「ジャンヌ・ダルクの侵食」その3
早速なのだが、とはいえ、困った。
何が「とはいえ」なのか、それは僕自身がジャンヌ・ダルクに接触する方法を知らないからなのである。丁寧さんの話を聞いて半ば確信を得たものの、肝心の教祖様にお目にかかれなくてはどうしようもない。無論だが僕は宗教などのその手のものには一切興味が無い。つまりはこの仕事自体がそもそもやりにくい案件なのだ。
「・・・どうしようか」
事務所に戻ってきた僕は、タバコ代わりのココアシガレットを咥えながら呆然としていた。茫洋としていた。ボーッとしていた。
そんな時、普段はおよそ使うことの無い携帯電話に着信が来た。ピポパペと着信音が鳴り響くが、同時にひどく嫌な予感がした。電話を掛けてきた主は-
「ハロー♪」
今回の依頼主、相生御景であった。
「切ってもいいですか」
「あらあら、いいの?せっかくジャンヌ・ダルクに会える機会をあげようと思ったのに」
「えっ」
「そろそろ困る頃だろうと思って、ね♪それで?お返事は?」
「・・・」
「あらあら?もしもーし?んもぅ、電波悪いのかしら?」
「・・・・・・ます」
「ん?なーに?よく聞き取れなかったのだけど」
「・・・・・・・・・・・・お願いします」
「よろしい♪」
おそらく、今の僕は誰にも見せたことの無いような形相をしているのだろう。この手のひらで踊らされている感覚がたまらなく嫌いなんだ。というか、生理的に無理。ああ嫌だ、いらない事まで思い出しそうだ。とりあえず後で着信拒否リストに入れておこう。
「それで、どこで会えるんです」
「それが次の日曜日に新刈菜町で講演会を開くんですって。人気者って大変ねえ、全国どこでもお呼ばれしたら行かなきゃいけないなんて」
「どこかの無名占い師さんとは大違いですね」
「失礼ね、無名ではないわよ?ほんの少しだけ、名が通ってるんだから」
「一緒です」
「話を戻すけど、この機会を逃したらあなたが彼女を追いかけ回すハメになるわよ?向こうから来てくれる時を逃す手はないと思うけど?」
言う事を聞かざるを得ない状況なのがハラワタ煮えくり返ってしょうがないが、言われている事は至極真っ当である。なにより、事を早く済ませたい。この人に関わるのは仕事うんぬんの前にもうごめんだ。
「時間はいつです」
「ん、昼下がりの14時からね。場所は市民ホールだそうよ」
「あなたは来るんですか」
「なんと講演会のゲストとして呼ばれていまーす♪」
たぶんジャンヌ・ダルクは人を見る目が無いんだと思う。ここまで胡散臭い人に目をつけるとは。
「はいはいわかりましたよ」
「んもぅ、私の頼みだからって適当な返事してるわね?」
「いつも誰にもこんなものですよ、じゃ」
雑に電話を切ってデスクにぽいと放り投げる。と、そこで初めて気づいた。嗅いだ事のない匂いがほのかにする。例えるなら、オーブンの中でじっくり火を通している焼き菓子のような少し甘ったるい匂い。なんだろう、香水?
