第34話 ノワールの本心

 図書館の付近には人気がなく、薄暗い。遠くから聞こえる喧騒だけが、時の流れを感じさせる。


 図書館側から3番目って書いてあったから、ここだよね?


 図書館へ続くアーチ型の渡り廊下を進み、柱の陰を慎重に覗き込む。すると、ノワールがひょっこり姿を現した。


「うわっ!」

「おや? どうしてそんなに驚いているの?」

「もういると思わなくて!」

「女の子を待たせるなんて、僕にはできないよ」


 ふっと笑い、ノワールがサクラの手を優しく取る。


「ここからは静かにね。それじゃ、行こうか」

「うん」


 口元に指を当てて微笑むノワールへ、サクラは真剣に頷いた。



 ノワールが小さな金の羅針盤を取り出し、周りを軽く確認してから扉に当てた。するとカチャリと音しがして、彼は微笑みながら優雅に扉を開く。

 サクラが緊張しながら足を踏み入れれば、ノワールまでもが薄明かりの灯る図書館の中へ入った。


「あれ? どうしてノワールまで?」

「図書館にはさ、奥にも扉があるでしょ? あの扉の鍵も開けたら僕は外に出るから」

「あ、そうなんだ」

「それとさ、サクラは杖の使い方、わかる?」

「えっと、呪文を唱えればいいんだよね?」

「そうだよ。杖は振らなければ光を宿したままにしておける。だからね、その光を頼りに図書館の中を探せばいいよ」


 ノワールが説明をしながら鍵をかけ直している間に、サクラは杖に光を灯す。


「すぐに使いこなせるなんて、さすがはサクラだね」

「それは褒めすぎでしょ?」

「そう? 僕は思った事をそのまま伝えただけだよ」


 いつも以上に優しく微笑むノワールがサクラの手に指を絡めてきて、思わず力が入る。


「あれ? 緊張しているの?」

「だ、だって、この繋ぎ方って……」

「ふふっ。今日みたいな日ぐらい、サクラと仮初の恋人として過ごしたいんだけどな」

「恋人!?」

「仮初だよ、仮初。サクラが許してくれるなら本当の恋人に――」

「い、行こう! 早く行こう!」


 これ以上ノワールの言葉を聞いてはいけないと、サクラは繋いだ手をぐいぐい引っ張り前進する。


「つれないなぁ」


 楽しげな笑い声をもらしながらも、ノワールは抵抗する事なく後をついてくる。


「あのさ、究極魔法を見付けたら、すぐに願わないと消えちゃうと思う?」


 この空気を変えるべく、サクラは気になっていた事を口にする。


「それだけれど、輝く書物は持ち主が願いを告げるまで消えない、らしいよ」

「何でそんな詳しい事知ってるの?」

「これはね、アデレード先生に教えてもらったんだ。アゼツが知らない事をアデレード先生が知っているのって、何か意味がありそうだとは思わない?」


 確かに、アデレード先生が知ってる事は多い。

 でもそれって、神様がアデレード先生に何かしたのかも。


 黙って考え込んでいたサクラの手が引かれ、思わず歩みを止める。


「もしかして、心当たりがあるの?」

「えっと……」


 振り返れば、サクラの杖の光に照らされたノワールが笑みを消した。

 けれど、アゼツの秘密かもしれない事を話してしまうのは気が引けて、口ごもる。


「あのさ、アデレード先生の口から神様って言葉が何度も出てきたんだけど、サクラはアゼツが神様だと思う?」

「それは違うみたい」

「あれ? サクラはアゼツの正体を知っているの?」


 ノワールが急に冷たい笑みを浮かべたように見え、サクラは思わず後ずさった。


「正体っていうか、アゼツは本当に神竜みたいだよ」

「どういう事?」


 離れた距離よりも歩幅を詰められ、サクラはまた数歩下がる。


 もしかしてノワール、怒ってる?


