見習い賢者の正しい推し事 〜僕の勇者が一番尊いに決まっている〜

不確定ワオン

序章 僕は君を知っている 

エレンガルド王国北東部。

 アークノウス地方の奥深くにある山岳部には、年若い飛竜が複数種、群れとなって類生息している。

 雪深い大雪山脈の間の渓谷に巣を張り、成長しやがて立派な属性竜となるまで彼らはここで狩りを学び、竜としての生き方を覚えていくのだ。


 まぁしかし、豊富な森資源が存在するアークノウスには古くから狩猟民族の集落も多く存在する。


 近年の魔導学の進歩に伴う急激な都市発展や物流の活発化で、隣国への中継地である貴族領に属するこの集落にも仕事を求めた王国中央部からの移住者が後を断たず人口は爆発的に増え、自然の摂理や狩りの作法、そして森との共存方法を知らない馬鹿もモリモリと増える訳だ。


 必然、飛竜の縄張りをそうと気づかずに荒らす者も現れるわけで……今回の『彼女』の仕事は、そんな馬鹿共の後始末ってわけだ。


「勇者様ぁ、本当に行くんですかぁ?」


「ネイは……別についてこなくても……」


 今や街と呼ぶべき規模へと急激な成長を遂げた集落の入り口で、『彼女』とその従者の少女が二人、ぽつんと佇んでいる。


 ネイと呼ばれた従者の少女は、背中に大きな荷物を抱えていて、真後ろから見れば完全にその姿が隠れるほど。

 一方、『勇者様』と呼ばれる『彼女』の姿と言えば、こんな辺境の田舎に似つかわしくない煌びやかな純白の鎧を着込み、身の丈に迫るほどの長大な両手剣を背中に差している。


 貴族か騎士かと見紛う程の厳かな意匠だが、所々の部品が排除され意味もなくうら若き少女の素肌が晒されている点が、実用にはてんで向かない儀礼や式典用──もしくは見せ物としての『彼女』の役割に適した装備──である事を如実に表していた。


 本来なら最優先で守るべきであろう胴回り。

 剣を用いて戦うにあたり非常に重要である肩から二の腕。

 脚部の頼り無さなど致命的であり、戦場にあってなんの意味も持たない艶美な程曝け出された生足。

 それらの部分を覆うべきである部品が、あの『鎧』には欠けている。

 なぜ甲冑の下にスカートを着込んでいるのか。それすらも謎だ。

 どこをとっても、その鎧は『彼女』の身を守るには頼りない。


「勇者様が行くって言うならぁ、ネイは何があってもお供しますよぅ。でもでも、いくらなんでもたった二人で飛竜の谷に飛び込むなんてぇ……勇者様がお強いとは言え無謀もいいとこですぅ……」


「でも、この集落の人たちは、飛竜の襲撃で困っているから……」


「それだって、狩人の注意も聞かずに谷に立ち入った人たちが元々悪いんじゃないですかぁ……集落の民でお金を出し合って、傭兵さんを雇ったり王国に救援を求めたりとかぁ……」


「ここの人たちはまだ移民してきたばかりで、王国貨幣も充分に持ち合わせてないそうだから……」


「……本当にここの人たち、エレンガルド王国の民なんですかぁ? よその国から逃亡してきた罪人とか難民とかかも知れないんですよぅ? 肌の色が違う人も居ますし、見た事も無い獣族も居ますし」


「それでも、『勇者』として──」


「──放っておけない、ですよねぇ……はぁ、ネイのご主人様は本当に困ったお人好しです」


「──ごめんね?」


 勇者と呼ばれる『彼女』は、自分の半分も無い身長のネイの頭を優しく撫でる。

 雑に切られた短い髪の上、その上にちょこんと飛び出しているふたつの耳が、『彼女』の手の動きに合わせて揺れた。


「赤のネズミ族はご主人様への忠義を忘れません。ので、別に謝らなくても大丈夫です。ふんす! イーガラッド郡国の勇者パーティー、かの有名な隻眼の魔女グンレイにも負けないネイの補助魔法を信じて頼ってくださいませ!」


「うん、頼りにしてる。ネイが居てくれて本当に助かってるよ」


 ほんの少しだけ表情を変化させて、『彼女』は薄く優しく微笑む。


 召喚の際に受けた水の加護の影響で透き通る様な水色へと変化した、『彼女』の髪が風に優しく揺れる。


「──勇者様。ミズキ様……怖かったら、怖いって仰ってくれても良いんですよ? ここにはネイしか居りません。無理して頑張らなくても、去勢を貼らなくても、ネイは絶対にミズキ様から離れませんから」


 ネズミ耳の少女は、自分の主人の顔を心配そうに見上げている。


「うん、やっぱり……気づいちゃってたか。そうだね。今私は、とても怖い。やっぱり、戦うのはまだ怖いなぁ……」


「だって、震えてますもん。体……ぷるぷるって。大丈夫。落ち着いてさえいれば、ミズキ様に敵う魔物なんて滅多にいません。もう、あんな事なんか起きませんから」


「ん……そう、だね。ネイも居るし、私もちゃんと戦いの経験を積んできた。もうあの頃みたいな……こっちに喚ばれて来たばかりの頃の私とは違う」


「はい! あんな恩知らずの薄情で恥知らずで嘘つきな奴らと、この赤のネズミ族のネイは違います! 魔窟の底でビビって仲間を置き去りにする様な根性無しとはまっっったく違うのです! ふふん!」


