第7話 試合終了とリオンの懸念

 よく晴れた日に、球技大会をしていただけだった。

 それなのに、サクラは今、ボールと共に空を飛んでいる。


 怖いっ!!


 楽しく過ごしたかったサクラにとって、悲しい思い出になろうとしていた。けれど何かが体に触れ、恐る恐る目を開ける。


「大丈夫ですか?」

「リ……オン?」


 影がサクラを優しく包み込みながら、リオンの形へ変わった。そのままゆっくりと地面へ下ろしてくれたが、足に力が入らない。それに気付いたのか、彼は再度、サクラを横抱きにした。


「怖かったですね。もう大丈夫ですよ」


 出会った当初のように震え出すわけでもなく、しっかりとサクラを抱きしめてくれる優しい腕に、涙が溢れた。


「あり、が、とう……」


 サクラがそう伝えれば、リオンから好感度がもの凄く上がる音がした。

 けれどサクラはまさかこんな事で泣くとは思わず、それを誤魔化すため、握りしめていたボールへおでこをつけるように下を向く。

 すると、リオンらしくない冷たい声が、辺りに響いた。


「ラウル。いくら選択されたものだったとしても、これはないです。覚悟して下さい」

「サクラを避けるはずがないって、俺じゃなくたってわかるだろ? だから遠慮なくその選択に乗った。何だ? いつもオドオドしてるだけの奴に、何かできるのか?」


 サクラが選んだ選択肢のせいで2人が険悪な空気になってしまい、涙を拭ってリオンの運動着を引っ張る。


「ごめん。私のせいだから。2人とも、ケンカしないで」

「それは違う」

「そう。サクラのせいじゃないです」

「ううん。私のせいだから……」


 ラウルとリオンから庇われ、余計に気まずくなり、サクラの心が痛む。

 その瞬間、リオンの優しくも耳に残る、ぞくりとする笑い声が聞こえた。


「それなら、サクラには負けてもらいましょう」

「えっ?」

「ボール、もらいますね」


 両手が塞がっているはずのリオンの腕から別の黒い腕が現れ、サクラの腕の中にあるボールを掴む。

 その時、何故かサクラにもう1度、優しくボールを触れさせてきた。


「はい。これでサクラは私にボールを当てられたので、負けです」

「あ……」

「そして皆さんにも、負けてもらいます」


 そう言い切るリオンの黒い腕が伸び、次々とボールを当てていく。

 最後に当てられたラウルからはもの凄い音がして、彼は膝をついた。

 そして、いつの間にか増えていた観戦者の中から楽しげな2つの声を響かせ、双子がラウルに近付く。


「あれ? 今回の負けっぷりはひどいねー」

「ふっ。ラウル、今日の感情は一段と心地良いな」


 つんつんと突く天使のクレスの手を払い除け、ラウルが唸る。それを、天使の微笑みを浮かべる悪魔のキールが眺めていた。


「はい。これで試合終了ですね」

「……リオン、強すぎ」


 どこか緩んだ空気の中、リオンが終わりを告げる。きっと、顔が見れたなら爽やかな笑顔を浮かべているのだろうなと、サクラは想像しながら呟く。

 すると、サクラを抱える手に力を入れ、リオンが囁くように声をかけてきた。


「サクラ。今回は私がいましたが、何かあればアゼツを通して私を――」

「あれ? サクラをお姫様抱っこしてるなんて、何があったの? 誤解されちゃうんじゃない?」

「あっ!! ごめん! もう大丈夫だから!!」


 珍しく1人でいるノワールが急に声をかけてきた事に驚きながらも、彼が指し示す方向へ目を向ける。

 その先には、先端がゆるく巻かれている、肩までの長さのバターブロンドをハーフアップにしている女の子がいた。そんな彼女の心配そうに細めた薄緑色の瞳と目が合い、サクラの心臓がどくんと跳ねる。


 まずい、アリアに誤解される!


