アイアム

雨屋 涼

アイアム

 気分はどうですか。


 声をかけられてわたしは目を開く。新しい「眼」は周囲の神経と繋がり、視覚としての機能を開始した。

「問題ないです」

 ベッド脇に立つ技師に答えて身体を起こす。初めに「眼」に覚えさせるものは決まっていた。

 棚から一冊の本を引き抜いて机に向かう。目を閉じると脳内にシルクの布が広がった。わたしは布に生じた皺を丁寧に伸ばしていく。心を無にする行為は高等な技術らしいが、わたしにとっては容易なことだった。

 思考を遮断して開いた「眼」は本を無機質な物体として捉える。読み過ぎてやわらかくなったページをめくり、わたしは仕事を開始した。

 本には緑の茂る林道や広大な海の写真が並んでいる。


 #228b22、#87ceeb……。


 写真は脳内で既定のコードへと変換され、「眼」に記憶された。小一時間ほど本をめくると、写真集一冊分の作業が終わる。

 集中の糸をほぐすようにわたしは息をはいた。

 これでこの「眼」は今後、林道や海を見た時にコードの色を映すだろう。その時々で見え方が変わるとすれば、持ち主の感情変化のせいだ。

「終わったら学校に向かってください。その『眼』の持ち主が通う高校です。頼みますね」

 わたしが本をしまうのを見計らって技師が言う。誰であろうと仕事内容に変わりはないのに、彼は毎回持ち主の情報を告げるのだ。

「分かりました」

 わたしは「眼」を完成させるために部屋を出た。




 転校生として挨拶するわたしを32個の目が見つめる。この中の何人が「眼」をつけているかは分からない。差別防止のために生来の目と「眼」の区別はできない決まりになっていたし、興味もなかった。

 窓際の席で「眼」に教室を覚えさせていると午前中の授業が終わりを告げる。

 昼休みに入るなり前席の生徒が振り返って、わたしに声をかけた。

「はじめまして、私はリウ。あなた、お昼はどうするの?」

 仕事で高校に通うのは三度目だが、直接話しかけられたのは初めてだった。大半のことがチャットか耳元デバイスで事足りるのに珍しい、とわたしは彼女に目を向ける。覚えたばかりの制服のコードを「眼」が忠実に映した。トマト缶のように赤い短髪が視界にはいる。


#ff2323。


 脳が勝手に分析したコードにわたしは目を疑った。

「用意してないんだ。それより、その髪って、」

「これ? 昨日自分でやったんだ。結構上手く染まってるでしょ」

 リウは満足げに髪を揺らした。「眼」の不具合ではないらしい。

「すごい。けど、先生に怒られないの?」

「全然。前に染髪した生徒を怒ったら多様性の侵害だって大騒ぎになったんだって。だから先生は触れてこないの」

 あなたにもしてあげようか、と悪びれもせずにリウは言う。わたしはとっさに首を振り、言い訳を考えた。ほかに髪を染めているような生徒は見当たらない。彼女だけが、あきらかに違っていた。

「そっか。じゃあ食堂あるから、お昼食べに行こ」

 この違いを「眼」に覚えさせれば、もっとよく仕上がるかもしれない。

 わたしはリウという女子生徒を観察することに決めた。




 帰り支度をするわたしを、だらしなく椅子の背にもたれたリウが眺める。

 数日のうちにリウの髪色はすっかり褪せて、朱金色になっていた。開け放たれた窓から風が吹きこみ、彼女の髪を揺らす。退色の過程を「眼」に覚えさせられたのは貴重な経験だったと思う。

「そういえば、休みの日ってなにしてるの?」

 突然質問が飛んできて答えに困る。「眼」にコードを記憶させているとは言えない。彼女にとってわたしはただの転校生なのだ。

「本を読んでるかな」

「本? 小説とか?」

「写真集とか画集とか。眺めてるだけだけど」

 自然色のコードを見るのに写真集は重宝する。休日使用しているのは嘘ではなかった。

「なにかお気に入りはあるの?」

 机に肘をついてリウは身を乗りだす。わたしは再び沈黙し思考を巡らせた。

 好き嫌いは最も意識して排除している感情だ。主観は「眼」に大きな影響をもたらす。わたしは思い浮かばずに、仕事でいつも使用する写真集を端末に表示させた。

「あまり面白いものじゃないけど」

「そう? 風景画とか好きだよ。あ、この場所知ってる」

 リウは白い指で端末を操作し、山頂から海を見下ろす角度で撮られた写真をさした。青空と海の色の混じり方が珍しいコードのものだった。

 見慣れた写真から顔をあげると、小さく笑みを浮かべるリウと目が合う。

「ここ、行ってみない?」

「え?」

 予想もしていなかった言葉にわたしの心は揺れた。今まで造ったどの「眼」にも記憶され、脳に焼きつくほど見た景色がどんなものか興味が湧く。わたしがうなずくと、やったー、とリウは立ちあがった。写真集が正しいのか確認しに行くだけだ。誰に言うでもなく、わたしの脳は言い訳を考えていた。




