第3話1.3 療養生活の楽しみは少なかった
1.3 療養生活の楽しみは少なかった
記憶を取り戻して半月程、俺は変わらずベッドから離れられなかった。
「体調はどう? アル君」
朝食を終えたところにラスティ先生が顔を出した。
「悪くはないと思いますが……」
体へと意識を向けてみるが特に痛いところは無い。ただ問題があるとすれば、少し腕を上げ下げするだけで。
「はぁ、もう無理~」
腕は鉛のように重くなり、息が切れるほど疲れることだ。
「ああ、まだ無理しちゃだめよ。長いこと寝たきり生活だったのだから。大人しく寝ていること。後で、お話沢山してあげるわ」
手を振り振りしながら俺が食べ終えた食器を持ったラスティ先生が部屋から出ていく。俺は一人になった部屋でゴロンと寝ころんだ。
「あー、退屈だ」
この世界のことは、まだよく分かってない。けど確実に言えることがあるとすればネットはないということだった。多分、テレビもラジオもない。
その代わりになるかどうか分からないが、あるのは理術という魔術のような謎の力だった。
「このままじゃ何にもできないし、やるか」
俺は目を閉じて体の内部へ意識を向ける。すると頭、胸、へその下という、まるで中国拳法で言うところの上丹田、中丹田、下丹田の場所に、前世では感じられなかった存在を感じる。ラスティ先生の説明では、これこそが理術を使うために必要な理力を作り出す器官ということだった。
俺は、その理力器官の中から、
身体強化理術の発動だ。
「おお、腕が楽に持ち上がる」
理術のおかげで、さっきは息が切れるほど重かった腕が自らの思い通りに動く。俺は喜んだが、すぐに腕は重くなった。
「ああ、集中を切らすとすぐに力が抜けちゃうな」
無意識でも使える様にならないと! 俺は目標に向けて再び理力を動かし始めた。
一時間ぐらいだろうか、俺が理力訓練に疲れて寝ころんでいるとラスティ先生が戻って来た。
「アル君。頑張ってたね」
部屋に入るなりラスティ先生は俺の横に座り頭を撫でだす。俺は驚きを隠せなかった。
「え⁉ 分かるのですか」
「もちろんよ。アル君が、ずーっと頑張っているのをゼロス君の授業しながら、
うっとりとした表情を浮かべた先生が耳元で囁く。
「そ、そうなのですね」
俺は先生の言葉に得体の知れない何かを感じつつも、サボる気はなかったけどサボらなくて良かったー、と胸をなでおろす。
そんな俺を見ながらクスリと笑ったラスティ先生が今度は俺を抱きかかえて膝に座らせた。
――お! 待っていました‼‼
俺は、この体勢に入ったことを喜んでいた。と言っても、別に美女の膝に座らせてもらったから喜んでいるわけではない。もちろん、嫌なわけでもないけど。
ただ、これから始まるラスティ先生の話がベッドの上で退屈している俺の最も楽しみな時間だったからだ。長寿な森人族が長い年月をかけて世界中を旅して知り得た知識を優しく教えてくれることが。
「じゃあ、続きね、ハポン王国の始まりから~」
「お願いします」
俺の返事を聞いて、任せて! とばかりに抱きしめてくるラスティ先生。そのまま、今住んでいる国の歴史について話し始めた。
「今から大体、1000年前、この世界は今以上に発達した文明を築いていたわ――」
今日の話はちょっと考えさせられる話だった。
どこからともなく現れた先導者と呼ばれる人物が国々をまとめ上げて大きな帝国を作り上げた――までは良かった。だが、そこからが問題だ。
その先導者、結婚もせず後継者も決めず忽然と姿を消したそうだ。その結果がどうなるか、というのは言わずと知れたこと。もちろん帝国は崩壊し――元の国々に戻るなら良かったが、話は簡単には終わらない。
各地で先導者の後継者――もちろん自称――を名乗るものが現れ、帝国の再建を唱え始めたそうだ。
