も軽く確認してみたが、俺たち以外は人っこ一人見当たらなかった。
「うーん」
「団地のオーナーですか?」
戻ってくると美玲が直也に質問していた。
「うん。ここで待ち合わせって話だったから、先生に聞いた番号にかけてみたんだけど」
直也が手に持っていたメモに書かれている番号を押し、通話をスピーカーに切り替えて俺たちの前に差し出す。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
静まり返った団地に機械的な音声だけが響く。普段なら何とも思わないが、抑揚のない淡々とした台詞が今は不気味に感じた。
「先生が教える番号間違えたんじゃないか?」
通話するにしてもアプリ経由が殆どだ。自分で電話番号を直接入力して掛けるなんて、俺も久しくしていない。
「そうかも。とりあえず先生に電話番号の事送っとくわ」
メモを鞄にしまい、スマホを慣れた手付きで操作する直也。あの先生なら直ぐに連絡が返ってくるだろう。
「じゃ、これからどうする~?」
いつの間にか近くのブランコに座っていた茂雄が楽しそうに聞いてくる。お前よくそんなテンションで、壊れそうなブランコに座れるな。
「持ち主がいない以上、建物の中を勝手に散策する訳にもいかないしなぁ」
「とりあえずかくれんぼの噂だけでも確かめてみる?」
どうするか考える直也に、直美が問いかける。
「そうだね。このままここでジッと待ってても仕方ないし、それだけでも確かめようか」
「そうするか。こんな所に長居するのはイヤだしな」
昼でもここまで不気味なんだ、夕方や夜までこの場所にいるのだけは絶対避けたい。
「噂を確かめるからには、かくれんぼはちゃんとしたルールでやろう」
真面目な直也らしく、スマホ片手にルールを読みながら皆と共有していく。
『かくれんぼ』
鬼は一人、残りは子に分かれる。鬼は壁や柱などの方を向き腕で目を塞ぐ。鬼は大声で60秒を数え、その間に子は隠れる。
数を数えた後、子が隠れられているか確認する為に鬼は秒数を数えた時と同じ体勢のまま「もういいかい」と尋ねる。
子は自分が隠れ終わっているなら「もういいよ」、まだなら「まあだだよ」と答える。
「まあだだよ」が聞こえた場合、鬼はまた大声で数を数える。20秒数えた後、もう一度「もういいかい」と尋ねる。「まあだだよ」と答える子がいなくなるまでこれを繰り返す。
隠れ終えて「もういいよ」と一度答えた子は、二度目や三度目の鬼の「もういいかい」という問いに「もういいよ」と答える必要はない。他の子が隠れ終えるまで静かに待つ。
鬼は「まあだだよ」の声が聞こえなくなるのを確認した後、子を探す。
隠れていた子を見つけた場合、鬼は見つけた子の名前の後に「みいつけた」と大きな声で宣言する。
これを最後の子が見つかるまで続け、最初に見つかった子が次の鬼として、同じ流れでかくれんぼを続ける。
「地域によって色々ルールは違うけど、今回僕らがやるのはこのかくれんぼで」
ルールを読み終えた直也が、確認の為に皆の顔を見る。
「了解」
「おっけ~!」
「分かりました」
「うん」
返事をしながら伸びをしたり、各々が体を動かす準備をする。
「隠れる場所はこの団地の中で、鬼のもういいかいの声が聞こえる範囲まで。あっ、かくれんぼ中に団地の持ち主の方にあったりしたら、グループの方で教えて」
スマホのSNSアプリを指差しながら、直也がこちらを見る。皆が頷くのを確認してから、真剣な顔になってこう続けた。
「一番守って欲しいのは、安全第一ってこと! 外でも老朽化して危なそうな所には絶対に近付かない! 許可は貰ってるとしても、建物内の奥には絶対にいかない! オーケイ?」
オカルト研究会部長という立場もあるからか、直也にしては珍しく語気を強めて注意する。
「特に茂雄!」
「わ、分かってるって~!」
普段は軽薄な茂雄も直也の圧に気圧されている。それを見て、皆が頭を縦にブンブンと振る。それを確認した後。
「鬼はじゃんけんで決めようか」
注意した時の勢いが嘘のように、優しい笑顔で言ってきた。普段は温厚だけど、直也は怒ると怖いんだよな~! 特に茂雄はよく怒られてる気がする。
何はともあれ、噂を確かめる為のかくれんぼ開始だ。
「マジかよ……」
自分の出したグーを睨みながら、俺は公園の大きな木の前に一人で立っていた。他のメンバーは安全確認も兼ねて、先に公園から出ていった。
まさか一発で鬼に決まるとは。決まった瞬間、美玲に言われた「太一こういう時は決まってグー出しますよね」という言葉が忘れられない。絶対次は負けねぇと固く決心を…………ってこんなこと考えてる場合じゃない!
