俺の彼女が分裂した。元に戻すためにはドキドキさせないといけないらしい
瑠美るみ子
第1話
「大変だ、
「実験が失敗したせいで、私が分裂してしまった……」
「元に戻るためにはそれぞれの私をときめかせる必要がある」
「もちろん、協力してくれるよな? なんたって、秀くんは私の彼氏だ。君以上の適任者はいない!」
「そう言うことで、こっちが恥ずかしくなるほど甘い台詞をよろしく頼む。期待しているぞ、秀くん」
水曜日の放課後。科学部の活動日。暇つぶしにスマホでゲームをしていると、勢いよく部室の扉が開いた。入室してきたのは、部長であるヒロ先輩だった。いや、正確には、ヒロ先輩達か。
訳もわからないことを突然言い出すのは相変わらずであるが、今日はその中でも一段と酷い。俺が顔を上げて先輩の方を見ると、信じられない光景が目に入った。
「……はい?」
俺はスマホを落とした。ごとん、と意外に重い音が部室に響く。
床に落ちた俺のスマホを、ヒロ先輩が拾った。
「秀くんよ、スマホの画面が割れたぞ」
そして、
「ケチって安い保護フィルムを貼るから……今度一緒に修理に出しに行こう」
「デートだな! 私は映画も観に行きたいぞ、秀くん!」
「まあ、それよりも先に元に戻らないとな」
「なーに。大丈夫さ。秀くんなら何とかしてくれるさ」
「そうだろう?」と、彼女二人は俺に同意を求めてきた。俺は自分の目を疑い、頬を抓った。痛かった。夢じゃないようだ。
ヒロ先輩が二人いる。微妙に雰囲気や態度に差異があるが、両方ヒロ先輩で間違いない。俺は頭を抱えた。
小鳥遊ヒロは、学校で有名な天才少女だ。IQが200を超えているとか、実はすでにアメリカの大学に研究所を持っているとか、そんな噂がされるほど現実離れした頭脳の持ち主だ。しかも容姿も優れている。その繊細で儚げな姿は寒気を覚えるほど美しく、まるで
多くの人は、ヒロ先輩をただの黒髪長髪のミステリアス美少女としか見えないだろう。俺も入学当初は騙された。現実は変人トラブルメーカー美少女だった。
俺の一つ年上である彼女は、一年生の頃に人体実験やバイオハザードなどを起こし、様々な伝説を残したらしい。天才と馬鹿は紙一重であることを体現した先輩の奇行に、先生や他の生徒は彼女を恐れた。理事長の姪っ子と言うことで退学にもできないし、さぞ困っていたようだ。
そんなこと露も知らず、俺は入学早々ヒロ先輩に告白した。新入生歓迎会の部活動紹介の際、「今年の目標はタイムマシンを作ることです」と微笑んだ先輩に一目惚れしたからだ。運命の人だと確信した。
可愛い子には彼氏がいる? そんなもん知るか。フラれるの上等。フラれても何回でもアタックしてやる。告白するなら今しかねぇと思い立ち、入部届と共にヒロ先輩に「付き合ってください」と土下座した。あの時の俺は完全にテンションがおかしかった。多分、春の陽気さに当てられたんだと思う。
告白当初、ここの学校の男子生徒は至極真っ当な感性を持っていたようで、ヒロ先輩に彼氏はいなかった。結果、「面白そうだからいいよ」とオーケーを貰い、晴れて俺と先輩は恋人となった。
特に隠す必要もなかったので、彼女と付き合っていることはオープンにしていた。そのせいで、ヒロ先輩が奇行をするたび、教師陣や他の生徒から「一年の小森秀に任せよう」と後始末を押し付けられるようになってしまった。先輩も、何か問題があると自主的に俺に相談するようになった。今回は後者だろう。
