第38話 すべてのこころをひとつに
安定していた容態が急変した事を伝えるべく、美咲はさくらの両親の元へ急ぐ。
ここまで順調な手術はないって、そう思っていたのに!
自分でもわかるほど、噛み締めた奥歯からぎりっと音がした。
「落ち着け、美咲。仕事だ」
さくらの病室へたどり着き、自分に魔法を掛けるように呟く。
そして深く息を吸い込み、扉を開けた。
「落合さん、手術の経過についてお話があります」
何が起きてもいいようにと、さくらの病室に泊まり込む事を決めていた彼女の両親が、祈るような視線を向けてきた。
「原因の遺伝子は無事、消せました。そしてさくらちゃんに必要とされる本来の遺伝子との差し替えも終わりました。彼女本人の遺伝子を複製したので、拒絶反応が起きにくいとお伝えしていましたよね? ですが……」
美咲の言葉を聞き続けていたさくらの両親の顔に、不安が浮かぶ。
「容態が急変しました」
このひと言に、さくらの母親の表情が抜け落ち、父親が立ち上がった。
「さくらは、助かるんですか?」
「はっきりとした事は、お答えできません」
「そんな……。さくら……」
美咲の返答に、さくらの父親は拳を振るわせ、立ち尽くしている。そして母親も、気の毒なほど震えはじめた。
「ですが、私はさくらちゃんの強さを信じています」
ここからは、私の言葉だ。
罵倒されようがなんだろうが、美咲はいつも伝えている言葉があった。
「さくらちゃんは凄く強い子です。泣き言も言わず、治療しながら勉強も続け、ちゃんと生きようとしている子です。そんなさくらちゃんの心が起こす奇跡を、私は信じています」
私は神様なんて信じない。
だって神様は、いつだって大切な人を容赦なく連れて行くから。
そんな神様に私は祈らない。
奇跡はいつだって、人の心が起こすものだから。
ぐっと手を握り、美咲は想いを受け渡すように伝える。
「だから、信じて下さい。さくらちゃんはちゃんと帰ってくるって。私達が諦めてしまったら、もう私達にできる事がなくなってしまいます。ですから、最後の最後まで、さくらちゃんを信じて下さい」
どんな反応を返されようとも、美咲の考えは揺らぐ事はなかった。けれど、やはり体は身構えたように力が入る。
しかしさくらの母親の目が、しっかりとこちらを見つめた。
「美咲さんのおっしゃる通り、さくらはとても強い子です。あの子の泣き言を、私達は聞かせてもらえなかった。ですから、私はさくらに泣き言を言ってもらえる母親になりたいんです」
ふっと、力なく笑うさくらの母親に、父親が寄り添う。
「ずっと、さくらの方が親のようで、自分達は不甲斐なさを感じていました。ですが、そんなさくらの親が、泣き言を言っている場合ではないですね」
座っているさくらの母親の肩を抱きしめ、父親が目を伏せる。
「自分達の娘を、さくらを、信じます」
さくらの父親の言葉に母親も頷き、祈るように目を閉じた。
さくらちゃん、みんなで待ってるからね。
さくらちゃんなら絶対に乗り越えられる。
その時初めて私は、神様に感謝を伝える。
私達が起こす奇跡を見守っていてくれて、ありがとうございますって。
穏やかな沈黙の中、美咲も祈りを捧げた。
***
サクラは今頃楽しんでいるのだろうかと、読んでいた書物からふと顔を上げた時、アゼツの頭に警告が流れた。
『現実世界のサクラの命が消えかかっています。回復が見込めない場合、ゲームの強制終了が始まります。巻き込まれないよう、ナビの体から離脱して下さい』
サクラが!?
