神様のナンバーナイン

藤和

神様のナンバーナイン

 私がまだ子供の頃、生まれて間もない弟を神様に連れて行かれた。新しい家族が増えて、これから家族五人で楽しく暮らしていけると思った矢先のことだった。

 黄色いフード付きのマントを着た神様が私達家族の前に顕れて生まれたばかりの弟を抱いたとき、母さんとお父さんはどんな顔をしていたのだろう。一般的に外で着けられているものとは違う家用のものとはいえ、顔の上半分を覆い隠すマスクを着けていたのでその時の表情を私は知らない。ただ、悲しそうな声で神様の名を呼んで、生まれたばかりの弟が神様に連れ去られるのを光栄なことだと言っていた。

 その時の私は、光栄。の意味がわからなかった。私はまだ小学校低学年だったし、みっつ年下の弟はまだ幼稚園に通うほど幼かったからだ。

 弟はその時、あまりにも幼くてなにをされたのかわかっていないようだった。ただ私だけが、幼いが故に神様のことを畏れることを知らなかった私だけが、生まれたばかりの弟を返せと泣き叫んでいた。

 すると神様はどうしたか。眠っている生まれたばかりの弟をしっかりと抱え込んで、忌々しいものを見たような声で私にこう言った。

「うるさい。この子が起きて泣いてしまうだろう」

 それから、私達に指を向けてくるりと輪を描き、残された私達家族全員に、ギフトを与えたと言い残し、どこかへと姿を消した。その時に、神様はその腕に抱えた弟のことを聞いたこともない名前で呼んでいたように思う。

 神様が連れ去った弟は、まだ名前もついていなかったのに。お母さんもお父さんも、一生懸命名前を考えていたのに、その名前を呼ぶ隙すら与えずに、神様は勝手に弟に名付け、連れ去っていった。

 そしてその翌日、私達の家に神様が顕れる予兆が見えたという情報がマスコミに行ったらしく、カメラやマイクを持ったマスコミが群れを成して押し寄せてきた。

 私と残された方の弟は家の奥で怯えていて、マスコミの対応は両親がやってくれた。玄関先から、頻りにマスコミの質問の声と、おめでとうございますという声が聞こえてきていたのを今でもよく覚えている。

 その時私は、なにもめでたくなんかないのにと思って、どうしようもなく悲しくなると同時に、神様と神様を崇拝する大人達に怒りを感じた。

 そんな私の気持ちも知らず、その当時のニュース番組やバラエティ番組は、この星から久しぶりに神様の伴侶が選ばれたという話題で持ちきりだった。連れ去られた弟は、神様の伴侶として選ばれたこの星での九人目の人間だった。

 マスコミや周りの人は、弟が神様の伴侶になったことを褒めそやしたし、それと同時に、神様からギフトという人生においての恵みを、弟を差し出す対価として得た私達家族を祝福した。ギフトを得た人間は、その一生のうちで必ず成功すると言い伝えられている。だから私と残された弟は、周囲から将来を期待された。

 今思うと不思議なことだけれども、なぜか過剰な期待や圧力はかけられなかったけれども。

 そんな周囲の期待に囲まれて私は強く思った。ギフトなんかいらないから、まだ名前も知らない弟を返して欲しいと。

 けれどもその願いは届かなかった。弟は帰ってくる気配もなく、そうしているうちにそれは遠い過去のことになって、私はもう、マスクを着けるには幼すぎた、攫われた弟の顔も思い出せなくなってしまったのだ。

 ただ、学校の勉強で知った限りでは、神様の伴侶に選ばれるのは決まって常磐色の髪に菜の花色の瞳をした人間なのだという。だからきっと、あの幼い弟はそういう色だったのだろう。


 久しぶりに弟の夢を見た。

 ベッドから起き上がって洗面所へと向かう。いつも着けている、顔の上半分を覆い隠すマスクを外して顔を洗い、またマスクを着ける。このマスクは、少なくともこの星では小学生以上の年齢の人はみな日常的に着けている。なぜマスクを着けるようになったのかという歴史は、服飾史を学ぶ服飾関連の人に研究を願いたい。少なくとも私はマスクを着けることに疑問を持ったことは無いし、幼稚園の頃は早くマスクを着けられるようになりたいと思っていた。