俺はこめかみを抑えて、深呼吸をした。なぜ分裂。どうして二人いる。色々と聞きたいことはあるが、ヒロ先輩に常識を尋ねてもまともな答えが返ってこないのは火を見るより明らかだった。現状、優先すべきは問題の解決だ。俺はとりあえず疑問を脇に置いて、話を進めた。
「わかりました。それで、俺は具体的にどうすればいいんですか?」
「さっき言った通りだよ、秀くん。私に甘々な台詞を吐いて、私達をときめかせてくれたまえ」
少しおっとりしているヒロ先輩が俺のスマホを弄りながら答えた。勝手にロック外さないでってこの前頼んだのになぁ。
俺が少し困っていると、もう一人の先輩が片方を咎め、スマホをポケットに仕舞わせた。いや、返してくださいよ。そのスマホ、俺のなんだけど。
「そういうことだ、秀くん。心拍数を上げることが重要だからな。思わず心臓が飛び出てしまうほどのドキドキな体験を期待しているぞ」
「心拍数上げたいなら校庭走ってれば何とかなりません?」
「それでは意味がないんだよ。いいから、早くしたまえ」
俺の提案を、呆れた顔したヒロ先輩が一蹴する。
意味がないってどういうことですか先輩。そういう何か裏がある場合、大抵ろくな目に合わないって俺知ってるんですよ。この前とか鎌倉時代にタイムスリップしたじゃないですか。嫌ですよまた対馬に行って武士と混ざってモンゴル人と戦うの。
先輩が流行りのゲームにハマった時の奇行を思い出し、俺は尻込みする。すると、スマホを弄っていた先輩が意地悪そうに笑った。
「なあんだ、秀くん。私のこと、ドキドキさせる自信ないからビビってるの? ヘタレだなあ」
「仕方ないさ、私。所詮、秀くんはその程度だったということだ。おそらく、この様子ではどっちか本物かもわかっていなさそうだし」
「それもそうか。これでは、週末は私二人秀くん一人の両手に花デートだな。秀くんに美少女二人も侍らせられる気概があればの話だが」
あははは、と勝ち誇った顔をする先輩達にイラッとした俺は、二人の余裕そうな態度を崩してやると決めた。
しかし、先輩が驚きそうな行動となると、常識的な恋人同士のやり取りではダメそうだ。ならば……。
俺はターゲットの定めた先輩の手を取った。スマホを弄っていた先輩の方だ。
彼女は「おっ」と目を開いて、にやにやと笑っている。
「ふっ。甘いな。手を繋いだくらいで私が落ちるとでも——」
目の前のヒロ先輩が茶化してくるのに構わず、俺は彼女を抱きしめてキスした。腕の中で先輩が硬直していた。
「!?」
隣にいた先輩もどうやら驚いたらしい。一瞬の静寂の後、「んなー!」と色気のない悲鳴が聞こえてくる。
俺は抱きしめた先輩から口を離した。勢いが良すぎたせいか、歯と歯がぶつかってしまい、微妙に唇が痛い。
さて、ここでギザな台詞を吐いてヒロ先輩を見返してやろうと思ったのだが——目の前の赤面して固まっている彼女を見て、俺は言葉が飛んだ。
普段は人形のような冷たささえ感じる先輩が、耳まで真っ赤にして口をパクパクと動かしている。潤んだ瞳と目が合い、俺まで顔に熱が集まってきた。
無性に恥ずかしくなってしまった俺は、目を逸らし、何とかこの状況を打破しようと口を開いた。
「……す、すいません。キス、失敗しちゃいました……」
やばい。死にたい。涙出てきた。何で謝ってんだよ俺は。蚊の鳴くような声でこんなこと言ってもかっこよくねぇだろ。絶対先輩に「やはり秀くんはヘタレだったな」ってドヤ顔される。ちくしょう。どうせ俺は女心がわからない非モテ男だよ。
俺は涙を堪えて先輩の罵倒に備えたが、一向にその気配がない。おそるおそる目の前の先輩を伺うと、彼女は口元を抑えて震えていた。
