第32話1.32 やっぱり定番はお姫様抱っこでしょ


 新たなる悲鳴が聞こえたのを機に、私とワーグは悲鳴の下へと駆け出した。走りながらちらっと馬車のほうを見ると、心配そうな顔のアル君が目に入る。そんなアル君に、必ず帰ってくるからね! と念を飛ばして先を急いだ。


 必ず帰る。これは自分に向けた言葉だ。なぜかは分からないけど、今回の戦い何か悪い予感がする。先ほどの海蛇との戦いで感じたことだった。


 確かにワーグは強靭な戦士だ。あの黒斧が体に食い込めば大体の魔獣は倒せるぐらいの。でも、今回は海の魔獣だ。敵は海の中にいる。射程の狭い斧では相性が悪すぎる。

 不安要素の一つだと思う。


 私も私で不安要素がある。剣も弓の理術も使えて近距離から遠距離まで攻撃できる。でも、どれも中途半端だった。

 あの海蛇の胴体に当てたところでダメージは与えられない。先の戦いで嫌というほど感じたことだ。精々、皮が削れる程度だったのだから。


 だからこそカレンに頼りたくなるワーグの気持ちもわかる。彼女が居れば、強力な青い炎の理術で魔獣を焼き殺してくれるだろう。でも、無い物ねだりをしても仕方がない。できることをする。それだけだ。

 そう思い直し、私は走る速度を上げた。


 村でも海蛇と対峙し続けた私たち、中でも特に中洲へと渡る橋へ来た時に、あまりにも凄惨な状況に顔を見合わせた。渡ろうとすると海蛇が現れるのだろう。どこもかしこも血まみれだったから。


 そしてその血の量は中州の奥の方も同じだった。さらには、海蛇の首が届かないであろう位置でも血の跡がある。意味が分からない光景に首を傾げていた私だけど、その理由はすぐに分かった。

 何と中州の中心から海蛇の首が現れたのだ。


「なんだと! 完全に陸に上がってやがるだと!」


 ワーグが叫ぶ。私も目を疑ったが見間違いではなかった。中州のど真ん中に陣取る魔獣が目に入った。個体差なのか、敵がいないと油断しているのかは分からない。

 だが時を追うごとに中州から人々が消えていくことだけは確かだった。


「くそ! 助けに行くぞ‼!」


 ワーグが叫んで橋へと駆け出す。するとそこに、待っていたと言わんばかりに複数の海蛇たちが鎌首をもたげたのだった。


「ワーグ走りぬけて‼」


 ワーグが走り出すことを事前に察知していた私は、声を張り上げつつ海蛇の顔めがけ風の矢を放つ。放つ。放つ。更に場所を移動しつつ放つ。


 威力が足りないなら数で勝負よ! と放った矢は、それなりに効果を発揮した。意識を逸らしワーグを中州の奥へと向かわせることができたのだから。

 よし! っと思ったのも束の間、私は自分の失敗に気が付いた。


――橋の中ほどまで出て来てしまっていた


 慌てて戻ろうとする。だが、それを阻止する者が現れた。


「うーん、あなたが良さそうね。領主様を誘い出すのに」


 この辺りでは見ることの無い、大陸系の顔立ちの丘人族の男だった。


「あなた、この騒ぎの原因を知っていそうね」


 私は迫ってくる海蛇を避けながら、立ち塞がる丘人族の男へ向けて走り出す。だが、丘人族の男に気を取られすぎたようだった。後ろからの海蛇の攻撃を避けきれず――強い衝撃を受けて橋から放り出されていた。


 ダメ! このままだと、あの男の思い通りに!


