第8話 誘惑
球技大会の日からリオンとラウルの仲がギクシャクしており、どうにかせねばと、サクラは悩んでいた。
そして同時に、アゼツもどこか様子がおかしく、サクラと離れて過ごす時間が増えた。それを心配したのか、ノワールが女生徒達を連れず、サクラと共に行動している。
けれど、迎えに来てくれるノワールの元へ行こうとすれば、リオンがどことなく落ち着きがなくなる。それが気になり、サクラが声をかけようとすれば、そのタイミングでノワールから手を引かれ、聞きそびれたままだった。
「サクラ、何をそんなに悩んでいるの?」
「そっ、そんなに顔、近付けなくていいから!」
サクラは今日も攻略キャラの想い人の情報収集をしつつ、彼らの良さを伝える為の交流を終え、中庭の噴水を眺めながらベンチで休憩していた。
ラビリント学園は至るところに鮮やかな花が咲き誇り、珍しい色の蝶が舞っている。そんな美しい光景の中、黒い蝶がひらひらと現れたのが目に入った瞬間、ノワールの楽しげな顔がそれを遮った。
彼は距離感がおかしいようで、サクラに必要以上に触れてくる。それが原因で、いつも心臓がどきどきさせられる。きっとそれをわかっているであろうノワールは、満足そうな表情を浮かべていた。
「どうして? サクラの可愛い顔、もっとよく見たいのに」
「私にはそういうの、言わなくていいから!」
必死にノワールの胸を押し、距離を作る。そんなサクラの手を取り、彼はくすりと笑う。
「言わなきゃ伝わらないでしょ? サクラには僕の事、好きになってほしいから」
「私、恋しないって言ったでしょ!? それなら私だって言うけど、ノワールは好きな人を1人に絞ってよ!!」
恥ずかしさと焦りから怒鳴るように声を出してしまったが、ノワールはきょとんとした顔をして、呟いた。
「そんなの、できないよ」
「何で?」
「だってそんな事をしたら、選ばれなかった子が可哀想でしょ?」
「今でも選んでないようなものでしょ……」
サクラが呆れた声を出すと、ノワールが琥珀色の瞳をすっと細め、手を離した。
「ま、僕の話はいいんだよ。サクラの悩みは何かな?」
「よくないんだけど。とにかく、ちゃんと選んであげて」
「はいはい。サクラの悩みって、ヴァンパイアと狼男と白うさぎで合ってる?」
サクラは軽く受け流された事に腹を立てそうになるが、ノワールの口から悩みの原因の全てが出てきて、驚きが勝る。
「何でわかるの?」
「サクラの顔に書いてあるよ?」
「そんなにわかりやすかったなら、みんなも、気付いてるかな……」
自分が勝手に悩んでいた事で迷惑をかけたかもしれず、気落ちする。
そんなサクラの頭を、ぽんぽんとノワールが撫でてくれた。
「いいんじゃない? 最後だし、ついでに自分と向き合わせてあげたらいいよ」
「自分と向き合わせる?」
「そっ。サクラはもう、リオンの素顔とラウルの耳の事、聞いてみた?」
「それ、聞いていいの?」
なんとなく、触れてはいけないのかと思ってそのままにしていた。それを促され、サクラは疑問を抱く。
「聞いてごらん? 彼らをもっと知れば、悩みも解消するよ」
優しく微笑みながら、サクラの髪を弄ぶようにノワールが指を絡めてくる。
「だけど、アゼツの事は僕にもわからない。何かきっかけがあったのは思い出せる?」
「えっと……、球技大会の日、私の選択した結末がわからない事を謝られて……、そうだ。人生なんて先の事がわかんないのが普通だって伝えたのに、『先の事が、わからない……』って呟いて、元気なくなっちゃったんだよね」
くるくると、サクラの髪を楽しむように触れ続けていたノワールの指が止まる。
「そう。アゼツにも何か、悩みがあるんだろうね」
「……そういえば、ノワールは何でアゼツの事を信じるなって、言ってきたの?」
ずっと気になっていた事だったが、その言葉を言った時のノワールの変化が怖くて、サクラは今まで確認できなかった。けれど話の流れから、聞き出すなら今しかないと、思い切って口にする。
すると、サクラの髪を一房掬い上げながら、彼は真剣な表情を浮かべた。
「アゼツが何者か、知ってる?」
「ううん、知らない。ノワールは知ってる?」
「僕もね、知らないんだ。だけど、サクラがここへ来るだいぶ前に突然現れて、『あなた達には、魂が宿りました。そして、もうすぐこのゲームの世界にある少女が訪れます。その少女と結ばれた者だけは、救えます』って、言ってきた」
あれ?
神様なのに先の事がわからないのを気にしてるのかと思ったけど、違うの?
私がここへ来るの、わかってたの?
