エピソード2第13話 みんなもとにもどっていく

 すっかり遅い夕食に、アルミ皿で煮られたうどんを家族で啜る。亜紀は猫舌なので、先に俺がうどんをたいらげ、寿也の食事を交代した。舞奈のうどんを半分、子供用のプラスチック皿へ分けいれ、ハサミで細切れにしてとろみをつけたものだ。それは亜紀の指示を聞きながら、俺が切ったものだった。やってみれば簡単なものだった。とろみは離乳食用に「トロミ粉」というのがあった。それを振りかけて混ぜれば簡単にとろみがついた。

 寿也を膝にのせ、うどんを口に持っていくとうれしそうにぱくぱく食べた。自分でもうどんをつかみにかかった。その手に音の鳴るおもちゃを持たせてやると不思議そうにおもちゃを見つめ、何回か鳴らしては床に落とした。口はうどんをぱくぱく食べる。

「寿也、うどんが好きなんだなぁ」やや感動気味に言うと「今さらかよ」と亜紀に突っ込まれた。

「寿也は、離乳食をはじめたころからうどん大好きだよ」

「そうか」亜紀の冷淡さに肩を落とした。

 亜紀はうどんをズズっと啜りながら、「だけどさ」咀嚼し飲みこんでからつづけた。「だけど、今日、やっと少しは和くんにつながったかなって思った」

「え?」言っている意味がよく分からなかった。

「今まで、私、独り相撲してる気分で家のことも子どものこともしてたんだよ。離婚届、二回も渡したのにさ、和くんって、けっきょく口だけで行動に移してくれたことなかったじゃん」

「そうか?」

「そうだよ」

「ごみ捨てと風呂掃除は担当したじゃん」

「そうじゃなくってさ」亜紀はまたうどんを啜り、少し考えたふうにした。

「和くんって、いっつもピンで動いてるじゃん。チームじゃないっていうかさ。夫婦なのに、別々って感じが強くってさ。だけど、私が寝てる間、舞奈といろいろがんばったんでしょう」

「そうだな。舞奈がけっこういろいろ助けてくれたよ」

 亜紀がにっと笑い「そういうことだよ。私、ずっと孤独感抱えっぱなしでしんどかったからさ、そんなふうに一緒にいろいろ分かち合ってほしかったんだよ。舞奈とできたんなら、私とだって、一緒にいろいろやってよ。それで、こうした忙しい時代が過ぎたあとでさ、あれは大変だったねとか、これは良かったねとか、そういう夫婦の会話をしたいんだよ。日常のことをもっと、分かち合いたいんだよ」と言った。「ま、うどんは、お腹こわしてるんだから、肉じゃなくてきつねのほうがありがたかったけど」と付足すのも忘れない。

 俺は、わかったようなわからないような気持ちで「そうか」と答えた。ただ、亜紀の気持ちがいくらか楽になったなら、それはよかった。

「明日も、よろしくね」

 亜紀の笑う顔を、久しぶりに見た気がする。あらためて眺めると、亜紀は少し疲れた顔をしていて、所帯じみてもいた。

「おう」と応じ、「明日、体調がよくなってたら、服でも見てこいよ。俺がまた、家のことや子どもたち見といてやるから」と決めた。亜紀にかっこいい自分を演出したかったのと、亜紀にもっとおしゃれをしてほしかった。

「まだ、服はユニクロとかかな」だけど、亜紀はあきらめるように言った。今も寿也の食べこぼしのついた服を着たまま着替えずにいる。

「ちょっとくらい、おしゃれしたっていいじゃないか」

 俺の言葉に亜紀は肩を落とし、「まだ、ぜんぜん和くんにはつながってないや」とぼやいた。

「服もさ、今は動きやすくて洗濯しやすいのがいいんだよ。おしゃれしたってすぐに汚れちゃうし、パンツのほうがすぐに子どもたちを追いかけられるから」

「そうか」相槌をうちながら、自分も残念な気持ちになった。俺は、何も理解してやれていないのかもしれない。それでも。

「もっと、気楽でいいんじゃないかな」ぽろっと口から本音がもれた。

「え」と亜紀が聞きかえす。

「もっと、肩の力をぬいて、いろいろやったほうがいいんじゃないかって、俺、いつも思っているんだよ」

「だから、それは、和くんが協力してくれれば、そうできるかもね」

 亜紀の目が三角になった。地雷だったか。

「ごめん」すぐさま謝った。「俺、わかんないんだよ。いつどのタイミングで何をしたらいいか分からないんだよ。空気読めないって言ったらそうかもしんない。だから、やってほしいとき、その都度声かけてもらわなきゃ、わかんない」

