第10話1.10 痛いことはなるべくしたくありません



 今日も今日とて、変わらず畑仕事に精を出していた。

 え? フリマどうするか考えなくていいのかって? そんなの、5歳の俺がする仕事じゃないでしょ。今は良い農作物作って、俺の身体を成長させるのが大事だから。


 頭の片隅で自問自答しながら水理術で散水していく。そんな俺の裾を引っ張る手があった。


「アル兄しゃま、サーヤもお手伝いしゅる~でしゅ」


 一つ年下なのに俺と同じ、ひょっとしたら俺より高身長なのでは? と思えるほど成長しているサーヤだった。


「う~ん、お手伝いか……」


 何してもらおうかと頭を捻る。


――サーヤって水理術使えないんだよなぁ。シェールは使えるのに


 俺の農作業によく付き合ってくれる――というより監視役に近いかもしれない――二人には少しずつ理術を教えていた。

 だが、サーヤは水だけでなく土も火も風も、いわゆる中丹田を使う放出系理術は使えなかった。


――身体強化もあんまり得意じゃないから、ジョウロ持って水やりとかも難しいし……


 出来ることといえば、これぐらいしか思いつかなかった。


「それじゃ、元気のないお豆がいたら、元気になるように声かけてあげて」

「あい!」


 にっこり笑顔で返事をしてくれたサーヤが、少し病気になって葉っぱが萎れている大豆前に立って。


「元気になーれ。元気になーれ」


 声をかけていく。すると、萎れていた葉っぱがみるみる元気になっていく。

 そう、サーヤがやっているのはただの声掛けでなく、回復理術だった。


――遺伝かなぁ?


 彼女の母親で同じく回復理術が得意なローネさんを彷彿させる上丹田の理力で弱った大豆を見事に元気にさせていくサーヤ。微笑ましい光景と裏腹で、本当に有能だった。

 そこに。


「アルにぃ。あっちの水やり終わったよ」


 水やりをお願いしていたシェールが駆け寄ってくる。俺は、ありがとう、と俺より高いところにある頭を限界まで手を伸ばして撫でた。


――シェールは、放出系得意だよなぁ。これは母さんの遺伝かな?


 一卵性ではないにしろ、カノンさん曰く、遺伝的に最高の組み合わせだと言った両親から生まれたのだから能力が高いのも分かる。俺はシェールに次の畑の水やりをお願いした。


「分かった~」


 少し離れた場所の区画を指さしてやると、素直に頷き、そちらに向かって駆けだしていく。

 さて俺も、と次の場所に水をやり始めている。

 すると、少し離れたところから。


「がはは、そんな打ち込みじゃ、森うさぎにも当たらないぞ!」


 高笑いするワーグさんの声が聞こえてきた。


「ユーヤにぃ、後ろ!」

「む!」

「おいおい、口で言ってちゃ、意味ないぞ! がはは」


 ガン! ガン!


「んんんーー!」

「いたたたーー!」


 どうやら、弟ビルとサーヤの兄であるユーヤ兄の稽古には至らないか、言うならチャンバラごっこに付き合っているようだった。


「しかし、痛そうな音だ……」


 おそらく手加減しているであろうワーグさんの攻撃音だが、如何せん2m50cm超えた巨漢の攻撃だ。頭の熊耳が可愛いので見慣れれば怖くないのだが、可愛さは攻撃された時の痛みには関係のない話だった。案の定。


「アルにぃ。痛いー。治してー!」

「んん!」


 ビルとユーヤ兄が頭を押さえて俺のところへ駆け寄って来て、頭を突き出してきた。当然のように俺より身長の高い二人が、しゃがんでまで。

 ビルの燃えるような赤髪とユーヤ兄の熊耳の生えた錫色――無彩色な銀色――髪に俺は手を当てる。


「がはは、そんなに痛かったか? かなり手加減したんだか?」

「だと思いますよ。ちょっと、たんこぶ出来ているだけですから」

「えー。痛いよー。こんなに痛くちゃ、続きが出来ないよー」

「んんん!」


 痛みを訴える二人。俺は、まぁ脳にダメージがあったら困るからなぁ、と傷修復理術を掛けた。


「治った! もう一回!」

「む!」


 痛みが取れるや否や立ち上がった二人が手にした木剣を構えてワーグさんに突進する。だが。


「がはは、言ってるだろ? 考えて突っ込んで来いよ」


 ひょいと躱されて地面を転がる二人。まったく学習していなかった。


「ううー、駄目か」

「むむむー!」

「がはは、お前ら二人、今日はここまで。よし、次はアルだ!」

 

