第9話 大切な友達

 中庭にある噴水の穏やかな水音が聞こえる中、ベンチに腰掛けるサクラの周りだけ空気が張り詰めていた。

 そして、自身の口を塞ぐ誰かが、静かな声を出した。


「そこまでです」

「今、とてもいいところだったんだけど?」

「そのようには見えませんでしたが?」


 リオン?


 いつもの耳に残る艶っぽい声よりは低くいが、リオンだと認識した途端、サクラの緊張が解けた。


「どうしてここに?」

「サクラ。もう少し、自分を大切にして下さいね?」

「大切に?」


 話せるぐらいに、サクラの口を軽く覆っていたリオンを見上げる。目が合う事は決してないが、彼はサクラの涙をそっと拭いながら、黒子の顔を近付けてきた。


「サクラは恋をしないのですよね? それなのに、好きでもない男性と口付けをするのは、自分を傷付けませんか?」

「くち、づけ?」

「ノワールはサクラの唇を奪おうとしていたのですよ? それに今だって、私がこんなに顔を近付けているのに無防備で、されるがままじゃないですか」


 いや、それは、顔が見えないから。


 心配してくれたリオンには悪いが、サクラは冷静さを取り戻す。そんなサクラの耳にノワールの笑う声が届き、彼へと顔を向けた。


「リオン、君はいつからサクラの保護者になったの? まぁ、君がどう動こうが、最終的にはサクラが決める事だからね」


 ベンチからゆっくりと立ち上がり、ノワールがリオンへ近付く。


「もしかして、いつも影で跡をつけて来ていたのは牽制のつもり? 覗き見しているだけならいいかと思って放っておいてあげたのに、邪魔をしないでもらえるかな? それなら最初からサクラのそばにいたらいいのに。最近の君はどうかしてるよ」


 くくっと笑い声をもらすノワールが、顔だけをサクラに向ける。そんな彼は、何を考えているのかわからない笑みを浮かべた。


「サクラはさ、ここにいる彼とラウルの事が片付いたら、双子の事も進めなよ? 彼らの場合、本人としっかり話し合った方がいいからね」


 そうだ。

 クレスとキールの事は、全然進んでない。

 想い人のそばにいるから会話もするけど、迷惑そうにいなくなっちゃうし。

 もしかして私がいない方が上手くいくのかなって思ったけど、キールの場合は相手が相手だし、やっぱり私も頑張らなきゃ。


 ノワールの助言に頷くと、彼はこの場を後にした。

 取り残されたサクラは、立ったままノワールを見送るリオンへ、声をかけた。


「リオン、影って?」

「……これです」


 リオンの指先から真っ黒な蝶が現れ、サクラの肩へひらりと舞い降りる。


「これって……」

「私の影で作ったものです」

「何で作ったの?」

「アゼツがサクラのそばいないので、何かあった時、私がすぐに駆けつけられるように作りました」


 何故リオンがそんな事をするのか理解できず、サクラは首を傾げる。


「このような事を言うのは気が引けますが、ノワールには気を付けて下さい」

「あ。ノワールのスキンシップってちょっとやり過ぎだもんね。でもさ、それにノワールは慣れちゃってるだけだよ?」

「それでも、気を付けて下さい」


 どこか不満そうな声を出しながら、リオンが黒い蝶を真っ黒な手のひらに移動させる。それが砂のように崩れながら消えた。

 そんな不思議な光景を見届け、サクラはベンチから立ち上がり、彼の正面へ移動した。


「リオンはやっぱり優しいね。球技大会の日も、今も、私の事を心配してくれてありがとう」


 自分の事を気にかけてくれる人がいる事に感謝しながら、その想いを込めて、サクラは言葉を伝える。


 チリリリン


「えっ、何で!?」


 今は何のイベントでもないのに好感度が上がり、サクラは思わず叫ぶ。

 すると、小さな笑い声をもらしたリオンが、楽しげな声色で言葉を紡いだ。


「アゼツから聞いていませんか? 通常の会話でも好感度が上がるんですよ」

「聞いてない! ごめんね、勝手に好感度上がるの、嫌だよね?」

「大丈夫です。サクラは恋をしないって知っていますから。私の場合、好感度は友としての親密度だと思ってくれればいいですよ」


 友って……、私の事、友達だって、思ってくれるの?


 ノワールとの会話で、自分はずっと疎まれたままの存在であり続けると思っていた。そんなサクラにとって、リオンの言葉は予想外のもので、声を失う。

 けれど嬉しさで心が満たされ、その想いが溢れたように涙が頬を伝うのがわかった。それを急いで拭うが、心の声までもを吐露してしまった。


「と、友達って、思って、くれるの?」

「泣くほど嫌ですか?」

「ち、がう! わた、し、なんかと、友達に、なってくれるなんて、嬉しくて……!」


 声を引きつらせながらも言い切った時、またも好感度がもの凄く上がる音が聞こえ、リオンに抱きしめられていた。


「私もサクラと友人になれて、嬉しいです。ですから『私なんか』、とは言わないで下さいね?」

「なん、で?」

「サクラは私の大切な友人です。もし自身を嫌っていても、それを含め、私はサクラの友人でありたい。だからどうか、自分を大切にしてあげて下さい」


 さっきのノワールとの会話、聞こえてたんだ……。

 

 急に恥ずかしさが込み上げてきたが、リオンの優しい声と腕の中に身を任せたくて、サクラは彼の制服を握った。


「リオンはどうして、そこまで私に、優しくしてくれるの?」

「……私みたいな者へ、感謝を伝えてくれるから、ですかね」


 サクラに私なんかと言わないでほしいと告げたリオンらしくない発言に、思わず顔を上げる。けれど、そこには相変わらず黒子の姿があるだけで、彼の表情がわからない事に少しだけ寂しさを覚えた。



 サクラの涙が落ち着き、帰路につく。

 1人で帰れるからと伝えたが、心配したリオンが寮まで送り届けてくれた。


 そしてあろう事か、『ノワールの事もありますし、今後は私も一緒に行動します』とまで言われ、サクラは戸惑う。

 その時間をアリアと過ごす為に使ってほしいと伝えても、リオンがその意見を変える事はなかった。


 ***


 夜になり、本来なら使わなくていいはずの籠のベッドで、アゼツが静かに丸まっている。飾りのように存在していた彼専用の休憩場所にいるのは、きっとまだ悩みと向き合っているからだろうと思い、サクラはそっとしておいた。

 本当ならもう眠って次の日に進むところなのだが、アゼツに時間を作る為、サクラは机に向かう。

 そして、青い木のブローチからタブレットを取り出し、攻略キャラの記録を開く。


 何て声をかけたらいいかわかんないから、こんな事しかできなくてごめんね、アゼツ。

 それに私は今、目的に向かって頑張れてない。だからノワールがせっついてきたんだろうな。


 今日のノワールが自分の悩みを聞き出してきたのはそういう事だろうと思い、サクラは今まで集めた情報を再確認した。

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