 パジャマのまま台所に立って朝ごはんを作っていると、機械的な声が聞こえてきた。

「ドラコはいつも外用のマスク着けてるけど、良くそれで寝られるよね」

 そう言って私の顔の横にやって来たのは、ペストマスクを被った人形のようなもの。宙に浮いて私に話しかけてくるそれは、私が錬金術専門学校に通っていた頃に造り出したホムンクルスだ。

 ホムンクルスは通常、馬の精液を他の材料と混ぜ合わせフラスコに入れて温めて造るのだけれども、私は馬の精液に触るのが無理すぎたので、代替え技術を開発したのだ。馬の精液の代わりに私が使ったのは、フェルトという不織布と綿、それに血を結晶化させて作るサンゴだ。

 このホムンクルスを作り出したとき、錬金術学会は騒然となったらしい。詳しい経緯はその時の先生が知っているけれども、とりあえず私はこのホムンクルスを造ることでなんとか錬金術師免許の一級も取れたし、馬の精液を使わずに造られることから[清浄ホムンクルス]と呼ばれるこのホムンクルスを製造販売して生計を立てている。

「ゼロちゃんだっていつもマスク着けとるやろ」

 私がごはんと具材の入ったメスティンをポケットストーブから下ろしてそう言うと、ホムンクルスのゼロはプスーと息を吹いてこう返す。

「私のは据え付けだからな。外れないが正しい」

「そうだけどさ。

まぁ、私はブラも常にワイヤー入りでないと落ち着かない民なので」

「そういえばそうだわ」

 メスティンと鍋敷き、それにお箸を持ってテーブルに向かう。椅子に座って鍋敷きの上にメスティンを置いてごはんを蒸らしている間、ゼロと少し話をする。少し前に調べて忘れかけていた本の新刊情報や、昨日何気なく流し見していたニュースの再確認、それと、季節の花や天気の話と、他の星の観光地の話もした。

 その話の中で、ゼロがこう言った。

「そろそろ神様の祭日だよね」

 それを聞いて思わず溜息をつく。それから、思わずとげとげしい声でこう言ってしまった。

「神様を奉る気はないからね」

 するとゼロはちょこんと頷いて、悪びれる風もなくこう続けた。

「ドラコが神様奉るわけないのはわかってんのよ。

ただ、神様の祭日にペリエが祭儀やるじゃん? また牛肉来るだろうから冷凍庫空けておいた方がいいんじゃない?」

「あ! そうだ牛肉!」

 ペリエというのは私の友人で、呪術師をやっている。それも呪術師免許一級を持っているというやり手だ。

 そのペリエは、職業柄神様の祭日に限らず、なにかしらまじないをする際には祭儀を執り行ったりするので、その時に贄として牛を捧げたりするのだ。

 私が小さな頃は祭儀をするのに標準サイズの牛をその都度屠っていて呪術師は大変だったそうなのだけれども、ここ数年はミニ牛という小型の牛が開発、実用化されたので個人経営の呪術師も祭儀をやりやすくなっている。