足元の落ち葉を避けながら、木の方を向いて前に軽くもたれ掛かるような体勢で、頭と木の間に腕をいれて辺りが見えないように目を塞ぐ。
真面目モードの直也相手にふざけると、後が怖い。かくれんぼ自体はさして難しいことでもないから、さっさと始めよう。
「1、2、3、4、5……」
ゆっくり大きな声で数を数え始める。この感じ久しぶりだな。かくれんぼなんて何年振りだ? 内容は知ってるわりにあんまりやった記憶がない。
「10、11、12、13……」
ポケットに入れたスマホ見てたらダメか? いや、まだ隠れてない誰かが見てるとも限らない。余計な事はしないでおこう。俺は茂雄みたいに友達相手にちゃんと怒られるのはイヤだ。
「30、31、32、33……」
60秒ってこうやって数えると長いな。しんと静まり返った公園に、俺の数を数える大きな声だけが響く。他に音がないからか、周りの棟に反響して自分の声だけが返ってくるのは何だか不思議な気分だ。まさか、これが言ってた不思議な事か?
「50、51、52、53……」
そんな馬鹿な事を考えている間に60秒までもうすぐだ。えーっと、確かこの後は……。
「……58、59、60!」
目一杯空気を吸い込み、出来る限り大きな声で尋ねる。
「もういいかぁーーーい!!!!」
数を数えていた時より、遥かに大きな声量が辺りを反響する。
「もういいよ」
遠くの方から直ぐに返事が戻ってくる。もう隠れたのか。早いな。
「まあだだよ~!」
「まあだだよ」
「まぁだだよー!」
「まぁだだよー」
遅れて他の返事も聞こえてくる。まぁ、知らない場所だから、60秒じゃ隠れるのは難しいよな。次からは20秒毎か。さっさと数えよう。
「1、2、3、4……」
昨日ずっとゲームしてたからか、少し眠い。これが終わったら仮眠しよう。
「……17、18、19、20! もういいかぁーーい!!」
「もういいよ」
おっ、また一人か。今度はさっきより少し近い場所か? 他はどうだ?
「……まあだだよ~!」
「まあだだよ」
「まぁだだよー!」
「……まぁだだよー」
何か歯切れが悪いのが何人かいるな? こんな場所に一人で隠れるのは怖いだろうし、そうなるのも仕方な……。
――ヴーーッ、ヴーーッ! ヴーーッ、ヴーーッ!
「うわっ!」
突然の振動に驚いて声が出る。スマホがポケットの中で振動していた。驚いている間にも振動は続いている。長いな、電話か?
高校時代の友達から近いうちに飲みに行こうと誘われていたからそれか?
「1、2、3、4……」
スマホの着信は無視して、数を数え始める。どうせ直ぐに終わるんだ。電話は後で折り返せばいいだろ。
「……18、19、20!」
20秒経っても振動は続いていた。しつこいな。いや、待てよ。ははーん、さては隠れてる誰かが俺を驚かす為に掛けてきてるな? 直也や直美、美玲もやりそうにないし、茂雄辺りか?