現実世界の状況確認を行いながらサクラが学園内のどこにいるのか探り、すぐに移動する。
すると、目を見開いたまま、糸の切れた人形のような姿のサクラが現れ、息を呑む。
そんなサクラを膝の上に横たえ、懸命に声をかけるノワールがアゼツの存在に気付き、顔を上げた。
「サクラが、動かないんだ」
「現実世界のサクラの容態が急変した影響で、今はそうなっているだけで……」
動転しているノワールへ状況を説明すれば、アゼツの声が震える。
「このままだと、サクラは死ぬのか?」
「はい……」
ノワールが沈黙した時、図書館が大きく揺れ、びくりと心臓が跳ねた。
「な、何ですかね?」
そう言ったアゼツの言葉を掻き消す音が、今度は間近で響く。
「全然力入れてねーのにな」
「リオンの力もだけれど、ラウルのその服のおかげでもありそうね」
「時間をかけずに済みました。感謝――」
扉が吹き飛び、ラウルとリオンが現れ、イザベルがそれに続いて姿を見せた。
そしてリオンがこちらに気付き、赤い瞳を見開いた。
「サクラ!!」
駆け寄るリオンはサクラしか目に入っていないようで、彼女の頬に触れ、声をかけ続けている。
「ノワール、これは……?」
「お前、いったい何した!?」
イザベルは驚きで固まり、ラウルがノワールの胸ぐらを掴む。
その時、足音が響き、明るい声がした。
「何で図書館がこんなにボロボロなの?」
「クレスくん、気を付けて!」
興味津々に中を覗き込むクレスへ、フィオナが焦ったように声をかけている。
その2人の視線がサクラへ向けられ、彼らは同じ表情を浮かべた。そのまま、ぎこちない足取りでサクラの元まで歩き、膝をつく。
そしてまた、声が増える。
「貴重な書物があるので守りの魔法を施していたのですが……」
「何が起きている?」
「サクラちゃんは無事……」
アデレード先生とキール、そしてアリアまでもが姿を見せたが、アリアがいち早く駆け出した。
「サクラちゃん? ねぇ、サクラちゃん、返事、して?」
アリアの言葉に反応するはずもなく、サクラの瞳は何も映し出さないまま、ただそこに存在する作り物として横たわる。
そこへ、バタバタと足音が響く。
「リオンとラウルが壊したのよ!」
「もう仕方ないわ。究極魔法が見付かっていれば、それでいいのよ」
「でも、ノワールくん、何か他にも……」
ナタリー・ジェシカ・ダコタの順に部屋へ入ってきたが、彼女達はサクラを見ると悲痛な表情を浮かべ、その場で立ち止まった。
「場所を空けて下さい」
すると、アデレード先生がみんなの隙間をぬい、サクラのそばで魔法を唱え始めた。
けれど、魔法の光と思われるものが弾かれる。
「サクラさんに、魔法が効かない?」
「……現実世界の問題に、ゲームのキャラが干渉できるはずないんです」
アデレード先生の言葉に、思わずアゼツが呟く。
すると、ノワールを睨みつけていたラウルが彼から手を離し、アゼツに詰め寄った。
「現実世界の問題って何だ? サクラは今、どうなってんだ!?」
「ラウル……、あなた、誰に向かって話しかけているの?」
アゼツの姿が見えない女の子達が戸惑いを浮かべ、ラウルを見る。
けれど、それどころではない様子のラウルはアゼツに話しかけ続ける。
「説明しろ。どうしたらサクラを元に戻せる? これじゃまるで……」
言葉に詰まったラウルの代わりに、ノワールがこちらへ顔を向け、口を開いた。
「アゼツは神様みたいな力が使えたりしないの? 使えるなら、サクラを助けてよ」
「か、神様って……。その、ボクは……、助ける事は……」
突然神様の事を言われ、アゼツは口ごもるしかなかった。
「僕は君が、こんなわけのわからない奇跡を起こした神様だと思っていた。でもサクラが違うって、君が知られたくない何かを庇うように、話していたよ」
「知られたくない何かって……」
「神様って言葉を、サクラは誤魔化そうとしていた。たぶんだけれど、サクラは君と神様の関係を気付いていて、それでも君の事を想って、ずっと黙っていたんだと思うよ」
ノワールの言葉を、その場にいる誰しもが真剣に聞いていた。
しかし言葉を切った途端、説明が欲しいと、アゼツを知らない女の子達が騒ぎ始める。
サクラが、神様の事を、気付いていた?
目の前で混乱が起き始めているのを眺めながら、アゼツは茫然としていた。
知っていて、気付いていないふりを、してくれていた?
だから今でも、ボクはここに留まれていたの?
ノワールから告げられた真実に、アゼツは神様と約束を思い出す。
『アゼツがそこまで神になりたいのなら、試練を与えます。神見習いの君が神になるには、『奇跡が起きる瞬間に立ち会う事』が条件となります』
ボクはずっと、神様と一緒に、人間達を、眺め続けていました。
『不自然に思える奇跡が起こるのは、まさに新たな神が誕生する瞬間でもあるのです。この者達に生きる希望を与え、奇跡を起こす後押しをして下さい。それを見届ける事が、神としての最初の役目となります』
人間は、後悔ばかり。
あの時、ああすればよかった、こうすればよかったと、嘆く人間ばかり目について。
だから、先の事を教えてあげられる神様に、ボクはなりたかった。
天界で過ごした日々を思い出しながら、アゼツの心臓が波打つ。
『ですが、神見習いの事を知られてはいけません。人間は神という存在を身近に感じると、神の力に頼りきりになる事があります。その結果、純粋な想いが起こす奇跡に立ち会えなくなります』
ボクは、人間が笑っている顔や声が、好きでした。
だから、幸せを感じてほしかった。
でも今は?
説明を受ける女の子達がさらに混乱し、その中でも動く事ないサクラを視界に捉える。
『そしてもし、はっきりとアゼツの正体が知られた時、君は神にはなれなくなります。そして、ここへも戻る事ができなくなります。それでも、行きますか?』
ボクは今、誰の幸せを、1番に願っているの?
