活字の虚空

彩世 小夜

ニワトコの庭

「本? あぁこれね、この間来た旅人さんをうちに泊めたらお礼にくれたの。あとジャムってやつも。そうそう、今食べてたやつ。最近はカノンと一緒にケーキにのせて食べたんだけどこれが美味しくて……え? 欲しい? ジャムじゃなくて本が? やだよ、意外と面白かったんだから。

 本が欲しいなら、村の反対側にニワトコの姉さんがやってる図書館あるからそっち行けば? というかそこが目的地だったんだっけか。それか王都の方とか。こんな感じの本ならごまんとあるだろうし……行ったことある? そこになかったの? じゃあもううちの村にもないでしょ。でも本探しの旅してるなんて、不思議な人だねぇ。おにーさんの街にだって本屋の一つや二つあるでしょ。まあ戦争まがいのアレが終わったからこそ自由にできるんだろうけど。

 ……ねえ、それより魔法のマッチでもどう? きっと素敵な夢が見られるよ。まあ、寝る方のじゃないんだけどね」



 手には図書館への地図が書かれた覚え書と燐寸が一箱。まんまと騙されたなぁと、肩にかけた鞄にしまい込んだ。それから改めて目の前の建物を見上げる。少年が言うには塔を囲むように本館が円状にぐるりと建てられているらしい。中央の塔は司書の住居だと言っていたが、いたずらっ子のような笑顔でそう語った彼の言うことを信じたくないという気持ちがむくむくと膨らんでいく。鞄の中の燐寸箱を思うと、こんな簡単に騙された自分に対する負の感情まで顔を出すから忘れることにした。

 重そうな木製の扉をそっと押す。見かけによらず簡単に開いたその隙間から、本の匂いがぶわっと吹きつけてきた。こういう、インキと紙とそこに詰まった冒険の匂いというものには、誰もが惹かれるんだと思う。僕もそんな人間の一人だ。本を読まないわけじゃないし、物書きの真似事をしたことだってある。到底人に見せられるようなものではないが。

数日ぶりのその匂いを胸いっぱい吸い込んでから、隙間からするりと館内へ入った。

 見上げるほど高い本棚にびっしり詰まった冒険の地図。それが右を見ても左を見てもどこまでも続いている。薄暗い館内でも、僅かな照明を受けてきらりと輝く背表紙はあちこちに見えた。そこかしこを漂ういろんな世界の気配に耐えきれず、ほぅ、と息を吐く。

「あ〜、お兄さん戸は閉めて」

「うわひゃ」

 間抜けな悲鳴を上げて後ずさる。ついでに後ろ手でちゃんと扉を閉めた。驚きのあまりばくばくと鳴る心臓を落ち着かせようと深呼吸をしながらあたりを見回す。と、視界の上の隅に白い影が見えた。恐る恐る見あげれば、白っぽい服に身を包んだ女性の姿。本棚にかかったはしごの上の方にいるようだった。こんな目立つ色の服なら、流石に気づくだろうに。すると彼女は、まるで頭の中でも読んだかのようにこう言った。

「さっきまでもっと上にいたからね、気づかないんじゃない?」

「まだ上があるんですか……うわ」

 突然、彼女がはしごから飛び降りる。相当高いところから降りたのに、まるで白鳥のごとく服の袖や裾を広げふんわりと着地したものだから、思わず拍手を送った。ちゃんと降りてくるより楽じゃない、と少し自慢げに彼女は言う。少なくとも僕はそうは思わないけど伝えないことにした。

「あの、あなたがニワトコさんですか?」

「あ、やっぱりクリスに聞いたのね、ここの事」

 彼女はちょいちょい、と手招きをして、奥の方へと歩いていく。どうやらついて来いと言われているようだ。迷わず進んでいく様子から彼女がここの司書のような人であることも間違いないだろう。大人しくついていくことにした。

「そうそう、ついでにマッチも売りつけられた? 魔法のマッチだよ〜とか言われて。それ、意外と本物かもしれないよ? 大事にとっておくか、いっそ使ってしまうといい。ああ、もちろんここで使っちゃだめね。使うならお外でどうぞ〜」

「はあ」

 ニワトコさんは途中で本棚から何冊も本を取り出しつつ歩いていく。しばらくして読書が出来るような場所にたどり着いた。彼女はいくつか机が並んでいるうちから一つに座り、こちらにも座るよう促してくる。言われるがまま座れば、積み上げられた本の山で相手の顔が見えづらくなった。