「・・・まあ、いっか」
たまに外から変な匂いが流れてくる事もあるし、それかもしれない。色々な事があり過ぎて少し頭痛がしてきた気がする。少し寝よう。
「あの人に関わると疲れる・・・」
---
なんだかんだで日曜日が訪れるまで平穏に過ごしていた。これから一気に数日分の疲労に襲われるんだろうけど。
そんなわけで僕は犬耳フードのついたパーカーに下がジャージといういかにも休日感満載かつズボラ極まりない私服姿で新刈菜町へとやって来た。背丈の低さもあってか、この格好で過去に何度か職務質問を受けた事もある。良く言えば若く見えるのだろうが、まだ20代なのでそこまで老け込んだ覚えもない。
「こっちに来るのも久しぶりだな〜」
町は記憶通りの賑やかさで、それでいて雰囲気の変わらなさになんだか妙な安心感を覚える。浮世離れしてるのかな、僕は。
さて、例の講演会の時間まであと少しだけ余裕がある。先輩と合流してもよかったのだが連絡を取ったところ、
『私は一応関係者の立場なので会えませーん♪』
と言われた。逆にそれでいいよ。もし会おうとするものなら近くの喫茶店にでも逃げ込もうと考えてたから。なので、早めに会場入りする事にした。
中には既にちらほらと席について主役の登場を待っている人達もいれば、半ば無理やり連れてこられたであろう気だるげな人もいる。入口には熱心な信者なのだろうか、パンフレットを配って布教しようと躍起になっているのもいたが貰うだけ貰ってスルーしておいた。
「ジャンヌ・ダルク、ねえ」
かつて神の声を聞いたとして人々を立ち上がらせ、フランスを救ったとされる英雄その人が現代に再び蘇ったとでも言うのか。いったい人々は、何を思って彼女に惹かれ崇めるのだろう。その謎もこれから、解けるのかもしれない。
「お待たせいたしました、ただいまよりジャンヌ・ダルク聖女様による特別講演会を始めさせていただきます。ご来場の皆様、どうぞ温かい拍手にて聖女様をお迎えくださいませ。」
なんだか仰々しい口上から始まり、温かいどころか一部割れんばかりの拍手が聞こえてくる。おいおい、ここはコンサート会場ではないぞ。
しばらくしてから、聞き慣れない曲と共に袖の方から一人の女性がしずしずと歩いて登場してきた。
腰まではあろうという光を反射するくらいに眩しく長い金髪に純白の衣装、まるで悟りを開いたかのような穏やかな微笑みを浮かべた若い人。僕は第一印象としてモナリザを思い浮かべた。それにしても、思った以上に若いなこの人。もっとおばさんな人を想像してたけど。けど史実のジャンヌ・ダルクも若くして死んでしまったと聞くし、こんなものなのかもしれない。
「本日は温かい歓迎、ありがとうございます。私は我が主である神より啓示を受けまして、一人でも多くの方々に安心と幸福を与える事を使命として全国を回っております。私の言葉でどれだけ皆様の心に届きますかは分かりませんが、この場ではどうぞ、リラックスして耳を傾けていただけますようお願い致します。」
子どものようなあどけなさと聖母のような包容力を感じる笑顔で、そう言われた。なるほど、印象としては少なくとも胡散臭さは一切感じない。気になるとすれば、言葉が少しぎこちないのか訛りのように聞こえる部分がある。見た目だけで判断するのは失礼かと思うが、海外の人なのかな。
そんな事を考えていた時に、ふと気づいた。あの時に嗅いだ匂いが再び鼻をくすぐったのだ。それだけでも警戒レベルを上げると言うのに、匂いのする方向からしてジャンヌ・ダルクのいる壇上からだと言うのだから思わず臨戦態勢に入りかけてしまった。いけないいけない、これでは探偵失格だ。まだ確証がないぞ。カムフラージュが出来ているかは分からないが座り直すフリをして息を整える。
「さて、本日は私のお話だけでは少々物足りないと判断いたしまして、聞き手ではございませんがお一人ゲストをお呼びしております。私と似ているお仕事をなさっております、占い師の相生御景様でございます。どうぞご登場ください。」
ジャンヌ・ダルクからの紹介をもらってもう一方の袖から先輩が登場してきた。どんなふざけた格好で出てくるのかと気を揉んでいたが、黒のフォーマルスーツをカッチリと着こなしていた。それだけだった。
「ただいまご紹介に預かりました、相生御景でございます。本日はお話を通じて色々と勉強させていただきたいと思っております。よろしくお願い致しますね。」
驚いた。まともな挨拶ができるんだあの人。いつも見ていたようなおちゃらけた雰囲気が一切無い。いわゆる仕事モード、というヤツなのか。壇上に用意されていた椅子に促されて二人とも腰掛けた。つまり今回はトークショーという形式で行うのか。あの人、余計な事を口走らなきゃいいんだけど。
