アルバイト慢遊記 Ⅰ

ダックロー

第1話

「アルバイト漫遊記」Ⅰ


〇出張石窯ピザ

高校の教員を引退されたYさんとのつきあいは、私が合気道道場に通っていた一〇年前に遡る。当時私が所属していた道場のメンバーで、道場主のM先生に連れられて蒜山高原にあるとある山小屋へ行った。週末のレクレーションであった。連れられたそこは小屋や石窯など手作り感が感じられるものが多数あった。すべてYさんが自前で揃えたものだった。その時は釜でピザやパエリアを焼いたり、子供たちはブランコやハンモックで遊んだり。手製の石窯で焼かれる食べ物はどれも絶品のうまさだった。合宿等寝泊りもできるという。そんなYさんのやっている取り組みにいたく興味をいだき、その場でYさんとは連絡先の交換をさせていただいた。そして山小屋の管理に伴う薪割りや草刈り、小屋の修理や清掃など、お手伝いに何度も通った。妻や子供もつれていって、子供とはブランコやハンモック、魚釣りしたりして遊びながら作業に汗を流したり・・・大自然の中で実に気持ちのいい過ごし方だった。

その後しばらくして私自身が東京へ単身赴任することとなり、Yさんとの交流は一時途絶えた。東京から戻ったあとも精神病を患ったりして、足が遠のいたのだ。精神病の状態が思わしくないときにお手伝いしにいったこともある。そんなときYさんは私を見かねて

「気晴らしになるようならいつでも来て手伝って」

と言ってくださったものだ。

あるときからYさんは手製の石窯をトラックの荷台に乗せていろんなイベントに出張して焼いたピザを販売することをてがけ始めた。参加するイベントは様々で夏祭りや運動会、相撲大会、花火大会などなど。Yさんによると、手間ばかりかかる山小屋の管理より多数のお客さんと触れ合う機会があり現金収入も見込める出張ピザ販売のほうがやってて楽しい、とのことだった。私にもよくイベントがあるごとにヘルプ要望の声がかかってお手伝いをした。役割はピザ生地を伸ばすことが多かったが、途中から焼き方なども教わり、一通りできるようになった。

私にとってもピザ出店のお手伝いは楽しくさせていただいた。粉にまみれて生地をのばしたりトッピングをしたりしつつ、接客したり大きな声出して呼び込みをしたり。日頃の営業での仕事とはくらべものにならないくらい気楽な仕事で、ストレス解消にも役立った。それでいて給料ももらえるのだから一石二鳥だった。イベントによってさまざまだったけど、多いときは1日に二百枚くらいは売れて、そんな時はひたすら忙しく立ち回っていた。地元のイベントに出没していたので、知り合いのひとにもよく顔を合わせた。

とある役場の駐車場で出店していたときのこと。その日も盛況だった。お客さんの中に中国人とおぼしき若いお姉さんたちの集団が来てくれた。多少中国語の心得があるので嬉しくなって接客して色々話をした。聞けば近くにある中国庭園の雑技団ショーに出演するために来日していた団員さんたちだった。一年くらい滞在してまた中国に戻るらしい。この中国庭園の雑技団ショーは見に行ったことあるがなかなかのレベルの高さでこんな地方の片田舎によくぞ来てくれるものだと感心した覚えがあった。こんな風に外国人のお客さんもたまに来てくれた。

イベント出店を順調にこなし、店の認知度も徐々に上がっていくにつれてYさんは決まった場所での出店を検討し、ホームセンターの駐車場に出店し始めた。基本は週末や祝日のみの営業で、朝から夕方まで営業した。私は朝から昼過ぎまでの忙しい時間帯によく手伝いに行った。時はコロナ禍が広まり始めた頃のゴールデンウィーク、テイクアウト需要が盛んな世間のムードと重なり、実によく売れた。昼前後のピークの時間帯は行列がよくできた。そんなときは給料も弾んでくれた。