 朦朧とした意識の中、宙を浮く体の体制を整えようとするが、体がうまく動かせない。目だけを動かすと、落下地点辺りで丘人族がニヤニヤと笑っているのが目に入る。


 避けられない‼ 私はそう思い目を閉じた――でも、いつまでたっても衝撃はやってこなかった。


――


 村の道は逃げ惑う人々でいっぱいだった。仕方なく建物の上に登り、屋根から屋根に飛び移りながら進んでいく。すると海沿いの方に、多数の海蛇達が鎌首をもたげているのが見えた。


「あっちか。急いだほうがよさそうだ」


 俺は速度を上げながら屋根から屋根へと飛び移っていく。途中、川から首を出した海蛇が見えたので手にする刀を抜き切りつけると一刀のもとに両断できた。


「あら、意外ともろい。ワーグさんが苦戦していたのでちょっと不安だったけど、問題なさそうだ」


 つぶやきながらも、出てくる蛇の首を飛ばしながら進んでいく。すると、ある声が聞こえた。


「ワーグ走りぬけて‼」


 ラスティ先生の祈るような叫び声だった。何か不味いことが起こっている。そう確信した俺は全力で声の方へと駆けていく。

 すると進む先に海蛇にぶち当たられ宙に浮かぶラスティ先生の姿が目に入った。


「ラスティ先生‼」


 さらに加速しつつ、俺は迫ってくる海蛇を蹴散らして先生の落下地点に回り込み――両手でキャッチする。

間一髪セーフであった。


 目を閉じて震えるラスティ先生。よく見ると右腕と左足が変な方向に曲がっている。骨折しているようだった。


 俺は慌てて回復理術を掛ける。すると骨折が治っていく。少し安堵した俺は、他にも怪我がと思い、理力を流して診断してみる。結果、大丈夫だった。

 理力を止めて、ようやく深い息を吐く。そこに。


「へぇ~、素晴らしいですね。海蛇を簡単に蹴散らす力だけでなく、骨折を即座に治療できるほどの回復理術。どうですか、我々の仲間になりませんか?」


 パチパチと手を叩く音と共に、呑気な声が届いた。

 なんだ、こいつ? いつからいた? 辺り一面血まみれという凄惨な状況の中、呑気に手を叩く見慣れない顔立ちの丘人族の男。俺は訝しみながら見つめる。すると、またしても呑気な声がした。


「ははは、そんなに見つめないでください。照れてしまいます」

「なんだ、お前?」


 俺は背後から向って来ていた海蛇の攻撃を、目の前の男から目を逸らすことなく、ただ一歩横にずれるだけで躱しながら言葉を返す。男は、おお、素晴らしいと楽しげに笑いながら、そっと手を上げた。

 その行動の意味が分からず、俺は警戒心を強める。


「ははは、大丈夫ですよ。話の間、海蛇に攻撃を止めてもらっただけですから」


 男は事も無げに告げた上で続けた。


「っと、すみません正体ですね。お教えしたいのですが規則で明かせないのですよ。仲間になってくれれば別ですが?」

「仲間って何をする仲間だ?」

「お、興味アリですか。嬉しいですね。共に働く仲間は歓迎ですよ」

「だから、何して働くんだ⁉ 内容を言え内容を‼」

「うーん、内容ですか、難しいですね。こちらも秘密なんですよ。で、す、の、で、取り敢えず、お願いを聞いてくれたらお教えします。よろしいですか?」


 イライラしてくる俺に対して、男はヘラヘラ笑いながら答える。俺は、もう無視して、まだ生き残っている海蛇を殺しに行こうかと足を進めようとして――止まらざるを得なかった。男が、全く変わらぬ雰囲気でとんでもないことを告げてきたから。


「ここに来ている領主様を殺してきてください」

「な、んだと?」

「あれ、聞こえませんでしたか? 視察に来ている領主様を殺してきて欲しいのです。この騒ぎで、護衛の人たちも離れているでしょう。あなたの戦闘力なら簡単な話です。どうでしょう?」


 本当に俺が聞き逃したと思ったのか、ちゃんと聞いてくださいよ、と言わんばかりに男は説明する。俺は、すぐにも蹴り飛ばしたい気持ちを、ラスティ先生をぎゅっと抱きしめることだけで押さえ込んだ。