「もういいかぁーーい!」
「もういいよ」
おっ、また一人。今度は結構近い位置に隠れたみたいだな。他の皆は?
――ヴーッ、ヴーッ! ヴーッ、ヴーーッ!
耳を澄ますが、返事はない。
――ヴーッ、ヴーッ! ヴーッ、ヴーーッ!
「…………まあだだよ~!」
「まあ……だだよ」
「まぁだ……だよー!」
「……まぁだだ……よー」
少し間が空いて返事がやっと返って来たが、何かおかしい。まるで、誰かの様子を窺うような、恐る恐ると言った感じの返しだった。
いや、というか誰か間違えて「もういいよ」を何回も言ってないか? ルールではそれを言うのは隠れ終えた最初の一回のみで、後はいいはずだが。
――ヴーッ、ヴーッ! ヴーッ、ヴーーッ!
「あーもう! しつこいな! 分かった、出るよ!」
未だに鳴り続ける振動音に我慢出来ずにポケットから取り出す。腕をずらして、塞いでいた目を開け、下を少し覗く様な形でスマホを確認する。
着信名は茂雄だった。通話を押して、念のためまた目を腕で塞いでから、もう一方の腕でスマホを耳に当てる。
「こんなんじゃ驚かないぞ?」
「は? 驚く? いや、そんな事より太一、お前ちゃんと聞いてるか?」
「聞く? だから、こうやって電話に出てやり取りしてるだろ」
「違う! そうじゃない!」
冷めた態度の俺とは対照的に、茂雄はやたら早口でまくし立ててくる。いつもの軽薄そうな調子ではなく、何かに焦っているような? これも俺を驚かす為の演技だとしたら主演男優賞ものだ。
「だったら何の話だよ?」
「だから、数だよ! 数! 返事の!」
「返事?」
要領を得ない単語の羅列に混乱するが、茂雄の様子から決してふざけている訳ではないと分かり、落ち着くように言う。
「返事の数ってどういう事だ?」
「さっきから一人多いだろ! 最初はてっきり誰かがふざけているのかと思ってたけど、俺以外にそんな馬鹿な事する奴いるか?」
「えっ?」
一人多い?
茂雄の指摘に、少し前を思い返す。余計な事ばっかり考えていて気付かなかったが、何かおかしくなかったか?
ここにやって来たのは俺と、茂雄、美玲に直也と直美の五人だ。先程から続くかくれんぼのやり取り――何人から返事があった?
「…………いや、でも」
上手く言葉が出てこない。いつの間にか心臓がバクバクと脈打ち始めている。
「さっきグループの方でチャット使って聞いてみたけど、誰もそんな事はしてないって言ってんだよ! 俺だって絶対にやってない!」
「………………」
この場に他の誰かがいる?
俺たちは団地の中を隈無く探した訳ではない。もしかしたら、誰かがいた可能性だってある。いるとすれば直也が言っていたこの団地の持ち主だが、だとしたら何でわざわざかくれんぼに参加する必要がある?