大型連休後もお客さんは引き続きたくさん来てくれた。店の認知度を更にアップさせるべく、インスタグラムでの発信も始めた。フォロワーはすぐに一〇〇件突破した。SNSを通じて一般のお客さんだけでなく、キッチンカーであちこち出店されている個人経営者の方など、同業の方との繋がりも増えた。お客さんは安定してきたけど、Yさんの健康問題が少し影を落とし始めた。七〇歳オーバーのYさん、膝や手首など痛みを抱えているだけではなく、体調がすぐれないときもあるという。それらが、出店への意欲をそぎ始めた。食材の準備や天候に大きく左右される(風の強い日はテントを撤収しなければならない)要素もあり、一人でそれらを管理するのは相当なパワーが必要だ。お客さんも徐々に減ってきだして私のヘルプも不要となり、売上も下降線をたどるようになった頃を見計らって、Yさんはホームセンターの駐車場からの撤退を決意した。

その後Yさんは石窯作りのノウハウを幼稚園や養護学校、地区の老人会などに広める活動も行っている。コロナ禍が続いている状況なのでイベントでの出店は当分見込めないだろう。Yさんは今年の夏、足が遠のいていた蒜山の山小屋の整理にも着手していた。また徐々に意欲が復活しはじめているのかもしれない。以前みたいにお呼びがかかったらまた馳せ参じるつもりだ。


〇蒜山高原のうどん屋さん

Yさんとのピザ屋での仕事が少なくなり、週末だけできるアルバイトはないものか、と考えていた。そんなある日、フェイスブックで蒜山のうどん屋さんがスポットで人員が足りないので手伝いに来れる人を募集していた。このうどん屋さんは一五年ほど前に岡山県外から移住してきた若い夫婦が立ち上げられたお店で、本格的な讃岐うどんを出す、当地では人気店だった。自宅からは車で片道四〇分くらいかかる距離だけど、以前何度も行ってそのうどんの美味しさや店長夫婦の雰囲気の良さなどに魅力を感じていたこともあって、即座にその求人に申し込んだ。けど、その時は既に人員を確保したとのことで不採用の返答が来た。その後しばらくして、再びうどん屋さんからフェイスブック通じてメッセージが来た。夏のお盆期間、手伝ってくれないか、と。すぐにOKと返答して約束の日の朝一〇時頃にお店に向かった。

お店を切り盛りしているのはOさん夫妻、ご主人のYさんが手打ちしてゆで上げたうどんを奥さんのIさんが盛り付けしたり天ぷらあげたり。プラス、ヘルパーで年配の女性Sさんが来ていたり中学生の娘さんMちゃんも店に立って手伝いしたり。Yさんは五〇代でIさんは四〇代とお若くて私とも年代が近いこともあり、広島カープを応援している野球好きのMちゃん含めて、すぐにOさん一家と打ち解けた。

私の任された仕事は主に出来上がったうどんをお客さんのテーブルに運ぶこと、来店されたお客さんをテーブルに案内すること。注文は食券を買っていただいたらそのまま厨房につながるシステムになっているので、私が聞く必要はなかった。お水もセルフだったので、私の役目はそう多くはなかった。が、人気店であるがゆえだいたいいつも開店前から何人か行列をなしていて、一一時に開店したらすぐに席が埋まった。そして、さらにお客さんが外で行列をしているので、行列をしているお客さんが何人連れで小さい子供(お座敷に優先的に座ってもらう)がいるかいないかなど把握しておき、空いた席に順序良く案内するのも私の役目だった。

