第29話 海上の道(4)

 相瀬あいせが尋ねる。

 「ね、あのときさぁ、なんで真結まゆいは海蛇に追いかけられることになっちゃったわけ?」

 「あ、あれは……」

 真結はしゃくり上げて、声を詰まらせた。

 「ね、どうして?」

 優しく、いたずらっぽく、言ったつもりだ。真結は、言いにくそうに、ことば一つひとつを引っぱり出すように答えた。

 「筒島つつしまと、村の岬のあいだの砂地って、何がいるのかな、って、思って。潜って、何かいるのかな、ってのみで砂をいてたら、あれが……」

 「ははっ」

 相瀬は笑った。

 真結には悪いと思うが、そのまま笑いを隠さずにいる。

 海蛇は昼間よりも夕方や夜のほうが活発だという。

 たぶん、まぶしい昼間のあかりを避けて、休んでいたのだ。

 休んでいるところを頭の上から鑿でつつかれたら、それは怒る。

 人食い海蛇でなくても。

 顔を上げていた真結は、またうつむいて、涙を落としそうになる。

 「休んでていいよ、って言ったよね、わたし」

 真結はもっと泣き顔になる。

 「ごめん、でも、わたし……」

 「ううん、違うんだ」

 言って、相瀬は膝で真結ににじり寄り、その両方の肩を両手で抱いた。

 「だから、頭に向いてるんだよ、真結は」

 真結は、何も言わず、もの問いたそうに両目を相瀬に向けた。

 相瀬は勢いをつけて言う。

 「頭ってさ、言われたとおりにしてたら務まらないんだ。自分で、これをやる、これができる、これはできないって決められないとさ。だって、大人組とか、漁師組とか、商人とかの言うなりってわけにはいかないんだよ、わたしたちの漁は」

 「でも……」

 真結は眉根にしわを寄せた。

 「わたし、大人組や漁師組のおさに逆らうなんて、そんなのできない。何言われても、はい、はいってきいてしまいそう」

 「そんなわけないじゃない!」

 相瀬は真結の両手を自分の両手で揺さぶる。

 「だって、いまさ、わたしが、真結に次のかしらになって、って言ったとき、断ったじゃない? 娘組の頭が言ったことを断れるんだから、できるよ、きっと」

 ひどい理屈だと自分で思う。でも筋は通っているとも思う。

 「いや、それは……」

 真結は困ってしまったらしい。

 真結だってわかっているのだ。

 歳から言えば、相瀬の次は真結で、ふさかやは少し下だ。浅葱あさぎ麻実あさみは、歳は房と萱とたいして違わないはずだが、海女としてはまだ見習いだ。

 順番だけから言えば、相瀬の次は真結なのだ。

 相瀬は、真結でなければ房だと思って迷っていた。

 たしかに房はきもわっているし力も強い。それにまじめだ。人づきあいも巧い。

 でも、頭を受け継がせることができるかというと、なぜか相瀬は迷ってしまう。

 どんなに才が欠けていても真結になら任せてよいと思う。それだけのものを房は身につけていない。これから身につくのかも知れないが、少なくともいまはまだだ。

 「でも、わたし、海鼠なまこもつかめないのに」

 真結はまだとまどっている。

 そうだ。真結は海鼠もつかめないし、あわびが動くと短い悲鳴を上げて落としてしまう。

 でも。

 そうだ。それは感じかたが細やかだからだ。最初から気もち悪いと思わないよりも、その気もち悪さを抑えて平気にできるようになったほうが、海女としてはいいに決まっている。

 だから、相瀬は真結の両腕を握ったまま言った。

 「あたりまえだよ、あんなのつかめるほうがどうかしてるんだ。だってさ」

 相瀬は真結の腕をその手の指でむ。

 真結の腕はこうしただけで折れてしまいそうで、白くて、自分とは別の生きもののようだ。

 真結は眉をひそめて、身を引いたが、振り払いはしなかった。

 相瀬がどうしていきなりそんなことをやるのかわからないのだろう。相瀬が言う。

 「人ってさ、人の手がこうやって動くのすらなんか気もち悪く感じるでしょ?」

 「うん……」

 真結が頷く。

 「じゃ、さ、骨も入ってないしさ、色もなんか落ち着かない色してるしさ、そんなの触って気もちいいわけないじゃない? 海鼠なまことか、海星ひとでとかさ」

 相瀬は首を傾けて見せた。

 「わたしだって最初はいやだったよ。お母ちゃんがさ、家のそのへんで」

 真結が入ってきたのとは反対側の、海を向いたほうに顔を向ける。

 「拾ってきた海鼠干してるの見てさ。あの海鼠がさ、干されてさ、の子の上にずらっと並んでるんだよ。お母ちゃんがそれ見せて「いっぱいれたでしょ」とか言ってさ。笑って。ほんと信じられなかった。怖くて家は入れなかったよ」

 「相瀬さんが?」

 「うん。それに、はじめて、あれ、手づかみしたときなんか、海の底から一気にび上がっちゃったよ、上まで。あんまり気もち悪かったもんだからさ」

 「ほんとに?」

 「ほんとだって。そんなの、大人組とか歳上の人に知られたらばかにされるから、ずっと言わなかっただけ」

 真結は、まだ泣きつづけていそうな、情けなさそうな、疑り深そうな目で、うつむき加減で相瀬の顔を見上げている。

 相瀬は、真結の腕から自分の手を放して、そのかわり、膝がぶつかりそうになるまで真結に近づいた。

 「それに、あのとき、真結、わたしを助けてくれたじゃない」

 「あれは……」

 真結が何か言おうとして、声を詰まらせる。

 「あのときさ、真結がわたしの手にもりを握らせてくれなかったら、わたし、あいつに殺されてたよ。しかも、あの銛が落ちてたの、五ひろよりも深い海の底だったよ」

 「あのときは夢中で……」

 真結が細い声を絞るように言う。相瀬は一気にたたみかけた。

 「夢中であれができればたいしたもんだよ。それに、あの海蛇の頭を鑿で引っ掻いたんでしょ? そのときだって、おんなじくらい潜ってたはずだよ。あの岬の先ってそれぐらいの深さあるんだから」

 「え、あ、いや……それは……」

 真結は慌てる。

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