初対面の人間を驚かす為にやっているとしたら悪趣味過ぎるし、他にこんなことをする理由は思い付かない。
「いや、でもさ……この団地の持ち主って可能性もあるだろ?」
言ってる自分自身ですらどう聞いても無理があると思うが、そうでもして理由をつけないと今の状況を飲み込めない。
「そんなことする理由がないだろ!」
「そうだよな」
茂雄の正論に対して、肯定以外の言葉が出てこない。持ち主だとすれば、俺たちが自分の敷地に勝手に入ってきたと勘違いされてる可能性もあると思うが、事前に許可だって貰えていた筈だ。
隠れている他の人間ならともかく、こんな目立つ場所にいるんだ。俺に一言掛けて誰か確認すれば済む話だろう。わざわざかくれんぼに参加する必要はない。
「どうするんだ?」
いつもと違う真剣な茂雄の問いにどう返すべきか悩むが、俺だってどうするのが正解か聞きたいくらいだ。
「とりあえず一旦、グループ通話にするか」
「わ、分かった!」
考えた所で俺たちだけでは、どうなるものでもない。
茂雄との通話を切り、またさっきと同じように少しだけ下を覗いて確認しながら、今かくれんぼに参加している五人のグループで通話を開始する。普段なら有り得ない速度で、全員が通話に出た。
「これはどういう事ですか?」
最初に切り出したのは美玲だ。緊張からか、若干声が上擦っている。
「俺にも分かんねぇよ」
「本当に誰かがふざけてやってる訳じゃないんだよね?」
震える声で直美が聞いてくるが、皆がやってないと答えた。
「なら、オーナーがやっているとか?」
美玲自身もおかしな事を言ってる自覚があるのだろう。その声には躊躇いが感じられた。
「そんなことする理由がないだろ!」
先程と同じ、いつもの軽薄さが消え去った茂雄のその言葉に全員が黙り込む。
「……そうだね。それに言いにくいんだけど」
「どうしたんだ、直也?」
穏やかな口調だが、何処か緊張感がある声音に固唾を呑む。
「先生から返事が来たんだけど、さっき掛けた電話番号は一桁も間違ってないらしい」
「は?」
直也の言葉に、背中から冷水を浴びせられた様な感覚に襲われる。一言も発しない他の皆も今の俺と同じ状態なんだろう。
「間違ってないかの確認だけじゃなくて、先生も発信履歴から改めて掛けてくれたらしいんだけど、やっぱり使われてなかったらしい」
おかけになった電話番号は、現在使われておりません……。
ついさっき聞いた機械的な音声が脳内で再生される。想像の中のその声は、先程より遥かに冷たく、より淡々とした口調に聞こえた。
じゃあ先生が許可をとったという相手は誰だ? いや、何だ?
「いや、そんな……朝に繋がった電話番号が昼には繋がらなくなるなんて有り得ないだろ」
「僕だって分かってるよ!」
滅多に声を荒げない直也が叫んでいる。何がどうなっているのか誰にも分からない現状に不安と苛立ちがあるのだろう。
「かくれんぼを今すぐ止めて帰るか?」
「それは止めた方がいいと思う」
静かに聞いていた直美が、いやに冷静な調子で言ってくる。
「何で? 許可を得たはずの相手は存在しない。呼び掛けに答えてくる知らない誰か。止める理由には十分過ぎるだろ」
「太一気付いてる? その声少しずつ近付いて来てない?」
「えっ?」
確かに最後の呼び掛けに対して、かなり近い位置で聞こえた声があったような。
「誰かのいたずらでもないなら、何かをあたしたちが呼び出しちゃった可能性があるの」
「それなら尚更さっさと逃げた方がいいだろ」
「いや、もしこれがこっくりさんみたいな降霊術なら、ちゃんとした手順で終わらないと悪いものが憑いてくる可能性がある」
直也が直美の代わりに続ける。
流石、真面目にオカルト研究しているだけはある。普段なら鼻で笑ってるかもしれないその台詞には、謎の説得力があった。
「ちゃんとした手順って、どこまでやりゃいいんだよ?」
結局俺が考えた所で何かが分かるわけがない。なら、少しでもそういうものに詳しい奴にすがるしかない。
「とりあえず皆で隠れ終えて、太一が僕らを見つけるまでやって見よう。それからどうするかは、その時に改めて決めよう。皆それでいい?」
落ち着きを取り戻した直也の言葉に、皆の安心した様な返事が聞こえてくる。
「……ふふっ!」
「直美?」
「あっ、ごめんなさい。何でもないの。直ぐにやりましょう?」
今、直美笑ってなかったか? 恐怖でおかしくなったんじゃ?
