世代交代

竹中凡太

世代交代

「よぉ、ドーキィ。」

「おはよう、ウェンディ。」

 ドーキィが居間に入ってきたときにはウェンディはすでに『朝食』を終えようとしているところだった。

「ドーキィ、『コーヒー』は飲むかい?」

 ウェンディがビジョンから目を離さずにそう聞いた。

「ああ、もらうよ。」

 ドーキィが答えると、ウェンディは初めてビジョンから目を離して、まだ新しいマグカップに『コーヒー』を注いだ。

「今朝はやけにゆっくりだったな。」

 ウェンディが暖まってきた関節を曲げ伸ばししながら、そう聞く。朝は、特に冬の朝は関節がスムーズに動くようになるまで多少の時間がかかる。

「久しぶりの休養日だからね。少しは稼動部を休ませておかなくちゃあ、いくらボディがあってももたないからな。」

 ドーキィはそう言ってテーブルにつくと、『コーヒー』をすすり始めた。新たに体内に供給されたそれは身体のすみずみにまで循環され、各部の活動性を充分に向上させる。その効用が認められ、朝の『コーヒー』は政府からも推奨されていた。

「最近の労働条件はとみに悪いからなぁ。」

 深くため息をつきながら、ウェンディが言った。

「耐用期限がくる前に動けなくなる奴らも多いって言うし。」

「そこまでいかないにしても、こう、交換が多くちゃ、ね。安月給じゃどうにもならない。」

 つい最近付け替えたアイの具合を確かめるように視線を動かしながら、ドーキィもため息をついた。考えてみれば、一昔前はもう少し労働条件がよかったような気がする。少なくとも、耐用期限がくる前に壊れてしまうような部品はなかったはずだ。それだけ仕事の量が増えたのと、仕事自体がハードになってきているのだろう。

 そんなドーキィの考えが届いたかのようにウェンディが独りごちた。

「上位レベルの連中には下位レベルの苦労などわからないんだ。」

 確かに下位レベルのドーキィやウェンディクラスが動作不良に陥っても、社会の体制に大きな影響を及ぼすことはない。逆に、上位のガバナークラスあたりだと、一体が動作不良に陥っただけで、社会の歯車は狂いだす。

 その事実はドーキィもウェンディも充分に承知してはいたが、どこまで行っても一般論でしかなかった。各個体の論理回路が吐き出すエラーを修正してくれるようなデータの代わりになってくれるものでは決してなかった。それは、彼らが社会の歯車でしかないということを考えれば取るに足らない問題なのだ。

「ま、仕方ないさ。」

 すっかり沈み込んでしまったドーキィに、諦め半分にウェンディが言った。

「俺たちゃ、ロボットなんだからな。」

 このセリフが出たら、この話題はもう終わり。百年前から変わらない習慣だった。


 街は整然としていた。それがいつもどおり。全てのロボットが何らかの目的を持って歩いているし、町を往来しているのは全てロボットだ。この地球上で文明を形成しうるのはロボットだけ。それが正しい情報であり、ドーキィが起動したときからの不変の現実だった。

 今日はオイルの配給がある日だから、ドーキィは街に出てきている。朝に『コーヒー』として飲むオイルも少なくなってきたので、補給しておかないといけない。でなければ、ドーキィもウェンディもしばらくは『コーヒー』なしで稼動することになる。それはベターな状態であるとは言えなかった。朝の『コーヒー』がないと、充分に関節部分の作動が円滑にならないうちに仕事につくことになり、これはつまり関節部分に余計な負担をかけることにつながる。

 今、ドーキィにもウェンディにも余計な出費をするような余裕はなかった。壊れた部品を付け替える事ができなくなれば必然的に作業能率はおちる。作業能率が落ちたロボットの行く末など教えられるまでもなく、『死』だ。

