第6話1.6 理術の研究を始めました
大豆を蒔いて数日、俺はあることに困っていた。
「うー、ジョウロが重たい……」
両手でジョウロを持って俺はよたよた歩く。そして、畝の上から何度目か分からない水をかけた。
「やっと、畝二つ。まだ半分も終わってない」
軽くなったといっても、3歳の俺にとっては重たいジョウロを手に水を汲みに行く。たどり着いた先にあるのは、曲がった鉄の棒――ではなく、『水口』という理術補助具だった。
この理術補助具というのは、理力を込めると特定の物理現象を引き起こす道具であり、通称『理具』。今回使うのは水を出す口だから『水口』という理具だ。
ちなみに、この理具、一般的な物として台所で薪に火を点ける時に使う『火口』、薪の火を強くする時に風を起こす時に使う『風口』などがある。
それ以外にも、陰で活躍する『解便』という物もある。この『解便』、機能は、地球で言うところのコンポストトイレである。理術によって排泄物を分解するのだ。ゆえに『解便』、決して『快便』ではない。
便のにおいを消して快適にしてくれているから、『快便』でも間違いではないと思うのだが……。
漢字の分からない人に通じないネタはこれぐらいにして。
俺は『水口』に理力を込める。すると、ジョボジョボと水が出てきてジョウロに溜まっていく。
水で満杯になったジョウロを手にヨタヨタ歩きながら俺は考えていた。
――自分で水理術使えたら簡単なのに
風理術ならラスティ先生から学び始めていた。あと、母さんの火理術も。
意外と簡単だった。
気体に向かって風の動きを考えながら理力を放出する。それだけで風は発生したのだから。
火理術も似たようなもので、端的に言うと理力を熱に変換させながら放出させる、それだけだった。火理術の行使そのものは、危険だからダメ! と母さんに釘を刺されたけど、好奇心に負けてちょっとだけ発動させてみた。
すると、すぐにラスティ先生にばれて。
『もう、止めとこうね。またカレンに泣かれるわよ?』
この時ばかりは有無を言わさぬ笑顔で、釘を刺された。
俺としても母さんの泣き顔は、もう見たくない。火理術は封印することにした。
ともかく、風理術も火理術もすぐに使えた。適性がどうこうなどと意識する必要はなかった。その上で言うと、上丹田も同様だ。回復理術の一つである成長理術も苦労することなく使っていた。
――これだけ理術使えるなら、水理術行けそう?
俺はジョウロを置いて中の水に向かって理力を放出する。
すると。
「おお! 俺の思い通りに動く」
水が蛇のように伸びて種を植えた部分に広がっていく。
結果、ほんの数秒でジョウロ一杯分の水やりが終わった。
「行ける、行けるじゃないか。この体、滅茶苦茶有能⁉」
ラスティ先生曰く、ほとんどの人は身体強化が少しできる程度しか丹田を鍛えられず、中丹田を使う放出系理術――主に土水火風など――の内一つをまともに使える人が千人に一人、複数属性を扱える人物となるとさらに少なく数千人に一人、上丹田を使う回復系理術に至っては万人に一人程度しか適性を持つ人はいないらしい。
それなのに俺の新しい体ときたら、放出系の主な属性だけでなく回復理術にまで適性を持っている。カノンさんが最高の遺伝子組み合わせというだけの事はあるということだった。
「ふっふふふふふ!」
沸き起こってくる万能感に浸りながら、俺は『水口』のところへ戻る。次の水を出そうとして手を止めた。
――そうか、別に理具に頼らなくても水自体も自分で集めればいいのか
実のところ『水口』という理具が何をしているかというと、地下水をくみ上げているに過ぎない。
「なら、俺が理術で汲み上げても問題ないな」
素晴らしい案に心躍らせながら水やりをしていない所へと歩いていく。
俺は、ただ理術を発動させるのも恰好が付かないと、どこかの錬金術師のように両手を合わせて――意味無し――から、その手を地面に叩きつける。
直後、激しい頭痛に見舞われ、視界が暗転した。
「アル! アル‼ いやぁー‼‼‼」
「カレン、落ち着いて。ただの理力切れだから」