「——えへへ」
そして、彼女は恥ずかしそうに笑う。
「秀くんと、キスしちゃった」
そう言って、ヒロ先輩はポンッと煙と共に姿を消した。次いで、スマホが地面に落ちる。多分、また画面が割れた。
俺がしばし驚いて目を瞬かせていると、脇腹に衝撃。「ぐえ」と蛙が潰れたような声を出して、俺は床に倒れた。
背中を強く打った。結構痛い。起きあがろうとしても、先ほどタックルしてきた先輩が俺に抱きついたままなので身体を動かせない。
「ずるい」
俺の上に乗っかったヒロ先輩が、ポツリと溢す。
「ずーるーい」
頬を膨らませポカポカと叩いてくる。かわいい。
「ずーーるーーいーー!! 私も秀くんとキスしたいーー!!」
素直に欲望をぶつけてくるあざといヒロ先輩に、俺は首を横に振った。
「え、いやです」
「んなああ!?」
断られると思っていなかったのか、ヒロ先輩はショックを受けたと言わんばかりに大声を上げた。
「なぜ!? ここは泣いて喜んで私にキスをする場面だろう!? 可愛げがないぞ秀くん!!」
「だって、俺、まだ聞いてませんし」
「何を!?」
「分裂した本当の理由」
俺の言葉に、ヒロ先輩はピタリと固まった。そして、急に起き上がったかと思えば、ふふんとドヤ顔をして人差し指を立てる。かわいい。
「何を言うか秀くん。この私が実験を行うのに理由が必要か? いや、必要ない。なぜなら人類というのは今日までその尽きることない探究心のおかげで発展してきた霊長類であり——」
「答える気がないなら、今日はもう帰りますよ?」
「……」
ヒロ先輩は無言になった。俺は起き上がって、痛む背中をさすりながら彼女の返答を待つ。
根負けしたのか、先輩はもじもじと身体を揺らし、俺の方を伺いながら口を開いた。
「……見たかったから」
「え?」
俺が聞き返すと、先輩はやけくそ気味に告白した。
「秀くんが二人の私に囲まれてタジタジするのが、見たかったの!!」
そう大声で言って、うわーんと先輩は泣き始める。
「だって男子ってハーレム好きじゃん! でも秀くんは私一筋じゃん! じゃあ私でハーレム作れば秀くんの反応絶対面白いじゃん!! 本当は五人ぐらいで囲みたかったけど材料の都合上一人しか分裂できなくてさ!! まあでもヘタレな秀くんなら私が二人いるだけでも可愛い反応してくれると思ったのにさあ!!」
「全然驚かないんだもん!!」と、先輩が涙目で俺を睨んでくる。先輩の泣き顔貴重だな。写真撮りたい。今許可申請しても却下されるだろうけど。
しかし……今回の奇行は、俺が原因か。道理で俺に妙な執着があったわけだ。最初でも言ったけど、心拍数上げたければ校庭走ればいいもんな。俺を揶揄うのが目的なら、それじゃあダメな話だ。
俺はポケットからティッシュを取り出して、悔しさからか未だえぐえぐと泣いているヒロ先輩の涙を拭う。
「可愛げがなくてすみません。全面的に俺が悪いのは認めるので、泣き止んでくださいよ、ヒロ先輩」
「ゔぅ〜〜〜。ティッシュだと肌がガサガサになるぅ〜〜〜」
「文句言わないでくださいよ。男のハンカチで拭かれる方が嫌でしょ」
「ゔぅ〜〜〜」
先輩が泣き止む気配は無い。俺は少し考えて、でもやっぱり恥ずかしいから止めようとして、だけど泣きながら拗ねているヒロ先輩にこのまま放って置けるはずがなくて。
「……」
俺はちょっとだけ躊躇してから、ヒロ先輩の頬にキスをした。
「————」
そっと離れて、恐る恐る彼女の様子を伺うと、ヒロ先輩は一瞬呆けた後、