と思っていたが、意外にも先輩はジャンヌ・ダルクの話を適度に相槌を打ちつつもほとんどを黙って聞いているだけだった。神様がどうとか御先祖様がどうとかそんな話にはこれっぽっちも興味は無いが、ひたすら聞き手に徹する先輩がどことなく不気味にも見える。少しだけでも先輩の事を知っている身としては逆に不安を覚えてくるのだが、あくまで主役のジャンヌ・ダルクを立てているという事なのだろうか。
時折、ジャンヌ・ダルクの言葉に対して自論を挟む事はあれども波風を立てようとする気配は見受けられない。少し心配のし過ぎだったかとホッとした時にようやく気づいた。
会場の中が異様なほど静かな事に。
始まった時の歓声やざわめきはどこへやら、一転してお通夜のようにしん、と静まり返っていた。いや、それもあるがそれどころじゃない。
あろう事か、客が寝ていた。
ざっと周りを見渡す限り、百人はいるだろうこの会場の中でほぼ全員が顔をうつむかせて寝息を立てている。こと異様なのは寝顔が穏やかに微笑んでいる事だ。まるで子守唄を聞きながら眠る赤ん坊のように。そして、寝ていないのは僕一人だけだと言っていい。厳密に言えば、ジャンヌ・ダルクと先輩もだが。
「・・・あの」
異常な光景を目の当たりにしても僕が取れる行動はごく普通の事しか無かった。せめて隣の人だけでも起こそう、と思って肩に触れようとした時。
バチィッ!と静電気の音がして触れることすらかなわなかった。この静電気がどれくらいの強さかと聞かれれば、ドアノブに触れようとした時によく感じるであろう静電気が強力になった感じだろうか。一瞬の痛みが手に残る程度の。
予想外の痛みに動揺してしまい、とっさに手を引っ込めてしまったその時。
ジャンヌ・ダルクは話しながらも明らかに僕を見つめていた。さらにそれと目が合ってしまった。さらにさらに、先輩が一瞬だけ鋭い目線を僕に投げて制しているようにも見えた。
今の僕がどんな顔をしているのかは正直分からない。だけど先輩が僕を見ていたという事は、
今は手を出すな、と言っているようにも思えた。
この場では厄介事を起こせないし、仮に起こしたとして不利になるのは目に見えている。なので何事も無かったようにしてみた。決して先輩の言う事に従った訳では無いということは僕自身の名誉の為に弁解しておく。
幸いその後は何事もなくトークショーは進行し、終わりに近づくにつれて寝ていた人達が徐々に目を覚まし始めた。
「皆様、長時間の御清聴ありがとうございました。本日はこれにて終了とさせていただきます。皆様の今後にどうか、神の加護がありますようお祈り申し上げます。それでは、ごきげんよう。」
壇上ではジャンヌ・ダルクが締めの挨拶を述べてから深々と礼をしていた。それに合わせてまたうるさい程の拍手が鳴り響く。月並みな感想だけど、信者っていうのはこうして出来上がっていくんだな。
ジャンヌ・ダルクと先輩が退場してから客達もちらほらと帰りはじめていた時に携帯電話が鳴った。先輩からのメールだ。
『少し話せない?』
今回ばかりは賛成だ。そして訂正しなきゃならない。
あの教祖様、先輩より胡散臭いぞ。
---
「さて探偵さん。実際にお会いしてみた感想は?」
「先輩以上、いやそれより胡散臭いですね」
近くの喫茶店(逃げ込む予定だった場所)で先輩と合流して早速ジャンヌ・ダルクの話を始める。あんな光景を見てしまったからには、そう言わざるを得ない。
「そう、よね。うん、あなたならそう言うと思ってたわ。」
「僕じゃなくても言うと思いますけどね」
「けど気をつけなきゃダメよ?あなた、またクセが出てたから。」
「クセとは」
「とぼけないの。目、開いてたわよ。」
やっぱり見られてたのか。いらない所まで見るんだよこの人は。
「それで、先輩から見た感想は?」
「・・・そうね、んー、まあ危ないわよね♪」
「なんですかそれは」
「あなたも見たでしょう?突然観客達が一斉に寝始めたんだもの。」
「え、一斉だったんですか」
「んもぅ、しっかりして。私が見ていた限りでは彼女、ジャンヌ・ダルクが話し始めてしばらくしてからタイミングを合わせたように眠り始めてたわ。」
あんたの事でいらん心配をしてたんだよ、とは言えなかった。
「・・・一般的に考えてあり得るとすれば、集団催眠とかですか。あなたはだんだん眠くなるってやつで」
「催眠って何も眠くなるだけじゃないのよ?」
「知ってますよそれくらい」
「あなたってボケが分かりにくいわね。」
「それほどでも」
