第23話 ご城下の風(3)

 「わたしが、何?」

 まさか、決められているとおりにおとなしく参籠さんろうしていないで、出歩いていることを、貞吉さだきちは知っている?

 それはないだろうと思う。知っていたらもっと早く言っているはずだ。

 「おまえのおやじさぁ」

 貞吉は、少し言い淀んだ。

 「あんなに神様に熱心にまじめに仕えてた人なのに、どうしてあんな死にかたをしたんだよ? 神様の島で難破だぞ。どうなんだよ?」

 言って、目をそむける。

 ほんとうは相瀬あいせには面と向かって言ってはならないことだと思っているのかも知れない。

 「それは知らないって!」

 もり大小母おおおばに言ったような理屈をこのあと続けるのはどうにもめんどうだった。

 「おまえ、そんな……」

 貞吉が言う。言いかけたところに、

「おぉい、さだぁ」

 奥から声がした。

 貞吉の老親だ。

 貞吉は父母ともに相瀬や美絹みきぬの両親よりも年が上だ。母親は以前に亡くなって、いまは病気がちの父がいる。

 「なんだい、父ちゃん」

 貞吉が、これまでとは違う、のんびりした声で答える。

 「だれかお客さんかぃ?」

 廊下をせわしく歩く音がする。

 「ああ、相瀬ちゃんがね」

 「だれだって?」

 「相瀬だよ。祐吉ゆうきちさんとこの」

 祐吉というのは、その亡くなった相瀬の父親の名だ。

 「おお、……おぉ、おぉ……」

 貞吉の父親が廊下から顔を出す。

 「父ちゃん、寝てなきゃだめじゃないか」

 「何を言っとる」

 障子の張っていないさんのあいだから首を突き出している。血色がよさそうとはとても言えない顔だが、まずぐあいはよさそうだ。

 「おじゃましてます」

 相瀬はにこやかにお辞儀じぎをする。

 「おお、相瀬ちゃん、久しぶりだな。どうだ、上がって行かんかね」

 貞吉の父が言う。相瀬はもういちどお辞儀をした。

 「いま参籠中ですので。参籠が明けたら改めて来ます」

 「なに中だって?」

 「参籠中だって」

 貞吉が大きい声で言う。

 「ほら、お祭りで、さ」

 「ああ、そうだ、そうだ、そうだったな」

 貞吉の父は何度も頷いた。

 「そういえば、美絹さんもあんたに会いたがっておるぞ。だから、参籠が明けたら、また訪ねて来い」

 「はい。それじゃ、お元気で」

 「わしはだいじょうぶ、あんたこそ、無理せんようにな」

 貞吉の父は、桟のあいだから首を引っこめてしまった。たぶん寝床に戻るのだろう。

 貞吉と相瀬とは、気まずく相手の顔を見合った。

 「まあともかくさぁ」

 相瀬が言う。

 「お祭り終わるまでは逃げないでね。名主さんにどう言うかとかは別にして、わたしたちにも黙ってどっか行っちゃうなんて、そういうの厭だから」

 「あ、ああ、うん……」

 「じゃ」

 言い捨てて相瀬は門口を出た。振り返らない。

 急ぎ足で浜に戻る。

 貞吉にはとりあえずの足止めはできた。

 それに、あのお父さんがいるかぎり、貞吉も出て行くのは迷うだろう。美絹を離縁しない理由だって、ほんとうは、佃屋つくだやさんがどうこうというより、自分が離縁したくないのだ。

 だったらすなおにそう言えばいいのに、こういうところでこの男は意地を張りたがる。

 だが、もしかすると、貞吉は、あの病身のお父さんに楽をさせてあげたくて、商人になることを考えているのかも知れない。美絹さんにだって、夫婦になってまで海に潜っているような暮らしをやめさせ、町でたのしく暮らさせてあげたい。そんなことを思っているのかも知れない。

 ともかく、いまは屋敷町を早く離れたかった。

 ここには、佃屋とか、探索役の役人とか、相瀬の触れたくないご城下の風が吹き寄せている。

 その全部が悪いものではないだろう。

 でも、いまは、そんな乾いた風から身を避けて、早く海の近くに戻りたかった。

 見たことのある姿を見たように思って、相瀬はふと頭を上げた。

 真結まゆいだ。白っぽい着物を着ている。

 南の山のほうの道から歩いてくる。

 一人ではなかった。

 その真結の後ろからいっしょに歩いてくるのは見たことのある男だった。

 あの仕事熱心な小卒のクワエシンノジョーだ。

 たまたま同じ方向に歩いているのだろうか。

 そうではなさそうだ。だいたいふだんから村人が歩く道ではない。

 クワエシンノジョーが後ろからときどき何か声をかけている。真結は、答えないこともあり、何か答えていることもある。

 とくに嬉しそうにしているわけではないが、いやがってもいない。

 いや、いま話しかけられたときには、笑って振り向いて、クワエに何か言った。

 相瀬のいるところからは斜めの方向になる。真結は相瀬に気づいていない。たぶんクワエシンノジョーも気づいていないだろう。

 楽しくもない気もちを上塗りされたように感じて、相瀬は浜へと戻る足を急がせた。


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