「なぜだ。なぜ、領主様を殺さないといけない?」

「うん? 理由ですか? ああ、そうですね。馴れるまでは、理由が必要ですね。上のことを妄信できるようになるまでは」


 うんうんと頷き男は一人納得の表情を浮かべ続ける。


「えっとね。確か、ここの領主様は、自分だけ富を独占してるだったけな。そうそう、商人組合に不当な圧力をかけて商人から搾取している悪徳領主だから、ですよ」


 やれやれ、困った領主様ですね、と男は肩をすくめる。俺は、我慢の限界だった。


「そう、なん、だ!」


 軽く返事をするそぶりを見せながら、抱きかかえていたラスティ先生を上空へ放り投げる。


「は⁉」


 突然のことに理解が付いて来ない男が、ボケっと口を開けて放物線を描くラスティ先生を眺める。

 瞬間! 俺は男の脇をすり抜けた。腰の刀を抜きながら。


「な⁉」


 俺から完全に目を離していた男は、反応しきれずに数歩下がるだけだった。だが! 手応えがおかしかった。


「お前何をした⁉」

「何って、ちょっとびっくりして力を……っと部外秘部外秘」


 危ない危ないと男は首を横に振る。俺は、空から降りてきたラスティ先生をそっと受け止めてから、再び男に視線を向けて驚いた。

 既に、男の姿が無かったから。


「どこへ行った? 手応えは変だったけど、切ったはずなのに……」


 ラスティ先生に衝撃を与えないように、気を取られたのは確かだ。しかし、それも一瞬のこと、俺が訝しみながら辺りの気配を探っていると声が聞こえた。


「どうやら、勧誘失敗だったみたいだね~。この仕事、中々理解してくれる人がいないんだよね~って、愚痴は置いといて。今日のところは帰るとするよ。僕を傷つけられる君みたいなのがいるとなると暗殺も難しそうだからね。あーあ、この任務失敗かぁ。叱られるよって、また愚痴だね……」


 全く気配を感じさせず声だけを届ける男を、俺は全力で探し続ける。そして分かったことは、相手が転移理術で姿を隠し、さらには声を届けているということだけだった。

 

「じゃ、さようなら。できるならもう会いたくないなぁ。邪魔してきそうだし……」


 言いたいことだけを言って男の理術の気配が消えた。



「完全にいなくなったみたいだな。父さんは大丈夫だろうか?」


 俺は、父さんのいるであろう方面の気配を探る。


「元気に村人の誘導しているな。ゼロス兄さんと共に……」


 ほっと、安堵の息の息をつきながら、さらに辺りを探っていく。


「暗殺者らしき気配はなしか」


 そこまで確かめて、俺は未だ鎌首をもたげている海蛇へと視線を向けた。


 食べつくしたのか逃げられたのかは分からないけど人がいなくなったせいか、付近の海蛇が俺のところにどんどん集まってきているようだ。

 数が多すぎるせいか、中には共食いしている奴もいる。


「全く、しつこいんだよ!」


 集まってくる海蛇を、声を荒げながら蹴散していく。ラスティ先生を傷つけられたことや父さんへ暗殺者が向けられたことが俺の想像以上に怒りを増幅されているようだった。

 さらに近づいてくる海蛇の相手をしていると、ようやくラスティ先生が目を開けた。


「ラぁ……大丈夫か」


 思わず名前を呼びそうになったけど、俺は辛うじて回避する。


「あr……」


 その問いに何か答えようとしたラスティ先生、言葉が出てこないようだ。きっと俺がラスティ先生をお姫様抱っこしたまま海蛇を蹴りまわっているからだろう。

 急降下からの横移動、はたまた急上昇などなどトリッキーな動きが続いているのだから。


「すまんが、まだ魔獣に囲まれている。しばらく静かにしていてくれ」


 残すところ数匹となった海蛇を前にした俺の言葉に、ラスティ先生も静かに首肯して答えてくれる。


「助かる」


 俺も首肯を返して残りを蹴り殺した。


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