「褒めてません。話を戻すけど、その可能性が今のところ有力かしら。話していたこと自体はありきたりな宗教トークだったけど、ある一定の方向に思考を固定させようとしていた節はあったわ。」
「というと」
『神はあなたを常に見守っている』。
「これが彼女の決まり文句みたいね。あなたどうせ私の事で気を揉んでろくに話を聞いてなかったんでしょう?」
「ぎくっ」
「それは言葉に出すものではありません。戻すけど、観客の何人かを指名してその人の近況や抱えている悩みなんかを次々に言い当てていたの。その観客が信者だったらサクラを仕込んだ事も考えたけど、驚いたのはあなたみたいにおよそ宗教に興味のない人の事も言い当てたこと。」
「それもサクラの可能性は」
「ないわね。私も少しは人を見る目があるとは自負してるけど、その人明らかに彼女の話に興味無さそうだったの。きっと退屈だったからふざけ半分に聞いてみたんでしょうね、あまりに言い当てられたものだから最後には顔が青くなってたけど♪」
先輩に人を見る目があるかどうかはさておき、それが本当ならジャンヌ・ダルクはどうやって諸々の情報を知ったのだろうか。信者ならともかく、自分に興味のない人間の情報まで調べあげるなんて殊勝な事はしないだろう。まして今日が初対面ならそもそも調べようもないか。
「そうやって自分の言葉に説得力を持たせて最後は決めゼリフ、彼女のやり方としてはこんなところね。」
「話を聞いただけではずいぶんオーソドックスですね」
「占いも宗教も、何も特別な事をしているわけではないのよ。本当に視えているかどうかは別としてね。」
「ふうん、視えているねえ」
「それとあなた、寝てた人を起こそうとして失敗しなかったかしら?」
「・・・なんで見てたんですか」
「あなたの事だろうから何かしらアクションを起こすと思ったのよ。そしたら案の定だったわね。さすがに妨害されてたのは予想外だったけど。」
「静電気のようなものに弾かれたんですよ、あれは一体」
「それは・・・分からないわ。音は聞こえてたけど。」
はて、静電気の発生音とはそこまで響くものだろうか。
「ともかく、状況証拠しか集まらなかったですね。あ、それと。先輩って香水つけてますっけ」
「あら、突然どうしたの?」
「すごい甘ったるい匂いがしてたんですけど」
「それ、少なくとも私ではないわよ。私そういうのには疎いから。」
という事は、あの匂いの元はやはりジャンヌ・ダルクであると確定した。というかその前に。
「先輩こそ、ジャンヌ・ダルクの側にいて匂いに気づかなかったんですか」
「えっ?え、えぇ。分からなかったわね。途中で少しボーッとしてたみたい♪」
先輩にしては心なしか歯切れの悪い返答だ。何か重要な部分をはぐらかされた気がする。
「オホン。とにかく!これであなたは彼女に目をつけられた事になったわ。」
「なんでですか」
「決まってるでしょう?『眠らなかったから』よ。んもぅ、だから一般人のふりをしてって頼んだのに。」
「無理がありますって」
「彼女の予定では、きっと観客は全員眠るはずだったのよ。ところがあなただけが何故か眠らなかった。これは異常事態と捉えるはずよ。」
「はァ」
「おそらく彼女は、あなたに対して何らかのアクションを仕掛けてくるはず。けどそうなったらあなたが危険な目に遭う可能性が極めて高いの。」
「ずいぶん言い切りますね」
「私は占い師よ?少し先の未来なんて簡単に視えるから、お願い。今だけは信用して。」
「と、言われても」
「今からあなたを守る為のおまじないをかけてあげるから、もしもそれで身を守れたなら信じてくれないかしら?」
「・・・そのおまじないが不発になる事を祈りますけどね」
言うが早いか、先輩は目を閉じて手を組み、なにやらブツブツと唱え始めた。体が軽くなったとか、気分が晴れてきたとか、そういう効果は特に感じないが。1分ほど経過したくらいで先輩は目を開けた。
「はい、おしまい♪」
「まさか呪いじゃないでしょうね」
「失礼ね、ちゃんと効き目は実証済みよ?」
「本当に効果があったら、一応お礼はしますけど」
「大丈夫よ。すぐに出るはずだから。」
気がつけば、日が傾き始めていた。この辺りは暗くなるのが早いのでそろそろ事務所に戻るとしよう。
「あっ、あと1個だけ!」
「まだなにか」
「あの後私、彼女と連絡先交換したのよ。何かあったら教えてあげるわね♪」
「もう電話してこないでください」
「んもぅ」
自分のミルクセーキ代を先輩に渡して先に店を出た。けど、先輩気づいてたかな。
店の中でも、あの匂いがしていた事に。
「好奇心、犬を殺す」 @midori_bokujou
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