第30話1.30 海魔獣が来たようです


 翌朝、俺はゼロス兄さんと連れ立って大浴場へ来てきた。


「はぁ~~~、癒される~~~」


 温泉に浸かり体を伸ばす。至福のひと時だ。


「アル、父さんみたいだね」


 隣で風呂に入っている兄さんに笑われているが気にしない。地球での年齢を足すと父さん以上だから。


「しかしアル、昨日は凄かったね」

「ええ、本当にすごかったです」


 俺は昨日のことを思い出しながらゼロス兄さんの顔を見て頷く。兄さんも同じように、ただ頷いていた。


 それほどにすごかった――ラスティ先生が。


 確かにスタイルも良くてドレスも似合っていたし、化粧をして雰囲気も全然違ったけど、あんなに殺到しなくてもと思うほど男が群がって来たのには驚いた。


 会場入りしてすぐに俺のところに来て、その後も俺の横に座ってニコニコしていたラスティ先生。そんな先生に最初に声を掛けたのは、このスタグ町の町長だった。10歳過ぎだろうかゼロス兄さんと変わらない年の息子さんを連れて、やたらと話しかけてきていた。


 聞いていると、どうやら息子さんはラスティ先生に惚れたらしい。気持ちは分からないでもない。だが父親連れ、どころか父親主体は駄目だろう。そう思っていたら、案の定、ラスティ先生に断られていた。

 息子さんは可哀想に涙を浮かべて戻っていった。


 次に来たのは、このバーグ属領一の大商人と名乗る人物だった。妻と別れるから正妻にと懇願してきたが、こっちはもっとひどく完全に塩対応。その後、宴会場にいる男という男が寄ってきそうな勢いになったところで、俺の腕を組み爆弾発言を投下した。


「皆さん、ごめんなさい。今、私、アル君にしか興味ないの」


 時間が止まったように、静まる宴会場。そんなことはお構いなしに、腕組みどころか俺を膝の上にのせて抱きしめるラスティ先生。

 俺は宴会が終わるまで膝の上にのせられたまま、野郎どもに睨まれ続けたのだった。


――怖かった……


 そんな昨晩のことを思い出したせいで、やっぱりのんびり温泉には浸かれなかった。

 体は伸ばせたけどね。



 温泉宿で白米に蜆の味噌汁に焼き魚と海沿いの町らしい朝食を食べた俺達は、気持ちを引き締めて町の中を歩いていた。

 これから商人組合に乗り込むのだから。


「アル、大丈夫だ。昨日の事前会談で相手方は、もう罪を認めている。言い逃れできない証拠を突き付けたからね」


 ニヤリと口角を上げる父さん。やはり、やり手の領主のようだった。


「すごいですね。父さん」

「何をいうか、アル。それもこれも、みんなアルが気付かせてくれたことだぞ。そもそも、自由市を提案したのもアルだ。私も父親として頑張らないとな」

「僕も次期領主として頑張ります」


 俺と父さんの話を聞いて、気合を入れるゼロス兄さん。


「ともかく、今日は最終的な沙汰を下しに行くだけだ。すぐに終わる。その後、視察の予定もあるしな。ゼロスは、そっちでしっかり頑張ってくれ」


 父さんは、ゼロス兄さんの肩に手を置きながら微笑んだ。



 しばらくして、俺達は付近の漁村へ視察へと向かう馬車の中で寛いでいた。


「本当に、商人組合は大人しく罪を認めましたね」

「だから、言ったとおりだろ。バーグ属領統括組合長も責任を取って職を辞して、自らの商会からも手を引いて隠居することになったし。他の理事達も罪に応じた罰金を申し付けたから、先ずは自分のところの商売に力を入れる必要がある。もう、陰謀を巡らせる時間など取れないはずだ」


 満足そうに頷く父さんを見ながら俺は考えていた。

 確かに、凄い額の罰金だった。こんな田舎の町でどうやて稼いだのか? と首を傾げたくなるほどの白金貨が渡されたのだから。そこに、父さんと同じように頷いていたゼロス兄さんの声が届く。


「しかし、人間とは不思議な生き物ですね。あれだけ稼いでいるのに、さらにお金を求めるのですから」

「そうだな。人は不思議だ。金は稼げば稼ぐほど足りなく感じるらしい。もう一つ言うと権力も同じらしい。手に入れれば手に入れるほど、足りなさを感じるものだ。ゼロスも覚えておきなさい。もちろんアルもな」

