後編
「――で、こういう職種の面接を受けようと思っているんだけど……」
隣で聞こえた彼女の言葉に、俺はハッと我に返る。
右を見ると、つい先ほど見ていた彼女よりも少し明るい髪色をした彼女が、隣の椅子に座り俺にパンフレットを見せていた。
勢いよく向いた俺を不思議に思ったのか、彼女が少し首をかしげる。
その姿に、「自分は転生して悪役令嬢になっていた」と言っていた先ほどの彼女の面影は感じない。
一度首元のネックレスに手を持っていき、触れてみる。指で確かめると、丸い宝石は残り一つになっていた。
――どうやら、思っていた通り彼女の記憶が消えたまま二回目のタイムリープも成功したらしい。
「……どうしたの? やっぱり別の職種の方がいいとか?」
首をかしげたままの彼女の言葉に、俺は被せるように口を開く。
「――――あのさ、その話なんだけど――――――」
そして、俺は彼女にある提案をした。
彼女はブラック企業に就職したことでまともな思考回路が出来ぬままに、道を飛び出した子供を助けようとして事故に遭った。
彼女が事故に遭った日付は、ちゃんと覚えている。ただ、その日の事故を回避しても、彼女がブラック企業に勤め続けていれば、彼女が別の事故に巻き込まれたり、働きすぎで倒れてしまうのも可能性としてはありえた。
それなら、そもそも彼女をブラック企業に就職させなければいいのだが、どこがホワイト企業か見極めるには、あまりにもタイムリープの回数が足りない。
だから俺は、思い付いた最適解を彼女に伝えたのだ。
「……専業主婦になってくれないか?」
彼女が驚いたように俺を見る。しかし、俺も本気だった。
こうすれば確実に「彼女がブラック企業で働いた先での未来」は全てなくなる。
彼女が働きづめで死ぬことも、交通事故に巻き込まれることもなくなるのだ。
つまり俺の提案は、彼女には俺と結婚することを前提で専業主婦になってもらい、一緒の場所で暮らしていこうというものだった。
俺の提案に、最初彼女は戸惑っていた。
このご時世、社会人一年そこらの人間の給料だけで二人分の生活費を立てられるとは思っていない。
だから自分も働いた方がいいと彼女も強く主張していた。
しかし俺の並々ならぬ熱意に押されて、彼女はついに就職の道を止めて専業主婦になった。
彼女の両親も俺が説き伏せた。結婚式も挙げ、どちらの家族にも祝福を受ける形で終わった。
それからは幸せな日々だった。
二人分の生活費を稼ぐために仕事は死ぬほど忙しかったが、家に帰ったら「妻」の肩書になった彼女が迎えてくれる。
あの時救えなかった彼女と共に俺は生きている。
その気持ちが俺を頑張らせてくれた。
――しかし、死と言うものは誰にでも平等に訪れるものらしい。
それは、彼女と結婚して四年が経った頃だった。
その日の俺は夜遅くまでかけて仕事を片付け、ようやく終わらせてホッと息をついて帰宅するところだった。そして帰宅する途中、深夜の時間帯で車通りも少なくなった交差点で信号待ちをしていると、突然こちらに向かってくる自動車にはねられたのだ。
最後の記憶は、迫りくる明らかにスピードの速い乗用車で、あれだけ彼女を救おうとした俺の人生はここで理不尽に終わるんだな、とぼんやりと思った。
しかし、気まぐれはまだ続いていたらしい。
目が覚めた時、俺は草むらの上で寝転がっていた。一瞬、死んだ俺が天国に来たのかとも思ったが、近くを進むと髪色の明るい人間がいて、話してみても天国だと説明されず、むしろ俺を見て不気味なものを見るかのように立ち去られてしまったことで違和感に気付いた。
その後、どうにか人に不気味がられながら情報収集をしていくうちに、俺がいわゆる異世界転生をしてしまったのだと気付いた。
この世界でも日本語が使われているのか、俺の身体がその場所に馴染んでいるのか分からないが、言葉は通じるようだったのでそこは助かった。
ただ、流行りの異世界転生のように、世界が俺にやさしい、なんてことはなかった。
鮮やかな髪の色が多い中、就職活動を期に真っ黒にしたままだった俺の髪は、この世界では不吉な色とされており冷たい扱いを受けてきた。
こんなことになるならどこかで染めておきたかったが、死ぬ直前までの俺は真面目な社会人で、そんな機会はどこにもなかったのだからしょうがない。そして、流行りのチート主人公のような能力も持っていなかったので、俺の評価は最底辺からスタートしていったのだ。
