第29話 生きているだけでいい
「おい! 移動するなって言ったよな!?」
食堂の扉を破壊したであろうラウルが嵐に負けないぐらいの大声を出しながら、こちらへ向かってくる。
「そこにいるの、サクラか?」
「ラウル、リオンが大変なの!!」
「大変って……。何でここにいるんだよ。早くリオンから離れろ」
身を屈めたラウルが跳躍し、サクラのすぐ横へ降り立つ。そのまま抱えられ、ラウルがリオンから距離を取った。
「イベントが回避できなかったみたいで、いきなり食堂にいた」
「イベント……。サクラ、悪いが学園長を呼んで来てくれ」
サクラを床へ下ろし、背に庇うように立ったラウルがリオンから視線を外さず、指示を出してきた。
そうだ。
アデレード先生を呼べばよかったじゃん!
サクラは自分の機転の効かなさを責めつつ、アデレード先生の名を呼び、青い木のブローチに触れる。
『こんばんは、サクラさん。どうしましたか?』
「リオンが、血を飲んでいなくて苦しんでいるんです!」
『場所は?』
「食堂です!」
『魔法を掛けておいたのですが……。わかりました。サクラさんはリオンくんから離れていて下さいね』
そして会話が途切れたあと、ほどなくして食堂が明るくなった。
「お待たせしました。サクラさん、無事ですか? リオンくん、やはり試作段階では効果が切れるのが早かったようですね。取り急ぎ、こちらを口に含んで下さい」
事情を知っていそうなアデレード先生がコツコツと足音を響かせ、こちらに歩いてくる。
そしてアデレード先生が先程のリオンの輝く緋色の瞳のような不思議な色をした、とても小さな楕円形の宝石のようなものを取り出す。
それを、顔を下へ向けるリオンの口へ運べば、彼の呼吸が穏やかになった。
「話しておいて、よかったです。ありがとう、ございます」
「いいえ。時間がかかってしまい、申し訳ありません。完成品は後日渡しますので、それまではこちらで我慢して下さいね。念の為、今夜は医務室で過ごして下さい」
アデレード先生が小さな巾着袋をリオンへ渡し、周りを見回す。
「魔法が破られましたか。直しますので、少しだけ待っていて下さい」
驚いた表情を浮かべたアデレード先生が、扉に近付きながら呪文を唱え始める。
その時、アゼツの呻き声が聞こえ、サクラは急いでそちらに向かった。
「大丈夫?」
「……あれ? おばけは?」
「詳しい話は部屋でするから」
怪我がない事に安堵しながらも、サクラはアゼツを抱き抱え、リオンに肩を貸すラウルの元まで戻った。
***
激しい嵐は朝には消えており、まだまだ夏は続くと知らせるような、晴れた渡った青空が眩しい。
「……だからって、その姿のままで解決するのか?」
リオンの様子が気になり、サクラはすぐに医務室へ向かった。すると中からラウルの声がして、サクラとアゼツは白く無機質な扉の前で立ち止まった。
「でも……これは……」
困惑気味なリオンの声が聞こえ、サクラはアゼツに目配せする。
「今、入らない方がいいかも」
サクラがそうアゼツに伝えれば、扉がガラリと開いた。
「サクラもなんか言ってやれ」
「えっ!? 何で私がいるのわかったの!?」
「俺は耳がいいからな。おい、クソうさぎ。お前はちょっと俺に付き合え」
「だーかーらー! うさぎじゃ、きゃう!」
反論しようとしたアゼツの首根っこを掴み、ラウルが歩き出してしまった。
取り残されたサクラが医務室の中を覗けば、いつも通りの黒子の姿をしたリオンがベッドに腰掛けていた。
「おはよう、リオン。具合はどう?」
「おはようございます、サクラ。アデレード先生の造血剤のお陰で体調は良くなりましたので、大丈夫ですよ。昨日は影を解除してしまい、迷惑をかけました。申し訳ありません」
つんと薬品の独特の匂いがする医務室へ入り、扉を閉める。
白い空間にいるからか、リオンの影で隠された顔が更に深い闇をまとっているように見える。
「迷惑だなんて思わないよ。だからなの? 顔、隠してるの」
返事をしてくれないリオンに近付けば、顔を背けられた。
「ごめん。嫌な事聞いたよね」
「違うんです。この顔は、アリアの為に隠していたはず、なのです」
「そっか。アリアを無理やり引き寄せちゃうのが嫌だったんだね」
「それも、あるのですが……」
なんだか歯切れの悪いリオンに対し、サクラは首を傾げる。
「他にも何かあるの?」
「話を、聞いてもらえますか?」
「何でも聞くよ」
サクラが頷けば、リオンがゆっくりと話し出した。
「アリアが以前、むやみに人を襲ってはいけないという規律を破るヴァンパイアに襲われているところを、私が助けたのです。その時彼女に『ありがとう』と言われました。純血のヴァンパイアは他のヴァンパイアの吸血対象すらも引き寄せるので、忌み嫌われる存在なのです。だからこそ、そんな言葉を告げてくれたアリアへ、私は想いを寄せました」
そんな風に出逢ったのなら何故アリアはリオンを知らないのだろうと、サクラは疑問を抱く。
その答えを、すぐにリオンが口にした。
「けれど、私の目が純血のヴァンパイアのものだとわかったようで、アリアは悲鳴を上げました。想いを寄せた相手にすぐさま拒絶された私は、その悲しみからこのように顔を隠す事を選びました。素肌の部分も、日が当たらないようになどと、表向きの理由まで作り上げて」
リオンが深く傷つき、それでもアリアの事を考えてその姿を選んだ事に、サクラの胸がきゅっと締め付けられる。
