第29話1.29 温泉入っても疲れが取れそうにありません


 仕事を始めた父さんと兄さんを置いて、俺は大浴場に来ていた。風呂に浸かるのは、久しぶりだ。

 決して地球での死因が風呂で溺死だから避けていた訳ではない。


 本当は屋敷にも風呂はあるのだけど、お湯をためるのはお客さんが来た時ぐらいだからだ。来客以外では節約家の母さんが中々許可を出してくれないのだ。

 だから普段は、風呂場でかけ湯だけして体を温めたり、忙しい時などは浄化理術だけで体を綺麗にしていた。だから、久々の風呂、しかも温泉、露天大浴場とくれば最高の気分でくつろげる――はずだったけど、俺は小さくなって湯船につかっていた。


 原因は、隣にいるラスティ先生だ。


「良いお湯ねぇ、アル君」


 湯船につかりながら両手を上に上げて伸びの姿勢をするラスティ先生。お湯に浮かぶ大きなふくらみの真ん中の赤いぽっちまでが丸見えだった。体をのけぞる様にして更に強調される胸から俺は目をそらす。

 

 そう俺は、部屋を出たところで別部屋に行ったはずのラスティ先生につかまり、女風呂へと連れ込まれたのだった。さらには何が嬉しいのか、胸を俺の視界に入れようとしてくるラスティ先生。ただでさえ居心地が悪いのに止めてほしかった。


「ラスティ先生、僕やっぱり男湯に入ってきます」

「ダメよ。昼間あんなに乗り物酔いしていたのに一人でお風呂なんて入れられないわ」

「それなら、ワーグさんと」

「それもダメよ。ワーグは、お風呂あんまり好きじゃないみたいで、すぐ出ちゃうの。だからもう、部屋に戻っていると思うわ」


 さっきから、手を変え品を変え男湯に行こうとするのだけど駄目だった。

 何を言っても論破されてしまう。見た目子供でも中身はいい年したおっさんなんだから女湯なんて恥ずかしすぎる。

 しかも、だんだん近づいて来て、終いにはいつものように膝の上に座らされてしまった。

服とは違うラスティ先生の素肌。すべすべだ。

 さらに、ちゃんと肩まで浸かること、などと言いながら抱きしめてくる。ラスティ先生の体温と羞恥心で頭に血が上りのぼせてきた俺は大慌てで風呂場から逃げ出した。


 部屋に戻ると、兄さんが風呂から上がって寛いでいた。どうやら、早々に仕事を片付けて風呂に入ったようだった。部屋に備え付けの。

父さんはというと先に宴会場へと向かったようだ。色々忙しいらしい。


「そうですか。部屋に風呂があったのですね」

「うん? ああ、小さいけどね。アルは大浴場に行ってきたのでしょ。気持ち良かった?」

「……はは、気持ち良かったです」


 確かに気持ち良かった。何がとは言えないけど、と思いながら、ゼロス兄さんと宴会場に向かい足を進める。ゼロス兄さんは、俺の返事が遅かったことに少し首を傾げたてたけど、会場が見えてきて話は終わった。


 会場に入ると、沢山のテーブルが用意されていた。立食パーティーのようだ。キョロキョロしていると声が掛かる。


「ゼロス、アルこっちだ」


 呼ばれた方を見ると父さんが、ワーグさんと共に立っていたのでそちらに向かう。


「今日は、次期領主であるゼロスが来ているからか夕食会の参加人数が多いようだ。マナーにうるさい人もいないと思うが、気を付けてくれ。特に、アル」

「はーい」


 呼ばれていきなり名指しの注意にちょっとびっくりした俺だったけど、大人しく食べてれば良いと勝手に解釈して軽く返事をしておいた。その返事を聞いた父さんが軽く頭を振っていたり、隣のワーグさんが苦笑していりしたけど気にしないことにしながら。



 料理が色々運ばれだした。刺身こそないが、煮魚、焼き魚、蒸した貝にエビのパイ包みみたいなものまである。流石、海沿いの町だけあり魚介類が豊富だ。思わず、涎が出そうになる。

 そして昼間話した町長さんやほかの来客達もやって来て、少ししてから宴会が始まった。


 宴会が始まって早々、俺は魚料理を取りまくっていた。

 それでも父さんが乾杯の発声をしたり、町長さんがあいさつをしたりするまでは我慢したのだ。ぐうぐう鳴るお腹で頑張ったと思う。褒めてほしい。


 ともかく、皿いっぱいに料理を取ったら、確保していた席に戻りひたすら食べる。そんなことを繰り返していた。


 料理は、どれも上品な味付けで作られていた。やはりというか、この世界特有というか、調味料少な目で薄味だったけど。でも、普段の食事に比べると雲泥の差だ。


「昆布とか魚醤を使うようになって母さんの料理もおいしくなったけど、やっぱりプロは違うなぁ」


 ひょっとしたら砂糖とか醤油とか俺が知らないだけで流通しているのかもしれない。


「というか、あるにはあるんだろうなぁ。高いだろうけど」


 野菜で稼いでいるとはいえ、精々定期的に肉を買う程度だ。高い調味料を買うにはほど遠い。


「とりあえず新鮮な魚介類の為に、父さんに街道整備をお願いしてみるか」


 もっと根本的な解決策を考えたいけど、現状できることは少ない。もっとも単純なことを独り言ちていたところで声が掛かった。


「あら、アル君。お魚そんなに好きだった?」

 声のする方へ目を向ける。するとそこには束ねた金髪を黒いカクテルドレスの広く開いた胸元に垂らした女性が立っていた。


「……ラスティ先生ですか?」

「ふふ、そうよ。驚いた? アル君と食事会って言うからちょっとおしゃれしてみたの。どう?」


 化粧をしているようで、いつもと少し色の違う唇が艶めかしく動く。その普段とは異なる姿から俺は目を離すことが出来なかった。


「どうしたの?」


 思わず生唾を飲み込んだ俺の眼前でまた唇が艶めかしく動く。俺は何かを言おうと口を動かすが言葉は出てこなかった。

 いつもは綺麗だけど優しいお姉さんの雰囲気なのに、今は気さくだけど近寄りがたいお姫様の雰囲気だから。

 そんなこと考えてしまった俺は余計に固まってしまう。ますます声が出ない。

 だが、いつまでも黙っているわけにはいかないと、声を絞り出した。


「…………とっても、綺麗です」

「うん、ありがと」


 ポツリとつぶやくように出た俺の言葉にラスティ先生は、花の咲いたような満面の笑みで答えてくれた。

 その笑みが眩しすぎて俺はますます固まってしまう。そんな俺をラスティ先生はクスクス笑いながら眺めていた。


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