異世界転生で元からいた人間ではないので、身元不明の男とされ地位も能力もなく、馬鹿にされて生活することになった。
だから、実力でどうにかするしかなかった。努力がようやく実を結ぶようになったのは、いつの事だっただろうか。
努力でのし上がり、ぽつぽつと認められ、俺の元にも仲間が少しずつ集まる様になった。
なぜかやって来る仲間は異性率が高かったが、実力は申し分ないので俺も快く受け入れた。
そして、今日この日から俺の元に集った仲間たちとの最初の旅になるはずだった。
魔法使いのルージュ、獣人のジョーンヌ、騎士のヴィオレ、魔導士のブロンシュを俺は一度見やる。
彼女らは思い思いの表情を浮かべていたが、みんなこれからの冒険に決意を固めているのは見て取れた。
その様子を確認して、俺は正面に向き直る。
ようやくだ、ようやく俺の努力が報われて正当な評価を受けた初めの冒険が始まる。
これから俺たちの冒険が始まるぞ――――――と手を掲げたところで、目の前が真っ暗になる。
どこかで経験したことがあった気もしたが、それがどこか分かる前に、再び視界が明るくなる。
気が付くと俺は、見慣れない異国の衣装ではなく、死ぬ前にいた世界でよく着ていた白いワイシャツの格好でその場にへたり込んでいた。
目の前には、死んで異世界転生してから久しく見ていなかった彼女がいる。
「どうして、彼女がここに」
その疑問に答えるように、彼女は俺の姿を見て、驚いたように口を開く。
「――本当に、タイムリープができるなんて」
その言葉が耳に入った瞬間、俺は今起きたことを理解した。
見ると彼女の左手首には、生前つけていた覚えのないブレスレットがはめられていた。
シルバーのリングに赤い玉のような宝石が二つついた、どこかで見たことのあるデザインに、ハッとして首元に手を持っていくと、金属製の何かに指に当たった。
首についているので見えないが、触れると小さな玉のような宝石が一つだけついているのが確認できた。
俺の予想が正しければ、周りから見れば彼女とペアルックだと思われるであろう自分の首吊り自殺未遂の証を認識した時、頭が急速に冷えていくのを感じる。
――左手首につけているということは、彼女の方はリストカットだろうか。
何が彼女を追い詰めたのか考えを巡らせると、すぐに理由は思い付いた。
彼女は元々、ブラック企業とはいえ会社に勤めて、一人でもそれなりに生計が立つような社会人になるつもりだった。
それを、俺の並々ならぬ熱意に押されて、彼女は就職の道を止めて専業主婦になったのだ。
しかし、俺が人生の半ばで交通事故に巻き込まれて死んでしまった。
唯一の稼ぎ頭だった俺が死んで彼女がどれほど苦労したか、俺は考えたこともなかった。
だからおそらく、彼女はかつての俺と同じ道を辿ることになったのだろう。
――自分が異世界転生して、ようやく分かった。
死んだ後、死んだことを惜しむ間もなく別の世界での生活が続くなら、死んだ世界のことを考える暇なんてない。現に俺も、あれだけ過去にタイムリープして救おうとした彼女のことを、異世界に来てからほとんど思い出していなかった。遺してしまった彼女に想いを馳せる前に、今生きている自分のことで精一杯だったからだ。
――それは、あの時の彼女も同じだったのではないか?
しかも彼女はゲームの中の悪役令嬢だった。自分の運命が決定していることを知っていて、俺や自分の家族に想いを馳せる時間なんて果たしてあったのだろうか。
そして、彼女は「ようやく全部問題が解決して、友達もたくさんできた。これから普通の学校生活が始まるところだったのに」と言っていた。
彼女はどれだけ努力して、自らの運命を変えようともがいき、その先の幸せを掴んだのか。
悪役令嬢に転生していた彼女の心情があの時の俺には分からなかったように、いわゆる異世界転生をしていた俺の心情を、目の前の彼女が知る由もない。
俺も、自らが経験するまで分からなかった。そして目の前の彼女は、悪役令嬢に転生していない彼女だ。同じように転生した経験を持っているならまだしも、目の前の彼女にきっと言ったって信じてくれないだろう。
――ああ、でもあの時の俺は、どうして彼女の転生を信じたんだ?