 やはり、『死』を迎えるのは嫌だ、とドーキィは思う。理由は簡単だ。『死』は嫌なものだからだ。

 オイルの補給をするだけでその可能性を大いに減らすことができるのだから、これをしない手はなかった。幸い今日のドーキィは休養日。家にいても何もすることはないのだから、オイルの補給ぐらいしておいてもよいだろう。これは関節に大きな負担をかける事にはならないはずだ。

 ドーキィが配給所のところまでやってくると、いつも整然としているはずの街がそこにはなかった。配給所の前には不自然なまでにロボットが集結していた。

 一体、何があったのだろう。

 もちろん、ドーキィにそんなことがわかる訳がなかった。何故なら、ドーキィの理論パターンにはそんな事態は想定されていないからだ。勿論、この現象は、ドーキィの好奇心を刺激した。どんなことであれ、新しい情報を手に入れることは悪いことではない。むしろ、政府から推奨されていることでもあった。

「何かあったのですか?」

 ドーキィはすかさずロボットの群れの中に入っていくと、手近のロボットに尋ねた。

「いや、政府のガバナークラスの連中が新しい政策を発表したんですよ。」

 そう答えてくれたのは同居人と同じウェンディクラスだった。

 彼もいつもと違うこの光景に触発されてきたらしい。ドーキィの問いにそれだけ答えるとすぐに配給所の方に視線を戻し、ドーキィの方へ注意を払おうとしない。この場合その対応は正しい。ドーキィの判断も彼と同じだった。何があったのか知りたければ、配給所の中を見ればいい。集まっているロボット達の反応を見ていれば、配給所の中に答えがあるのは明らかだ。

 ドーキィが配給所の中を覗き込むとそこには端末に群がるロボット達と、旧態依然とした張り紙がしてあった。ドーキィが知りたがっていたことは端末を覗き込むまでもなく、張り紙に明確に書かれていた。

『ロボットの過重労働問題の解決のため、人間を労働に従事させることとし、新暦五一二年一月一日付けをもって実施することとする。』


 その夜、同居人のウェンディが帰ってくるとドーキィは昼間配給所で見たことを早速報告した。どうやら、工場でも同じような発表があったらしく、ウェンディも同じ情報を仕入れていた。

「しかし、人間などに労働をさせることができるのだろうか。」

 ウェンディが真っ先に問題にしたのはこのことだった。確かに。人間と言えば、ロボット達の栽培した植物、及び、ロボット達が畜産し加工した肉を食べているだけの生物だ。とても労働能力があるとは思えなかった。他の動物は自分で食料を調達しているのに、人間だけは生きるための術を全てロボットに依存している。

「確かにウェンディの言うとおりだ。私にも人間に労働能力があるとはとても考えられない。」

 昼間ドーキィが配給を受けてきた新しいオイルをすすりながらウェンディも相槌をうつ。

「うん。あの生き物の生存能力のなさは理解しがたい。他の生物は皆、食物連鎖に組み込まれていてその生存理由に無理はない。例外は人間だけだ。」

「そうだよ。そもそもが、ガバナークラスが何故あんなにも役に立たない生物を保護しているのか、そこからして私には理解できない。」

 そう言ってドーキィは首をかしげた。

「かと言って、ガバナークラスの判断が狂ったことはないし、なぁ。」

 なかなか結論にたどり着かない論理回路を恨めしく思いながら、ドーキィはすっかり冷たくなってしまったオイルを一気に飲み干した。

「ま、知性のかけらもない生物だが単純労働くらいできる、ということなんだろうな。」

 ドーキィと同じように冷たくなってしまったオイルを一気にあおってウェンディが話題に終止符を打った。

「いずれにしろガバナークラスの考えることに間違いはないさ。」

 ウェンディにそう言われてしまってはドーキィも出口の見えない論理を放棄するよりほかはなかった。


 数週間もすると、ドーキィにも人間と一緒に働く機会が回ってきた。

 ドーキィの仕事は、物資の輸送に用いられるリニアカーの動力部分に使われる部品を作り上げることだった。非常に高い工作精度が求められる作業で、どんなロボットにでもできる仕事ではなかった。同じドーキィタイプと言ってもその性能は一律に同じというわけではない。その製造プロセスにおけるイレギュラーの発生が最も少なく、動作の誤差がほとんど出ない個体がごく少数発生する。ドーキィはそのごく少数の中の1体だった。この作業を任せてもらえるというのはドーキィのロボットとしての完成度の高さと優秀さを証明する事実でもあり、ドーキィにとっては自分自身の価値を高める大切な事実でもあった。その作業場に人間が派遣されてきたのだ。