「何、それ」亜紀の怒りはふたたび盛り上がってきたようだった。

 すれ違うな。きっと、俺たち、すっげーかみあってない。

「私、お腹壊してるし、先にお風呂入って寝るから」亜紀はうどんを食べ終わったアルミ皿を指ではじくようにし、キレぎみに言い放った。

「えー、じゃあ、舞奈も寝るー」舞奈が慌てて亜紀の腕をつかむ。

「だけど俺、寿也をひとりで風呂に入れられないぜ」告げると、「ああ、もう。風呂くらい、ひとりで入れろよ」と声を荒げた。

 寿也を風呂に入れたとして、外で寿也をキャッチしてその体を拭き、服を着せる人間が必要だった。亜紀はひとりで全部の工程をこなせるらしいのだが、俺には無理だった。

「どっち、先にしたらいいの? 風呂かよ、食器洗いかよ」俺の声もぶっきらぼうになる。

「お風呂、沸かしてないじゃん。沸かしている間に食器洗いなよ」そう言うと、亜紀は立ちあがり、寿也を抱っこしてソファのほうへ行き、寝っ転がった。文句を言いながらも、寿也の風呂の協力はしてくれるようだった。

「舞奈もごちそうさまぁ」うどんを三分の一ほど残し、舞奈も席を立った。亜紀のほうへ走っていき、「舞奈も」とひっつくようにして亜紀の体のうえに転がった。

 みんなの食べ終えた皿をキッチンに運びながら、「だからさ」と俺もあきらめずに話しかけた。このまま腹を打ちあけ合えずにまたうやむやな日々を送るのが嫌だった。それはもう、今日で終わりにしたかった。

「俺、なんにもしないつもり、ないんだよ」アルミ皿に残ったつゆを三角コーナーに捨て、水道から水を出し、すすぐ。アルミ皿をそれぞれ重ね、燃えないゴミようのボックスの蓋をあけ、押しこんだ。

「たぶん、俺が気づけないでいるんだろう。亜紀が大変だったなら、それは言ってくれないとわかんないんだよ。空気読めっていうのは、それは読める人間が言うことで、読めない人間だっているんだよ。わかんないんだよ、本当に。だから、その都度、ちゃんと言ってくれれば、俺だってちゃんと動くよ。協力するよ。だから言って」

 スポンジに洗剤を垂らし泡立て、寿也の皿と舞奈のスプーン、フォーク、俺らの箸を洗う。この程度の洗い物、さっさと終わる。あ、と思い、キッチンの壁の向こう側へ行き、風呂の栓を閉め、お湯張りのボタンを押した。

 亜紀が「わかった」と返事をするまで、けっこうな間があった。それから「ごめん」と独りごとのような声がした。

「私も、自分の言いかたがきつくなってるの分かってた。だけど、今さら和くんとどんなふうに話したらいいのかもわからなくなってた」ソファで舞奈と寿也の頭を撫でつけながら、「それは、ちょっとずつ直すから」と言った。

 どう返事したらいいか分からず「そうか」と、そっと答えた。台布巾で調理台を拭き、流しのまわりの水滴をぐるり拭きとった。にわかにほころんだ気持ちが浮上してきた。ほっとした。台布巾をすすぎ、絞り、布巾かけに広げてぶらさげた。

 三人のいるほうへ向かい、寝そべる亜紀のとなりに腰をおろした。時計を見あげると、十一時近かった。

「すっかり遅くなっちゃったな」

 心は静かだった。久しぶりに穏やかに静かだった。となりに亜紀の体温を感じた。子どもたちの体温も熱いくらいにそばにあった。

「明日は日曜日だから、大丈夫だよ」と、亜紀がつぶやいた。

 昔、親がくちずさんでいた歌を思いだした。あれは、母が熱を出した妹をおんぶしていたんだったと思う。一日じゅうぐずって、抱っこかおんぶをしていなければ泣き止まなかった。母は長いこと妹をおんぶし続けた。母の苦労をとなりで見ていたはずなのに、俺は、亜紀の大変さに気づいてやれていなかった。自分の苦労ばかりにあぐらをかいていた。

 生活していくことは、大変なことだ。だけれども、だからこそ、お互いが協力してやっとこ家庭は成立していくんだ。

「水前寺清子だ」不意につぶやくと、亜紀が「何、それ?」と尋ねた。

 幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ、一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。俺はくちずさんだ。「その歌、私も知ってるよ。めっちゃ昭和じゃん」「俺たち、昭和生まれじゃねーか」

 そんなふうにして夫婦もできていくんだろうと思った。俺たちは今日、何歩進めただろう。

 風呂のパネルが電子チャイムを鳴らし「もうじきお風呂に入れます」と言った。

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夫婦劇場 木村 まい @MaiKawa

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