その理由は、すぐに思い出せた。
一度目のタイムリープ。俺が過去に戻り、死ぬ前の彼女に出会った時。過去に巻き戻ったにも関わらず、自分が死んだことを彼女が覚えていたからだ。
「転生して悪役令嬢になっていた」というのはにわかに信じがたかったが、彼女が実際に記憶を維持している理由も他に説明がつかない。俺の方だって、タイムリープをするなんて奇想天外な経験をしているのだから、最終的にそういうこともあるのだとどうにか割り切れたのだ。
つまり今ここで俺が「死んだ後に異世界転生していた」なんてにわかに信じがたいことを言っても、転生はしていないがタイムリープを経験している彼女なら、最終的に納得する可能性が高い。なぜなら過去の俺がそうだったからだ。
そして、その先に彼女が取る行動も、おのずと浮かび上がってしまう。
「異世界転生していた」なんて俺の記憶を消し、何も覚えていない俺と共にその先の未来を生きていこうと考えるだろう。
それが幸せなことだったのかは、実際に俺がタイムリープし、転生した過去を忘れた彼女を目の前にしていれば答えは導きだせてしまう。
俺の要望で就職の道を諦めて専業主婦になったものの、俺の死により自殺未遂をして、その果てにタイムリープの力を身に着けた彼女の人生は、お世辞にもよかったなんて言えない。
結局俺たちは、互いの転生を志半ばで引き戻す意味のないことをしていたのだろう。
このまま俺が異世界転生のことを告げれば、信じた彼女がそのままタイムリープを行い、俺は記憶を消されてしまう。
しかし、幸運にもまだ俺は「異世界転生」のことは口にしていなかった。
――今なら、まだやり直すことができる。
俺は手を伸ばして彼女を抱きしめ、彼女を安心させる言葉をかける。
泣きじゃくる彼女に「どうしたの?」と知らないふりをしつつ、俺は思考を巡らせていく。
俺のタイムリープにより、彼女もまたタイムリープのために自殺未遂を起こすことになってしまった。
それなら、どうすることが正解だったのだろうか。
謎の声に運命を転がされた俺たちが取るべき行動は、一体何だったのか。
そして、ネックレスについた残り一回のタイムリープで、どうするのが最適なのかを。
しばらく考え込んで、ふと顔を上げる。
――タイムリープに関しては、目の前の彼女よりも俺の方が先輩だ。
俺の無事を確認し終えた彼女が安心して眠りについたところで、俺は近くにあった延長コードを手に取って輪を作り、自分の身長よりも高い位置にある電灯にくくる。そういえばあの頃もここで首を吊っていたな、と少しだけ懐かしくなった。
椅子に乗って、首を輪の中に通した後、一度だけ彼女の眠る寝室へと顔を向けた。
「後追い自殺をするのは、俺だけでいいよ」
そう呟いて椅子を勢いよく蹴ると、すぐに意識は闇の中に落ちていった。
「――で、こういう職種の面接を受けようと思っているんだけど……」
隣で聞こえた彼女の言葉に、俺はハッと我に返る。
右を見ると、つい先ほど見ていた彼女よりも少し明るい髪色をした彼女が、隣の椅子に座り俺にパンフレットを見せていた。
勢いよく向いた俺を不思議に思ったのか、彼女が少し首をかしげる。
その姿に、「自分は転生して悪役令嬢になっていた」と言っていた過去の彼女と、先ほどの「本当に、タイムリープができるなんて」と言っていた左手首にブレスレットをつけていた彼女の、どちらの面影は感じない。
確かめるように首元に手を持っていく。何度も触れて確認してみるが、ネックレスらしき金属の感触を見つけることはついにできなかった。
――どうやら、思っていた通り彼女の記憶が消えたまま三回目のタイムリープも成功したらしい。
「……どうしたの? やっぱり別の職種の方がいいとか?」
首をかしげたままの彼女の言葉に、俺は優しく微笑んで口を開く。
「――――ううん、君が行きたい場所が一番いいと思うよ」
タイムリープを繰り返したせいで随分昔に言った気がする、まだタイムリープしていない頃に俺が彼女に伝えた言葉をなぞって、俺は彼女に笑いかけた。
これからきっと、彼女はブラック企業就職したことでまともな思考回路が出来ぬままに、道を飛び出した子供を助けようとして事故に遭うのだろう。
でも、それを悲観する必要はきっとない。
なぜならそれが元々の運命だったのだし、君はその後転生し、第二の人生を謳歌することになるのだから――。
――――――――――――――――――――
大切な恋人が死んでしまったからといって、安易にタイムリープをしない方がいい。
もしかしたらその恋人はすでに別の世界で生まれ変わって、新しい人生を謳歌しているかもしれないのだから。
タイムリープして救おうとした恋人が、すでに乙女ゲームの悪役令嬢として人生を謳歌していた件 そばあきな @sobaakina
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