第13話 生きる事

 外はうっすらと赤く染まり、夕暮れを告げている。

 その優しい光が、ベッドに座るサクラとアゼツの影を伸ばし、重ねていた。


「先の事がわからなくても、人間は幸せだと、思う」

「……やっぱり、そうなんですね。でもサクラは違うんですか?」

「どうして?」

「サクラは、サクラ以外が幸せと感じる事として、話していませんか?」


 アゼツの言葉に胸が締め付けられたが、サクラは笑顔を作る。


「人間って、昔から先の事がわかんなくても普通に生活してる。だからね、幸せなんだと思うよ。私もね、先の事は知らなくていいかなって思う。でも私はその『幸せ』が、わかんない」

「どういう事ですか?」


 不思議そうに首を傾け、白く長い耳をぴくぴくと動かすアゼツを眺める。その愛らしい姿に本来なら和むのだが、今のサクラは胸の痛みが増した。


「私は幸せな環境にいる。だけどね、幸せって思えない。こんな事考えられるのは幸せな証拠なんだろうけど、それでも幸せって思えないんだ」

「それなら……、サクラはどうすれば幸せって思えますか?」


 アゼツの心配そうな声が問いかけてきて、ついぽろっと、言葉と共に涙がこぼれた。


「こんな私でも、人間なんだって思えたら、幸せなのかも、しれない」


 サクラは声に出した事で、さらに心の傷が開いた気がした。

 きっかけはネットで見付けたひと言だったが、自分が1番、普通の人間とかけ離れていると自覚していた。

 だからこそあの言葉が、今でも消えない傷を作り続けている。

 そんな考えを読まれないよう、サクラは両手で顔を覆った。


「サクラは人間ですよ?」

「でも、そう思う人、ばかりじゃなくて……。あのね、私の病気って、原因を取り除けば、治るんだって。でもね、『原因の遺伝子を消して治すって、それってもう、人じゃないよね?』って、言う人もいて……。その言葉に、私は、納得しちゃって……」


 ずっと胸に秘めていた想いが溢れ、サクラの手のひらに涙がたまる。

 しかし突然、アゼツの明るい声が聞こえた。


「それならサクラはそれを叶えれば、生きたいと思えますよね!」

「……何言って――」

「大丈夫です。その願いは叶います」


 サクラは手に溜まった涙を黒のローブに染み込ませ、そのまま目元も拭い、アゼツを見る。

 すると彼は、満面の笑みを浮かべていた。


「願いの木がそれを叶えてくれます。このゲームのアイテムである花のつぼみは想い人との縁を繋ぎますが、サクラの願いは花を咲かせなくても叶います。よかった。これでサクラは救えます」

「やっぱり願いの木って、何でも叶えてくれるんだ……」

「条件はありますけどね。では、行きましょうか。サクラはサクラの望む人間になりたいと願って下さいね」

「えっ? 今からって、みんなは? みんなの願いはこのゲームのヒロインの私がいなくなったあとでも、願いの木が叶えてくれるの?」


 急な展開に呆気に取られながらも、それでも全員の願いが叶うならと、サクラは希望を抱く。

 しかしアゼツの言葉が、その希望を砕いた。


「願いの木は、『心から望んだ1つの願い』しか叶えません。ボクが立ち会っている時に1度だけ、奇跡が起こせます。でも、願いを増やすという願いは叶いませんし、口にした言葉が嘘でも叶いません。真実のみ、叶います」


 1度って……。


 じゃあみんなはどうやって願いを叶えるのだろうと考えを浮かべた時、にこにこしながらアゼツが言葉を紡いだ。


「今のサクラの言葉に嘘はなかったと思います。だから安心して願いを伝えて下さい。攻略キャラ達はきっと僅かな間でしたが、『ヒロインと結ばれたら生きられる』と希望を持ったはずなので、それで大丈夫でしょう」

