第22話 ご城下の風(2)

 「いや、違うな」

 貞吉さだきちは見下したような顔をして相瀬あいせを見た。

 悔しいが、貞吉のほうが背が高いので、相瀬はほんとうに見下されている。

 「おまえたちはいつもそうだ。何でも都合の悪いことは讃州さんしゅう様のせいにして」

 「そんな……」

 こいつ、村の人間のくせに、あのサンシューに「様」をつけたりして!

 言い返そうとして相瀬はことばを呑む。

 そろそろ怒りにとらわれかけているいま、サンシューがどれだけ悪いかという話をすると、姫様の話をしてしまいそうだ。

 それは避けなければいけない。

 「だって、サンシューが家老になって、どれだけ村の年貢が上がったと思う?」

 「そのかわり、讃州様は、魚をきちんきちんと売れば、年貢が払える仕組みを作ってくださったじゃないか」

 「それ……」

 それは違う。

 本来、あの高すぎる年貢は払えないのだ、この村には。

 では、なぜ払えているか?

 そうだ。それを知っているからこそ……。

 相瀬は黙った。貞吉はそれが相瀬が答えに詰まったと思ったのだろうか。

 「讃州様だけの話じゃない。このあたりの村でさ」

 貞吉が息をついた。

 それから、早口でまくし立てる。

 「いや、江戸にどんどん人が集まって、海のものも田畑のものも、ぜんぶ江戸に集まっていく。そこに米だの麦だの菜っ葉だのが流れていく。だから、この近在の国でもいっぱい田畑を耕さなければいけない。そのために肥やしがいる。江戸では油も使う。そのためにいわしを絞って油を取り、そのかす干鰯ほしかにして田畑に回す。これまでとは較べものにならないくらい鰯がいるんだ。たとえば、そういう仕組みをだな、讃州様はこのご領内の仕組みに巧くあてはめられたわけだ。それで、商人は儲かる、海辺の村も儲かれば、陸の村も田の肥やしが増えて喜ぶ、そのぶん年貢が増えるからご領内も安泰、それに、江戸やら近在の町やらの連中も暮らしがよくなる。いいことばかりじゃないか」

 そうか、と思う。

 「いいことばかり」のことはこの世にめったにあるわけがない。そのめったにあるわけのないことに賭けて、そこに人を引っぱって行くのが山師という人たちなのだろう。

 サンシューもそういう山師の一人だったのか。

 だが、山師にだまされている人に、あんた、山師にだまされてるよ、と言ったところで、効き目があるはずもない。

 相瀬は貞吉にわかるようにわざと大きくため息をついた。

 「あんた、ほんと理屈っぽくなったよね」

 相瀬が言う。貞吉は黙っている。

 理屈っぽくなったのではない。子どものころから理屈っぽかったのだ。あの果てしない殴り合いも、相瀬と理屈の言い合いになって、それで始まったのだ。

 そうだ。あのときは、男と女とどっちがばかか、という、いまとなっては笑うほかないことで言い合いになったのだ。

 いや、いまその言いがかりをまた吹っ掛けてみたい気分になっている。

 どう見ても、いまは貞吉が美絹みきぬさんよりばかなのだ。

 でも。

 「いや、だからさぁ」

 相瀬は頭を掻いてみせる。

 こういうとき、髪を結わない海女は格好がつかない。浅葱あさぎ麻実あさみのように髪がきれいならばそれでも様になるのだけれど。

 「あんた一人ならそれでいいよ。好きにやればいいって思う。でも美絹さんのことも考えてよ」

 「だからさぁ」

 貞吉は不平そうに言う。

 「美絹にだって無理を言ってるわけじゃないよ。その、海女の娘組の頭を務めたら一生外に出られない、って、そういうばかな決まりにこだわるのはやめてくれ、って、そう言っただけだよ」

 「だから、それがばかな決まりってどうしてわかるわけ?」

 相瀬が言えるのは、たぶんこれが限度だ。

 「だって、どうしてなんだ、っておれは何度も美絹にきいたよ」

 貞吉は苛立たしそうに言った。

 「でも、昔からそう決まってるんだ、ってそれだけだよ。だから、おれは、世のなかがどんなに変わったか、ってそう言う。そう言っても、あいつは、昔からそう決まってる、って一点張りなんだ」

 「じゃ、離縁して」

 相瀬は下から貞吉の顔を見上げて言った。

 「離縁して、あんたは佃屋つくだやさんの養子になる。町にだったら、あんたと考えの合う女の子、いっぱいいると思うよ。あんた美男子だしさ、みんな寄ってくるよ。それで、あんたは町の商家で新しい暮らしを始めて、美絹さんはこの村で、自分の守りたい決めごとを守って生きる。それでうまくまとまると思わない? それこそさ、いいことばっかりじゃない」

 「いや、……それは」

 貞吉はことばを濁そうとした。

 「それはさ、佃屋さんにも世間体っていうのがあってさ、おれを離縁させてまで養子にした、ってことにはしたくないんだそうだ」

 この甲斐性なしが、と思う。

 しかし。

 疑いがきざす。

 まさか、狙いは、この貞吉ではなく、美絹さんではあるまいな?

 サガラサンシューは、この村が高い年貢を払い続けられる理由と、娘の海女組の頭を務めた女が村を出てはならないという決めごととの関係を疑った。

 それて、美絹さんを誘い出そうとした。

 あとは、佃屋の店に入った美絹さんを、宥めるなり、脅すなり、痛めつけるなりして、聞き出す。

 それぐらいのことはやりそうだ。

 自分の息子を殿様にしたいために、その息子を前の殿様の子ということにし、じゃまになるいまの殿様を殺し、姫君を消す。そのために、殿様に毒を食べさせ、その罪を姫君に着せて殺そうとする。

 サンシューとはそういう男なのだ。

 いや、しかし。

 どうして海女の娘組の頭に目をつけた?

 その決まり事と、村が年貢を払い続けられることのつながりは、相瀬にはわかる。でも、それはいろいろなことを知っているからわかるのであって、そうでなければまずわからない。貞吉が思っているように、商人に高く産物が売れているから、と考えるのがあたりまえだ。

 たしかにこの唐子からこの浜の漁師はほかの村よりも魚を巧く売っている。商人たちの言うことをよくきき、かわりに商人たちにも村の言い分を聞いてもらっている。もし村が儲かっていることに疑いを持つとしても、まず、商人のだれかと結託けったくしている、商人から金を横流ししてもらっている、というあたりを疑うと思う。

 しかも、嗷訴ごうそした村への仕返しや姫君への仕打ちを考えれば、サンシューならば何か理由をつけていまの頭である相瀬を捉えさせようとするだろう。しかも貞吉を商人の養子にして美絹さんをおびき出すというのは遠回しすぎる。

 ――よくわからない。よくわからないことを考えると、相瀬は頭が痛くなって叫び出したくなる。

 「あんたさ」

 ややこしくないほうに、相瀬は話を引き戻した。

 「昔から決まってることっていうのを守らないとしたら、神様の罰が当たるよ」

 「ふん!」

 貞吉は鼻で笑った。

 「じゃ、なんだよ、おまえは?」

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