「太一続きを頼む。通話は念のため繋いだままで」
「分かった」
律儀に木にもたれ掛かって腕で目を塞ぐ鬼の体勢をずっと続けていたが、それにも意味があった。
「1、2、3、4……」
声が震えているのが自分でも分かる。
「……18、19、20」
たった20秒を数えるのにこんなに緊張したのは初めてだ。電話越しに皆の重い空気も伝わってくる。恐る恐る、ゆっくりと次の言葉を発する。
「…………もういいかい」
「もういいよ」
「……っ!」
まただ。何度も聞こえてきたその声は、より近付いて来ていた。もし何かがいるなら、今振り向けば確認出来るぐらいの位置に間違いなくいるだろう。
「もういいよ!」
電話越しに茂雄の大きな声が響く。
「もういいよ!」
次に美玲。
「もういいよ!」
直也の声も聞こえてくる。このかくれんぼをさっさと終わらせる為にはこうするしかない。隠れた事を直ぐに宣言して鬼に早く探して貰う。
「…………まああだだよ」
「は?」
そんな中、のんびりと返事をしたのは直美だった。
「直美?」
茂雄の戸惑う声が聞こえてくる。俺も同じ気持ちだ。
「ごめんね。隠れるのに手間取っちゃって」
状況を理解していないかの様な、お気楽な返しに唖然とする。
「もう一度お願い」
「……分かった。次は頼むぞ?」
ここで直美に怒った所で仕方ない。混乱する頭でもう一度数え始める。
「……18、19、20!」
時間として正確かはもう関係ない。一息で20秒を数え終え、また確認を取る。
「もういいかい」
「もういいよ」
聞こえてきた声は、しがわれた老人の様で、声変わり前の幼い子どもの様でもあった。答えてるのは一人の筈なのに、まるで複数の人間が全く同時に、同じ抑揚で答えてる様にしか聞こえない。
混ざり合った様な不気味な声音は、それが人間ではないのだと、明確に物語っていた。俺が何よりも怖かったのは、おおよそ公園の中ぐらいまで、それが近付いてると気付いたからだ。
この声が皆にも届いているのか、電話越しに小さな悲鳴や、緊張するような息づかいが聞こえる。
「…………まああだだヨ!」
「直美お前ふざけてんのか?」
我慢が出来ず、声を荒げる。
「ごめんネ。隠れるのに手間取っちゃっテ」
さっきと同じ台詞を、今度は楽しそうに答える直美。こいつこんな風にふざける奴だったか?
「もう一度お願イ」
「おいおいおいおい! 直美、お前ふざけ……」
――ブツン、と耳障りな音が聞こえる。恐る恐る下を覗き込んでスマホの画面を確認する。そこには茂雄が通話から退出したと表示されていた。
「えっ、茂雄? どうしたんですか?」
「茂雄?」
戸惑う美玲と直也。俺も二人と同じ気持ちだ。
「もう一度お願イ」
「君は本当に直美か?」
同じ言葉を何度も繰り返す直美に、直也が質問する。明らかに直美の様子がおかしいのは、いつも一緒にいる直也じゃなくても分かった。
「直美? 聞こえてるなら答え……」
――ブツンと、数秒前に聞いた音が聞こえる。何が起きたかは、確認しなくても分かった。
「もう一度お願イ」
通話が途切れた茂雄にも、あんなに仲の良かった直也に対しても、直美は何の反応も示さない。
「直美あんた本当にどうしたの!? 直也が!」
「美玲!」
怒る美玲の言葉を遮り、声を掛ける。美玲との通話も、いつ切られるか分からない。
「さっさとこんなかくれんぼ終わらせて、皆で飯でも食いに行こう」
「太一……。気を付けて! さっきから周りが……」
美玲が喋り終わる前に、通話は途切れた。何も聞こえなくなったスマホを、まるでお守りの様に耳に当て続ける。
さっきから、上下の歯が震えてガチガチと不愉快な音を鳴らしている。
「もう一度お願イ」
唯一残ったそれは、相変わらず同じ言葉を続けている。
「1、2、3……」