「嘘よ。また、何日も目を覚まさないのよ! いえ、今度こそ、目を覚まさないのよ‼ いやぁーーー‼‼‼」
「カレン、大丈夫。ローネの言う通り、ただの理力切れだから。大豆の畑で無茶な理術使った形跡があったし。あなたにも経験があるでしょ?」
意識が戻りかけた時に聞こえた言葉だ。どうやら俺は、また母さんを泣かせているらしい。
やっちまった、と思いながら上半身を起こす。
すると。
「アルゥううううう! ばかぁーーーー‼‼‼」
母さんが縋りつくように抱きしめてきた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
おんおん泣いている母さんの頭を撫でながら俺は謝り続ける。そんな時、頭に小さな衝撃を受けた。
上を見るとラスティ先生が、拳骨を落としていた。
「アル君、カレンを泣かせちゃだめって言ったでしょ!」
「はい」
「まあまあ、ラスティ。何も知らない子供なら誰でも通る道よ」
ローネさんが拳骨の落ちたところを優しく撫でてくれる。
だが俺は、そのローネさんの優しさが辛かった。
――ごめんなさい。中身は大人です。気を付けていれば避けられました。
今回起こした、理力切れについては風理術を習った時にラスティ先生から口酸っぱく言われていた。
『理力が少なくなると、思考力が低下して変なことをするから気を付けて!』
まさに、俺の行動を予測したかのような忠告だった。生かされなかったけど。
「ラスティ先生、ごめんなさい」
「もう、いいわ。次からは気を付けなさい!」
俺が真っ直ぐに先生の目を見て謝ったら、真剣な顔をしていた先生がふっと笑みを浮かべて俺のおでこをつつく。
気付けば、また美女三人に囲まれるという、幸せな空間が出来上がっていた。
「アル君、笑い方がおっさん臭いわよ?」
「え⁉ つ、疲れたのかな……」
「アル! すぐに横になって‼」
何だか既視感のあるやり取りを経て、俺はベッドに無理やり寝かされた。
「むぅ、真っ暗だ」
変な時間に寝かされたからか、真夜中に目が覚めた。
窓から差し込む月明りを頼りに辺りを見まわす。すると隣で眠る人の顔が見えてきた。
「今日もラスティ先生か」
色々あったから今日は母さんと寝てるかと思ったけど、変わらずだった。
「はぁ、ラスティ先生に迷惑かけてばかりだな」
何度か言っているがラスティ先生の本業は、ゼロス兄さんの家庭教師である。俺に色々話ししたり、理術を教えたり、さらには同じベッドで眠ったり、なんてこと全ては先生の好意によって行われている。
それなのに、俺ときたら注意されていたことを完全に忘れて理力切れを起こして倒れて。
しかも、聞いた話では見つけて運んでくれたのもラスティ先生だったらしい。ずっとベッドサイドで様子見てくれたのも。
迷惑のかけ通しだった。
「何か恩返しを、って俺が言ったところで、きっと笑顔で頭撫でてくるだけだし、三歳じゃ何も出来ないし……」
落ち込んでいるところで思い出した。日課である成長理術を使っていないことを。
「上丹田は使ってないし大丈夫だろう、やってみるか」
理力を練って下垂体を活性化させていく。そして、しばらくその状態を保っていると――ラスティ先生が抱き着いてきた。
「アル君、理術はダメ……すぅすぅ」
どうやら寝ぼけているみたいだった。
俺の顔を自らの胸に押し付けるように抱きしめるラスティ先生。俺はゆっくりと長い息を吐いた。
――やばかった。先生のおっぱいがローネさん、いや母さんぐらいのサイズだったら
顔が胸にうずもれて息が出来ず、理術が解けるところだった。
――よかった。先生の胸のサイズが小さくて……
と、失礼なことを考えていたら、また思い出した。成長理術を思い付く切っ掛けになったのは豊胸について考えていた時だったことを。
――あるじゃなないか、ラスティ先生への恩返し。
――確か女性ホルモンを生産するのは、卵巣だったな。
俺はラスティ先生の下腹部へ手を当て、活性化理術を発動させる。
この行為が、10年後の世界を揺るがすなど、俺には知る由もなかった。
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