そんな事はとうに決まっていたように、サクラの声が頭に響く。
『私と、友達になってくれますか?』
ボクの初めての、友達。
たくさんの事を教えてくれた、大切な友達。
ボクはたくさんの人間より、サクラに幸せになってほしい。
戻れないという意味は、魂だけの存在になり、魂の旅に出るものだと説明されていた。
だから最後に、神見習いのアゼツとしてできる事をするべく、ナビから本来の神竜へと姿を変える。
「あなたは……」
驚くアリアを見据え、アゼツは口を開いた。
「はじめまして。ボクは神見習いのアゼツといいます」
この部屋を壊さぬよう、小さめな身体を維持する。
そして驚きで固まる皆を見つめ、言葉を紡ぐ。
「この姿なら、皆さん、見えますよね?」
「どうして今、その姿になったんだ?」
「……怖がらせてしまうかと思って、ずっと隠していました。でももう、いいんです。この姿なら、神様へ直接声を届ける事ができますから」
驚きながらも声を出すラウルへ、苦笑する。
そしてアゼツは、全員の顔を見回す。
「ですから、皆さんに確認したい事があります」
サクラ、ごめんなさい。
サクラの願いを叶える事はできません。
静かに、けれども力強く見つめ返してくる皆の視線を受け、アゼツは問う。
「自分の存在が消えてしまっても、サクラを助けたいと願えますか?」
『そう。君の覚悟はわかりました。けれどもう1つだけ、覚えておいて下さい。願いを叶えるのは1度きり。心からの願いしか、叶えられませんからね』
きっとこの願いを叶えたら、サクラの願いは届かない。
それでも、ボクは今を生きるサクラが、幸せだったと思えるような人生を歩んでほしい。
だから、これでお別れです。
ボクは魂の存在に戻ってサクラを忘れ、ここにいる皆さんも予定通り、消える。
それでもサクラを助けたいと願えるのであれば、神様はきっと応えてくれる。
命を懸けた願いは、届く。
静まり返った中、ノワールが口を開いた。
「それは、サクラが叶えるべき願いを、アゼツが代わりに願うという事?」
「そうです。サクラはここにいる皆さんを助けようとしていました。けれど、ゲームを消さない選択は、皆さんの魂を消す事になります。それをずっと、サクラは拒んでいたようでした」
「魂……?」
アリアの呟きに、リオンが答える。
「ゲームの世界ですが、ここにいる私達には魂が宿っています。だから消さないようにと、みんなが幸せになってほしいと、サクラは頑張っていたのです」
「そんな……」
リオンが嘘を伝えていたが、それを訂正せず、アゼツはサクラの言葉を口にする。
「けれどサクラは、『こんな私でも人間なんだって思えたら幸せなのかもしれない』と、泣いていました。サクラの病気は特殊で、手術が終わっても、『原因の遺伝子を消して治すってそれってもう、人じゃないよね?』と、こんな言葉を投げかけられるものだと、泣き続けていました」
アゼツの言葉に、それぞれが顔を歪めた。
けれどいち早く、感情を抑えるようにノワールが話し出す。
「さっきね、サクラは恋してみたかったって、泣いていた。いつ死ぬかわからない自分が恋する意味もないし、普通の人間になれない自分に好かれて嬉しい人などいないって、震えながら叫んでいたんだ」
この言葉に、アリアが反応した。
「それなのに、サクラちゃんは自分の病気を治す事を願わないで、私達の事を願おうとしていたの?」
頷くアゼツを見つめるアリアの目から、涙が流れた。
「現実世界に戻ったところで、きっとこれからも辛い事が待っているはずです。それでも、サクラには生きてほしい。サクラは幸せな人生を歩める強さを持っている人ですから」
だってほら、こんなにも愛される人が、幸せになれないはずがないから。
皆の表情を見てみれば、迷いのない顔を向けくる。だからこそ、サクラが皆の中で大切な存在だという事が伝わる。
そして、アリアの強い意思のこもった瞳とアゼツの視線がぶつかる。
「これを言うのは、ここにいるみんなを怒らせるかもしれない。だけど、私達は消えても、ゲームのキャラだから、また、作り直せる。でもサクラちゃんは、違う。だから願うよ。私達の事を大切に想ってくれた、サクラちゃんの為に」
アリアの言葉に、誰もが頷く。
今、ここにいる皆が、サクラを想っている。
サクラの言う通り、心があれば生きているのと変わりないですね。
ボクの目の前にいる皆さんは、生きて見えます。
心というものが命を吹き込むのかもしれないと、そう考えを浮かべながら、アゼツも頷く。
「神様、ボク達の声が聞こえていますか? 聞こえているなら、応えて下さい!」
仄暗い明かりの中、それでも天を目指すように吼える。
その瞬間、奥の本棚から光が生まれた。
「これは、まさか……」
そうか。
神様には、この瞬間も視えていたんですね。
だから、神様の力を使えるようにしてくれていたんですね。
輝く書物が独りでに浮かび上がる。これが究極魔法なのかと思うアゼツを他所に、本は勝手にぱらぱらと開き、皆の中心へ移動する。
「皆さん、願いを口にして下さい」
アゼツの言葉を合図に、皆がサクラを見つめる。
「サクラを」
「サクラちゃんを」
「サクラ先輩を」
「サクラさんを」
そして、想いを重ねるように声を合わせた。
「助けて下さい」
その言葉ごと飲み込むような光が書物から放たれ、アゼツの視界は真っ白に染まった。
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