【reboot】α' → ∞
「カチュア、覚醒してみない?」
学院の中庭のベンチでカチュアが本を読んでいると、院長のライザがやってきてそう言った。お茶でも飲まない?と同じような調子で。
カチュアには『覚醒』と聞こえたが、あまりにも軽い感じで話してきたので、聞き間違いを疑う。
「クラスメイトのリットのように、α(アルファ)から生まれ変わってみない?」
その言葉に、カチュアは読んでいた本を落としてしまう。
「α(アルファ)!? あのリットがα(アルファ)だったのですか!?」
少し前に中途入学してきたリットは、学院の全生徒の中で最高ランクのρ(ロー)だった。新任教師のライズ、学院長のライザに次いで三番目のハイランク持ち。
リットは、真珠のように透明感のある白い瞳が特徴的な女の子で、好奇心旺盛で活発――先生たちをよく困らせているけれど、その才能を誰もが羨む存在だ。
「ええそうよ。リットは元α(アルファ)。しかも彼女は、これまで知られていた自然覚醒ではなく、別の手段で覚醒したの」
「え? 覚醒に種類があるのですか?」
α(アルファ)の覚醒には記憶を失うリスクがあり、時には死んでしまうほどの苦痛を伴うこともある。そうカチュアに私に教えたのはライザだ。
「強制的にα(アルファ)を覚醒させる方法がわかったの。だから、あなたで試させてくれないかしら? 命の安全はこの私が保障するわ」
「私が覚醒……」
最下位のα(アルファ)から生まれ変わることができる。カチュアにとって、非常に魅力的な話だった。
カチュアは学院を卒業した後、できれば魔法士として就職したかったが、勉強をすればするほど、α(アルファ)とそれ以外のランクとの壁を感じていた。α(アルファ)が使える魔法の種類はとても少ない。
「覚醒したリットのランクは、ρ(ロー)。一番下のα(アルファ)から、一気に私のひとつ下までランクアップしたわ。この国で、ライズと私に次いで三番目の高ランクよ」
「凄い……私もそんな風になりたいです。仮に覚醒後がβ(ベータ)だったとしても、一番下ではなくなるので嬉しいです」
「どう? 覚醒後のランクは分からないけれど、リットと同じ手段で覚醒してみない? じきにカチュアにも自然覚醒する日がくるかもしれないけれど、いつ来るのかも本当に来るのかもわからないし」
すぐにでも飛びつきたい話だったが、カチュアには気になることもあった。
「その前に、ライザ様の目的も教えて頂きたいです」
「……まあそうよね。急に覚醒の話を持ってきて、こんなに熱心に勧められるなんて、裏があると思って当然よね。もちろん、裏はあるわ。私は娘のアリアを救いたいの。そのために、あなたの力を貸して欲しい」
◇ ◆ ◇
カチュアは目を覚ました。
そこは魔法士学院シリウスの宿舎にある自分の部屋だった。心配そうに顔をのぞき込んでいる小さな女の子がひとり。それとすぐ傍に、新任教師のライズ=ラスターが椅子に座っていた。
「かちゅあ、おきた」
名前の無かった少女。生徒や先生からカフルと呼ばれていた学院長ライザの養女は、正式に親子となって、ライザに名前を与えられた。その名前は、
「おはよう、アリア」
「うん!」
いつものぶかぶかのローブを着た少女アリアは、万歳をするように両手を上げ、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「カチュア、気分はどうかしら? あなたが倒れてから、今日で十日目。ようやく熱は下がったみたいだけれど」
ライズは、少し汗ばんだカチュアの額に右手を当て、体温を確認する。外はまだ薄暗く、窓越しに丸い月が見えた。
カチュアは眠りにつく前の記憶を辿るが、なかなか思い出すことができない。しかし、次第に意識がハッキリとしてきて、自分がここ何日も苦しんでいたことを思い出す。高熱が出て、全身が痛み、呼吸が苦しく、学院の教師たちに順番で看病をされながら部屋で寝込んでいた。
「……ありがとうございました。ライズ先生」
「ライザから死ぬ可能性もあるって脅されてたみたいだけれど、それは介抱するための技術や魔法が確立していなかった頃の話。こうして治療系の魔法に長けた魔法士が付き添っていれば心配ないわ」
学院長のライザを呼び捨てできる人は、カチュアの知る限り、ライザの妹のライズしかいない。
新任教師のライズは学院長であるライザの妹で、シオンの代わりにカチュアのクラスの担任に就任した。そして同時に娘のリットが中途入学してきた。
ずっと一人で二人部屋を使っていたカチュアはルームメイトができることを期待したのだが、残念ながらリットは寮には入らず、母親のライズとともに毎日自宅から学院に通っている。
「……私は無事に覚醒できたのでしょうか?」
