第13話 炭占い(2)

 戻って来た相瀬あいせの目を捉えて、大小母おおおばは次の話に入る。

 「ところで、次のおさはだれにするつもりだ」

 「あ」

 相瀬は顔をゆるませる。照れて笑う。

 「かしら」という言いかたは慣れたが、「長」はやはり慣れない。

 「次だなんて、そんな。わたしも、去年、頭になったばかりだから」

 「ばか」

 大小母はまじめに言う。

 「もしここ数日のうちに村の男のだれかを相手におまえの恋心に火がつき、大人組に移らねばならなくなったらどうする?」

 男と夫婦になれば、当然、娘組にはいられないから、娘組の頭でもいられなくなる。

 「いや、そんなことありませんから。ぜったいに、ありませんから」

 笑って答える。

 だが、そういうことではない。

 大小母は不吉なことを言うのを避けたのだ。いま船が出たところだから。

 もし、相瀬の身に何かあったら。そう言いたいのだ。

 いまはそれがよけいな心配でないことがわかる。

 この間、相瀬は海蛇相手に戦って油断し、もりを取り落とした。あのときは気が立っていたから、素手でも海蛇の喉を絞めて殺すなどという愚かなことを考えたが、あの大海蛇相手にそんなことができるはずもない。

 助からなかっただろう。

 真結まゆいが助けてくれていなければ。

 「絶対にありませんというならそれはそれで困ったことではないか」

 大小母がなじるように言う。相瀬には答えようがない。

 ふいに、このあいだ、海で真結の体を抱いたときのやわらかさの感じがよみがえる。

 「というのは、だ」

 もりの大小母様は続けた。

 「いや、それとかかわるのかどうか、わたしにもわからぬが」

 とまどったような言いかたをするのは、大小母様には珍しい。相瀬は黙って聞いた。

 「美絹みきぬが、ここしばらく、漁に来ぬそうだ」

 「美絹さんが?」

 問い返す。

 美絹は、相瀬の前の海女の娘組の頭だった。ずいぶん長く娘組の頭を務めたはずだ。相瀬を次の頭に決めたのがこの美絹だった。

 それが去年のこのご祭礼の前に急に嫁いでしまった。次の頭だった相瀬が慌てて頭になり、見よう見まねで覚えた祭礼の大役を務めた。

 ここで相瀬が次の頭を決めておかねば、ご祭礼の大役を務める者がいなくなる。これは村にとってはたいへんなことだ。

 「美絹さんが?」

 もういちど問う。大小母様は唇を咬むようにして頷いた。

 その重い唇を開く。

 「あれはあの大役を逃れたい一心で嫁いだのだろう。次の頭が育つまではとがまんしていたのだろうが、おまえが無事に頭を務められるようになって、祭礼の前に大役を譲った。それというのも、あれが隠しごとというのがおよそ嫌いな女だからだ。いまになってみればわかる」

 大小母が言う。

 美絹は海女としての力も才も相瀬よりはるかに上の人だ。それに人当たりも柔らかだ。未熟だった相瀬が大人組の海女に怒られ、相瀬のほうも何で怒られたかわからずに大声でわめいて張り合っているなかに入って、またたくうちにいさかいをなだめてしまったのを相瀬は覚えている。

 たしかに隠しごとは嫌いなのだろう。揉めている何人かのそれぞれが隠していることをうまく聞き出して、それで仲直りさせてしまうというのも、美絹がよくやったやり方だ。

 どうやればあんなに人の気を落ち着かせられるのだろう。

 いまでもわからない。

 相瀬はその美絹の下で歳上の娘たちをさしおいて次の頭を務めてきた。でも、それで無事に頭を務められるまでに育ったのかどうか。

 自分はとてもそんな立派なものにはなっていないと思う。

 でも、そんなことをいま大小母に言ってもしかたがない。

 「あの」

 相瀬は考えたことを言ってみる。

 「嫁いだから、家の仕事をしていて漁に出てこないというのは?」

 「夫も海に出ているというのに、家に何の仕事がある?」

 「ああ、そうですね……」

 その夫というのが、さっきの貞吉さだきちだ。

 子どものころに相瀬と取っ組み合いをした相手だ。歳は美絹のほうが少し上のはずだ。

 畑を作っている家に嫁いだら、海女の仕事を続けられなくなり、海に出てこなくなるということもある。だが貞吉は漁師だ。畑も作っているが、それは自分の家で食う分の足しというくらいだ。

 家の仕事といっても、貧しさでは相瀬と似たり寄ったりの貞吉の家にそんなに仕事があるわけもない。

 あるとすれば、貞吉の年とった親の世話だが、貞吉の親は美絹が浜に出るというのを止めるようなことはしない。もし美絹がつきそっていなければならないほど親の体の具合が悪いならば、貞吉だって海には出なかったはずだ。

 「組違いのおまえに言ってもしかたないかも知れぬが、まあ、気にしておいてくれ」

 「はい」

 言われるまでもなく、気にはなる。

 どうしてご祭礼のときにこう次から次へと厄介ごとが持ち上がるのだろう?

 「よいな」

 「はい」

 相瀬は大小母に一礼してその場を去ろうとした。

 今日は昼も神事がある。早く参籠所に戻らねばならない。

 「相瀬」

 低い声をかけられて、相瀬はびくっとする。

 「そのたもとに入れているのは何だ?」

 「あ、これですか?」

 あらかじめ首をすくめて、相瀬は笑顔で振り返った。

 「さっき、握り飯をちょっと……それから大鰯もちょっと……」

 どう見ても、「ちょっと」ではない。それはわかっている。大小母は詰る。

 「何をする気だ?」

 「いや、ちょっと食べてから戻ろうかな、って」

 満面の笑顔で大小母に向き合う。

 「ふん!」

 大小母は鼻を鳴らした。

 「参籠中だぞ。ちっとのがまんもできぬのか?」

 「ちっとのがまんならしてます!」

 思わず言い返す。

 「ちっとでないがまんだから……」

 言い張る相瀬を大小母は睨みつけた。

 やっぱり、笑うわけにはいかなかったのだろう。

 「やるなら、人に気取られぬようにやりなされ。わかったな」

 「はい」

 もういちど、じっと相瀬を見てから、大小母は隠居所への坂を上っていった。

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