 落ち込む二人の頭をぐりぐり撫でていたワーグさんが俺に向けて不吉な言葉を放つ。俺は少し後ずさりしながら答えた。


「えっと、僕は遠慮しようかと……」

「がはは、何言ってんだ。男だろ? ラスティと本ばかり読んでたって強くなれないぞ?」


 確かに本を読むときラスティ先生の膝を借りていた。自分で読めるにもかかわらず。

 

――台置けば一人で読めるって言っても聞いてくれないんだよなぁ


 危ないから、だーめ! って言いながら頬ずりしてきて。

 結局のところ、先生が座らせたくてしているだけだと思う。つまりは。


「一人で読めるのに、先生が甘えているだけですよ」


 本を読んでいるときも後ろからぎゅっと抱きしめてきて、邪魔してくるんだから確実だ。

 まぁ、知識豊富な先生から本では分からないことを聞けるので、無理やり排除しようとは思わないけど。温かくて柔らくていい匂いもするし……


「本当に、先生が甘えているだけですよ」

「がはは、二回も言わなくてもいい」


 ワーグさんが、なぜか温かい目で俺を見てくる。俺は耳が熱くなるのを感じていた。


「さぁ、御託は良いからやろうぜ?」

「ですから――」


 俺は別に強くなりたくはないです、と言おうとして出来なかった。思わぬ伏兵――木剣を持ったサーヤが現れたからだ。


「アル兄しゃま。はい、どうじょ、でしゅ」


 サーヤが俺の手に木剣を押し付けてくる。その眼は期待に満ちていた。


「うぅ……」


――そんな澄んだ眼で見られたら断れない

 

 仕方なく木剣を受け取った俺へワーグさんは、さあ来い、と告げた。



 木剣は俺にとって、かなり長い物だった。一つ上の6歳にして小柄な母さんと変わらないぐらいの身長を誇るユーヤ兄が使っていた物だろう。はっきり言って素の筋力で振り回すことは出来ない。

 出来るとすれば、突くだけだった。


 少し木剣を上げ下げして考えをまとめた俺は、木剣を正眼で構える。実は弱かったけど中高共に剣道部だったりしたのだ。


「がはは、様になってるじゃないか。ラスティのやつ、甘やかしているだけじゃないのか?」


 不思議そうな顔をするワーグさんに俺は。


「甘えているのは先生ですよ!」


 もう一度告げて、踏み込んだ。



 初撃は躱された。ろくに身体強化もしていないのだから当然である。


「がはは、いいのは構えだけか?」


 余裕の表情を浮かべるワーグさん。俺の狙いはそこにあった。


――今のが、俺の最速だと思いましたね?


 俺とワーグさん、実力差は大人と子供、いや、巨大グリズリーと赤ん坊ぐらいありそうだ。そんな俺が勝つことなんて不可能である。だが、俺にも小さなプライドがあった。


 いいとこ無しで終わるのは嫌だった。だから油断を誘うことにした。姑息だけど。


 俺は初撃と同じ動きで踏み込む。


「がはは、考え無しの突撃か。ビルやユーヤと同じだと痛い目を見るぞ」


 悪い顔でにやりとしたワーグさんが拳骨を落とそうと腕を上げる。次の瞬間!

 俺は身体強化を全開にしてバックステップし、ワーグさんの拳骨を避けた。

 ビル達よりも体が弱い俺への一撃にかなり手加減したのだろう、拳骨がゆっくり空を切る。


「……なにっ!」


 避けられると露程も思っていなかったワーグさんは驚きの表情を浮かべていた。

 これこそが、俺が望んだ瞬間だった。


「やぁ‼」


 掛け声一発、踏み込んで腕を伸ばす。すると、すすっと伸びた木剣はワーグさんの無防備な腹へ――突き刺さらなかった。

 信じられない程の速度でワーグさんの身体が横にぶれ、木剣が空を刺す。


――速い!


 内心で舌を巻く俺だが、余裕を持てるのはそこまでだった。

 俺の剣を避けたワーグさんの身体が、そのまま動き続けて黒い塊――ワーグさんの拳――を突き出してきたのだから。


 やばい! と思う間もなく拳は俺の体にぶち当たる。

 結果、体は宙を舞い――10m程離れた建物の壁へと叩きつけられる。そして、俺の意識は途絶えた。




「あ、な、た、分かっているの! アル君は、バーク属領の領主であるユーロス様の息子さんなのよ。ユーヤと比べ物にならないぐらい小さい体の子供なのよ。それを、あなた、本気で殴るなんて。死にたいの? それなら今から私が、とどめさしましょうか?」