「その、そんなに本積み上げてどうするんですか」

「本ですることなんて読むか押し花作るかでしょ。もちろん読むのよ。私の本とはいえこんなにあると内容忘れちゃったりするしね、たまには読み直さないと」

「まるで本当にここに住んでいるみたいな言い草ですね」

「あたりまえじゃんここ私んち」

「え、本当だったんですか」

 本の山を左右に分けながら、もちろんと言わんばかりにニワトコさんは頷く。脳裏によぎったのはクリスとかいうあの怪しい燐寸売りの少年だ。ほら見たと言うようににっこりと笑う姿がありありと思い浮かんでしまった。頭を抱える僕をおいて、彼女は右の山から本を一冊取り出した。そのまま表紙を開き、ぺらりと頁を捲る。内容を覗こうとすれば、見たこともない文字の羅列が視界に飛び込んだ。他の本の背表紙を見てもわからない言語ばかりだ。目を白黒させる僕に気づいたのだろう、ニワトコさんがんふふ、と笑い声を零した。

「色んな国の本があるからね。読めないでしょ」

 頷く僕への返答もそこそこに彼女はまた読書を再開した。しばらく様子を見ていたけれど、彼女は完全に本に夢中なようだ。どうにか分かる単語はないかと一緒に目で追ったり、積み上げられた本の山を見てみたりしたがどれも徒労に終わった。ぐったり肩を落とした時、頃合いを見計らったかのように彼女が本を閉じた。まるで誕生日のごちそうでも食べ終わったかのようにぺろりと唇を舐め、何もしていないのに疲れ切っている僕を見てにこりと笑顔を向ける。

「そうだお兄さん、こんな隅っこの村の図書館まで何しに来たの? 王都に行けばもっといい図書館があるでしょうに」

 そう聞く彼女の指先が次の本に向かっているのを横目に、僕は提げていた肩掛け鞄から大きめの袋を取り出した。すると彼女の指がぴたりと止まった。なにそれ、と言わんばかりに輝かせた目に苦笑を返しながら中身を取り出す。それを見た彼女はぽそりと言う。

「手紙……ずいぶんたくさんあるのね」

「えへへ、僕もびっくりしてます」

「見ても?」

 もちろんと頷けば、彼女は恭しく手紙を手にとった。一度剥がされた跡のある蝋封をぺり、と剥がし、中の便箋を取り出す。開いて、上から下までざっと見、こちらを見る。

「残念、この言語は読めなかった」

「他と比べて閉鎖的な東洋の言語ですからね、読めなくて正解だと思います」

「ふうん……じゃあ手紙の内容などなど、大まかにどうぞ」

「えぇ……えっとですね……」

 当たり前のことをいうかのように、彼女はそう言った。完全に聞く姿勢に入った彼女から丁寧に戻された便箋を受け取りつつ、僕は口を開いた。話の内容はもちろん、手紙の内容とこの旅のはじまりについて。





 僕の故郷のある二東はとにかく島だらけの国だ。移動はもちろん船。己の住んでいる島に必ず店があるとも限らないという、なんとも不便で、しかし自然に溢れた穏やかな国である。

 自宅がある島から船で十分ほど海を進んだところ。落ち着く匂いが充満する、行きつけの古本屋の中。未だに見慣れない背表紙を取り出した拍子に、足元に紙っぺらが落ちる音がした。それは薄暗い店内の淡い光に反射して、ぼんやり黄色に光って見えた。手に取って見れば、どうやら薄桃色の封筒のようだ。外国語はまだ辞書がないと読めない僕には、筆記体で書かれた宛先と差出人は読めなかった。と、背後から顔なじみの店主がぬっと顔を出してきた。

「ひえ」

「お兄さんなんじゃそりゃ、手紙なんてもんうちじゃ扱っとらんはずなんだけど」

「……この本から落ちてきたみたいです」

「ほぉ」

 興味なさそうにそう返す店主に思わず笑いがこみ上げてくる。相変わらず本以外に関心のない人だ。この古本屋に並ぶものはすべて店主の好みなこともあり、話の種類も相当偏っているせいか、あまり人が入っているところを見ない。僕には好みのものばかりなのでありがたく利用させてもらっているが、そろそろ万人受けするものも入れたほうがいいのでは、と言ってみたことがあった。もちろん無視された。

 僕の肩に顎を乗せ、満足気に本棚を眺める店主は、手紙への関心はすっかり消え失せているようだった。男二人がくっついているところを見て、珍しく来ていたお客さんがそそくさとその場を後にするところが見えた。やはりまだ見慣れないのだろう。なんだか申し訳ない。お客さんにも、万年赤字の店主にも。