「あはは、でもあの頃の私は確かに弱かったし、剣を握る覚悟も無かったから……あの人たちが私を置いて逃げ出したのも、仕方ない部分もあったよ」


「無いですよ! 国から多額の報奨金まで頂いておきながら、曲がりなりにも一月を共にした仲間であるミズキ様を置いて魔窟から逃げ出すなんて、そもそも冒険者の前に人として間違っています! ご主人様がお優しいのはこのネイのとっても大好きな大好きな所ですけど、いくらなんでもお人好しが過ぎます! ああ、気がつけば最初の話に戻ってしまいました! 埒があきませんね! きっとお腹が空いてるせいで、ネイはイライラしてるのですね! ええい、こうなったら今日はさっさとお宿に入っていっぱい食べて、久しぶりにお風呂にも入って存分に休みましょうそうしましょう! 依頼クエストに出発するのは明日でも充分ですからね!」


「ちょ、ちょっとネイ落ち着いて。わかった、わかったから」


「ほら行きますよ! 今日はもうこれでもかってぐらいピッカピカにそのお肌を磨いてしまうんですから! ネイはミズキ様のお肌を磨く事が世界で一番大好きなんです! 覚悟の準備をしておいてください! いいですね!」


 瞬時に沸騰した薬缶やかんの様に湯気を立てて、ネイは『彼女』の手を取って、集落の方へと踵を返す。


 夕暮れ時と言う時間帯なのも合わさって、成長を遂げる集落の市場とも呼べる通りは人で賑わっていた。

 

「……ええー? 結局、今日は出発しないのか?」


 集落の入り口に聳え立つ、樹齢を重ねた大木の天辺。

 しっかりとした枝に座って、彼女達を眺めていたはそう独りごちてがっくりと肩を落とす。


 うわー。慌てて森と渓谷の至る所に準備した支援系の魔法陣とか、魔力感知系の嗅覚に優れているネイにしか発見できない様に、絶妙に隠した武具とかの宝箱も全部明日にお預けじゃないか。


 マジかよ。全部回収しに行かないとダメじゃん。


 特に永続支援の魔法陣は『彼女』以外に発動したら大変な事になるぞ。

 一般人、特に訓練もしてないただの村人なんかがあの魔法を受けたら、霊器に見合わない出力の魔力でポンっと破裂しかねない。


 武具なんか、野心に塗れた俗な精神の人間を歪めるには充分すぎる性能だしなぁ。


 あー、明日も早起きしてあの極寒の渓谷と森を駆けずり回るのかぁ。


 それにしても……。


「やっぱ、僕の勇者は健気で尊いなぁ」


 人混みに紛れて埋もれていく勇者──ミズキの背中を眺めながら、僕は深く大きいため息を漏らす。


 落胆や失意からくるどうしようもないため息では無い。

 綺麗なモノ、尊いモノを眺めて自然と溢れる──感嘆や感動からくる熱意の発露だ。


 彼女は、美しい。

 幼さから来る可憐さと、大人へと成長するほんの短い段階の少女だけが持つ危うさが、奇跡的なバランスで彼女を形成している。

 物静かで薄い表情の中に見て撮れる、揺るぎない信念と覚悟。

 時々顔を出す、年相応の表情もまた魅力の一つ。

 

 慈愛に満ち、友愛を忘れず、他者への配慮を忘れないあの精神。

 それでいて時に年相応の俗な欲や誘惑に揺れ、しかしそんな己を律する事のできる確固たる自立性。


 どこをどう切り取っても、の勇者は本当に美しい。


「最初は本当にめんどくさかったのに──まぁ今でも時々実に面倒になる事もあるけれど。今ではこの僕がこんなにも身を粉にしてまで彼女をバックアップするなんて、師匠でも想像していなかったのではなかろうか」


 最近癖になっている独り言をぼそりと呟いて、僕は枝の上に立ち背伸びをする。


 認識阻害の魔法は抜かりない。

 眼下に無数に蠢く人間共ゴミ達の誰一人として、僕の存在に気づけるモノは居ないだろう。


 醜い肉の塊共の中でも、遠くに見える彼女の背中はあまりにも綺麗で、そんな姿を見るだけでやる気が沸々と湧いてくる。

 

 さぁて、さっさと魔法陣の解体や武具の回収を終えてしまおう。

 それで彼女らと同じ宿か、近い所に部屋を取ろう。

 彼女が風呂に入り始める前までには終わらせなければ。

 うん、勿体ないからな。


 詠唱なんて面倒なモノを省いた僕の魔法が瞬時に発動し、この身体を寒風吹き荒ぶ高々度まで押し上げる。


 一瞬にして雲の高さまで昇った僕は、最後にちらりと僕の愛する勇者の姿を見る。


 雑踏の中、たった一人の信頼できる従者に手を引かれている彼女は、一度何かを探す様に首を振った後──ほんの一瞬だけ、僕の方へと視線を移した。


 まるで、僕の姿が見えているかの様に。


 そんな筈は無い。


 彼女がこの世界に喚ばれてからの3年間。僕は一度も彼女の前に姿を現していないし、彼女の魔法の力量では僕を認識する事なんか絶対に不可能だ。


 そう、彼女は僕を知らない。

 この神託の賢者(仮)、キイロ=レジレ=シフェルを、彼女は知る由も無い。


 でも僕は彼女を知っている。


 この世界の住人のエゴによって、異界より無理矢理喚び出された健気で可憐で哀れな少女。


 討つべき敵が存在しない故に、決して使命を果たす事のできない──つまり元の世界に帰れない迷子の少女。


 彼女の名前はミズキ=ハナムラ。


 僕の愛しい、今一番推しの勇者である。

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