「…………何が、大丈夫、なの?」


 アゼツの言葉が理解できず、サクラは戸惑う。

 けれど彼は、笑顔のまま言い切った。


「元々ボクは、人間であるサクラを優先して助けたかったんです。それに、願いを聞き届ける相手はヒロインのサクラだけでもありますから。所詮彼らはゲームの中の住人ですからね。少しの間ではありましたが、自分の考えで生きる事ができましたし、悔いはないでしょう」


 アゼツは人間でもなくゲームのキャラでもない。だけど、考え方も全然違うのだと知り、サクラは崖から突き落とされるような気分を味わう。


「あの、さ。それじゃみんなは、どうなるの?」


 まさかみんなは……。


 不安から声が掠れるが、予想と違う答えが返ってきてほしいと、願いを込めた。


「サクラの願いを叶えたら、攻略キャラ達は消えます。このゲームの存在自体も全ての人間の記憶から消して終わりです」


 ゲームが消えるという本当の意味がわかり、サクラは呼吸を忘れた。


「では行きましょう、サクラ。ボク達の事は忘れてしまいますが、どうか、生きたいと思う気持ちだけは忘れないで下さいね」


 可愛らしい声が心を突き刺すような痛みを与えてきて、サクラは意識を現実へ戻す。


「それじゃ、だめだよ。みんなも助けなきゃ」

「全員なんて無理ですよ」

「でも、生きてるんだよ? 未練が残って魂が宿るぐらい、みんなもここで生きてきたんだよ? たとえゲームのキャラだったからって、みんな、心がある」


 そうだよ。

 魂が宿って心があって。

 だから、人間とか、ゲームのキャラとか、関係ない。

 

 自分の言葉に気付かされ、サクラは思わず声を張り上げた。


「その心を、アゼツが簡単に決めつけないで!!」


 サクラの声に驚き、アゼツが飛び上がる。けれど、目線の高さが同じなった彼の姿がぼやけ始めた。

 出会った時からアゼツは自分の考えだけで決めつける事があったがここまでとは思わず、サクラの憤る気持ちが涙に変わった。


「アゼツだって生きてるんでしょ? アゼツの心と私達の心の違いなんてないんだよ?」

「心?」

「嬉しくて怒って悲して楽しくて、それをアゼツも感じるでしょ?」

「感じますが……」


 戸惑うように首を傾げたアゼツを見ながら、サクラは答えにたどり着く。


「それが心。その感情を感じる事が、生きるって事」


 そっか。そうだったんだ。

 私、自分の感情をちゃんと感じたいんだ。

 誰かの気持ちに合わせる事に慣れすぎて、自分の感情は見ないふりしてた。

 だから、乙女ゲーのヒロインが何度も自分の気持ちと向き合って立ち上がる姿や、攻略キャラ達の苦悩や葛藤をヒロインと一緒に乗り越える姿に憧れてたんだなって、今ならわかる。


 私、乙女ゲーが好きっていうよりも、その生き方が好きだったんだ。


 ゲーム自体も好きだが特別乙女ゲームが好きな理由を自覚し、サクラは涙を拭ってベッドから立ち上がった。


「心ってさ、それぞれ違いがあって、きっと誰にも正しく理解する事なんてできない。だからこそ、知りたいと思うんだろうね」

「サクラは何を言っているんですか?」

「アゼツ。私と一緒にみんなの心を知っていこう? わからないからって無理やり自分の考えに当てはめるんじゃなくて、でも完全に理解もしなくていい。お互いが納得する言葉で繋がれれば、それでいいんじゃないかな?」


 ゆっくりと翼を動かすアゼツは、じっとこちらを見つめたままだった。

 だからサクラは、言葉を変えてみた。


「アゼツは私達に、心から生きたいと思わせたいんだよね? それと、幸せを感じてほしいんだよね? だったら私やみんなの心を知って、全員が幸せになる方法を探そう!」


 不思議そうな顔をしていたアゼツの口元が引き締められ、首を振った。


「全員なんて無理です。そんな願いを抱けるのは……、神様、だけでしょう。それにたまたま攻略キャラに魂が宿っただけで、その心を知る意味は――」

「こらっ! それだよ、それ! 決めつけたら考える事が減る。だけどそれは、考えなかった未来を捨てる事になるんだよ!? 願いの木が何でも叶えてくれるのは事実なんだから、諦めてほしくない。だからちゃんと私の事も知ってほしいし、みんなの事も私と一緒に知っていこうよ!」