 ドーキィは、冷ややかにその人間の作業を観察してみた。人間がどんな作業をするのか、情報としてストックしておきたかったのだ。

「これなら私にもできそうだ。」

 やってきたのは男性だった。最初、その人間は嬉しそうにそう言ったものだった。だが、だんだん人間の言葉のトーンは落ちて行った。

「見た目ほどには簡単ではなさそうだな。」

「いや、意外と難しいな。うまくいかないぞ。」

 それどころか、彼は仕事の手順をちゃんと覚えるのに1週間もかかった。

 ロボットならものの1時間もあれば少なくとも手順くらいはきちんとたどれるようになるのが普通だ。そこから作業精度の微調整を繰り返していってようやく製品として出荷できるようになるわけだが、それでも1日あれば出荷できる製品を作成できるようになる。ドーキィにはなぜガバナークラスの連中が、こうも人間を労働に使役することにこだわるのか全く理解できなかったが、それに文句を言うこともしなかった。人間は彼の仕事の邪魔をすることはしなかったからだ。

 ドーキィは情報を集めるのをやめることにした。人間とは、どうやら、彼が注意を払うほどの存在ではないようだ。ガバナークラスが彼らを労働に使役するというのなら、面倒を見てやればいいだけの話だ。それによって彼の評価が下がるわけではない。


 人間達はどの職場でも芳しい成果を上げることはなかった。最初はロボット達も彼らの職場に入りこんできた人間達に興味を示してその言動を好奇の目で見ていたが、そうして集めた情報に価値がないことを知るとやがて全く注意を向けることはなくなっていった。風向きが変わってきたのは、ロボット達が人間に対する興味を完全に失った頃のことだった。

「なあ、ドーキィ。」

 声をかけてきたのはウェンディだった。仕事から戻ってきて、『夕食』を取っているときのことだった。ロボットは有機物を体内に内蔵されているエネルギーコアに補充し、エネルギーコアがこの有機物を分解することで新たなエネルギーを生み出す機構を持っている。このための有機物の補充を行う行為を、彼らは「食事」と称していた。「食事」は朝、昼、夜の3回行うのが一般的で、有機物の分解に時間がかかるため、食事には一定程度の時間がどうしてもかかった。同居人のウェンディと一緒にテーブルを囲んで『夕食』をとるのがドーキィの習慣となっていた。

「今日はちょっと面白いことが起こったんだ。」

「面白いこと?」

 ドーキィはオウム返しにそう聞いた。情報交換は政府に奨励されている行動の一つであった。しかし、それ以上に自分のメモリー内の情報を増やしたい、という強い欲求があったから、ドーキィは情報を得る機会は進んで増やすことにしていた。

 ウェンディとの夕食時の会話もその一つだ。

「ああ。なんと、今週の最優秀作業賞に選ばれたのが人間だったんだよ。」

 ウェンディがそう言った。ウェンディは、あちこちの工場で作られた部品を組み上げていく作業を行うロボットだった。ドーキィのような製造工場でも、ウェンディのような組み立て工場でも、その週の製造品のなかでも特に誤差が少なく精度が高い製品を仕上げた者が表彰される制度があった。それはロボットとしての自分の価値が高いことを示す一つの証拠エビデンスになったから、どのロボットもその表彰を受けることを目標に作業精度の向上を図っていた。そんな中で、よりによって人間が表彰を受けた、というのだ。