 気圧されるような空気を感じ、サクラは自身の手にじんわりと汗が滲むのがわかった。


「アゼツにね、直接聞いてみたの。その時の答えが神竜だった」

「へぇ……。他には何て?」

「他には、何も……」

「友達のアゼツの言葉を信じているんだね。でもさ、それならサクラは神様って言葉の何を気にしているの?」


 笑っているはずのノワールの笑みが怖くなり、サクラは手を振り解こうとした。けれどもそれより早く手を引かれ、サクラは無理やりノワールの胸に飛び込むような形になった。


「僕の質問に答えてよ」


 抱き寄せるように体を密着させてきたノワールから逃れようとすれば、彼は簡単にサクラを解放した。だから思わず背を向けて走れば、目の前には逃げる事を許さないように、奥の扉が立ちはだかった。


「そんなに焦らなくてもその扉は開けてあげる。だから続きは中でね?」

「え?」


 サクラを覆うようにノワールが近付いてきたかと思えば、ガチャリと音がした。すると扉が開き、サクラは背中を押され倒れ込む。

 同時に手から杖がすべり落ち、青い光が冷たい床に広がった。


「ごめんね。僕の方が焦ったみたい。怪我はない?」


 後ろ手に扉の鍵を閉めたノワールを視界に捉えれば、彼はいつもと違った冷めた笑みを浮かべていた。


「あのさ、究極魔法、見付けに来たんだよね?」


 雰囲気が変わったノワールを警戒しながらも、サクラは急いで杖を拾い、立ち上がる。


「そうだよ。見付けられたらいいと、今でも思う。だけどそれよりも、僕はサクラの方がほしいんだよね」

「何、言ってるの?」

「ん? 言葉のままだけど?」


 もしかしてみんなが気を付けろって言ってた理由は、これ?


 まさかこんな事になるとは思わず、自分の迂闊さを責めた。

 そして同時に、ノワールがそこまで追い詰められている事を知り、サクラは彼と向き合う良い機会だと、覚悟を決める。


「ノワールが消えたくないのはよくわかったよ。そんなに現実の世界に行きたいんだね」

「……僕がいつ、そんな事を望んだ?」

「え? だってヒロインと結ばれたら現実の世界に行けるでしょ? だからノワールは自分を選んでって――」

「はっ!」


 サクラの言葉を遮り、馬鹿にしたような顔でノワールが笑った。


「何を勘違いしているのか知らないけれど、僕は現実の世界なんて興味がない。君が選択できる立場で居続けるから、僕は君を『ヒロイン』として扱っているだけだよ」

「何、それ……」

「わからない? そうだろうね。君は選択できるのが当たり前だろうから」


 薄く笑うノワールの眼差しが鋭くなり、サクラの心を冷やす。


「サクラはさ、現実の世界で居場所がないんだよね? だからなの? 憐れみで僕らを助けようとしているのは」

「憐れみなんて……」

「本当に? 現実の世界で必要とされないからって、この世界で必要とされるよう、必死になっているように見えるけれど?」


 口元を手で覆いながら微笑むノワールの言葉に、サクラは絶句する。


 この乙女ゲーを選んだのは、ノワールの言う通り、自分と重ねて可哀想に思ったから。

 最後に、誰かの役に立ちたいって、思ったから。

 私、自分の為に、頑張ってるだけだ。


 綺麗な願いを叶える正当な理由が欲しくて、サクラは最初に抱いていた想いを忘れていた。それを思い出し、思わず顔を伏せる。

 そこへ、ノワールの冷たい声が追い打ちをかけてきた。


「あとさ、君は最後って言葉を軽く考えているよね?」

「そんな事ないっ!」


 思わず顔を上げて反論すれば、ノワールはいつもの笑みを浮かべ、ゆっくりと近付いてきた。


「そう? でもね、君は願えば絶対に助かる。僕らは魂が宿ったのに選択すらできず、願ったところで消えてしまう。この違い、君にはわからないだろうね」


 ノワールの笑顔が得体の知れないものに見え、サクラはよろけるように後ずさる。


「でも私だって手術で――」

「それでも、ヒロインだけは願いを叶えられる。つまりさ――」


 言葉を遮られたと同時に背中に本棚がぶつかり、逃げ場を失う。そこへ、ノワールが残された逃げ道すら塞ぐように両手を本棚へ当て、こちらへ顔を寄せてきた。


「そんな安全な場所から僕らを見下すのは、さぞかし愉快なんだろうね、サクラ」


 握りしめた杖の光に照らされるノワールの目だけが全く笑っておらず、サクラは言葉を失うしかなかった。

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