 ただ、こうくつろぎ始めた店主を動かすには、何か買うしか他に方法がない。仕方なく目についた本を抜き取って、会計がしたいことを目で訴えた。幸いここの本ならどれを選んでも僕の好みになることは、通い続けた数年で理解している。適当に抜き出した本だって、あっという間に僕を冒険へ誘ってくれるのだから。

 渋々動いた彼の後に続いて会計を済ませる。店主が本を袋に詰めているところで、僕は先程の手紙を改めて見せた。

紅晴べにばさん、これもらっていいですか?」

「売れなさそうだしいいよ」

 僕の手元も見ずに袋を差し出した彼は、そう言うやいなや、奥に引っ込んで山積みの本に埋もれていった。あっという間にこの手紙にも、僕にすら無関心になった彼の強い本への執着に、もはや尊敬のようなものまで感じられる。丸まって本を漁る背中をしばらく眺めてから、僕は本屋を後にした。


「ん〜……でぃ、でぃあ……し、んあいなる、こう……薫衣か」

 帰ってすぐ家にある辞書を引っ張り出し、封筒の上に流暢な字で書かれた宛先を読む。薫衣とは、これが挟まれていた本の作者の名だ。まあその人の本から落ちてきたのだから、それが書かれているのは当たり前なのかもしれないが。もしくは同名の誰かに宛てられた恋文だろうか。可能性は薄いとしても、もしかしたらそんな事があるかもしれない。この国じゃ別に薫衣なんて名前は珍しくないわけだし。うん。

 宛先はさておき、差出人の方を読む。表とにらめっこしながら解読すると、こちらもよくいそうな名前が書かれているのがわかった。封筒の染みの具合から、そこそこの期間本の間で息を潜めていたのだろうと予想できた。

 さて、と僕は封筒の封を開けた。思いの外きれいに開いた中には、封筒と同じ色の便箋が丁寧に折られて入っていた。中は、宛先とは違ってこの国の母国語で書かれていた。





『これが、最後のお手紙になります。

 今まで私の独り言に付き合ってくれてありがとうございました。もしかしたら、届いてすらいないのかもしれないですけどね。

 一番最初のお手紙でも書きましたけど、私は、あなたとあなたの物語に出会えて、本当の本当に幸せでした。この物語を生んでくれてありがとう。私の希望になってくれてありがとう。夢に、目標になってくれて、ありがとう。

 一度でいいからお会いしたかったです。どうかいつかの私に会ったら、この手紙の話をしてほしいです。過去でも未来でも、私は必ず先生のファンになりますから。


                     神埼 紫陽花』



 うずうずした。明らかに前回が、あるいはもっと長い間手紙を書いていた、という事実。最初と最後の一文に、この手紙のすべてが詰まっている。何度も書き直したようなぼこぼこしたあとに指を滑らせる。インキの滲む跡、下書きを何度も消されてよれた紙。自分も好きな作家に手紙を書こうとしたことがあるから何となく分かる。何度も読み直しては、もっとましな文を、もっと思いの伝わる文をと便箋を丸める。きっとこの人もこの作者を想っている。前の物語が知りたい。この人の初めの思いが知りたい。

 そっと手紙を元の形に戻してからの僕の行動は速かった。大きめの肩掛け鞄に、お金と数日分の服、頑張って厳選した本と、さっきの手紙を詰めこんだ。だって僕は「読む人間」だ。続きがあると知れば追いかけたくなる。今までだって同じような理由で、外の国まで廃盤になった本を買いに行ったものだ。それが今回は手紙だというだけのこと。この存在を知ってしまったら見つけなければいけない気がした。誰にも見つけてもらえない創作物ほど悲しい生き物はいないだろうから。

 ひとつ息を吐いて、家の鍵を締めた。こうして僕の、宛ても終わりもない旅が始まったのだ。




「___ふうん、ほうほうほう、へえ〜〜」

「な、なんですか、人が真面目に話してあげたのにそのゆるい笑顔」

「いんや? せっかくならもっと聞きたかったけど……残念残念」

 自分の頬を触って必死に笑みを隠そうとするニワトコさん。ふと何か思ったのか、緩ませていた頬をしゃきっと元に戻した。それから咳払いを一つ、それで、と言いながら机の上で手を組んだ。