返事は返さず、数字を数え始める。真っ暗な視界の中で冷や汗をかきながら、今すぐ逃げ出したい気持ちを抑える為に、歯を食い縛る。
「……18、19、20」
今までで一番長い20秒。
「もういいかい」「もういいよ」
「……っ」
声は俺の直ぐ後ろ、背後から聞こえた。いつの間にか、さっきまで感じていた5月の暑さは消え去り、雪の降る山道に放り出された様な寒気が襲ってくる。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
息が出来ない。どれだけ息を吸い込んでも、肺が上手く酸素を取り込んでくれない。首を絞められているみたいだ。
耳に当てっぱなしだったスマホを下にゆっくりと持ってくる。ゆっくりと頭をずらして、画面を確認する。いつの間にか直美との通話も切れていた。
震える手で、スマホを操作する。美玲、直也、茂雄に順に掛けていくが、誰にも繋がらない。それなら他の人に……。
「あっ!」
手元が狂い、先程避けた足元の落ち葉の中にスマホが滑り込んでいく。
外界と繋がる唯一の手段を失い、より呼吸が荒くなる。恐怖と酸欠で目の前がクラクラし始める。
美玲はどうなった? 直也や、茂雄は? 直美はどうしたんだ?
結論は既に出ていた。この状況で電話を掛け直さない、こちらの電話に出ないという事はきっと皆、無事ではないのだろう。
自分がどうなるかなんて想像はつかない。何とか生き残る為には……。
背後に感じる気配を無視して、呼吸を整える。今から落としたスマホを探して、ここから逃げるしかない。体は恐怖で震え、呼吸もちゃんと出来ないが、何とか動けはする。
「行くぞ」
自分を鼓舞するように呟く。ゆっくりと頭を腕から外し目を見開いて、落ち葉の中にしゃがんだ体勢のまま手を突っ込んだ。
どこだ? どこにある? 早く見つけないと! ガサガサと山盛りの落ち葉の中を探る。乾燥した落ち葉で指を切るが、そんな事を気にしている暇はない。
急げ、急げ……早く! やった、見つけた! 後は……。
見つけたスマホを上に掲げた瞬間――――大きな異変に気付く。
いつの間にか、静かだった団地には声が溢れていた。
男性や女性、子どもや老人、沢山の大人の声が周りでざわざわと騒いでいた。ついさっきまで、そんな声は一切なかったのだ。
これが、大人数のどっきりだったらどんなに良かったか……。
諦めて、立ち上がる。
「…………」
ただゆっくりと、背後を振り返る。そこには……。
「ひっ!」
沢山の人影が溢れ返っていた。公園の中にも、外にも、建物のベランダからも沢山の人がこちらを見ていた。
その全てがゆらゆらと左右に動きながら、顔を絵の具の黒でグチャグチャに塗り潰した様な見た目をしていた。
手元から、必死に探したスマホが落ちていく。
俺は掠れた声で、最後の声を何とか絞り出した。それは諦めの言葉……。
「もういいよ」
「……では、続いてのニュースです。5月上旬、明光大学で4人の学生が行方不明になった事件ですが、警察は同じサークル所属の学生に確認を取るなど捜査は進めていますが、未だに学生たちは見つかっておらず……」
真っ暗な部屋の中に一人の男が座っている。男はポケットからスマホを取り出して、何処かに電話を掛け始めた。
「おっ、太一じゃん! 近いうちに飲みに行くって約束だったのに、全然繋がらないしどうしたのかと」
「うん。ごめんネ」
「何か、お前の大学ニュースになって大変だったみたいだな?」
「そうなんだヨ。その話もしたいから飲みに行こウ」
「おぅ、いいぞ! 皆にもそう言っとく」
「あっ、飲みに行く前二」
「うん? 何だ?」
「皆と行きたい場所があル」
もういいよ 要 九十九 @kaname-keniti
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