第16話 炭占い(5)

 海女の娘組の頭にとっては前の二十三夜にじゅうさんやから、ほかの村の人たちにとっては朔日から始まった祭は、炭占いを中にはさんで、次の二十三夜の月待ちまで続く。

 村の人たちにとっては、この炭占いのあとは、月待ちまで、祭りにかかわることは何もない。普通に漁をし、畑を作り、商人と取引をすればいいのだ。たぶん秋の祭りより地味な祭りだと思っているだろう。

 だが、海女の娘組の頭にとっては、ここから月が満ちて欠けていくまでの時期がいちばん忙しい。気を張りつめていなければならない時期でもある。

 朝にもり大小母おおおば様に言われるまで考えていなかったが、やはり次の頭を決めておかなければいけないと思う。

 祭りにかかわる頭の仕事は祭りの時期にしか伝授することができない。盛の大小母様が心配するとおり、来年までに相瀬あいせに何かあれば、その伝授が絶えてしまう。

 娘組の頭を務めてから大人組に移った海女――たとえば美絹のような――ならばことばで伝えることはできるだろう。でも、やらなければならないことをいっしょにやって、やることとやり方を身をもって伝えることができるのはそのときの娘組の頭だけだ。大人組の海女はこの祭礼には加われないのだから。

 自分のことを考えてみる。

 大海蛇に立ち向かい、家老が極悪人として追う姫をかくまっている。

 それぞれ理由がある。

 でも、何がどうあれ、自分から危ないことに飛びこんでいることには違いがない。

 自分が頭に向いていないとは思わない。でも、村にとってだいじなことを伝授していく身としては軽率すぎる。

 もっと慎重な娘にこの地位を早く受け渡しておいたほうがいい。

 ただ、それをだれにするか。

 それを考え出すと考えが先に進まない。

 いや、ここで行き詰まるのがわかっているから、ずっとこのことを考えずに来たのだ。

 今日は参籠さんろう所にいなければならないけれども、このあとは神事がない。夕方に、運ばれてきたお膳を、また神様といっしょにいただくだけだ。

 横になってもいいと言われている。

 そのあいだに考えようと思う。

 岬の上に出る。風が吹き抜ける。

 空は晴れているが、靄がかかったようになっていて、どことなく湿っぽい。

 まだあの晴れの着物を着ている。領巾ひれが飛びそうになるのを手で押さえる。

 相瀬は手で領巾と襟を押さえながらまわりを見渡した。

 禁制の林はしずまりかえっている。あの別院はここからは見通せない。別院のあるあたりに軽く目をやって、何も変わったことがないのを確かめてから、大岬へ、そして東の海へと目を移す。

 海はただ広く広がり、ところどころ波を立てて輝いていた。色は青かったり、鈍色にびいろだったり、緑だったりだ。いつまでも同じ色、同じ輝きでいるわけではない。

 村の岬は、ここからその海へ、海の向こうの空へと突き出していた。岬の先にほこらがある。

 筒島つつしま様も、村の海のいちばん東の果てにある。

 その向こうに何があるのだろう。

 少なくとも相瀬は向こう岸というものは見たことがない。

 北の岬には村の岬が向かい合い、村の岬の南には大岬が向かい合っている。大岬の向こうは手つかずの森が続いているらしいが、そのまた先にはまた岡平おかだいら領の村の浜が続いている。人が住み、漁をし、畑や田を作っている場所が続いている。

 しかし、東側にはそんなものはない。

 船で東の海に出た人に聞いても、ただ海が広がるばかりで、陸地はないらしい。

 この岬と筒島様の向こうでは、漁や畑の作の出来の良し悪しを心配することも、年貢の払いに思いわずらうことも無縁だ。

 そこはやっぱり神様の領知ちょうちする場所なのだ。

 そう考えれば、相瀬が三年前に背負い込むことになった不幸せも自然に受け取ることができる。そう思えた。

 では、禁制の浜に住まうあの神様たちと、この東の海の神様のあいだにはどんな関係があるのだろう。

 神職でもない相瀬にわかるわけがない。

 神主様ならばわかるのだろうか。

 参籠所に入ったらすぐに着替えられる。ここは村から見られているかも知れないので、大きく伸びをすることはできなかったが、もう着崩れることも気にせず、ただ領巾が飛ばないように手で握っただけで、相瀬は大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐いた。

 村の家の例に漏れず、建て付けの悪くなっている参籠所の戸を開ける。

 くつというものを脱ぐことができただけで相瀬は嬉しい。窮屈だ。こんな足全部を覆う履き物がどうしてこの世にあるのだろうと思う。

 沓をはずして参籠所のなかを見上げて、相瀬ははっとした。

 相瀬が寝るはずの寝床に、先にだれかが横になっていた。

 あってはならないことだ!

 祭りのあいだは許された者以外が参籠所に来ることも禁じられている。

 まして、海女の頭が使う寝床に勝手に潜りこむとは。

 いまは相瀬が少しでも眠っておきたいのに。

 そこで、体を横に向けて眠っている不届き者のお尻あたりを足の甲で蹴ってやろうと、足を後ろに挙げたところで、思いとどまった。

 人のことはいえない。

 相瀬は参籠中に毎晩抜け出している。去年の秋、別院に籠もったときも、夜、別院のなかや禁制の浜の林を歩き回っていた。

 それだって、もちろんあってはならないことだ。

 それに、ここに寝ているのは神様かも知れない。

 神様は相瀬の参籠の相手をしなければならないのに疲れ果て、相瀬が当分は帰って来ないと思って、人の姿になってここで寝ているのだろうか。

 神様がそう思ったとしても無理はない。

 それとも、あの姫が別院から抜け出してきたのか。

 これは、そうだとするとたいへんなことだ。でも、たぶん姫様はここに来ることはできない。道を知っているのは相瀬だけだ。

 そして、どちらでもなかった。

 相瀬が足を浮かせて、また下ろしたので気がついたのだろう。

 白い布団の下に頭を隠していた女が寝返りを打ち、呻き声を立てて相瀬の顔を見上げた。

 細面の優しい顔つきに、癖のある長い髪の毛――。

 「美絹みきぬさん!」

 相瀬は跳び上がって、その勢いのままその枕元に座った。

 床が軋むどころではなく、参籠所の建物全体が揺れる。

 「何やってるんですか!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る