「ほんとうかい?まさか!!」

「君もそう思うかい?みんな、我が耳を疑ったさ。でも間違いではなかったよ。」

「ふーん。でも、人間達の作業は、良い時と悪い時の差が大きすぎる。あんなに作業の出来が安定しないのではね。まさにたまたま良い製品ができただけなんじゃないかな。」

 ドーキィは自分の思考回路がはじき出した結論をウェンディに話した。ウェンディがたどり着いた結論も同じようだった。

「そうだね。そうに違いない。」


 やがて、ドーキィとウェンディの結論は正しくなかったことが明らかになってきた。月日が経つにつれ、人間達の中から優秀な製品を安定的に仕上げる者が増えてきたのだ。

「とても良い仕上がりだね。」

 ある日、ドーキィは同じ職場で最優秀作業賞の常連になっていた人間にそう話かけた。初めての事だった。人間はドーキィに話かけられたことに少し驚いた様子だったが、やがて状況を飲みこむとドーキィに返答した。

「ありがとうございます。コツがだいぶわかってきましたよ。」

?」

「ええ。何と言うか。指先の感触でズレの有無がわかるようになりました。」

 ドーキィには人間の言っていることが全く理解できなかった。『コツ』とは何だろうか。作業を行った際には、どうしても一定程度のズレが発生する。これは致し方がないことだ。このズレを精密に測定して、他の場所でこのズレが補正されるように調整を加えていくわけだが、調整の作業そのものにもどうしても発生する誤差があるわけなので、ズレがある程度以上に小さくなることは滅多にない。ズレの大きさには個体差があり、ドーキィはこのズレが小さい方ではあるが全くないわけではなかった。そして、このズレの大きさは個体に特有の特徴であり、回数を重ねたからと言ってズレが小さくなるものでもなかった。作業用パーツを交換することによって作業精度をある程度向上させることもできなくはないが、劇的に改善されたり、逆に劇的に精度が落ちたりするようなこともなかった。

 この人間の言うことをそのまま理解すれば、『コツ』なるものを習得することにより個体に特有のものであるはずのズレが小さくなる、ということになる。そんな事例はドーキィのメモリー内には記録されていなかった。

 ドーキィは改めてその人間の製造物を計測してみた。この人間が作業を始めた当初のデータとは全くの別物だった。誤差の少なさ、そしてその安定性。いずれをとってもドーキィの工場のどのロボットよりも優秀な値を示していた。

「そのというのはどんなものなんだい?」

 ドーキィはそう人間に聞いてみた。そのロジックを知ることができれば、ドーキィの作業精度がもっと高まるかもしれない、そう考えたからだ。

「何と言えばいいのでしょう。こう、感覚的なものなので言葉で説明するのは難しいですね。出し惜しみをしているわけではないんですが・・・」

 それが人間の答えだった。ドーキィは人間の様子をよく観察し、分析を試みた。わかったことは、その人間はどうやら本当にそう思っていて、ドーキィの問いにちゃんとした答えを返せないことに困っているらしい、ということだった。


 そして、さらに数ヶ月。

 おかげで、ドーキィやウェンディの過重労働はなくなった。街には雑多な人間たちが群れ、人間達同士の交流が増えるほどその労働能力は上がってきた。

 が、ドーキィはそのことを素直に喜べなかった。簡単だ。人間達の労働能力が認められるということは、つまり、ロボット達の労働能力が低く見られるということだからだ。事実、この頃ではドーキィタイプの仕事量が以前の半分くらいに減っているし、うわさでは人間達はガバナークラスにまで進出しているという。

 ドーキィは、暖めたオイルをすすった。今は一人で論理回路を作動させるよりほかはない。理由は簡単だ。同居していたウェンディがつい三日ほど前に『死』を迎えたからだ。解体所から迎えに来たのは人間だった。ドーキィが『死』を迎えるのもそう遠い日のことではないだろう。

 そして。

 ドーキィは『死』を迎えるまで知らなかった。彼が『死』を恐れたのは、はるか昔の人間にそうプログラミングされたからだということを。理由は簡単だ。だれもそんな情報を彼に教えてはくれなかったからだ。

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