「いやそこは口だろ!!」
と、ツッコミを入れてきた。
「なんだなんだ秀くん? やはり偽の私にしたキスはただのまぐれだったのか?? 偶然の産物か?? 奇跡の代物か?? うん? キスひとつまともに出来ないとは、やっぱり、秀くんはヘタレだなあ」
先ほどまで号泣していた態度はどこにいったのやら。ヒロ先輩は急に饒舌となり、にやにやと笑ってきた。そうやって調子に乗るから後で痛い目にあうんですよ。俺は機嫌が治ったヒロ先輩にわざとへりくだるように言う。
「そうですねえ。俺はどうやらキスが下手くそなようなので、先輩がお手本を示してくれませんか」
「え?」
「先輩が俺にキスしてみてくださいよ」
ほらほら、と俺が両手を広げて受け入れ態勢を取れば、彼女は「え、えっ」と慌て始めた。
「い、いやあ、秀くん。私は、ちょっとぉ……」
「ヒロ先輩?」
「あっ! 秀くん、そういえばスマホ壊れていたよな? 今から買いに行こう、早速!!」
そう言ってヒロ先輩はバギバギに画面が割れたスマホと自分の鞄を手に取って、さっさと廊下に出てしまった。逃げたな。先輩も十分ヘタレじゃないか。そういうところも好きなんだけど。
俺は追撃を諦め、リュックを背負って廊下に出た。外で待っていた先輩が、いやにテンション高く俺のスマホを返してくる。まともに機能していない液晶画面に、ロック画面が映っていた。
「なあ、秀くんよ」
「なんですか、ヒロ先輩」
理科室の鍵は閉めなくていいので、俺らはそのまま昇降口に向かって歩き始めた。すると、途中で先輩が俺に質問してきた。
「結局、君はどちらが本物の私か理解していたのかい?」
俺は割れたスマホの画面を思い出しながら、答える。
「いえ、瓜二つだったため当てずっぽうでした。二分の一だったので、偽先輩を引いたのはたまたまですよ」
「おいおい、そこは愛の力で先輩を見分けましたぐらいは言い給えよ」
「俺、嘘は吐かない主義なので」
ただ、と、俺は付け加えた。
「先輩は俺のスマホ、ロック外さなかったですよね」
「うん? そりゃあだってこの前、君が嫌だって言ったからな。こう見えて、私は結構優しい女なんだぜ」
「知ってます。強いて言えば、そういうところですかもね」
スマホを弄っていた先輩を止めてくれたりとか。
俺が嫌だって言ったことはちゃんと改善してくれたりとか。
そういう小さな差異で、なんとなくどっちが本物か勘づいていたのかもしれない。
どちらにせよ、本人である俺ですら確証が得られない憶測だけど。
「……どういうところだ?」
ヒロ先輩が首を傾げる。「さあ?」と俺も疑問形で返答すれば、先輩は「まあいいか」と笑った。
「それよりも、放課後デートだ。液晶画面を買ったら、私が直してあげよう。お詫びも兼ねて」
「普通に携帯ショップで買うので大丈夫です。お詫びなら、週末にまたデートしましょうよ」
「両手に花でないが、いいのか?」
「ヒロ先輩は一人で十分ですよ。二人もいたら、多分、俺にバチが当たっちゃいます。幸せすぎて」
「調子の良い口だなー。このこのー」
そうして俺らは他愛もない雑談をしながら、夕暮れに染まる廊下を歩いていた。
実は薬の効能が切れていなくて、またヒロ先輩が二人に分裂するのは、それから五分後の出来事だ。
俺の彼女が分裂した。元に戻すためにはドキドキさせないといけないらしい 瑠美るみ子 @rumi-rumiko
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