第12話 炭占い(1)

 薪を焚いた煙が勢いよく空へと吸いこまれていく。

 空は曇っている。風がきつい。ただ朝だからというのでなく、肌寒い。

 梅雨が戻ったのだろうか。しばらく晴れが続いたというのに。

 浜の岬の上の祠にみなでかしわ手を打ち、頭を下げる。そして、

「出すぞ!」

 たくましい声とともに、船は浜を離れた。

 「行ってらっしゃぁい!」

 「お帰り待ってまぁす!」

 「おさかないっぱい獲ってきてね!」

 娘どもが口々に叫ぶ。ほかの者たちもそれぞれ声をかけた。自分の父親に、夫に、息子に。

 浜の男どもが沖の漁に出る。

 櫓をとるのは貞吉さだきち――つまり相瀬あいせが小さかったころに組み討ちした相手の男の子だ。そのときから体の大きい男の子だったが、そのまま大きく育って力持ちになった。

 だから、二十歳あたりから五十歳ごろまでの男を十人も乗せた船のを預かっている。

 貞吉の腕は確かだ。のどかに漕いでいるように見えるのに、その船が浜の岬と北の岬のあいだを勢いよく遠ざかって行く。

 相瀬は大きく息をつく。

 四の麦飯と焼いた大いわしが男どもの腹に消え、残った飯も男どもがあらかた握り飯にして持って行ってしまった。娘組の頭の得分として最初に握り飯一つと大鰯と漬け物を取り分けておいてよかったと思う。

 あとは、これが夜まで腐らずにもってくれるかだが。

 「ほんっとあいつらって大食らいね!」

 さっきまで甲高かんだかい声を上げて男どもを見送っていた浅葱あさぎがいまいましそうに言う。

 ああ、やっぱり浅葱もそう思っていたのか、と思う。

 大人たちは大人たちで

「どうして炭占いの日にまで漁に出なければならんかねぇ」

などと口々に話している。

 今日は大人組も娘組も海女の漁は休みだ。でも、海女の娘組には、これから大釜を洗い、焼き網を洗い、乾かす仕事が待っている。

 「さあ、さっさと片づけよう!」

 相瀬が声をかけると娘たちは仕事にかかった。相瀬も大釜洗いに行こうとすると、

「相瀬!」

 鋭い声がした。

 もり大小母おおおばだ。

 海女をやめて隠居した大小母が浜まで下りてくるのは珍しい。

 大小母は相瀬に来るように目配せした。

 相瀬の次に歳が大きいのは真結まゆいだが、真結はまだ家で養生している。ほかの海女は歳は似たようなものだが、ふさがまとめ役なので、房にあとは頼むと軽く手を挙げて合図する。房が目を細めて頷いたのを見て、相瀬は大小母のところへ行った。

 大小母は、夫や父や息子を送り、自分の家に戻っていく者たちからも離れていた。相瀬が来ると、自分の隠居所いんきょしょに向かう道を歩き出す。相瀬もついて行った。

 大小母の隠居所は、北の岬に上る途中の中ほどにある。この前、大小母がご城下の騒動について話していたのがその隠居所だ。

 その隠居所に向かう道へ曲がり、浜から大小母と相瀬の姿が見えなくなったところで、大小母は振り向いた。

 「天気のことですか?」

 相瀬が立ち止まって言う。

 「この空は昼には晴れる。心配はない」

 大小母は答えた。そのときの顔で、また何かめんどうなことなのだと察しがつく。

 小さい声でも聞こえるように、相瀬は大小母に近づく。それを待っていたように、大小母は話し始めた。

 「まず、先日言っていた網奉行あみぶぎょう様のお役人のことだが」

 「はい」

 やっぱりそのことか。

 「昨日の夕方、名主様の屋敷にお着きになった。全部で三人、頭は吉井よしい元助げんすけ殿、それに喜多村きたむら誠吾せいご殿と桑江くわえ慎之進しんのじょう殿だ。名主屋敷の続きむねに泊まっていただくことになっている」

 「はぁ」

 名まえなんて、どっちでもいいと思った。

 「風聞では、吉井元助、喜多村誠吾、この二人はとてもお役目熱心とはいえぬという。昨夜はさっそく濁り酒を二升も空けて大騒ぎの上眠ってしまったそうな。たぶんいまもいびきをかいて寝ておることだろう」

 フーブンというのはほんとうかうそかわからない噂話のことらしい。

 だが、大小母は確かめている。たぶん名主屋敷の下働きのだれかが伝えているのだ。

 あれ?

 三人のうちの、二人はお役目熱心でないという。

 「ということは、その残りのクワエシンノジョーというのが、とてもお役目熱心といえるということですか?」

 「わからぬ」

 大小母は背筋をきっちり伸ばしたまま言う。

 「夜の酒盛りでは残りの二人とともに騒いでいたらしい。だが、着いてすぐ、名主屋敷の者たちから、近くの畑で働いている作人さくにん衆まで、みなに姫の容姿を説明し、見たか見なかったか、訪ねて回ったそうだ」

 「はあ、それは……」

 熱心そうだ。

 感心なことだが、いまは困ったことだと思う。

 それも、さまざまに。

 「桑江様は、もともと小百姓の出で、讃州さんしゅう様に取り立てられて士分の身となったそうな」

 ますます困る。

 「ご身分としてはまだ小卒しょうそつに過ぎぬ」

 武士としてはいちばん下、ということだ。相瀬はきいてみる。

 「つまり、上の身分を目指して、それだけお励みになると」

 「そういうことだ」

 「はぁ」

 サガラサンシューが嫌われているのは、高い年貢を押しつけたり、城下や街の商人と取り引きするよう無理強いしたりということもあるが、もう一つ、これがある。

 つまり、低い身分のものを取り立てて、自分の手下にしてしまうことだ。

 そうすると、それに恩を感じたその低い身分のものは、サンシューのためにまじめに働く。村に年貢を取り立てに来て、名主を土下座させたりする役人がこの手合いの役人だ。

 乱暴者のオーイノカミと親しく、それだけギョーブ様からは疎まれているはずのサンシューが、いまだに家老の一人として権勢をふるっているのは、サンシューがそういう手下どもをたくさん抱えているからだともいう。

 「だからといって、気取けどられることはあるまいが、ともかくつつしみなされ」

 「はい」

 そう言っておくしかない。大小母も軽く頷いた。

 相瀬はここで岩の向こうをうかがう。まさかとは思うが、立ち聞きされていないとも限らない。

 海女のだれかが指図をききに来るかもしれない。

 だいじょうぶだ。だれもいない。

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