「ジャンヌ・ダルクの侵食」その2
かつてはそこそこの住宅街であったこの町も、今ではすっかり寂れてしまっている。若い世代の人間達は隣に新しく開けた新刈菜町の方へ流れてしまうのだ。
新しいモノはあるし、何よりキラキラしている、そっちの方に興味を惹かれるのも致し方ない。そのせいかこっちは「旧」刈菜町とまで揶揄される始末。けれど僕はこの旧刈菜町の方が好きだ。
なにせ、事務所の家賃が安いもので。
そんな初夏の今日にあのうっとうしい先輩の依頼を受けてしまったのはやはり失敗だった。やる気が全く湧かない。知り合いだからといって安請け合いするものではない、と改めて心に刻んでおこう。そして二度と話を聞くものかと決意を固くしておこう。
とはいえ、いつまでも子どものように駄々をこねる訳にもいかない。僕は事務所の向かいにある小さな交番に足を運んだ。
「ごめんください」
「やあ、ワンくん。今日はどんな厄介事を引き受けてきたんだい?」
「そのワンくんって呼び方をやめてください、丁寧さん。」
「それはボクも一緒、キミがその丁寧さんって呼び方をやめない限りはね。」
丁寧さん、こと
「よく厄介事だって分かりましたね」
「あはは、そんな顔に分かりやすく書かれていたら誰だって気づいてしまうさ。」
「これでも一応ポーカーフェイスのつもりですけど」
「警察官は多少なり心理学も勉強するからね、そのせいで分かるのさ。自分では平静のつもりでもわずかな変化が表れるものだよ。」
カラカラと笑うこの人の笑い方はあのニコニコ顔とは違って別に嫌いじゃない。この人は本心で笑ってるような気がする。直感。
「それで、今日の相談事はなんだい?」
「丁寧さんはジャンヌ・ダルクって知ってますか」
「うん?歴史の勉強かい?」
「からかわないでください、知ってるくせに」
「ごめんごめん、うん、知ってるよ。あの宗教家の女性だろう?本署の方でもその話題で持ち切りでね。」
「できる限りの情報が欲しいんです、今回の依頼に関わる事なので」
「その前に、差し支えなければ、依頼主は誰なのか聞いてもいいかな?」
はて、困った。その質問は予想していなかった。口にするのも嫌いなのに言わなければならないのか。でも、仕方ないか。
「・・・・・・・・・・・・・・・御景さん」
「あっはははははははは!そうかそうか、やっぱりそうだったのか!」
「・・・まさか知ってて聞いたんですか」
「そうじゃないか、って思っただけだよ。キミが一段と不機嫌な時は必ず相生が関わっていたからね。」
腹を抱えて涙まで流して笑ってやがる、ちょっと殴りたい。自分でも分かるくらい頬を膨らませてそっぽ向いてやる。
「ごめんごめん、ごめんってば。」
「もう、丁寧さんも嫌いです」
「悪かったよ。お詫びと言っては何だけど、ボクが知る限りの情報で許してくれないか?」
閑話休題。僕も一応大人なので仕事の話を始めよう。
「件の教祖様の事だけど、彼女自身に特に不審な事は見当たらないし話も聞かないんだ。だから彼女の手腕には確かなものがあると思っているよ。いわばジャンヌ・ダルクブームってヤツだろうね。」
「ジャンヌ・ダルクが世に出てきてから、失踪事件や行方不明者が続出しているのには関係があるんですか」
「うーん、やはりそこに行き着いちゃうよなあ。警察としては直接的な証拠はおろか、状況証拠すら掴むのもままなってないんだ。ただね、」
『失踪者や行方不明者の中には芸能人や著名人も含まれてるんだ。そしてそれらの人間には全て、ジャンヌ・ダルクを信仰していたという共通点がある。』
その人達の名前まではさすがに言えないけどね、と注釈されたが、なるほどそれなら話の筋は見えてくるような気がする。
「ネットとかでよくある自殺願望者を募集して一緒に死のう、とかって言うやつですか」
「それは違うね。宗教の基本的な考え方としては死ぬ事は怖くないという前提があるんだ。教えにもよるけど命を絶つ事を推奨するなんてのはないさ。」
