【end】δ - delta



 病院は好きじゃない。

 妹のルシアは、生まれたときから体が弱く、週に一度は欠かさず通院していた。その頃のことを思い出してしまう。


「楽しそうだな」


 鼻歌を歌いながらリンゴの皮を剥いているラーチェに言う。


「看護師になるのが私の夢でしたから」


 切ったリンゴを皿に乗せて差し出してくる。

 少し悩んでから一切れを取って口に入れる。腕を動かしたときに肩口が激しく痛んだが、しゃりしゃりという音が鳴るほど新鮮で美味いリンゴだった。


 俺は気を失っている間に、ライザ様の魔法でクライトに送られ、そして目の前にいるラーチェという女魔法士が病院に運んでくれたらしい。


「ところで、」


「なんでしょう」


「どうして毎日ここに来るんだ」


「ライザ様に、自殺しようとしたら止めるようにと言われてます。監視役ですよ」


 さらりと答える。


「死にはしないさ」


 今は、まだ。

 ライズ様が目を覚ますまでは、死ねない。


「俺は取り返しのつかないことをした」


「私もよくします」


 ラーチェの平和的な微笑みは、俺を若干苛立たせた。


「きっとお前のとは比較にならない」


 つい、強い口調になってしまう。


「何も知らないからそんなことが言えるんだ。俺はたったひとりの人間を守るために、シリウスやライザ様を裏切った。沢山の人が死んだ。俺が殺したのと同じだ」


 ラーチェもリンゴを一切れ取り、小さな口でその三分の一をかじる。


「なかなか難しい問題ですね。でも、たとえば、過去をやり直せることになりましたら、ジードさんはその『守るべき人』を見捨てるのでしょうか。どんな犠牲を払ってでも助けたかったのではないのですか」


「……」


 その覚悟でいた。

 過去に戻っても俺は同じ行動をとるだろう。


「そうなのでしたら、それが最良の選択だったのだと思います」


「結果が最悪だった」


「ジードさんにライズ様、リットちゃん、ライザ様もシオン様も生きています」


 ルシアが死んだ。

 リアの村人たちが大勢死んだ。


 ライズ様とリットは心身ともに深く傷ついた。ライズ様は左腕を失い、眠ったまま今も目を覚まさない。一方のリットは、村のことや母親のことで心を痛め、口数も少なくなり酷く閉鎖的になっている。


 俺は。

 妹のルシアを救うためにクライトに帰ってきた。妹はおろか誰ひとり救えなかった。悪戯に様々な人を戦いに巻き込み、傷つけ、死なせてしまっただけだ。


 何をしていた?

 俺は何をしていたのだろうか。

 俺のしたことに意味はあったのだろうか。

 俺はライズ様に剣を向けたあの時に殺されるべきだった。

 死で償えるとは思えない。

 だが、生きて償う方法も見つからない。


「誰もあなたを責めていませんよ。ライズ様もリットちゃんも、あなたを責めるようなことは一言も言ってません」


「ライズ様は、目を覚ましたのか」


「はい、今朝。意識もはっきりしてます。腕は治りませんでしたけど、一週間もすれば退院できると思います」


 ベッドから出ようとしたが、身動きがとれない。

 ラーチェの魔法か……。


「いま、ライズ様はリットちゃんと話をしています。今回のことで一番傷ついたのは、あなたではありません」


「……そうだな」


 リットの笑顔が目に浮かぶ。

 良かった。本当に。


「そういえばジードさん、シナを覚えていますか」


「ああ」


 学院で働いていた女だ。ライザ様の代わりにシリウスについて教えてくれた。その後、風呂に入って、シナの料理を食べて、生徒に囲まれて疲れるほど話をして──つい最近のことなのに、何年も昔のことに感じられて妙に懐かしかった。


「学院に来たときには宿舎に寄ってください、とのことです」


「気が向いたらな」


「もう一つ、ライザ様から伝言があります」


 リンゴの無くなった皿を台の上に置いて、ラーチェはやや表情を引き締める。


「退院後、あなたを学院の講師として招きたいそうです」


「断る」


「少しは考えてください」


 即答した俺に困り顔で言う。


「子どもは嫌いだ」


「ですが、子どもたちはあなたのことを気に入っているようですよ。あなたには人を惹きつける何かがあるとシナが言っていました」


「子どもは珍しいものに興味を持つからな」


「それだけでしょうか」


 それだけだと断言する俺に、


「ジードさんは生徒たちの一つの可能性なのです。私は生徒に、学院を出ても魔法士になることはない、と教えています。ランク持ちだからって、魔法士になる理由はないですし、子どもたちのあまたある可能性を潰したくないのです」


「殊勝な心がけだな」


 幼いころの俺が、剣の道に進みたいと言ったとき、支持してくれたのはライザ様と僅かな人たちだけだった。


「結論は、私にではなく、退院したときにライザ様に直接お伝えください。時間が経って心変わりすることを願っています」


 俺は無言で頷いた。

 たとえどれだけ時間が経っても、心変わりなどするはずがなかった。少なくとも退院の日のあの瞬間までは、そう思っていた。









*****









 退院の日、


 俺はライズ様の病室を訪ねた


 部屋に入るとリットに抱きつかれた


 翳りのない無邪気な顔で


 俺の名を呼び、笑う




 俺がリットに謝ると


 何のこと?


 と言った


 ライズ様はリットに、


 街に行って果物を買って来るように頼んだ




 二人になり


 静かな病室で


 これが正しいことだとは思えないけれど


 と、ライズ様は呟いた




 ライズ様の耳には


 ライザ様のモジュレータがついていた


 きっと魔法でリットの記憶の一部を消したのだ




 俺は、


 ライズ様に謝罪した




 村に争いを持ち込んだこと


 指示に従わず村に引き返したこと


 何も出来なかったこと




 そして


 妹のルシアが殺されていたこと


 それらをすべて伝え、


 ナイフを自分の首筋に当てた




 ライズ様は、


「死ぬのは勝手だけど、その前に後ろを見てみなさい」


 と、微笑む




 俺は、


 振り返った




 そこには──


 失ったはずの──


 俺の──


 希望があった




 全てを放り投げてでも


 救いたかった


 妹ルシアの姿があった


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