第28話3.28 やっと一つ終わりました


 洗髪剤を受け取った後、俺はラスティ先生をサクラに任せて一人でラークレインへと帰り、その足でイーロス伯父さんの部屋を訪ねていた。

 目的は、洗髪剤を作るための理具の製作依頼だ。


「アルぅ~。頼まれてた産業用理具できてるぞぉ~」


 俺が部屋に入るなり、目の周りにくっきりとしたクマを作った伯父さんがゾンビのように手を伸ばしてくる。俺は二歩ほど後ずさりした。


「あ、ありがとうございます。受け取ります。代金はこちらです」


 俺は金貨が入った布袋を伸ばされた伯父さんの手に乗せる。伯父さんは、中身も確かめず布袋を懐に仕舞ったかと思ったら、再び手を伸ばしてきた。


「次は、何を作るんだ~」

「えっと、伯父さん寝てないんでしょ? ちょっと休んだ方が……」


 過労で倒れられても困ると俺は提案する。だが。


「くくく、寝てなど、いられるものか~。こんなに楽しいことをしているのに~。くくくく~」


 遠い所へトリップする伯父さん。全く受け入れてもらえそうになかった。

 倒れられたらこっちに作業が回って来るのだが、困惑していると後ろから囁くような声が聞こえた。


「アル様。力づくでベッドに行かせましょうか?」


 イーロス伯父さん、専属メイドのグレンダさんだった。


「いや、そこまでしなくても……」

「駄目なんです。口でどれだけ言っても!」


 首を横に振るグレンダさん。目がマジだった。


「ええっと、それなら説明だけしますから、その後、寝かせてやってください」

「分かりました」


 恭しく頭を下げるグレンダさんに俺は一つ頷いてイーロス伯父さんへと向き直った。


「とりあえず説明はしますが、そこまで急ぎではありません」


 と前置きを置いて『治癒』の真龍が使っていた理具について話をしていく。気づけば伯父さんから気力が失われていた。


「洗髪剤かぁ……」

「あれ、あんまり乗り気じゃないですね」

「まぁなぁ、これって貴族とか金持ち用の道具だろ。使われてる技術もそんなに特殊な物じゃないしなぁ。作り始めるの明日でいいかぁ?」

「はい、もちろんです。まずは寝てください」


 そうさせてもらおう、と歩き始めるイーロス伯父さんだったが、その往く手を阻む者がいた。


「イーロス様。今すぐに、取り掛かってください! 寝ている暇などありません‼‼」

「グレンダさん⁉」


 驚く俺をよそに伯父さんの手を取り作業机へと向かわせるグレンダさん。


「ぐ、グレンダ。どうしたというのだ。いつも、睡眠時間はじっくり取れって言ってるのに……」


 伯父さんも理解が出来ないようだった。


「駄目です。これだけは、急いで作っていただかないと! 洗髪剤だけは‼ ウィレ様はじめ、この屋敷全ての女性が待ちわびているのですから‼‼」

「えぇぇぇぇ。いつの間にそんな話に⁉」

「女性の横の繋がりを甘く見てはいけません! さぁ、イーロス様、すぐに作ってください!」

「いや、いくらグレンダの頼みでも、そんな直ぐには……」


 顔を引きつらせた伯父さんが俺に助けを求めるような目を向けてくる。俺は作業机の上に洗髪剤の入った寸胴を置いて叫んだ。


「グレンダさん! 大丈夫です。洗髪剤は出来てますから! 伯父さんに頼むのは量産用の理具ですから‼‼」

「え! えぇぇぇ……………イーロス様。ベッドへどうぞ」


 しばらく考えた後、何事もなかったかのように頭を下げるグレンダさん。


「ああ、そうさせてもらおう。アル、助かったよ……」


 伯父さんは重たい脚を引きずるようにして奥の寝室へと消えていった。




「はぁ、疲れた~」

「アル、いきなりやって来て、第一声がそれなのか?」


 ラークレインでの騒動の後、俺は実家の父さんの執務室へと顔を出していた。


「いや、あまりの変わりように付いて行けなくて――」


 俺はあらましを説明する。父さんは苦笑を浮かべて聞いていた。


「まぁ、女性が持つ美しさへの欲求は、それほどに強い物だということなのだろうな」

「う~ん、ちょっと理解できないです」

「ははは、アルでも女心は分からないか……なら、忠告だ。なるべく早く渡しなさい。アルが大切に思う全ての女性、もちろん母さんも含めて」

「え、あ、そうですね。渡しておきます。ローネさんにも」

「頼むよ。俺がグチグチ言われるんだから」


 自嘲気味に笑う父さん。


――イーロス伯父さんには、ちょっと急いでもらおうかな……


 俺は洗髪剤の数を心配しながらも、本題へ入ることにした。


「それで、カースビーについてなのですが――」

「うん、聞こう」


 笑みを引っ込めて真顔で俺の話を聞いてくれる父さん。全部聞き終えて考え込んでいた。


「情報に間違いは無いのかい?」

「はい。嘘を言う人ではありません。薬の治験記録もしっかりとってありました。事前投与で免疫も出来るみたいです」

「――となると、生かしてハチミツ取ってもいいかな」

「本当ですか!」

「ただし、カースビーの行動制限と、周囲が納得するだけの隔離策は必要だよ」

「はい! それはもう考えてあります! というか作ってあります‼」


 俺は父さんに執務机に収納空間から取り出した棒を置いた。


「これは?」

「忌避棒。簡単に言うと生き物が近寄りたくなくなる理具です! これをカメリアさんの椿畑を取り囲むように並べると、人も魔獣も嫌がる理力を放出します」

「人体に悪影響とかは?」

「ありません。さらに言うと一回起動すると一か月動きます。その分出量は控えめですから強い魔獣なんかには効きませんけどね。でもカースビー程度なら、確実に近づきません!」