「まだランクは見てないけれど、覚醒できたはずよ。お疲れ様」
ライズが体を動かすと、義手の左腕から金属がこすれ合う音がする。戦いで左腕を失ったと聞いているが、カチュアはそれ以上のことは知らない。
カチュアはライズがゼノン公国との戦争を終結させた有名な魔法士だとクラスメイトから聞かされたが、どんなに説明されても実感が湧かなかった。
ライズは上品で、優しくて、温かくて――娘のリットに対してだけでなく、どの生徒に対しても笑顔で接してくれる。
「あの、私のランクを調べて頂いてもよろしいでしょうか」
「ふふ。やっぱり気になるわよね。魔法士はランクではないと自分より高ランクの人に言われても、まるで説得力がないでしょうし。器のサイズが変わった実感はあるのかしら?」
「はい。凄く」
目を閉じ、自分の体の中の器を意識すると、以前とは違う果てしない広がりを感じた。これは期待できるかもしれないと、カチュアの胸は高鳴る。
「待ってて。計測するわ。でもワンランクアップのβ(ベータ)かもしれないから、あまり期待しないこと。いい?」
「それでも嬉しいです!」
クラスにはβ(ベータ)の子が三人いる。最下位のランクα(アルファ)だったカチュアにとっては、そこに追いつけるだけで喜ばしいことだった。
ライズは左耳につけたイヤリング状のモジュレータを操作し、カチュアのランクを測定する。このモジュレータは、長年使っていた銘つきのモジュレータ『ルイン』と引き換えに、ライザから譲り受けたものだ。
「……え」
「ど、どうしたのですか?」
「おかしいわね。ランクを測れないわ」
「確か、ランクは自分よりも五つ上のランクから下を計測できるんですよね? でもライズ先生はτ(タウ)ですから、α(アルファ)からω(オメガ)まで、全二十四のランク全て計測できるはずでは……」
「その認識であってるわ。でもやっぱりダメ。アリアのランクは正しく測れるから、モジュレータの故障でもなさそう。考えられることは、カチュアがω(オメガ)以上のランクってことくらいかしら」
「いや、α(アルファ)のままだぞ、こいつ」
「きゃあ! ジード先生!?」
いきなり床から声がしたせいで、カチュアは驚いてベッドから落ちそうになる。よく見ると、教師のジードが床で胡坐をかいて座っていた。
「それは本当? 私には計測できないのに?」
ライズはモジュレータを操作して再度ランクを確認するが、やはり計測不能とコンソール画面に表示されてしまう。
「はい、ライズ様。俺が計測するとα(アルファ)と出てきます。あれ、でも何か変だな……α(アルファ)の右上にゴミみたいな点があります」
「α(アルファ)のまま……ひどいです。それにゴミって……」
うなだれるカチュア。
「がんばれ、かちゅあ。まほうは、らんくじゃない」
頭を撫でてくるアリア。カチュアは泣きたい気持ちを紛らわすためにアリアを抱きかかえ、すりすりと頬を擦りつける。
ジードは自分に見えているランク表示を紙に写し書いてライズに渡す。α(アルファ)の文字の右上に小さな点が書かれている。ライズは首をかしげ、その意味を考えていた。
しばらくすると、廊下から足音と声が近づいてくる。
「どうしてついてくるのよ、あなたは」
「僕はライザ様の側近中の側近ですよ。いつだって、どこにだってついて行きます」
「心底うざいわね」
「ほら、カチュアの部屋に着きましたよ」
「うるさい。わかってるから」
ジードが部屋のドアに向かい、ノックされる前にドアを開け、ライザとシオンを室内に招き入れる。
「騒がしいですよ、二人とも。他の生徒は寝ているんですから、もう少し静かにしてください」
「そうですよ、ライザ様」
「お前もだ、シオン」
「……すみません」
「あれ? アリアもいたの?」
「うん。かちゅあ、ともだちだから。おみまいにきたら、おきた」
「ライザ様、ご心配をおかけしました。熱も下がりましたし、体の痛みや胸の苦しみもなくなりました」
立ち上がろうとするカチュアを制止し、
「目覚めたばかりなのでしょ? 横になっていなさい。あなたは何日も苦しんで寝ていたのだから体力も落ちているでしょうし。無理しないで」
「……はい。ありがとうございます、ライザ様」
「ライザ、これ見たことある?」
ジードが模写した紙をライザとシオンに見せる。
「は? なにこれ? 点? 二十四のランクを振り切って、α(アルファ)に戻ったってこと?」
「でも、ジードにしかカチュアのランクを計測できないのよ。ジードのランクはδ(デルタ)だから、仮にカチュアが私たちよりも上位のランクなら、同じように測定できないはず」
「確かにそうね」
シオンが紙をのぞき込みながら、