「そうしたら、どうなると思う?」
「えっと、戦争?」
「正解」
俺の頭をポンポンするラスティ先生から寂しげな声が届く。
そして一呼吸おいてから続いた話に俺はだんだん暗い気分になっていった。
「そんなに殺し合ったのですか?」
「ええ、今は失われた技術なんだけど、集団大規模理術ってのがあってね。それの応酬になったみたいなの、一説では世界が闇に覆われて人類の9割が死滅したと言われているわ」
――おいおい、9割って何したよ。コロニーでも落としたか? いや、コロニーは無いよね。あったとして隕石だよね
どっちにしても怖すぎるな、と俺は冷や汗に体を震わせる。
すると。
「あら、ごめんね、怖くなっちゃった? 変な夢見ておもらししないようにね」
ラスティ先生が俺のほっぺに自分の頬をすりすりとしてきた。
突然の行動に驚いた俺は思わず非難の声を出す。
「や、やめてください」
「ええぇ? 恥ずかしがらなくてもいいでしょ。私とアル君の仲だし……」
一体どんな仲だというのか……分からない。そんな思いが顔に出ていたのだろう、俺の顔を見ながらラスティ先生がくすくす笑う。
気付けば俺も釣られて、笑みを浮かべていた。
―――
楽しい時間は、あっという間に終わりラスティ先生はゼロス兄さんの次の授業のために部屋から出ていく。
しばらくして部屋に入ってきたのは。
「アル君、こんにちは。ほら、サーヤも」
「ある、にいしゃま、こんちは」
昼食だろうトレイを持ったローネさんとその娘であり同じ狐獣人であるサーヤだった。
「ローネさん、こんにちは。サーヤも、こんにちは」
「あい、でしゅ」
サーヤが舌っ足らずな返事をして俺のベッドに駆け寄り、いそいそと俺の横へと登って来た。そして、俺の横にちょこんと座るサーヤ。その目線は俺と同じ高さだった。
――俺ってやっぱり小さいな
2歳になったばかりのサーヤが3歳になって半年以上たつはずの俺と同じ身長であることに俺は若干凹む。
だが、すぐに気持ちを切り替え笑顔に戻した。俺の方へ顔を向けたサーヤが明らかに期待に満ちた顔で微笑んでいたからだ。
「サーヤ、駄目よ。まずはお昼ご飯。その後はお昼寝よ」
「やー! にいしゃまのおはなし、きくのー!」
やっぱりかー、と俺が苦笑する。
――ラスティ先生から聞いた話を忘れないように思い返していただけなのになぁ
ただ聞くだけだとすぐに忘れるが、書いたり話したりしたら忘れにくくなる。意味記憶とエピソード記憶というやつだ。書くのは、まだ難しいからと、あれが、こーなってー、などとつぶやいていたら、いつの間にかサーヤが目を輝かせてつぶやきを聞いていた。
「サーヤ、我がまま言わないの!」
「やー!」
母親であるローネさんの言葉を聞く気はない、とばかりにサーヤは首を横に振る。
「大丈夫ですよ」
俺はローネさんに断りを入れてから、サーヤに言い聞かせた。
「でもサーヤ、先にお昼ご飯食べてからね」
「あい! でしゅ」
元気に返事したサーガが、にっこり微笑む。さっきまで泣きそうだったのが嘘みたいだ。
「ごめんなさいね、アル君。サーヤ、お昼寝の時間までよ」
ローネさんは、ベッドの上に簡易テーブルを置いて昼食を並べた。
昼食は麦の粉を丸めて蒸したパンとナンの中間のような物と細かく切った野菜の入ったスープだった。
――固形物なのは嬉しいけど、味付けが塩だけなのは物足りないな
日本で食べていた食事と比べてしまった結果、内心で残念さを感じながらスプーンを口に運ぶ。
サーヤはローネさんの膝の上で同じメニューの食事を食べていた。
「じゃ、少しだけだよ」
「アル君、ごめんなさいね。食器片づけたらすぐ来るから」
「ゆっくりでいいですよ」