 まさかリオンの想い人まで人集りの中にいたとは思わず、サクラは慌てて彼の腕から逃れ、地面へ下りる。そしてそのまま、彼女の元まで駆けた。


「アリア! 今のは違うからね!!」

「な、何が違うの? それより大丈夫?」

「リオンと私は何でもないから! って、大丈夫って、何が?」

「リオンさん? それよりも抱き抱えられてるなんて、具合悪いの? もしかして怪我した?」

「それは大丈夫!」


 サクラの体に触れながら、痛いところがないか心配してくれるアリアに対し、胸がじんわりと温かくなる。


 アリアも初めて話した時から友達のように接してくれる、とっても良い子。

 このゲーム、主人公のライバルになる相手が全員、良い人すぎなのも問題だと思う。


 攻略キャラが惚れるのもわかるぐらい魅力的な女性達の存在に、これでは攻略したくもなくなるなと、サクラは心の中で苦笑していた。

 すると、サクラが本当に怪我をしていない事がわかり、アリアは安心して自分達の試合へ向かった。

 そして入れ替わるように、アゼツが飛んでくる。


「サクラ、ごめんなさい! 選択肢の結末がわかっていれば、怖がらせずに済んだのに!」

「大丈夫だよ。アゼツのせいでもなんでもないし。ほら、人生なんて、先の事がわかんないのが普通でしょ? だから気にしないで?」

「先の事が、わからない……」


 さらに元気のなくなったアゼツを励まそうとした時、イザベルのよく通る声が響いた。


「ラウル。あなた、私の話をちゃんと聞いていたのかしら?」

「イザベルの話ならいつでも……、あ」


 青ざめるラウルから双子が急いで離れ、イザベルが凄みのある笑みを浮かべながら、彼の前で歩みを止める。そして躊躇なく、ラウルの顔を地面に沈めた。


「思い出した? 私はサクラを守れと言ったのよ? 本当はこんなもので済ませたくないけれど、サクラがあなたを心配しているわ。だからこれぐらいで許してあげる」


 イザベルはサクラへ優しく微笑み、颯爽とその場を去っていった。

 残されたラウルはからは「こんなはずじゃ……」と、呻く声が聞こえた。


 ***


「さてと、僕も戻ろうかな」


 周りの生徒も移動し始め、じっとサクラの様子を見ていたノワールも動き出そうとした時、リオンは思わず声をかけていた。


「あなたは何故そこまで、サクラに構うのですか?」

「あれ? もしかして君は、サクラに攻略されはじめてるの?」

「違います」

「ふーん。じゃあさ、関係ないよね?」


 相手は人間なのに威圧され、リオンは沈黙する。

 けれど、命があと僅かしかないかもしれないサクラが少しでも楽しく過ごせればいいと、自分の中に願いが生まれた。それを思い出し、ノワールを見据える。


「関係はあります。彼女は私の友です。ですから、あなたの企みに巻き込まないでいただきたい」

「おや? 珍しく強気だね。でもね、僕は何も企んでいないよ」


 楽しげに歪む口元に手を当て、ノワールが笑う。

 その行動が自分を馬鹿にしているのはわかったが、そんな挑発は受け流し、リオンは自分の考えを伝える。


「それは嘘です」

「どうして?」

「過去の記憶、そして、サクラが現れるまでに私達が自由に過ごしていた時間を思い出せば、答えは明白です」

「だからそれを、はっきり言ってごらんよ?」


 多少苛立った素振りを見せたが、ノワールの余裕は崩れない。

 それが彼という人間なので、リオンはそのペースに巻き込まれないよう、言い切る。


「あなたは誰でも受け入れる。ですが、自分から追いかける事は今まで1度もなかった。そんなあなたが、まだこのゲームを始めたばかりのサクラへ近付こうとしている理由は、何ですか?」


 最初は彼だけが助かる為に、サクラと結ばれようとしているのかと思った。けれどそれも、どこか違うように思えた。

 きっかけは、『サクラ。君はアゼツを信じるの?』という、彼の言葉。

 これはノワールがアゼツを信じていないという意味だと、わかった。

 それなのに、事前に説明されていたアゼツの提案を受け入れたような行動を取る意味が、わからない。

 そんな事をしなくても、私達がこのゲームと共に消えたいと願っている事を、彼もよく知っているはずだ。だから、サクラとの仲を普通に深めればいいだけのはず、なのだが……。


 疑惑の目を向けるリオンの言葉に、ノワールは動揺するどころか、微笑みを向けてきた。


「別に、大した理由じゃないよ。そんなに知りたければ、先にサクラと本当の友人になればいい。そうしたら、僕の心だって動かせるかもしれないよ?」

「本当の友人?」

「自分の素顔を隠して、それで本当に彼女の友人だって言えるの?」


 触れてほしくない事を言われ、リオンは思わず歯を食いしばる。

 その横を、ノワールがゆっくりとすり抜けながら、囁くように声をかけてきた。


「ま、君みたいに臆病なヴァンパイアには、何もできない。今まで通り、大切なアリアを眺め続けておきなよ」

 

 去り際に残された言葉に、リオンは虚無感を抱くことしかできず、立ち尽くした。

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