 迎えた休日は快晴で、リウは髪を染め直していた。わずかに違う色を「眼」に覚えさせる。列車で街の外まで移動すると、熱された空気と土の匂いがした。照りつける日差しを背に受けて、リウは山道に入っていく。わたしは周囲に「眼」を向けながら山を登った。

 山頂に着くと、ひらけた青空が視界を占める。眼下には写真集で見た海があった。「眼」は初めに覚えたコードに従って海を映す。同じ色だと脳が主張していた。

「暑いけど、晴れててよかったね」

 後ろからやってきたリウは上り坂に息を荒げ、汗を流していた。襟足の短い髪が首筋に貼りついている。そういえば、わたしは息切れひとつしていなかった。

 景色に歓声をあげるリウと比べると、わたしの心はあまりに変化がない。なにか間違っているのだろうか。不安定な感情は「眼」の景色を暗くする。わたしは危険を感じて瞼を閉じた。

「大丈夫?」

 突然下を向いたわたしを心配してリウが声をかける。ちょっと疲れただけ、と返すと彼女は間をあけて言った。

「ちゃんと、みえてる?」

 どきりとした。心拍数が跳ね上がる。「眼」のことを言っているのだろうか。

 わたしが黙っていると、リウは自分のことを語りだした。

 生まれつき悪かった片目を「眼」に換えたこと。その際、生来の目と同じ見え方をする「眼」を自分で造ったこと。

「だからね、この目は世界に一つしかないんだ」

 ほら、とリウは左目を取りだしてみせる。

「……全然気づかなかった」

 わたしの「眼」には同じように映る。けれどリウには、その違いが見えているようだった。

「あなたには、どうやって見えているの?」

 リウは「眼」を差しだして言う。感情をこめて造られた「眼」なら、歓声をあげるような高揚感が得られるだろうか。一瞬よぎった思考に脳が警鐘を鳴らす。「眼」はわたしの所有物ではないし、技師に知られたら失職ではすまないだろう。

 分かっている。わたしはそれでも、リウと「眼」を交換した。私以外の人が造った「眼」で見える世界には惹かれるものがあった。参考のため、と言い訳をして左の眼窩に「眼」を嵌めこむ。

 リウの「眼」で見た世界は、既定のコードとはまったく違うものだった。海は太陽の光で煌めき、包みこむような深い青が揺れている。身体の内側が浮きあがるような感覚がして、わたしは空を仰いだ。まぶしい陽ざしを手で覆う。

 その手が肌色のシリコンなことに気がついて、わたしの高揚感は一瞬で消え去った。骨があるべき場所には金属関節が入っている。脳が真っ白になり、悲鳴すら出てこなかった。

「やっぱりこれじゃ分からないんだ」

 わたしの「眼」をつけたリウが言う。顔を向けると、彼女の腕は人間のままだった。金属が使われている形跡もない。違うのは、わたしが渡した「眼」だけだった。ガラス玉のように透明な球体にレンズのついた「眼」は、人間のそれとは違うと分かる。

「学校に来てるのは、ほとんど機械だよ。生徒は機械につけた『眼』を通して家で授業を受けてる。お店とかもそう。人工知能を積んだロボットと区別はつかないけど、その方が好都合だから『眼』が普及したんだよね」

 青空を背景に対称的な赤髪が揺れる。「眼」をつけ、金属の腕を持つわたしはロボットなのだろうか。視線をリウから外し、登ってきた道を振り返ってみる。これはわたしの意思だ。誰かに指示されたわけではない。言葉も、わたしが考えて発しているものだった。

「リウの目には、ロボットと人間の違いが映るんだね」

「見た目が違うから。あなたの中身がどうかは分からないよ」

 リウは「眼」をわたしに返すと、訊きたかったことを教えてくれる。両目に広がるコードの空は動揺を落ち着け、冷静さを取り戻した脳が答えを告げた。わたしはきっとロボットだ。

「どっちだっていいんだけどね。私はただ、誰かと同じ景色を共有できたらいいなと思って貸しただけ」

 リウは寂しげな笑みを浮かべる。わたしの「眼」には、その腕は自分と変わらないように見えた。片方がシリコン製だなんて、リウの「眼」を借りなければ一生知らなかっただろう。

「わたしの『眼』でみている世界とまったく違った」

「それ、あなたのじゃないでしょ。市販の『眼』を試したことがあるから分かるよ。同じように決められた色が見えた。あなたみたいな人が造ってるの?」

「多分ね」

 わたしは肯定する。思考を遮断できるロボットでないと「眼」は造れないだろう。名も知らぬ同業者の存在に、なんだか誇らしい気持ちになる。

「……提案があるの。あなたの『眼』を私が造ってもいい?」

 そうしたらずっと話ができるし、あなたは人間の目で景色を見られる。

 リウの話は魅力的だった。彼女と世界を語り合うのを想像する。海を見た時の浮足立つ感覚を、もう一度味わいたいと思わないわけではなかった。

 けれど、その役目はわたしではない。

 シルクの布を広げて心を無にする必要もなく、わたしは首を振った。

「この仕事が好きだから、いいかな」


 そっか、とつぶやくリウの顔に影がかかる。顔をあげると、真夏の太陽を巨大な入道雲が覆っていた。わたしは皺を伸ばし、淡々と「眼」に雲を記憶させていた。

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