「ですが、これは作られた記憶であり、今の私は本当にアリアを想っているのか、わからなくなりました」
「え……? でもさ、人の血を飲まないって決めたぐらい、好きなんでしょ?」
頷いたリオンがベッドをぎしりと軋ませる。
「そうなのです。そこまで深く想っていたはず、なのです。でも今は、自分の気持ちに自信がありません……」
「もしかしてだけど、リオンの素顔をアリアが受け入れてくれたら、気持ちがはっきりするんじゃない?」
「素顔を……」
「昔を思い出して不安になってるから、気持ちが揺らいでるのかもよ? アリアは驚いちゃっただけで拒絶したわけじゃないと思うけどな。それに、今ならたくさん遊んで仲良くなってるし、大丈夫だよ」
サクラの言葉に思案するように下を向いてしまったリオンへさらに近付けば、彼の肩が揺れた。
「ごめん。びっくりさせた?」
「いえ、その、アリアの事は、どうにかしてみます。それよりも、昨日は本当に申し訳ありませんでした!!」
もの凄い勢いでリオンが立ち上がり、思いきり頭を下げた。
その行動に、サクラは面食らう。
「昨日って……」
「言い訳にしか聞こえないでしょうが、その、血が足りず、サクラの血の匂いに酔ってしまって、あんな不埒な振る舞いを……」
「あ! それで様子がおかしかったんだ! それってさ、どうしようもない事だから気にしなくていいよ」
サクラの言葉に顔を上げたリオンが、立ち尽くすように動かなくなった。また具合が悪くなったのかと思い、サクラは彼へ向かって手を振ってみる。
「何でしょうか?」
「リオンの返事がないから意識があるのかな? って思って」
「あの、サクラは怒っていないのですか?」
「何で怒るの?」
「え……、あんな事をされるのは、嫌、ですよね?」
「でも酔ってたんだよね? それなら仕方ないんじゃない?」
「仕方ないって……。いけませんよ、サクラ。だめなものはだめと、はっきり態度で示す事も必要です」
弱々しい声がしっかりした声へ変わり、何故かサクラが説教をされる立場になっていた。
でも普段のリオンを知っているので怒る気にもなれず、元気になった事がわかった彼の様子が嬉しくて、笑い声をもらす。
「笑い事ではありません」
「だったら、ちゃんと顔を見せて?」
「顔は……その……」
「リオンは私に怒ってほしいんだよね? でも私は怒れないから、罰として、顔を見せてほしい。ちゃんとね、目を合わせて話したいし」
無言になってしまったリオンに、サクラは内心申し訳なくなる。
急すぎたかと謝ろうとした時、リオンがぽつりと呟いた。
「サクラは私の目が、怖くないのですか?」
「え? 怖くないよ?」
「何故?」
「うーんと、他のヴァンパイアなら怖いかもしれないけど、リオンだから平気だよ」
「あんな目に遭っても?」
「それでもさ、リオンは必死に私へ声をかけてくれたし、目の光も途中から弱めてくれたし、私は無傷だし。問題ないから」
「光はその、吸血範囲に入れば弱まるだけで自分の意思では――」
「あー、もう!! リオンだからいいの! わかった!?」
これでは埒があかないと、サクラは大声でリオンの言葉をかき消す。
「その目の光があったから暗闇でもリオンってわかったんだからね! だからね、私がリオンの目に感謝する事はあっても怖いなんて思う事はないから! この気持ちはずっとずっと変わんないから! この言葉、ちゃんと覚えておいてね!」
チリリリン
リオンの返事を聞くよりも早く、好感度が凄く上がり、場が静まる。
その沈黙が居心地悪くなった時、リオンがサクラへ背を向けた。
「どうしてサクラはいつも、欲しい言葉を言ってくれるのでしょうか……」
「何?」
「いえ、その、はぁ……」
「どうしたの?」
「……サクラのお陰でこの影の役目も、今日で終わりですねと言っただけです」
どうしてとまた問おうとすれば、リオンの姿に異変が起きる。
リオンの顔や手を覆う影が砂塵のように彼の周りを舞いながら消えるのを、サクラは静かに眺めた。
「サクラの言った通りです。受け入れてもらえれば、不安など消えてしまうのですね」
リオンの穏やかな声が聞こえるが、彼はこちらを振り向かない。だからサクラは覗き込もうとした。けれど、リオンは顔を片手で覆いながらまた背を向ける。
「何で隠してるの? 私に隠してたらアリアにも見せられないでしょ?」
「……少しは待って下さいよ」
そう言いながらリオンが手をどければ、彼は眉間にしわを寄せ、黒髪から覗くきらりと光る赤い瞳よりも淡い色で、頬を染めていた。
「あれ? やっぱり具合悪い?」
「具合は悪くないです。ただ、サクラの言葉が嬉しかっただけです」
「あ……。そうなんだ。へへっ」
「サクラも嬉しそうですね」
ちゃんとこちらに向き直したリオンへ、サクラは頷く。
「だってね、私が生きてて誰かを喜ばせる事ができたなんて、信じられなくて」
「サクラが生きているだけで喜ぶ者はたくさんいますよ」
「生きてるだけ?」
「そう。サクラが笑うと、春が来たように温かな気持ちになります。だからサクラはサクラのまま、生き続けて下さいね」
「春……」
リオンの口から自分の名前に込められた想いが語られ、唖然とする。
けれど、サクラを見つめる切れ長の緋色の瞳がどこまでも優しく輝き、その温かな光に胸が苦しくなった。
そして同時に、よくわからないぐちゃぐちゃな感情がサクラの中に渦巻き、涙が滲んだ。
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