第14話 炭占い(3)

 大小母おおおばの言ったとおり、その日は昼には晴れた。

 相瀬は、今朝がたは村の岬の参籠さんろう所に戻り、お使いを待って、村のお社へ移った。

 禁制の浜は別にして、村には神様をまつったところが三つある。

 一つが岬の上で、ここにはほこらがあり、いま相瀬が籠もっている参籠所がある。

 一つは筒島つつしまだ。

 そしてもう一つがこの村のお社だ。たぶん、海に出ない村の人にとっては、この村のお社がいちばんなじみがあるだろう。

 三つのお社に別々の神様がいらっしゃるわけではなく、同じ神様だという。では、領主の殿様に、岡平にお屋敷があり、江戸にもお屋敷があるようなものですかともりの大小母にたずねると、そんなものであるわけがないという。

 よくわからない。

 筒島には小さい祠があるだけだし、岬には祠と参籠所しかない。

 しかし、この村の社には、相瀬の家よりも大きなお社があり、ほかにも小さな祠がいくつもあり、お社の前には何もない広い庭がある。

 ここが神様にとっては本屋敷なのだろう。

 あの禁制の浜に、人の目に見えない本屋敷があるのでなければ、だが。

 いまは、その大きなお社の庭のまんなかに、高さが胸のあたりまでの炭焼きがまが造ってあった。

 相瀬は、参籠中の白地の無地の着物のまま、汲み置いた海水で垢離こりを取り、着替えて村の社へ移ってきた。

 着替えた着物は上の着物には襟飾りがあり、その上から領巾ひれを着け、袴も穿き、大仰なくつも履き、髪も結って髪飾りをつける。

 参籠中の娘組の頭のいちばんの晴れ姿だ。

 その姿で、お社の前、炭焼き竈に向けて横向きに、高い台の上に置かれた輿こしの上に座っている。

 子どものころ、相瀬は、そのころの娘組の頭がこの着物を着てこの神事を行っているのを見て、海女になろう、海女になったら娘組の頭になろうと心をおどらせたものだった。

 前の頭の美絹みきぬがこの着物を着た姿もきれいだった。ふだんから穏やかな美絹さんだったが、祭礼で見た美絹さんは、女というのがこんなに清らかになれるものかと驚くほどだった。山で生まれたばかりの清水だってこれほど澄んではいまいと思う。

 そして、相瀬はその海女の娘組の頭になった。

 それでこの衣裳を着てみると。

 ただ窮屈きゅうくつなだけだ。

 腹は締めつけられる。袖が長いから何かに引っかけないようにいつも注意していなければならない。風で領巾がずれる。ずれると、目立たないように直さなければならない。着物も少しずつ着崩れていく。その上、村人やお客様が見ているまんなかなので、眠るのはもちろん、うつむいたり目を閉じたりすることもできない。瞬きも多いと人目を引くのでなるべくしないようにとまで言われた。

 村の一年の吉凶を占う神事なのだから、大事なのはわかる。

 しかし、空き腹を抱えて、聞いてもよくわからぬ祝詞のりとを聞いて、それで眠そうにしないというのは、これまでの生涯でいちばんの難事だ。

 美絹さんがこの大役を逃げるためにあの貞吉と夫婦になったとすれば、逃げるほど辛かったのはやはりこの炭占いの儀式だろうか。

 いや、たぶん、違う。

 相瀬にとってこれが辛いのは、相瀬がひとときも体を動かさないでいるのがいやな性分だからだ。

 美絹さんならばあたりまえのように耐えたに違いない。

 その美絹さんはここに来ているだろうか、と思う。

 首を動かして探すと目立ってよくないので、前を見たまま、目だけ動かして見てみる。

 やはりいない。見えないところにいるかも知れないが、たぶん来ていないのだろう。

 さわりの日でいないのかも知れない。いや、違う。障りの日ならばどこにも行かずに家にいるだろう。そんな事情なら大小母が気にしたりもしないだろう。

 大小母の話を聞いた後だと、やはり気になる。

 ほかにだれが来ているかも見てみる。

 大人の海女組の者は、美絹以外にも来ていない人が何人かいる。

 漁師の男たちのうち、今朝漁に出た連中は、もちろんまだ帰っていない。

 娘組は相瀬の正面の後ろのほうにいて、しかもときどきおしゃべりしている。ことに浅葱あさぎはずっとだれかに話しかけていた。おしゃべりでふまじめな娘だ。

 おしゃべりぐらいはいいけれど、娘の海女たちがときどきこちらを見て笑っているのが気になる。とくにふさは背が高いので目につく。

 真結まゆいはまだ傷が癒えていないのか来ていない。

 畑を作っている村人も、全部ではないが、たくさん来ている。

 名主の幸右衛門こうえもんさんは神主様といっしょにいる。その場所が相瀬の乗った輿の前なので、名主様の頭がこともあろうに相瀬の爪先つまさきのすぐ下だ。これはいいのだろうかと思うけれど、そう決められているのだからしかたがない。

 見ていて、畑を作っている人たちと海に出る人たちは違うと思った。

 海女も漁師も含めて海に出る人たちは、頭を垂れぎみにして、神主様や相瀬をじっと見、ときどき手を合わせたりしている。

 畑を作っている人たちはそうでもない。晴れやかだ。おしゃべりしているのもこの人たちが多い。海女の娘組を別にすれば、だけど。

 畑作りをしている人たちにしてみれば、今日は、ただの「祭りで畑仕事をしなくてもいい日」なのだ。

 浜と取引のある商人たちの姿も見える。岡下おかした領からも来ている。相瀬が子どものころには商人は来ても一人か二人だったが、いまは七‐八人は来ているようだ。あのサンシューが魚や貝やあわびの取引を村に勧めていて、それで取引商人が増えたからだ。

 わざわざ遠くから来てくれるのだからありがたいとは思う。でもサンシューのことをいっしょに思い出すと何とはなくいまいましい。

 そして、鳥居に近いほうに、武士らしい男が三人かたまっていた。

 これが、あの姫君の探索に来た役人どもだろう。

 背の低い二人は、ずっと何か話している。浅葱に劣らずおしゃべりだ。こんな男が漁師組にいれば、顔のかたちが歪むほど頭に殴られているに違いない。

 武士なんてこんなものかと思う。

 ところがもう一人、背の高い武士が、ときどきそのおしゃべりにも交じりながら、だけれど、まじめに頭を下げて、神主さんの祝詞を聞いている。この人だけは羽織をきちんと着ている。

 これが、その小卒しょうそつ身分のまじめなクワエシンノジョーという男だろう。

 ふだんなら感心なことだと思う。三人の武士のなかでこの男が見ていていちばん気もちがいい。

 顔立ちも整っている。

 でも、そのまじめさが困ったものなのだ。

 ここで、ふと、あの姫様が村の祭りに来たらどう思うだろうと思う。

 下々の祭りなどには興味がないだろうか。そのうるささを嫌うだろうか。

 それともお城の祭りと違っていて面白いと思ってくれるだろうか。

 いや、いま姫様のことを考えてるのはよくない。役人どもに相瀬の気もちが見抜けるはずもないが、少しでも不審を抱かれるのは避けなければならない。

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