「お兄さんはこの人が書いた本……というより手紙を探しに来たわけね」

「そうです。あと見つかっていないのが、一番最初の手紙だと思うんです」

 そう答えると、彼女は一度僕の顔をじいっと見て、それから本の山を崩し始めた。まさか、と彼女の手元を見ていれば、

「顔立ちでこの文ならわかるかなって一冊出しといたの。確か貰い物だったかなぁ。どう? この言語であってる?」

 彼女が本の山の中からひら、と文庫本を取り出す。見知った文字の羅列になんだか安心する。しかも表紙に書かれた題名と著者名はあの作家のもの。ありきたりな表現ではあるがまるで魔法のようだ。僕は何度も頷いた。

「はい、これです……あぁ、ありました、手紙」

 本を受け取り、その隙間から顔を出していた封筒を抜き出した。彼女はどこか得意げに笑いながら、少し前のめり気味に手紙を見る。

「こんな村外れの図書館にもあるだなんてねぇ、運命ってやつかしら?」

「ふふ、そうかもですね」

「開けて開けて」

 小さな子供のようにそうせがまれながら、恐る恐る封を開けた。ゆっくり便箋を開く僕を、彼女がじっと見ている気がする。でも一文目に目を通せば、そわそわとこちらを見る目も気にならなくなった。

『先生へ』

 丸っこくて、今までで一番緊張に歪んでいて、どこか幼い文字たち。便箋三枚にびっしり詰められた感情。一文目を読み出せば、今までの手紙の内容が頭を駆けていく。ところどころ滲んだインキに指を滑らせながら、一文字いちもじに時間をかけて読む。

 それからおしまいのおしまいまで読み切って、さっきのようにゆっくりと便箋をたたんだ。

「……これが、”さいご“の手紙ですね」

 それを聞いた彼女は、そっと笑った。


『あなたや本と出会えて本当に良かったです』

 出だしの一文を何度も口の中で転がして、優しい人肌を、文字の向こうに誰もいない冷たさを、言葉と一緒に必死に飲み込んだ。



「あぁ、ところでなんで僕が販売所の子……ええと、クリスくん? からここを聞いてきたってわかったんですか?」

 出口へ向かう途中、ずっと気になっていたことを口にする。彼女は一瞬なんのことだというような顔をしてから、ああそれは、と手をひらひらさせた。

「私の呼び方だよ」

「……ニワトコさん?」

 それ、と彼女が僕を指差す。

「ニワトコなんて呼ぶの、もうクリスくらいだから。というかまず私そんな名前名乗ったことないもん。まあ私の名前の話はいいとして、お兄さん名前は? 東洋の人だから、お花の名前なのかしら」

「おっしゃるとおり。こうい と言います。村瀬 薫衣むらせ こうい。どうやって書くかも教えますか?」

「聞いたところでわからないし書くこともないだろうからいい……ううんやっぱり聞く。書くことある」

 言い方に思わずふふ、と笑ってしまう。紙の端にさらさらと名前を書く。受け取った彼女はそれをじっと見てから、暗号みたいね、と笑った。

「ちゃんとあなたの国の言葉でも雅号書いといてあげる。あなたの熱狂的なファンさんがこれ見て、あぁここにあなたが来たんだってわかるようにね」

「……きっと来ないのにですか」

「だからこそよ、いつまた来るかなんてわからないじゃない」

 ここはいろんなものがやってくる図書館だから。彼女はそう言って、今日一番の優しい笑顔を浮かべた。

 たしかに彼女はその渾名のとおり、苦しみを癒す人なのだろう。







 図書館の戸が背後で閉まる音がした。鞄をかけ直し、自国へと歩こうとしたところで、鞄の中でかたかた音を立てる存在を思い出した。取り出したそれは、箱の表に雪を纏った女性と橙色の花々が描かれている――あの少年に買わされた燐寸だ。

 一瞬迷ってから箱から一本取り出し、ぎこちなく燐寸を擦る。途端に指先で、あの少年を瞳を思わせる橙色が揺れた。

 試しにそっと封筒にかざす。すると優しい光は人の形をとりはじめ、旅の途中に遺影で見た少女の姿に変わっていく。何度か目を瞬かせた。確かに魔法だ。見るばかりだった魔法を、僕は自分の手で起こしている。少し熱くなった体を冷ますように息を吐く。ゆらゆら揺らめくその子としっかり目を合わせた。

「――手紙読んだよ、遅くなりました。僕の物語に夢を見てくれてありがとう」

 少女はにっこり笑う。その場で一度優雅にお辞儀をすると、くるりと身を翻して何処かへ駆けていく。目に焼き付いた残像とは裏腹に、その背は瞬く間に消え去った。まるで一瞬の夢のように。

 僕もたった一年の夢から覚めるときだ。淡く揺れる橙にふっと息を吹きかけ、封筒を本の間にはさみ直した。

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