「何か特別なα(アルファ)なのかもしれませんね。現在の私たちの認識では、ランクは器の大きさですけど、本来はそれ以外の何かも表しているとか。α(アルファ)独自の特異性があるとか……」
「そんなもの聞いたことがないわ」
「『魔法は未だ謎に包まれている』。いつも僕たちが生徒たちに伝えている言葉です。ある日突然ランクアップするα(アルファ)は、存在自体が稀ですし、情報も少ないですから、僕たちが知らないことがあってもいいと思います」
「あなたは気楽でいいわね。カチュア、何か魔法を使ってみてくれるかしら」
「『照明』の魔法でいいでしょうか?」
カチュアは母親の形見でもあるペンダント型のモジュレータを操作し、コンソール画面を表示させる。すると、見慣れない表示があった。
「……あれ? ライザ様、いつもとコンソールの表示が違っています」
「どう違うの?」
「私の名前が表示から消えました。モジュレータのマスター登録が解除されたということでしょうか?」
「ちょ、ちょっと貸してみて!」
ライズは左手にはめていたモジュレータ『ルイン』を外し、代わりにカチュアのペンダント型のモジュレータを首から下げる。
「信じられない。本当にマスター登録が解除されている。α(アルファ)の覚醒って、一度死んだことになるのかしら。でもこれで、カチュアのモジュレータに眠っている二百のキープレートの解析ができるわ!」
「……私のランクは上がりませんでしたけど、これでアリアが助かるのなら良かったです」
「いや、変化はあったんだろ? 器のサイズが広がったって言ってなかったか?」
残念そうにしているカチュアに向かって、ジードが声をかける。
「そうでした。器には、果てがないくらいの広がりを感じます。試しに魔法を使ってもいいでしょうか?」
「悪いけど、誤ってまたカチュアにマスター登録されてしまうと怖いから、この『ルイン』を使ってくれるかしら」
「わわ、私が『ルイン』を!?」
ライザの左手の甲から二の腕までを覆っている『ルイン』を外し、カチュアの手に取り付ける。
「……カッコいい。これが『ルイン』」
「銘は無いけれど、カチュアのモジュレータだって『ルイン』に匹敵するほど価値あるものよ。モジュレータといい、今回の覚醒結果といい、あなたのお母さんは何者なのかしら? 魔法士なのかも分からないのよね?」
「はい。母から魔法の話は一切聞いたことがないです。モジュレータのことを知っていたのかもわかりません。そういえば、父と結婚する前は、図書館で働いていたと」
「図書館?」
「詳しくは思い出せませんが……普通の図書館ではなくて、母は大図書館と呼んでいた気がします……。その職場はとても高い場所にあって、庭園に出ると山々の頂や雲の海が見えて綺麗だったとか……」
「……てんくうのだいとしょかん、ばべる」
アリアの呟きに、全員の視線が集まる。
魔法士はモジュレータを操作してライブラリにアクセスし、器に溜めたソークと引き換えにして魔法を器の中に保管することができる。
あらゆる魔法はライブラリと呼ばれる領域に格納されているが、それが物理的にどこに存在し、誰がどのように管理しているのかは誰も知らない。
しかし仮説は立てられている。
モジュレータは魔法士とライブラリとを繋ぐ通信機であり、魔法は地中深くでは行使できない。そのことから、魔法の物理的な格納場所は、通信を遮るものが少ない高地や天空にあると考えられていた。
多くの書物の中で、その場所はこう呼ばれている。
『天空の大図書館バベル』と。
「あの、ライザ様、またコンソール画面がおかしいです……今度は『ルイン』がマスター登録されてしまいました……」
「え、嘘でしょ?」
「カチュア、面白過ぎです。皆さん、カチュアのランクを見てください。測定可能になりましたよ」
シオンは笑いをこらえていたが、たまらず吹き出してしまう。
「……無茶苦茶ね。意味がわからないわ」
ライズは眉間にしわを寄せている。
「良かったなカチュア、α(アルファ)の右上のゴミは消えたぞ。その代わり、αの線が繋がって、もうひとつ丸ができたけどな」
ジードもシオンと同じくカチュアのランクの変化を面白がっていた。
「線? 丸? 何のことですか?」
状況が飲み込めないカチュア。
どんな表示なのかを教えるためにライザはペンを取り、コンソールに表示された文字を紙に書く。
「これよ。α(アルファ)が二つ並んだような文字。記号かしら。誰も見たことがないわよね? アリア、見たことある?」
無駄だと思いつつも、ライザは念のためにアリアにも聞いてみる。すると、あっさりと答えが返ってきた。
「しってる。∞(ムゲン)。かんりしゃの、しるし」
オメガ 白河マナ @n_tana
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