第21話 ご城下の風(1)
昨日の夜はよく眠れなかった。
これほど参籠所で神様といっしょに寝ていることをありがたく思ったことはない。
いったい何だろう?
もし問い詰めていたら、姫様は教えてくれたかも知れない。けれども、姫様にとっても、その「鬼党」のことを思い出すのは
あの街は、神様の街ではなくて、鬼の造った街だったのか?
鬼がいたから、あの浜は村の者の立ち入りが禁じられたのか?
そして、鬼がいなくなったから、あの別院を祭礼で使っている?
でも、その鬼どもは戻ってくることがあるのだろうか?
もしかすると、姫様も何かおぞましいことを思い出して、悪夢にうなされて一夜を過ごしたのかも知れない。
どちらにしても、
それに、いまはそのことを思い出しているときではないと相瀬は思う。
思い出しているときではないから、わざとその鬼党のことを考えてしまうのか。
相瀬が、ためらう。
そんなことはめったにないのに。
でも、相瀬は心を決めると、木の柱が二本並んだだけの門を入った。
庭のまわりは杭を打って縄が張ってあるだけだ。でも庭があるだけぜいたくだと思う。
庭では
声をかけようと思ったら、家から
手ぬぐいをぶら下げている。庭で畑仕事でもするつもりか。
「お、何だ、相瀬」
朗らかな声をかけられて、相瀬はほっとする。それが急に裏返って、相瀬は不機嫌に言った。
「なんだ、じゃないでしょ?」
今日は
美絹は浜で育った。でも、いまはこの貞吉の家に移って、屋敷町のほうにいる。つまり、名主様のお屋敷の近くだ。
「あんたさ、村を出るって本気なの?」
「しっ!」
貞吉は慌てて言うと、相瀬の着物の肩のところをつかみ、自分の家の軒下へと引っぱりこんだ。
相瀬はこういうことには慣れているので、驚かない。
「だれにきいた?」
「美絹さんに決まってるでしょ」
「あいつ……」
相瀬の血が沸き立つ。
「あいつ、じゃないでしょ、もうっ! 自分の奥さんなのに!」
「親にもまだ言ってないんだ。それをおまえに……」
「わたしだから、でしょ?」
相瀬が言い返す。
「わたしだったら、あんたも美絹さんも知ってるし、それに軽々しく人に洩らさないって信用してくれたんでしょ」
「おまえなぁ」
「信用してくれたんでしょ」と言ったのが疑われているのはわかる。
たしかに相瀬は
でも、それほど口が固いわけでもない。
「まあいいや」
貞吉は軒の下に自分の背を押しつけて、小声で早口で言う。
「その通りだよ」
「
「ああ」
貞吉は
「養子の扱いにしてくださるっていうんだ。ただし、養子だからといって、店は継げない、って。でも、こっちだって、佃屋さんを継ごうなんて高望みはぜんぜんしてないさ」
「あんたさ」
相瀬も、声は抑えて、でも荒っぽい言いかたで貞吉に迫る。
「町の商売人の人の暮らしってわかってるの? 自分にできると思ってるわけ?」
「じゃ、おまえ知ってるのかよ?」
貞吉が生意気に切り返す。
「知らないよ。だってわたしは知る必要ないもん」
相瀬もさらに生意気に返した。それが貞吉には気に障ったようだ。
「おまえたち海女ってなんでそうなんだよ?」
そう来たか。
「伝来の決めごとだかなんだか、そんなことばっかりこだわって。それで、商売っていうのがどうなっているかも知らずに。いいか、世のなか、変わってるんだ、おれやおまえの子どものころとは」
「どう変わってるわけ?」
問い返す。
まわりで黄色い蝶が飛んでいるのはいいとして、虻が屋根瓦の角のところでさっきからずっと飛んで回っているのはうるさい。
貞吉は、鼻筋の通った顔を上げて、言った。
「子どものころってさ、商人がじかに買いつけに来るってこと、なかっただろう? 問屋様が来てさ、決められたとおりに売って。あとは山のほうの村と米や菜っ葉と交換とかさ。でもいまは違うじゃないか。ご領内の商人も、岡下からも、買いに来る。何をどれだけ獲って欲しい、って言うのも商人だ」
「それはわかるよ」
昨日、祭礼の日にもかかわらず、男どもは漁に出て、
「昔とは違う、商人と話をして、商人が欲しがっているものを売ったら、それだけ金が儲かる。昔ならば
「それはさ」
相瀬も言い返す。
「サガラサンシューがそういう仕組みを作っちゃったっていうことでしょ?」
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