 なるほど、と頷く父さん。少し口角を上げた。


「それじゃ、カースビーの討伐依頼は取り下げよう」

「ありがとうございます! すぐに忌避棒設置してきます‼」

「ああ、カメリアさんに薬渡すのも忘れずに!」

「はい!」


 俺は転移でカメリアさんの小屋に行った。




 忌避棒を設置して、カメリアさんに薬を渡して、仕事は終わりだ―! と思いながら帰ってきたところでサクラと出くわした。


「うまいこといったんか?」

「ああ。父さんの許可貰ったよ」

「そうか。よかったな。それやったら、今日には渡せるか?」


 うんうん、頷いた後に聞いてくるサクラ。俺が、何を? と思っていると眉をひそめながら口を開いた。


「洗髪剤や! あんた、メイドさんに見せたんやろ? うちの母さんが絡んでるんもしっとるみたいで、出来てるんでるんですよね! 今日から使えるんですよね! って、会う人会う人に言われるんやけど?」

「あー、そうだった。父さんにも言われてたんだった。すぐ渡せって」

「頼むでぇ」


 口を尖らせるサクラ。俺は一つお願いした。


「小分けにするの手伝って……」

「しょうがないなぁ……」

 

 

 俺とサクラは食堂で寸胴から小瓶に洗髪剤を入れていく。そこに声が届いた。


「お腹空いたー!」

「帰りました。アル兄さん、サクラさん」

「むむ‼」

「ただいま。アル兄様、サクラちゃん」

「ただいま~。何だか森のようないい香りがする」


 ビル、シェール、ユーヤ兄、サーヤ、ラスティ先生勢揃いでの帰宅だった。


「おかえり」


 俺は、手を止めずに顔だけ向けて返す。すると手を振りながらビルとユーヤ兄は食堂へ向かっていく。おやつでも貰いに行くらしかった。

 そんな中、残りのシェールとサーヤとラスティ先生はこっちへ向かってきていた。

 サクラが向かって来る三人に手を振る。一番に口を開いたのは、ラスティ先生だった。


「で、いつから使えるの? 今日から?」


 実は、このラスティ先生も、洗髪剤を心待ちにしている一人だ。十分に綺麗な髪をしていると思うのだけど、本人としては気に入らないらしく、最近枝毛が増えてきたのよ、などとぼやいていた。

 俺は、年齢三桁を前にして老化に勝てなくなってきたのだろうか? と本人にはとても聞けない想像をしてしまっていた。


 シェールとサーヤも気になるのか鍋の中を覗いている。実はこの二人、たまにサクラの――『治癒』の真龍が作った――洗髪剤を使わせて貰っているそうだ。

 ただ、あまりの高級感にサクラに、貧乏性の染みついた二人は頼み辛くて週に一度程度だそうだが。だからこそ、自由に使える日を心待ちにしているのだろう。いつもはクールであまり表情を浮かべない――俺の前だけかもしれないけど――シェールの口元に笑みが浮かんでいるほどなのだから。

 そして30分ほどして。


「もうないな?」


 寸胴の中は空っぽになっていた。

 俺は出来上がった小瓶を、皆に渡し、残りは収納空間に入れる。


「それじゃ、また夜にでも使い心地教えてよ」


 と言いおいて、その場は解散となった。


 作業を終えて食堂へ向かうと、ビルとユーヤ兄がまだおやつを食べていた。


「ビル、まだあるか?」

「うん、あるよ。エイリン、アルにぃの分もお願い」


 俺の問いに肯きつつ、ビルは自らの専属メイドにお願いする。すると、すぐに動き出すエイリンさん。だが、それよりも先に。


「アル様、お持ちしました」


 俺の専属メイドである、ダニエラさんがおやつを持ってきてくれた。


「いつの間に……」


 あまりのタイミングの良さに、俺は思わずダニエラさんを見つめてしまう。見つめられたダニエラさんはというと。


「さ、どうぞ。お代わりもありますよ」


 俺の嫌疑など気にもせず、微笑みを浮かべておやつの皿を置いた。

 俺は、大きくため息をついて皿の上のおやつを見る。今日は、アップルパイだった。

 近くの農家で取れたリンゴをふんだんに使ったパイ。砂糖は貴重であまり入っていないけれど、焼いたリンゴがとても甘くて素朴な味のする一品だった。


 色々あってお腹が空いていた俺は二切ほど食べ終えてからダニエラさんにさっき作った洗髪剤を渡す。するとダニエラさん。


「これが、噂の……」


 と言ったきり黙り込んでしまった。どんな噂だと、突っ込みたいところを我慢して俺は口を開いた。


「メイドの皆さんで試してください。感想をよろしくお願いします」


 軽く頭を下げる俺に、ダニエラさん、軍人のように踵を鳴らして直立してから、びしっと敬礼していた。その姿を眺めながら、ほんと、どんな噂だよ。と俺は思わずにはいられなかった。


 翌日――

 ラークレイン城のあらゆる女性陣から、購入依頼が殺到したのは言うまでもない。


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