「「はい」」

「うん、いい返事だ。私も気を付けないとな。本を買えば買うほど、次が欲しくなるからな、はははは」


 本気なのか冗談なのか分からない言葉で父さんは話を締めくくる。俺は兄さんと顔を合わせて、ため息をついた。



「ユーロス様。なにやら、問題があるようです。港で人が騒いでます」


 馬に乗って並走していたワーグさんの声が届いた。


「ん? 何か問題か? すまんが、ワーグ聞いて来てくれ」

「了解っと」


 窓の外で背びれを付けた魚人族のおっさん達が屯しているのを確認した父さんが指示を出す。ワーグさんは、すぐに馬を飛ばして聞きに行ってくれた。


「ユーロスさん、怪我人だ。海魔獣が出たらしい」


 馬車がスピードを落としながら魚人族に近づいて行くとワーグさんの声がする。


「馬車を彼らの近くで止めてくれ」


 父さんの指示に、御者も慣れたものですぐに対応してくれた。即座に止まった馬車から飛び降りる父さん。続いてゼロス兄さんと俺も降りる。そこには数名の魚人族の男が寝かされていた。


「誰か回復理術を使えないのか?」


 父さんがおっさん達に話しかける。だが、誰もが首を横にするだけだった。


「ラスティさん、頼めるか?」

「分かりました。ローネほど上手ではないですが……」


 おっさん達の対応から自分に振られることを察していたのだろう、既に馬から降りて寝かされている人達のそばまで来ていたラスティ先生。直ぐに回復理術を発動させていく。


「どうだ?」

「この方は厳しいですね。私の理術では治しきれない深い傷がありますね。早く専門の治療師に見てもらったほうが良いです」


 一通り治療を終えたラスティ先生が、首を横に振る。その言葉に、仲間の命の危険を感じ青ざめるおっさん達。そこにもう一台、馬車が何かを叫びながら向かってくるのが見えた。


「早く親父達を乗せてくれ。治療院まで連れて行くから」


 助けが来たようだった。皆、馬車の方へと注目する。

 その隙に俺はというと、そっと容態が厳しいという人の側へと行き、回復理術を発動させた。深い傷にだけ、こっそりと。

 そうこうしているうちに馬車が到着した。


 容態の悪い人を乗せようと、ばたばたと人々が動き始める。そんな時、俺は手を引かれて人の輪から遠のけられた。

 見上げると手を引いたのはラスティ先生だった。

 子供がちょろちょろするなってことだろう、と俺が思っていると、先生は、そのまま俺を抱きしめ始めた。満面の笑みを浮かべて。


 俺のやったことはバレバレだったようだ。


――まぁ、問題ないはず。あの程度の回復理術なら今ならサーヤでも使える。ローネさんから学んだって言えばいいは良いのだから


 言い訳まで考えて先生が尋ねてくるのを俺は待つ。だが、俺を先生は抱きしめながら海の方へ気を取られているようで何も言ってこなかった。


 不思議に思った俺が理由を聞こうとしたところで、魚人族のおっさん達の叫び声が響き渡った。


「海魔獣だ。アイツらを襲った海魔獣がこっちに来るぞー!」

「逃げろー!」


 叫び慌てるおっさん達。そこに、さらに大きな声が響いた。


「お前ら落ち着けーー! 魔獣など、俺が相手になってやる!」


 いつの間にか背中に担いでいた巨大な斧を片手で持ち上げたワーグさんの声だった。その声に動きを止める魚人族のおっさん達。そこに凄まじい音量で発せられるワーグさんの言葉が続く。


「がはは、落ち着いたか。良く聞けよ。アイツは俺が相手してやる。この灰斧熊のワーグがな。だから、お前たちは安心して隠れていろ。がははは」


 斧をぶんぶん振るって高笑いをするワーグさんを、魚人族のおっさん達が見入っていた。口々に、「あのワーグか!」「斧一本でワイバーンを切り裂いたという!」「黒斧熊の!」とか言いながら。


――流石、高段位の魔獣駆除組合員だった。こんな田舎の漁師にまで知られているんだ!


 そんなことを考えていたら、俺はラスティ先生に担がれ馬車に放り込まれた。


「全く、ワーグったら。今回は、ユーロスさんの護衛なのに。忘れているわね。仕方ないから、ちょっと行って終わらせてくるわ。アル君待っていてね」


 投げキッスしながらワーグさんの下へと向かうラスティ先生を、俺は黙って見送った。


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