「じゃあ、誘拐とか」
「それもない。仮にそうだとしてもここまで証拠が上がらないなんて事はそうそうない。そんな事になったら未解決事件ファイルが増えて仕方ないよ。」
だとすると、分からない。なぜジャンヌ・ダルクを信仰していた人間が突然姿をくらましたのか。一気に迷宮入りしてしまった気がする。
「彼女の事については分からないことも多いんだ。素性についても不明点が多過ぎてね。とにかく、ボクが教えてあげられるのは現時点でこのくらいかな。」
「分かりました、ありがとうございます。」
「ああそうだ、もしまた相生に会ったら伝えてくれないか?あんまり後輩をいじめるな、って。」
「・・・会う事があれば」
そう言い残して、交番を後にした。さて、これからどうしたものかと考えながら歩き出そうとしたその時。
目の前に何かいる。真っ白な女の子が非常にゆったりとした動きでなんかやっている。太極拳?八極拳?よく分からないけどいつだか見たことがある。しまいにはかめはめ波の溜めポーズまで取り始めた。イタズラしてやれ。
「まーもーりーちゃん」
「わひゃああああああああああ!?」
後ろからゆっくり近づいて脇腹を一気に挟み込んで持ち上げる。この子いつも軽いんだよな。そして予想通りのリアクションありがとう。
「ここに不審者がいますよー」
「ち、違います〜!怪しい者ではないです〜!」
「怪しい人はみんなそう言うんだぞー」
「メリーゴーランドみたいにクルクル回るのやめてください〜!降ろしてください〜!」
「はっはっはっ、このままハンマー投げしてあげようか」
「花利さんは室伏広治にはなれません〜!」
ひとしきり遊び終えた、もとい癒し終えたので降ろしてあげた。目がうずを巻いている。この真っ白な女の子、
「それでは針杖隊員、本日の定例報告会を行いたい」
「は、はい!犬乃隊長!本日も刈菜町は異常なしであります!」
「うむ、引き続き巡回を続けてくれたまえ」
「はっ!了解であります!」
定例報告会とは名ばかりのただのごっこ遊びであるが、この子は大真面目に付き合ってくれる。ビシッと敬礼のおまけつきで。
「あと護ちゃん、かめはめ波はどうやっても出せないよ」
「えっ!?そんなはずないです!かつてカメハメハ大王が自分の領地を侵略しようとした敵さん達にこの必殺技で対抗していた、ってこの本に書いてあります!」
そう言って自信満々に一冊の本を見せつけてきた。
『〜あのマンガの必殺技は本当にあった!?〜
マンガと歴史で学ぶ実在する必殺技100選』
(民明書房刊・定価1980円+税)
「・・・・・・・・・あぁ、まあ頑張ってね」
「はい!わたしも花利さんに認められるようになりたいので!」
純白の笑顔を見せられてしまっては真実を告げるのはあまりにも残酷過ぎるので、何も言わないことにしよう。知らぬが仏、言わぬが花。
「あ、そうそう花利さん」
「なんだい」
「最近、わたし誰かに見張られてる気がするんです」
ん?ちょっと待て、変な話をしてたせいで気が逸れていたがめちゃくちゃ重要な事言われなかったか。
「ごめん、なんだって?」
「最近何か視線を感じる時が増えてきたんです。特に何かされたってわけじゃないんですけど、こう監視されてるみたいな感じなんです。」
「それ、いつから?」
「えと、・・・最近です!」
「うんわかったありがと」
「花利さんも気をつけてください!何か変な感じがしますです!」
変な感じ、と言われてもな。まだ僕がその視線とやらを感じていないだけなのかもしれないけど。
話を戻して、どうやらジャンヌ・ダルクには何か裏がありそうだという事はおおよそ確定した。つまりはあの先輩の依頼を正式に本腰を入れて調査しなくてはいけなくなったということだ。
護ちゃんの純真さに免じて、仕事してあげよう。
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