第7話 海潮音(3)

 「不安があるとすれば、刑部ぎょうぶ様にはお世継ぎがいらっしゃらぬことであった」

 大小母は穏やかに続ける。

 「しかし、そのことについては、玉藻姫たまもひめ様にお婿様にお迎えし、その方をお世継ぎにすることで、筆頭家老野川のがわ玄斎げんさい様以下のご意見は一致しておった。また、玉藻姫様のお婿様としては、刑部様が岡平に移られた後に岡下の殿様をお継ぎになった大膳だいぜん様のご子息主膳しゅぜん様と決まっておった」

 「はぁ」

 つまり、その玉藻姫という姫様に婿を取らせることで家を継がせようということだ。

 お武家というのは窮屈で身勝手なものだと思う。自分の父親に母親を殺された姫様ぐらい、もっと好きなように生きさせてあげればいいのに、その女の子をまた家を継がせるために使うつもりなのだ。

 「ところが、だ」

 盛の大小母は鋭い目で相瀬を見た。気が散っていると思われたのかも知れない。

 じっさい、少しくらい気が散っていなければ聴けない話だ。そのうんざりする話がまだ続く。

 「大炊頭おおいのかみ様のご嫡男が、江戸で元服なさったそうだ」

 「そのゲンプクというのは、髪上げのことですか?」

 相瀬がきく。気が散っていないのを見せておくためにも、必要なことだ。

 「まあ、そうだ」

 つまり大人になったということだ。

 チッキョさせられたオーイノカミに男の子がいて、それが江戸で大人になってしまったのだ。

 「元服された大炊頭様のご嫡男は主馬しゅめ様とおっしゃるそうだ」

 「はァ……」

 何をどうひねり回したら「シュメ」なんてことばが作れるのだろう。感心するしかない。

 「そして、ご家中には、にわかに主馬様こそをお世継ぎにという声が上がった」

 「はぁ」

 どうでもいいと思う。次の殿様がダイゼン様のごシソクシュゼン様になろうが、そのシュメになろうが、自分たちにとってどういう違いがあるというのだろう。

 「しっかり聴かぬか!」

 大小母の叱り声が飛んだ。

 「これからがかんじんのところだというに」

 「はいっ!」

 ここでだらだらしていたらもっと説教される。相瀬は跳び上がるようにして姿勢を正す。

 盛の大小母は、叱り声から一転して、沈んだ声で言う。

 「ところが、だ。そんな折り、このたび江戸から戻られた刑部様がお倒れになった」

 「はいっ?!」

 つまり殿様が倒れたということだ。

 これが大事件なのは相瀬にだってわかる。

 だったら、そっちを先に言ってくれれば、さっきのようにだらけることもなかったのに、と思う。

 「しかもだ」

 大小母は相瀬をじっと見たまま、話を続ける。

 「玉藻姫様が岡下から訪ねてお出でになり、玉藻姫様が殿様にお目通りされ、そして、玉藻姫様が手ずからお作りになったご菜をお召し上がりになったすぐ後に、倒れられたそうだ。ご病状はおおやけにはされておらぬが、全身にしびれが回り、口をお利きになることも叶わぬということだ」

 相瀬は大きな声を上げた。

 「それは、つまり! ……いや、そんなことはないですね! うん、そんなことはない」

 盛の大小母は、まじめな話の途中なのに、しかたがない、という顔をしている。

 ふだんのやりとりなら大小母は笑っていたところだろう。

 「何を独り合点している?」

 大小母が詰る。相瀬は言った。

 「いや、つまり、玉藻姫様がそのギョーブ様を殺そうとした……んじゃないかと考えたんですが、そんなことないですよね。だって玉藻姫様はギョーブ様には懐いておられたという話だし、もしお殺しになるにしても、そんな見えすいた殺しかたは、したりされないだろうと」

 「おまえもいちおう人を敬ったものの言いかたはできるのだとはじめてわかった」

 盛の大小母はまじめな口ぶりで言い、続けた。

 「まあおまえでさえ疑わしいと思うこのできごとだ」

 おまえで「さえ」というのは何なのだろう? 大小母の話は続く。

 「しかし、岡下の玉藻姫様のご住居の庭から毒きのこが見つかったことで、ご家中のご意見は玉藻姫様のお仕業しわざというに決まった。そのきのこが、姫様が刑部様に差し上げなさったお菜に入っていたそうだ」

 「待ってくださいよ!」

 相瀬は腰を浮かせた。

 「そんなのだれかが仕組んだに決まってるじゃないですか!」

 「そんな証拠がどこにある!」

 大小母が叱りつける。言い返そうとした相瀬のことばを遮って、大小母は続けた。

 「いや、まあいい。もう少し落ち着いて聴きなさい」

 「はい」

 しかし、落ち着いて聴くと、どんどんいやな話が出てきそうだと思う。

 そのとおりだった。

 「お疑われになった玉藻姫様は乳母うば様とともにお城からお逃げになった。その後、どこにいらっしゃるかわからぬ。関所はもちろん、領内の境の村々にもお役人が遣わされて厳しい探索に当たっているというが、行方がつかめぬ」

 「そんなの!」

 相瀬は、今度は腰だけは落ち着けて言う。

 「そんなの、だれかがギョーブ様に毒を飲ませておいて、あとからそのきのことやらをお膳に入れておいたに決まってるじゃないですか。だいたい、ご領主のお家のお屋敷では、庭にきのこを生やしたままにしておいて、お庭係の人が怒られたりはしないんですか? それに毒見は? お殿様がたべるものってぜんぶ毒見するはずでしょ?」

 「お庭係も気づかぬほどひそかに育て、また、お姫様お手ずからのお菜を毒見するなどおそれ多いということだったそうな」

 「ますます怪しい!」

 「そんなことを言うのはここ限りにするのだぞ」

 盛の大小母が厳しく言う。

 「というのは」

 大小母は、ことばを細かく顫わせて言った。

 「玉藻姫様の行方探しに相良さがら讃州さんしゅう様がたいそうご執心しゅうしんなのだ」

 「サガラ?」

 相瀬は愕然とする。

 「サガラ、サンシュー……って……あのサンシュー?」

 「そうだ」

 大小母が苦々しそうに頷く。

 「その相良讃州様だ」

 「はぁ」

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