第2章 - 1 出会い
1 出会い
「これで、よかったの?」
「あ、それだと思う。誰かの、忘れ物だから」
「じゃあ、遺失物の窓口に、わたし届けといてあげようか?」
「ううん、大丈夫。きっとまた来ると思うの、そうしたら、誰かに頼んで返してもらうから……どうも、ありがとう」
そんな答えに「ふ〜ん」と言いながら、若い看護師は妙に嬉しそうに告げたのだった。
「また何かあったら、いくらでもコールしてちょうだいね。何してようとすっ飛んでくるからね」
そんな声に、優衣は堅い笑顔を見せてペコンと頭を下げたのだった。
彼女がナースコールを押したのは、ずいぶん久しぶりのことなのだ。
ここのところ特に機嫌が悪く、滅多に口を開かない。ここ最近は、二回ばかり脱走騒ぎまで起こしていた。
ところが若いナースが慌ててやって来てみれば、いつもとずいぶん顔付きが違う。
「あの、外に落ちてる本、取ってきて貰っていいですか?」
恥ずかしそうにそう告げて、妙にゆっくり窓の方へと視線を向けた。
それに倣ってナースが三階の窓から下を見れば、コンクリートの地面の上に確かに小さな本がある。
「あの本を、取ってくればいいのね?」
ナースはそれだけ言うと、返事も待たずにさっさと病室を出て行った。
最初、彼に気が付いたのは四日前だ。
「ねえ、またお昼ちゃんと食べなかったんだって? だめじゃない、そんなんじゃ、治るもんも治らなくなっちゃうわよ」
こう言われた次の瞬間、自分でもあっという間の出来事だった。
バーンという音に続いて、様々な雑音がすぐに重なり、病室全体に響き渡った。
サイドテーブルに置かれていた病院食を、気付けば思いっきり払い除けていた。
もうこうなったら後には引けない。きっと散らかった食器やらを片付けているのだろうが、彼女は絶対視線をそちらの方へは向けなかった。
――本当に治るなら、なんだって食べてるわよ!
なんて気持ちを必死に思う。
そのうちに、病室から出ていく物音が聞こえ、そうしてやっと優衣は窓から視線を室内に移した。
「あっちゃ〜」なんて声が思わず漏れて、想像以上の惨状に向けた視線を動かせない。
散らかっていた筈の皿やお碗などはきれいさっぱり消えていたが、盛られていたものが至るところに飛び散っていた。足元にかかっていた肌掛け布団のあちこちに、味噌汁が掛かってわかめや油揚げなんかが散乱している。
どうしよう……? と思ったところでどうしようもないのだ。
片付け以前に、きっとまた現れる夏川麻衣子と顔を合わせるのだって難しい。
そうこうしているうちに、いかにも〝らしい〟スリッパの音が響いてきた。
扉が開かれ、スリッパの音がピタッと消える。きっとそのままジッとして、優衣の背中でも見ているのだろう。そうして十秒くらいが経ってから、まったく言葉を発さないまま散らかったものを片し始める。
それは聞こえてくる物音でそう思うだけで、実際見てなどいないのだ。
スリッパの音が聞こえてすぐ、優衣は慌てて窓際に立った。もちろん入り口には背中を向けて、そのままジッとしてようと即行決める。
ベッドに入ってしまえば、きっと汚れた布団も換えるだろうから、その間どうしたって居心地は最低だろう……と、そこまでササっと思って、窓から外を見ている自分でいようと決めた。
そうして何を言われようと、
――絶対、返事なんてしないから!!
などと、心で何度も唱えていたのだ。
しかしきっと夏川の方も、そんなことは重々わかっていたのだろう。
時々、声の混じった吐息だけを漏らし、彼女は片付け終わってすぐにその病室から出て行った。
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