「ゆっくりでいいでしゅよ~」
俺の真似をしたサーヤを見てローネさんが苦笑を浮かべる。そしてローネさんが部屋の扉を閉じた後、俺は隣に座るサーヤへ『お話し』を始めた。
話の内容は、俺がラスティ先生から聞いた歴史の話を子供向け、言うなれば日本昔話風にアレンジしたものだった。
「勇者様は、お供に犬獣人と、土人と、翼人を連れて魔王が住む島へと向かいました」
「まおうしゃんはわるい、でしゅ?」
「うーん、町を襲って宝物を奪ったから悪い人かな」
「あい、でしゅ」
などなど、ちょくちょく質問を挟んでくるサーヤに答えながら話は進む。
「勇者様は魔王を懲らしめ、宝物を持って国へ帰りましたとさ」
「ぱちぱちぱち」
サーヤが嬉しそうに手を叩きながら口でも拍手をまねる。
「ありがとう」
俺がサーヤの頭にある可愛い狐耳を撫でていると、ローネさんが部屋に入って来た。
「ごめんね。遅くなって。さ、サーヤ、お昼寝に行くわよ」
「や! あるにいしゃまと、ねんねする!」
「駄目よ。アル君、お体、しんどいしんどいなんだから。お話ししてくれなくなるわよ」
「うー」
不機嫌そうに下唇を突き出すサーヤ。俺は彼女の可愛い行動に笑いをこらえながら告げた。
「起きたら、またおいで」
「あぃ、でしゅ」
やはりというか、眠そうだった。
――子供って眠くなると、一層わがままになるよね
俺は手を振るサーヤに手を振り返しながら、二人を見送った。
サーヤがいなくなった後、俺は自分の手を見て再び凹んでいた。
――手も小さいな。ここもサーヤと変わらない
力に至っては自由に動くことのできるサーヤの方が強いかもしれない、そんなことを思うと、ますます凹んでしまいそうになる。
――ダメだ駄目だ。落ち込んでいても何も変わらない。役所でもそうだっただろ!
自分で考えて行動しないと! と俺は自らに活を入れる。そして、どうすれば強い体になれるのか、思案を始めた。
「やっぱり、まずは発達していない筋肉をどうにかすることだな。役所の健康課にいた時の事を思い出せ……」
前世での記憶を掘り起こす。
保健士さんが幼児期の成長を左右するって言っていたのは――
うーん、うーん、頭を捻っているところで、再びローネさんが現れた。
「よかった、起きていたのね」
「あれ、サーヤは?」
「あの子は横になったらすぐに寝たわ。それより、ごめんなさいね。サーヤがわがまま言って」
俺は首を横に振る。このベッドの上生活で、サーヤのお願いは嫌なものではなかったから。
「アル君は優しいのね。ユーヤとは大違い」
自分の息子を思い出したのか、今度はローネさんが首を横に振る。
俺は一つ年上の幼馴染、いつも外を駆けまわっているユーヤ兄の姿を思い浮かべて。
ごめんね、ユーヤ兄。普通の4歳にお兄さん的な対応は無理だよね……
――俺は中身が大人だから出来るけど
と内心で謝った。
「どうしたの? アル君」
「何でもありません」
「そう、ならいいけど……」
言いながらローネさんは俺の額に手の平を当てて自らの理力を俺へ流し込んだ。
「いつものやつだから、じっとしていてね」
優しく声をかけてくれるローネさん。実は回復理術の使い手だ。日本で言うところの医者に当たるそうだ。そんなローネさんが、毎日、俺の身体を見てくれる。
病弱で、ほとんどずっと寝込んでいた俺が3歳まで生き残れたのはローネさんのおかげとも言えた。
回復理術のおかげか、重くなっていた体がわずかに軽くなる。
「うん、大きな問題はないわ。お腹の中も理術で活性化してきたし」
「ありがとうございます。でも、回復理術って凄いですね、お腹の中ということは内臓の活性化出来るのですね……」
礼を言っていて俺は内心で引っ掛かりを覚えるが、すぐにその疑問は忘れることとなった。