 とはいえ、ミニ牛でもホルモンを含めるとゆうに五、六人前は肉が取れてしまうので、個人経営の呪術師であるペリエから、祭儀の度に肉のお裾分けが来るのだ。

「ペリエの家、ごっつい冷凍庫あるけどそれでもあふれるとか祭儀ヤバいな」

「業務用おいてるもんなあいつんち。

まぁ、それで肉にありつけるならドラコとしても悪い話ではなかろう」

「まあね」

 そんな話をして朝ごはんを食べて。今日もホムンクルス造りがんばっていこう。


 祭日の翌々日、あらかじめペリエから連絡を受けたとおり、宅配で牛肉を受け取った。たっぷり三人前はある。

 久しぶりに庭で肉焼きでもやるかと思いつつ、とりあえずペリエに通話アプリで連絡を取る。数回のコールの後出たのは、落ち着いた声の男性。彼がペリエだ。

「もしもしドラコ、ごきげんよう~」

「ヘイ、ペリエ。お肉届いたよ。ありがとう」

「今回使ったの、結構良いお米牛だからおいしいはずだよ」

「まじか。プレーンで焼いておいしいやつだ」

 しばらくたわいもない話をして、ふとペリエがこう言った。

「そういえば、今度一緒に遊びに行かない?」

「ん? いいよ。どこ行く?」

「本屋さん行って、その後お茶しよ」

「いいですとも!」

 本屋のあとに喫茶店に行くのは、私達の定番コースだ。私もペリエもとにかく本を読むので、少なくとも月に一回は本屋に行っている。

 日程のすり合わせと待ち合わせ時間を決めて、通話アプリを切る。するとゼロがふよふよと寄ってきて声を掛けてきた。

「またペリエとおでかけか?」

「うん、本屋さん。ゼロちゃんも来るよね?」

「私が付いていかないと絶対買い逃し出すでしょドラコ……」

「テヘペロ」

 ペリエと遊ぶときにゼロもいるのはいつものことだ。だから特段断りを入れる必要もない。

 私は手帳を出して予定を書き込んだ。


 ペリエとの待ち合わせ当日、本屋最寄りの駅で落ち合った。ペリエは今日も、私みたいな汎用型のものではなくおしゃれなマスクを着けている。お互い待ち合わせ時間の五分前には辿り着くタイプなので、本屋までスムーズに行けた。

 本屋の中では二手に分かれ本を探しに行く。ペリエは呪術関連の専門書のコーナーに向かい、私は入り口近くにある検索システムにゼロから本情報を聞いて入力していく。検索結果をプリントして、その紙を持って本棚の間を縫っていく。

 私が買う本はどの系統のもの。という決まりが特にないので、本屋の本棚中に目的のものが散らばっている。なので、検索の際にゼロがいなかったら絶対に見落としがあるはずだ。

 本屋の中をうろうろして、目当ての本をみつけて会計をする。会計が終わると、キャッシャーの側にある新書コーナーでペリエが手を振っていた。


 本屋を出ていつもの喫茶店に入る。私はアールグレイを、ペリエはクリームソーダを注文した。

 飲み物が運ばれてきて、たわいもない話をする。

「この前の祭儀の時、いつになくうまく牛屠れてさ、血抜きとかすごい楽だったんだよね」

「あー、たしかに肉おいしかった」

「どうやって食べたの?」

「庭にかまどシステム組んで炭火焼き」

「私と同じことやってる」

 そんな話をしていると、ゼロが不思議そうな声でこう言った。

「そういえば、ペリエはドラコに神様奉れって言わないよね」

 すると、ペリエは頬に手を当てて溜息をつく。

「だってぇ、ドラコの事情知っちゃったら奉れなんて言えないじゃない。

いいの。その分私が余分に奉っとくから」

 その言葉を聞いて、目頭が熱くなる。今まで散々神様を奉らないことを戒められてきたからだ。

 思わず口から零れる。

「神様なんてきらいだ」

 すると、ペリエが慌てて周囲を見回して小声で私に言う。

「ちょっとだめだよそんなこと言っちゃ。

誰が聞いてるかわかんないんだから」

 その言葉に触発されて、今まで押し込めていたものが、次々と溢れて口を突いて出てくる。

「だって、ギフトを使わずに生きてれば弟を返してくれるって思ったのに。でも、なにがギフトなのかわかんないんだもん。

きっと私、気づかないうちにギフトを使ってるんだ。

今の恵まれた生活の代償に、弟を奪われたんだ」

 すると突然、湿ったものが頬に押しつけられた。

「落ち着きな。熱くなってる」

 なにかと思ったら、ゼロが両手で私に冷えた濡れタオルを当てている。

 熱くなっているのはわかっている。けれど、もう思い出せない弟のことを思うと冷静ではいられないのだ。

「神様だって、連れてったからには悪いようにはしてないよ」

 ゼロのその言葉は、私が何度も自分に言い聞かせているものだ。

 ペリエも困ったような声でこう言う。

「ドラコがずっとつらいって思ってるのは知ってるけど、ゼロが言うとおり、悪いようにはされてないって思って、なんとか消化しないとやってけないよ?」

 それから、大きな手で私の頭を撫でてこう続ける。

「この世界は、物語の中とは違うんだから」

 それはわかってる。この世界に溢れているたくさんの物語。その中には、神様を倒したり凌駕したりといった人間が出てくるものも少なくない。けれどもそういった物語は神様を信奉する一般的な人達からは眉を顰められているし、書いている人達だって大半は神様を信奉し、奉っているのだ。

 この世界は物語とは違う。人間は絶対に神様を越えることも倒すこともできない。

 きっとほとんどの人が知らないであろうあの冷徹な声をした神様に、誰も逆らうことができないのだ。

 そう、かつて弟を返せと泣き叫んで見せた私だって。

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