それに、私が聞いた話と違う。
結ばれた人だけは救えるって、そんな事、ひと言も言ってなかった。
アゼツに対して不信感が募る。
けれど、ノワールがサクラの髪をさらさらと手からこぼすのを眺めながら、彼の言葉を聞き続けた。
「僕達もさ、元々ゲームのキャラだから、魂が宿ったところで特別感動もしなかった。むしろ、迷惑だったんだよね。まるでさ、サクラの為だけに用意された、道具みたいで」
そんな風に、思われてたんだ。
それじゃ今でも、みんな、そう、思ってるよね……。
少しは仲良くなれたと勘違いしていた自分が恥ずかしくなり、サクラはうつむく。
けれど、自身の髪が全てこぼれ落ちる前にぐっと掴まれ、驚きからノワールを見る。すると彼は、人の心を惑わすような笑みを浮かべていた。
「それに、サクラや僕達を救う事でアゼツが何を得るのか、それをアイツは喋らない」
「どういう事?」
「サクラにも、心当たりがあったりしない?」
ノワールの言葉で、サクラはアゼツへ『誰とも結ばれない』と、自分の考えを伝えた時の事を思い出す。
『えっ!? ちょっと、それは困りますから! それでサクラは生きたいと思えるんですか?』
『そんなの、わかんないよ』
『だめじゃないですか!! それに彼らをゲームの中の人と結ばせてしまったら、余計に生きたいと思わなくなりますよ!?』
『そんなの、彼らの自由じゃない』
このあと、アゼツが悔しそうに地団駄を踏んでいた姿も浮かぶ。そして心当たりの言葉までもを、思い出した。
『絶対、だめです!!』
『何がだめなのよ?』
『理由は話せませんけど、だめなんです!』
あの時の理由。それをアゼツはみんなにも隠してるんだ。
いったい、何の為に?
仲を深めてから聞き出す予定ではいた。けれど、ノワールの様子から絶対に教えてくれる事がないように思い、サクラは眉をひそめるしかなかった。
「その様子だと、あるみたいだね」
「あ……、うん」
「じゃあさ、アゼツの事については何か掴めたら、情報交換でもしようよ」
「どうして?」
「アゼツの提案が善意のものであるって、信じたいから」
握り締められていたサクラの髪を口元に近付け、ノワールが切なそうな表情を浮かべる。けれど琥珀色の瞳は、冷えた色を含んだものに見えた。
「……本当に、それだけ?」
「……サクラ、さっきから思っていたんだけど、髪を触られるのって、嫌じゃないの?」
勇気を出して尋ねた言葉をないものにされ、サクラは戸惑いながらも、質問に答える。
「嫌じゃない、けど」
「それは嬉しい返事だね。女の子ってさ、触れてくる相手に好意がないと、髪を触られた時に不快感しかないんだって」
「そうなの?」
「僕も教えてもらっただけ、なんだけどね。でさ、さっきから頭を撫でたり髪を触れ続けているのに、サクラは嫌じゃなかった」
とても嬉しそうに、でもどこか煽るような視線を向けながら、ノワールがサクラの髪へ口付る。
「なっ、何して――」
「それってさ、もうサクラは僕の事、好きなんじゃないのかなって、思うんだけど?」
ノワールの思わぬ行動と言葉に全身が熱くなるのがわかったが、自身の恋ぐらい自分で自覚するはずだろうと思い、サクラはすぐに冷静になった。
「さすがに恋したら自分でわかるって。それにさ、私、病気で、実際の姿がもっとガリガリで、髪も短くて、男の子みたいで……。だから、髪を触られても、あんまり、意識してなかっただけだと、思う」
自然と、自分の口から伝えなくてもいい情報が溢れ、サクラの視界が歪む。それを誤魔化すようにうつむきながら、作り物の長い髪で顔を隠す。
けれどその髪を優しく払い、ノワールがサクラの頬へ触れ、涙を拭ってきた。
「サクラは今、幸せ?」
「わかん、ない」
「でもさ、話を聞く限り、サクラは現実の世界の自分、嫌いでしょ?」
ノワールの優しい声で、サクラは偶然聞いてしまった、両親の会話を思い出してしまう。
『私が『さくら』なんて、名前をつけたから……。花はすぐに散るからだめだって、言われていたのに』
『それは関係ない。さくらの名前は2人で決めたじゃないか。春の訪れを感じさせるような温かな子に育ってほしいと、俺達の願いを込めた、大切な名前だ。だからこの病気は、誰が悪いわけでもない』
そんな風に生きられなくて、ごめんなさい。
「…………うん。わた、し、本当の、自分が、嫌い」
両親の想いに応えられない自分が情けなくて、涙がさらに溢れる。
そんなサクラの顔をゆっくりと持ち上げ、ノワールが視線を合わせてきた。
「だったら、その姿のままでいたらいいよ」
「え……?」
だんだんと顔を寄せてくるノワールの琥珀色の瞳から目が離せず、茫然と眺め続ける。
「その姿が本当のサクラだよ。僕がそう、認めてあげる。だから僕を選んで? そうすればサクラに幸せしか――」
吐息を感じる距離で、歪な心の隙間を埋めるような甘い言葉を囁かれた瞬間、誰かに肩を引かれ、体が後ろへ傾く。それに驚き声を上げようとしたら、肌触りのいい手が、優しくサクラの口を塞いだ。
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