第1章  -   3 ささやかな策略(2)

 3 ささやかな策略(2)

 



「ねえ、真弓さんじゃない? 吉崎、真弓さん……違う?」

 いきなり響いたそんな声に、真弓は慌てて立ち上がった。

 それから声のする方に目を向けて、すぐにその姿に反応したのだ。

「夏川さん! 夏川さんですか?」

「そうよ、ちょっと見ただけじゃわからないくらい太ったでしょ? お久しぶり、ああよかった、わかってくれて、嬉しいわ」

 なんて言いながら、夏川は真弓の隣にドカンと座った。

「さっきあなたを受付で見かけたのよ。その時はちょっとバタバタしてて声掛けれなくてね。よかったわ、まだいてくれて……一緒にいたのって、もしかして息子さん?」

 長髪で茶髪姿の涼太を見たなら、きっと何かを思った筈だ。少なくとも品行方正には見えないし、真面目な少年って言葉からはなんと言っても遠すぎる。

 それでも彼女は言ってきたのだ。

 お互いの近況を伝えあってすぐに、涼太について聞いてきて……、

「ねえ、もしかして息子さんて、この近所の中学に通ってたの?」

「そうよ。どうして? すぐそこの公立に行ってたわ。今はもう、ぐうたら高校生になっちゃったけどね……」

 以前住んでいたマンションから一軒家に引っ越して以降、彼女とはまったく連絡を取り合っていない。だから今の住所を知らない筈だし、

 ――なのに、どうして……? 

 などと、美穂は一瞬だけ感じたのだ。

 ただすぐに、単にこの病院にいたからそう言っただけだろうと、そのまま困った息子について説明していった。

 高校に入って一年、一気に親の言うことを聞かなくなった。

 最近は口さえ開かなくなって、日に日に悪くなる一方で困っている。昨日も喧嘩で警察の世話になり、朝一番で引き取りに行ってきたばかりだと告げて、

「挙げ句の果てに骨折したらしいの。それで今、検査やら治療やら受けてるわ……」

 やれやれという顔でフーッと大きくため息を吐いた。そうしてさらに、茶髪やあんな格好でいられるのは、比較的自由な都立高校だからとその名を告げる。

「へえ、頭のいい高校じゃない、うちの娘も都立だったからわかるのよ。でもまあ、そうよね、吉崎先生の息子さんなんだもんね〜」

 と言って、懐かしそうな顔をしながら上を向いた。

 真弓が結婚するまで勤めた病院に、夏川麻衣子も同じ看護師として働いていたのだ。

 そして五年ほど前に、看護師長としてこちらの病院に移ったらしい。

 一方夫である吉崎謙治も第二外科に勤めていたから、当然夏川も二人の結婚式には出席していた。

「じゃあさ、ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

 ここで会えたのも何かの縁だと言って、彼女はそこから不思議なことを話し出した。

「でね、特に何をしてちょうだいってわけじゃないの。ただそこにいてくれればいいんだけど、お願いできないかしら?」

 すでにさっき学校からは、処罰が決まるまで〝自宅待機〟という連絡があった。

 そしてそんな処罰とは〝退学〟までは行かずとも、そこそこ長期間に及ぶ〝停学〟くらいにはなる筈だ。

 となれば涼太はさっそく、明日から一日何もすることがなくなってしまう。

 ――時間を持て余して、また何かしでかすよりぜんぜんいいわ。

 そんな打算も手伝って、真弓は夏川の申し出を受け入れた。

 しかし実際、そんなにうまくいくものだろうか? 

 きっと謙治に話しても、同じように言われるのは目に見えている。

 ――でも、それだっていいわ。ダラダラ一日過ごすより、もしかしたら誰かの役に立つって方が、よっぽどいいじゃない……だけど、それより問題は……。

 果たしてそんな話に、あの涼太がうんと返すだろうか? 

 そんなことから考えたのが、あの〝全寮制〟って話だった。

 ただとにかく、今日まで四日続いている。

 果たしてひと月続くかどうかは別として、今回の話を受けてよかったと、真弓はすでに感じ始めていたのだった。

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