私が初めて入ったお盆期間は、近隣の観光地である蒜山高原にはお客さんがわんさか訪れる時期でもあり、私が行った初日からとにかく忙しかった。一一時に開店してピークの時間を経てお客さんがはける一四時過ぎまで・・・ほとんど息注ぐ間もなく動き回って働いた。途中水を飲んだりMちゃんから差し入れのアイスクリームをいただいたりしながら乗り切った。一四時すぎに賄いの昼食をいただいた。メニューの中から好きなものを選ばせていただき、しかも大盛で作っていただいた。手打ちのさぬきうどん、たっぷりの天ぷらのトッピング、旨くないわけがなかった。心地よい疲労感と空腹が満たされる感覚がとてもよかった。昼食後、用意していたうどんの玉が切れて「本日閉店」の看板を早々に出したあと、次の作業は名物メニュー「ひるぜん焼きそば」に入れるキャベツを手でちぎる、という作業だった。ちぎったキャベツは袋に入れて冷蔵庫に大量にストックしておくのだった。四時になると帰る時間だった。Iさんが私に気遣いながらお盆あとも手伝いに来れるかどうか打診してきたので、私は即答で是非に、と返した。口数少ないけど男気を感じるYさんと快活で明るいIさん夫婦、それに明るくて人懐っこいMちゃんというOさん一家と仕事できることに私は大きな魅力を感じていた。

お盆が過ぎて、私は週末ごとに蒜山に通った。土曜日も日曜日もお客さんは多くて、仕事は忙しかった。店の前の駐車場は常に埋まっていて、並ぼうとしているお客さんに停められるスペースを案内したり。車だけでなく、オートバイでのツーリング客も多かった。そして近くに遊園地もあることから小さい子連れのお客さんも多かったし、若いカップル、年配の方・・・客層は様々で老若男女行き交っていた。固定客も多く、何回も通ってくるお客さんの顔を覚えてしまったり。味の評判も良かった。岡山県のミシュランに掲載されるほど評価も高く、テレビの取材も何度か受けている様子だった。ある時は食べ終えて帰られる年配の女性はすれ違いざまに親指を立ててお店をあとにしたり・・・時期はコロナ禍とも重なっていたけど、ここ蒜山高原に来る観光客は例年よりも多くなっているほどだった。自然を満喫できるここ近辺の観光業関係には強い追い風が吹いているようだった。

お店の人員はOさん一家と私だけでなく、近隣に住むSさん、その孫で高校生のHちゃん、そして津山で寮に入っている高校生でラグビー部所属のDくん、などなどその日によってメンバーが違っていた。けど、誰が店に立っていても主に切り盛りするIさんの太陽のようで快活な明るい雰囲気で、みんな気持ちよく働いているようだった。応援するチームは違えど(私の贔屓はドラゴンズ)野球好きという共通点のあるMちゃんとは時には野球の途中経過を教えてもらいながら仕事したりしてた。

お盆が過ぎても紅葉のシーズンはさらにお客さんが増えて、一番のピークは一一月三日の祭日だった。食券の番号をみたら二〇〇番を軽く突破していた。

そんな蒜山だが、冬は雪深い地域であるので紅葉のシーズンが過ぎると客足はがたっと減り始めた。毎年冬場は店を休業にして、夫婦それぞれアルバイトに行くとのことだった。しかしその年は冬場も営業を続けた。そんな中Iさんから、Mちゃんの高校進学に伴い、店を岡山市内に移転する計画を聞かされた。もともと蒜山は夫婦にとって地元では無いので、Mちゃんを一人で都市部の高校に行かせるよりも家族一緒に生活を続けることを選択するとのことだった。移転計画は順調に進み、移転先も決まり翌春に引っ越すことが決まった。

冬場に入ってアルバイトを行くことはやめていた私に、閉店日の手伝いの要請がIさんから来た。もちろん、私も店に立たせてもらった。その日は予想通り客足が途絶えなかった。常連さんが多数来店されて名残を惜しんでおられた。Iさんは厨房に立ちながら、挨拶に来るお客さんへの対応で忙しかった。その日は夕方に所要があったので三時くらいにあがらせてもらった。お別れのときはOさん一家の三人とそれぞれ握手した。蒜山の名物店がひとつ無くなり、本当に寂しい思いがしたが、Oさん一家の幸せを考えると岡山での出店を心から応援したいと思った。岡山のお店にはまだ行けていないけれど、みなさんと再会できる日は近いと思っている。

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