#1 東雲と雨
少々と降る雨の音で私は目が覚めた。
時刻は午前五時を回ったところ。
休日のこの時間に私が起きることはとんでもなく珍しい。
普段の休日といえば、午前十時までは布団に包まり、十一時にやっと動き出すような感じだ。
外は東の空を
東雲時と呼ぶよりも世間一般では『
今も降り続けるこの雨音で、私は昨夜のことを思い出していた。
あの猫は大丈夫だろうか。
無事に
様々な可能性を考えた私だが、それはとても無意味だということに五分ほど経ってから気がついた。
この時間だから当然といえば当然なのだが、休日は起きるといつも誰かの話し声などが響いてくるものだ。
だが今日はどうだろう?雨音以外の音が耳に入ってくることはない。
この町もまだ眠っている証拠だろうか、私は話し声が聞こえないということにこれほどの感動を覚えたのは人生で初めてかもしれない。
休日に早起きをして何をしようか私はとても悩んでいた。
「う〜ん」
誰にも聞こえない唸り声を上げ、私は考える。
しかし、結論は出ない。
「よし、考えるのはやめよう」
そんな答えが出た私は、ボーッと窓の外を見ていることにした。
別に変わることのない景色を見て何が楽しいのかと思われそうだ。
まぁ別に楽しいわけではない。
ただ暇なだけ。
でも、やっぱり私はこんな暇な時間は大好きなんだな。
午前六時──
ふと思い出した私は一冊の本を手に取る。
題名は『喫茶店の猫』
内容を簡単に説明すると、猫がマスターを務める一軒の喫茶店の話。
そこにくる客は皆何か悩みや問題を抱えていて、コーヒーの代金としてその悩みを打ち明ける。
そして、そのマスターと共に問題を解決するという話だ。
私は数年前にこの本に出会ってから暇さえあればこの本を読んでいる。
雨というのは読書に打って付けだな。
ザザーと降る雨は本の内容だけに集中できて、その世界にのめり込める。
私はこの本を読めば自分の抱えている悩みなども一瞬忘れさせてくれてとても幸せなのだ。
忘れられるのは一瞬だけ。
その本を読んでいるたった一瞬。
でも、その一瞬は何よりも幸せな時間なのである。
そして『
コンコン──と部屋のドアが鳴り響いた。
「
誰だと思えば母か。
こんな雨だというのにお使いと来たか。自分が行くのめんどくさいから私に押し付けようということだな。
まぁ暇だしいっか。
「わかった〜何買ってくればいい?」
そう言うと、母は一枚のメモを手渡した。
「そこの商店街で買ってきてちょうだい?」
商店街か。近くにお気に入りの書店があるし何か買おうかな。
私はさっさと身支度を済ませ、外へ行く準備をした。
気がつけばもう六月。
雨とはいえど外はそこそこ暑い。
私は薄めのワンピースと、薄めのカーディガンを
ラジオノイズのように降り続く雨は私に外に出るなと言っているようだった。
傘を差し、歩き始める。
やっぱり雨音はとても心地良い。
傘に当たる雨音は部屋で聞く雨音よりも乾いた音でさっぱりとしている。
それに、耳に直に入ってくるからなお聞き取りやすい。
東雲時と比べて、人が増えた印象がない。
まぁ雨だし。
普通は外に出たがらないものだよね。濡れるし、寒いし。
やってきた商店街。
母に頼まれたものを次々に買っていく。
私は思った。
「人参にジャガイモに玉ねぎか。今夜はカレーかな」
メモにあるものを
書店に入るとデカデカと張り紙が貼ってあった。
『
「華宮先生!」
声が出ていた。
華宮花梨先生といえば私がいつも読んでいる本『喫茶店の猫』の作者ではないか。
予定時間はもうすぐ。
どうしても行きたい。
だが、私の両手には母から頼まれた食材たちがある。
一回家に帰ってからでも間に合うだろうか。
否、間に合うはずがない。
仮に間に合ったとしても、サインしてもらえるかも怪しい。
しかし、私の結論は早かった。
花奈美家──
「おかえりなさい。早かったわね」
「はいこれ頼まれてたやつ。じゃあ行ってくる」
ゼェ・・ハァ・・と息を切らしたままもう一度来た道を辿る私。
「この調子で行けばサイン会に間に合うかもしれない」
しかし、そんなに現実は甘くなかった。
『華宮先生のサイン会終了のお知らせ』
書店にはその張り紙があった。
もっと急いでいれば──
食材を持ったままでも参加していれば──
そんなことが
私は、書店で何も買うことなくその場を去った。
言い表すことのできないような異様な悲しみに包まれていた私だったが、その時、運命的な再会をした。
そこにいたのは昨夜出会ったあの猫である。
商店街の裏路地の入り口に昨日と同じく、
私に気づいたのか、スクリと立ち上がり、路地の方に入っていく。
私はその後を追いかけた。
路地に入ってみると、すぐそこに『彼女』が居た。
私たちが再開した瞬間に──
『雨が上がった』
その猫は「ついてこい」とでも言っているのだろうか、時折こちらを振り返りながらまっすぐ前へと進んでいる。
猫の後を追いかけていると、少し開けた場所にやってきた。
そこは商店街とはまるで別世界のような雰囲気に包まれていた。
商店街。
しかし、ここは違った。
裏路地ということを感じさせないような明るさ。
この空間には天井がなく、陽の光がそのまま入ってきていた。
そして、裏路地の突き当たりに『
そして、その奥には一軒の喫茶店。
その猫は、ここにきたかったのだろうか。喫茶店の扉には猫用の小さな出入り口が設けられており、彼女がいつでも出入りできるようになっていた。
その猫は扉の前で立ち止まり、私の目を見てから店の中に消えていった。
この日、私の身に二つの幸せが訪れることを今の私は知らない。
東雲と雨はもう終わり。
雨のち猫模様 文月 いろは @Iroha_Fumituki
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