第28話 海上の道(3)
「やっぱりよくなかったかな?」
「いや、よかったと思うよ」
「それよりさ、そのクワエ様以外のヨシイ様とかキタムラ様とかは何してるわけ?」
「よく知らないけど、名主様のお屋敷でずっとお酒飲んで、お屋敷勤めの悪口をずっと言ってるって」
「お屋敷勤め」というのは、あのサンシューのお屋敷での仕事のことだろう。
「それ、クワエ様が?」
「いえ、名主様のところできいてきたんだけど」
「ああ」
ほっとする。
真結は名主様の家の遠縁にあたるので、名主様のお屋敷にも知り合いがいる。
ところで、いっしょに働いている仲間の悪口を言わないクワエシンノジョーは、やはりいい人なんだろうか。
「ね」
真結は膝を崩して、相瀬に近いところに手をついて言う。
「その姫様、ほんとにここの村に来ちゃったら、どうしよう?」
「言えばいいじゃない、そのクワエって人にさ」
「だって、かわいそうじゃない。もう十何日も領内を追いかけ回されて」
「それはさ」
そうだ、と言っては、やっぱりいけないのだろう。
「その姫様のやったことがやったことだから、しかたないよ」
「ね」
真結は細い声で訴えかけるように言う。
「相瀬さんは、あれ、ほんとに姫様がやったことだと思ってる?」
相瀬は答えに詰まる。
ああ、みんなそう思うんだ、と思うべきか。
真結はよく気がつく、と思うべきか。
それとも。
そうだ。そのクワエシンノジョーに言われて、相瀬がどう思っているかきいてきてほしいと言われた、ということはないだろうか。
それはないだろうと思う。それなら自分でききに来るだろう。サンシューのように狡い男ではなさそうだから。
でも。
――このまま真結をクワエの身近にずっといさせておくのは危ない。
真結は、あの
けれども、真結がクワエの熱心さにあてられて、海女の娘組のことをいろいろと話してしまったら。
それどころか、いっしょにご城下に来ないかとクワエにさそわれて、真結がそれに応えてしまったら。
真結は自分が熱心だけど不器用なだけに、仕事熱心なクワエに惹かれてしまうかも知れない。それに、もし、
真結はじっと相瀬の顔を見ている。その
「真結!」
相瀬は座ったまま身を乗り出して声をかけた。
「え?」
真結は相瀬の声にとまどっている。たぶん、さっきまでの
「いま決めた。真結を次の
「え?」
「だから、真結を、海女の娘組の次の頭にする!」
そうだ。
考えるまでもなかった。
真結のほかに次の頭のなり手があるはずがない。
それに真結は手習いをしている。学問もできるだろう。学問をすれば、あの「娘組の頭を務めれば、一生、村から出られない」という決まり事にも従わずにすむ――そう
学問は、自分には無理だが、真結にならばできる。
言われて真結は泣き始めた。
「そんな……」
床に手をついて、相瀬のほうに上げていた顔を伏せる。
俯く。
「わたしにはできない!」
絞り出すような声で、わめくように言う。
「相瀬さんにはできても、わたしには、……わたしには無理なんだから……」
真結は大粒の涙を次々に流していた。
いっぱい泣いていた。涙が
どうしてこんなことで泣くのだろうと思う。
だが、それが真結なのだ。
そういう子だからこそ、次の頭が務まると、相瀬は決めたのではないか。
だから、真結が泣いて涙をこぼしてもかまわないのだけれど。
その涙を落としている床が、あちらこちら剥がれ、節には穴が開き、床下の土が見えているのが相瀬にはどうにもきまりが悪い。
お姫様の御殿はともかく、ここなら床下にろくでもないきのこが生えてもふしぎがないなどと、よけいなことを考えてしまう。
大きくため息をつく。
真結は涙を
相瀬は、自分の肌着の襟のところを真結の顔に当てて、その涙を拭ってやる。
真結は、最初は驚いたようだったけれど、相瀬に涙を拭わせるままにする。相瀬は、真結の右の目の下、左の目の下、もういちど右の頬を軽く叩くようにして涙を
「真結なら、できるよ」
優しく言いたかった。でも、出てきたのは、浜で指図するときのような言いかただ。
真結は反発する。
「気休め……言わないで」
指図のような言いかたでかえってよかったのかも知れない。
「気休めでないことぐらい、わかってるはずだよ、真結なら」
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