 サクラが立ち上がった事により、見上げるようにこちらを眺めるアゼツへ微笑む。


「それとね、私はアゼツの事も知りたい。アゼツの使命も叶えたいからね!」


 サクラの言葉に、アゼツが口と目を開け、放心したのがわかった。

 そんな隙だらけの彼のふわふわな白い頬を、むぎゅっと包み込む。


「ちょっ、ちょっと!」

「へへ。柔らかーい!」


 普段触れるのはいけないと思っていたが、ここぞとばかりにアゼツのもふもふを堪能し、言葉を紡ぐ。


「私もね、あんまり他の人と接してこなかったから、人付き合い初心者同士、一緒に協力していこうよ。それとね、できたらでいいんだけど……」


 これから言う言葉に照れが混じるが、それでもちゃんとアゼツの目を見て伝える。


「私と、友達になってくれますか?」

「とも、だち?」

「うん、友達。人間なんて、いや?」

「い、いえ! その……」


 アゼツの頬を挟むサクラの手に、彼の柔らかく暖かな手が添えられた。それと同時に長い耳がぴんと立ち、翼がもの凄い勢いでぱたぱたと動いた。


「ボク、友達って初めてで……。だから、嬉しいです!」

「そうなの? 私も友達って呼べる人がいなくて……。だからアゼツが友達になってくれて嬉しい。あっ! リオンも友達になってくれたから、アゼツもきっと友達になれるよ」

「リオンがですか?」


 心なしか、元気がなくなったようなアゼツの顔を覗き込む。


「どうしたの?」

「なっ、何でもないです!」


 アゼツは慌てながらサクラの手が逃れ、目線を合わせるように浮き上がった。


「その……、友達になった経緯を、教えてくれますか?」

「いいよ! そうやって知ろうとするって、凄く良い事だと思う!」


 サクラは嬉しくなり、何があったかを伝える。

 すると、アゼツはぽふっとあごに手を当て、唸った。


「人間の事はたくさん勉強してきましたが、ノワールも大概ですけど、リオンも気を付けた方がいいのでは?」


 何故そんな事を言われたのかわからず、サクラは首を傾げる。


「何で?」

「サクラは恋をしないんですよね?」

「うん」

「……えっと……、あれ? サクラはもしかして鈍感ですか?」

「ちょっと。友達になったからってそれは言い過ぎじゃない?」

「やっ、やだなぁ。冗談ですよ、ジョーダン!」


 思わず低い声を出したサクラへ、アゼツは口笛を吹く真似をしながら目を逸らす。そのあとすぐに咳払いをし、こちらを向いた。


「とにかく、サクラが恋をするという事は誰かを選ぶ事になります。想いを自覚すればつぼみが花開き、願いの木がサクラの想いに応えます。それと、このゲームの仕組みを利用した願いの叶え方はボクには変更不可です。これだけは覚えておいて下さいね」


 誰かを好きになればゲームオーバーだと理解し、サクラは頷く。


「わかった。みんなを助けるんだから恋してる場合じゃないし!」

「いや、恋してもいいんですけどね。つぼみも薄く色付いてましたし。サクラが考えた答えなら、ボクはどんなものでも受け入れますよ」

「あっ! あれはね、ノワールのスキンシップが多すぎて、心臓がドキドキし続けたのに反応しただけだと思うよ!」

「え……。それだけで本当に色付くんですかね……」


 信じられないような顔をしたアゼツを眺めながら、サクラはふと、ノワールの言葉を思い出す。


『アゼツの提案が善意のものであるって、信じたいから』


 アゼツはちょっと考え方が偏ってたから、それをノワールは感じ取ったのかもしれない。

 だからノワールにもちゃんと伝えなきゃ。

 アゼツは私達の味方だって!


 みんなで力を合わせれば、きっと全てがうまくいく。

 そう信じて、サクラはアゼツへ心からの笑顔を向けた。

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