「いや、すまん。ほんと―にすまん。アルが、あんまりにも良い動きするものだからつい、反射的にな……、だから、な、その、重たいだろ俺の斧。下ろさないか」

「そうね。重たいわね。下ろそうかしら? あなたの脳天に? いい? いいの? 下ろしていいの!」

「いや、下ろさなくていい。俺が悪かった。本当に、心から悪かった。もうしないから。斧をこっちに渡してくれ」


 俺の意識がうっすらと戻ったら聞こえてきた会話だ。どうやら、ローネさんがブチ切れているらしい。

 目を開け、ぼんやりと戻ってきた視界で眺める。だが、ローネさんを見て一気に目が覚めた。いつも、優しく目を細め微笑んでいるローネさんが、ぎゅ! と目を吊り上げた、その形相は、まさに獲物をねめつける狐そのものだったから。

思わず、こっちまで震え上がってしまった。


「あー、ローネ。その辺にね。アル君がびっくりして震えているわ。まったくねぇ、アル君、大丈夫。あれは、熊も狐も犬も食わない夫婦喧嘩だから」


 頭上から聞こえる呑気な声に俺は、ちょっと落ち着いた。ラスティ先生の膝の上で優しく抱きしめられていることに気が付いて。


「あ、アル君。大丈夫。ごめんなさい。本当に。うちの馬鹿亭主が。分かる範囲の怪我は、理術かけたけど、気分悪くない? 痛いとこない? 頭、打ってない?」


 矢継ぎ早に質問を投げかけながら、俺の体をぺたぺた触ってくるローネさん。非常にこそばゆい。


「あ、あの、落ち着いてください。大丈夫です。ちょっと吹き飛ばされたけど、大事なところは守ったので」


 あの時、あの吹き飛ばされた時、やばいと思って全力で理術を発動して空気のクッションを作った。だから、体は大丈夫、擦り傷程度。その傷もローネさんが治してくれた。

 気を失ったのは単純に理力を使いすぎたから。


「そう、よかった」


 安心したのだろう。俺を、ぎゅっと抱きしめるローネさん。その大きな大きな胸にうずもれる俺。体全部埋もれそうだ――などと感慨に浸るのも束の間、だんだん苦しくなってきた。


 やばい。胸にうずもれて息ができない。俺を窒息死させようとしている⁉ と思うほどの力で締め付けてくる。

 そんな俺が懸命に手を動かして、ローネさんの体をタップしていると助け船が出た。


「ローネも、そこまでにね。今度は、貴女がアル君気絶させる気なの?」


 半笑いの言葉と共にローネさんの手を緩めてくれたのは、ラスティ先生だった。おかげでやっと呼吸ができるようになる。俺が、すーはー大きく深呼吸しているとローネさんが物凄く思いつめた顔でこちらを見ていた。


「ご、ごめんねアル君。わ、私まで……」

「大丈夫ですよ。謝る必要ありませんよ。とっても気持ちよくて天にも昇るような気分ですから」

「ぷっ!」「がはは、マセガキだな」「あの子ったらいつの間に?」


 ローネさんが、あまりにも思いつめた顔していたので、ちょっとボケてみたら皆から良い反応が返ってきた。

 でも嘘じゃないよ。暖かくて柔らかくて最高の気持ちでしたよ。途中までは。

 皆の笑顔を見たからだろう、少し涙目だったローネさんも釣られて笑顔になっていく。よかったよかったと思っていたら一人、いじけた顔の人がいた。


――ラスティ先生だ


「私が、毎日毎日抱きしめてあげているのに、感想一つ言わないアル君が。なんで? 私の胸では満足できないの? ねぇ、アル君」


 答えにくい問いを投げかけながら肩に手を置くラスティ先生。目が怖いです。


「まぁまぁ、ラスティ。貴女の胸は、まだ成長中でしょ? 森人族一の巨乳になったって騒いでたじゃない。これからに期待ってことで、食事にしましょ」


 今度の助け舟は、母さんだった。グッドです。母さん。


「仕方ないわね。そういうことにしといてあげる。ね、ア・ル・く・ん」


 思わせぶりな発言をして、投げキッスしながら離れていくラスティ先生。その意味深な表情に、俺は一人冷や汗を掻いていた。

 ばれているのではないか、と。


――俺がラスティ先生の胸を成長させていることが

 

「ははは……」


 誤魔化すように俺が乾いた笑い声を出していると――


「アルー。何してるのー? 手を洗ってらっしゃい」


 料理片手の母さんに訝しがられてしまった。

 俺は慌てて手を洗いに行こうとする。だけど、ラスティ先生が気になって目を向ける。すると、何もなかったかのように席に座ってワーグさん達と話を始めていた。


 気づいているのだろうか? 聞いてみたい。けど怖い。などという思いが俺の頭を駆け巡る。


「アールー!」


 またまた発せられる、ちょっと不機嫌そうな母さんの声。俺は、大急ぎで手を洗いに行った。


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