「生まれてからずっと見てきたけど、まさかアル君とこんなに話が出来る日が来るなんてね。元気になってくれて、私、本当に嬉しいわ」
感極まったのかローネさんが優しく俺を抱きしめてきたからだ。
ローネさんの大きな大きな山の間に俺の頭が挟まれる。
――うぉ! 柔らかい~
その感触は、ラスティ先生とは比べ物にならなかった。
いつも膝の上にのせて話をしてくれる美人で優しいラスティ先生だが、ただ一つ残念なことがあった。それは。
胸が小山どころか平原のようなことだった。
やせ細ってガリガリの俺の体をスレンダーなラスティ先生が抱っこするものだから、たまに骨が当たって痛いほどだ。
残念なことを思い出していたら、柔らかい物が俺の顔から離れる。
もう終わりなの⁉ と俺が残念がっていたら、ローネさんが全く見当違いなことで謝りだした。
「ごめんなさい。苦しかったでしょ。サーヤにも、よく叱られるの」
「いえ、大丈夫です」
もっとして欲しいぐらいです、と言いたいけど言えないことを心の内で思いながら俺は笑顔で答えるが、ローネさんには伝わらない。
一人、寂しげに笑って部屋を出ていくローネさんを俺は黙って見送るしか出来なかった。
一人になった俺は考えていた。その内容はもちろん。
「ラスティ先生の胸って成長しないのかな……」
おっぱいのことだった。
そもそも、胸の大小って何で決まるんだ? 遺伝? 食生活?
「牛乳飲むと大きくなるってのは、デマだったか」
遠い昔聞いた話を懸命に思い出そうとする。そんな中、出てきた答えは。
「ああ、女性ホルモンの分泌量で決まるって言っていた気がする」
役所にいた頃、美容と健康で町おこしを考えていた時に医者に直接聞いた話だから間違いない、と思い出したところで根本的な間違いに気づいた。
――何で、豊胸のこと考えているのか……
今、考えるべきは自分の体を成長させることなのに。
ローネさんの胸の柔らかさに、自分で思う以上に興奮していたということか。
俺は冷静さを取り戻すべく、一つ深呼吸をする。落ち着いて考え始めたところで、あながち間違いではないことに気が付いた。
少し方向性を変えるだけで。
「そうか、胸は女性ホルモンだけど、体全体の成長は、成長ホルモンか」
役に立つ情報へと変化したのだから。
つまりは、成長ホルモンの分泌量を増やせば体は大きくなるということだ……でもどうやって?
日本では成長ホルモンを注射で打つことも可能だった。だが、この世界に注射なんてあるはずもない。この世界の医者が使うのは注射の代わりに……
「理術がある‼ 内臓を活性化出来る理術が‼‼」
今更思えばローネさんの話を聞いたときに喉元まで出かかっていたのは、このことだった。
理術で成長を促せるのではないか、ということだった。
柔らかい山に包まれて忘れていたけど。
俺は医者と話したときのことをさらに細かく思い出す。
「確か、成長ホルモンを分泌するのは脳の下垂体だったはず。そこをローネさんがやったように活性化してやればいいか」
美容と健康関連で医者に聞いたことを思い出した俺は、理力を下垂体辺りに動かしローネさんがやったように内臓活性化させる。だが。
――うーん、これ、変化が分からないな
体が急に大きくなるわけではなかった。
当然と言えば当然だ。成長ホルモンが分泌されたからと言って手足が伸びるわけではない。ローネさんが少しずつ俺の内臓を活性化していったように、毎日少しずつ術をかけていくしかなかった。
副作用などもろもろを考慮した結果。ローネさんと同じく一日一回10分と決めて、その日から毎日、理術の使用を始めた。
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