第2話

「は あ゛あ゛あ゛~~~」


 徹夜明けであることが容易に窺える頑固な黒いクマ。朝っぱらからセットする余裕なんてなく、寝グセがついたままの髪。ゾンビみたいに丸まった背筋。

 入社したての新入社員とは思えない体たらくに、オフィス街の窓に映る自分の姿に自分でも「うわぁー…」と引きつつ、重たい体を引きずって今日もトボトボ出社していると、背後から忍び寄ってきた一人の先輩が威勢のいい声で喝を入れてきた。


「おい、新人! 今からそんなんで大丈夫かァ~?」


 健康的に焼けた小麦色の肌と輝く白い歯、そして無駄に鍛えられた肉体美が特徴的なこの人は、熱岡 哲三先輩。デスクが隣同士で、気さくで面倒見も良く、非常にエネルギッシュな基本いい人なのだが、朝からそのテンションは身体に毒でしかない。

 さっきから、ビシバシと背中に容赦なく打ち込まれるビンタに、自然と「うっ、うっ…」という低めのうめき声が食いしばった歯の隙間から漏れ出る。――だが、


(くっ、ここで弱みを見せるわけにはいかない…! おれだって、ちゃんと使えるってところを証明しなきゃ…!)


 そう自分自身に言い聞かせると、

「ハハハ……全然、もう超元気っすよぉ……」

 と、弱々しい声で腕をブンブン振り回しつつ、おれは精いっぱい、上っ面の元気をアピールしてみせた。


 そう。弱音を吐いている場合なんかじゃない。

 あれから、もう三日が経過した。だが、おれは相変わらず、新曲アイドル事業について何のアイデアも浮かばずにいたのだ。


                △ ▼ △


『キミには、一から新しいアイドルグループを立ち上げてほしい。』


 社長は簡単に言うが、アイドルグループを新たに立ち上げるというのは並大抵のことではない。

 そもそも、メンバーはどうするのか?――今からオーディションを開催して募るのか? それとも、街中に出て目ぼしい若者をスカウトするのか? はたまた、うちの会社に所属してる研究生の中から選抜するか。

 それ以外にも、グループのコンセプトや売り、資金繰りはどうするのかなどなど、考えなければいけないことは山積みだった。


「はあ……。でも、とにもかくにも、肝心のメンバーがいないことには何も始まらないしなぁー……」

 朝イチのメールチェックや諸々の事務作業を終え、おれは自分のデスクに顎をついて鼻の下にペンを乗っけながら、ぼーっと考えごとをする。


 一応、あれから研究生のレッスンの見学に行ってみたり、今、若い女の子の間で人気だというアイドルグループのライブステージへ終業後に足を運んだり、現在の流行りをネットでリサーチしたりと、貴重な睡眠時間を削って、色々やってはみた。だが正直、どれもいまいちピンと来ないというか、パッとしなかったのだ。


 ……いや、正確に言うと、完成度はめちゃくちゃ高いと思う。

 研究生の中には、今すぐにでもデビューできそうな逸材は何人かいたし、アイドルグループのパフォーマンスも、人気だと言われるだけの理由はある。――だが、


(斬新かって言われると、なんかこう違うんだよなぁ……)


 当然だ。だって、あれはもうあれで出来上がってしまっているもの。

 それを、売れてるからって丸パクリしたところで、どう足掻いても二番煎じにしかなれないのだ。


「………」

 そう考えれば考えるほど、余計に分からなくなってきて、おれはまた振り出しに戻される。ここんところ、そんなことの繰り返しだ。


(……やめやめ! とりあえず今、自分にできることを全力でやろう! 昨日は原宿辺りへ行ったし、今日は渋谷の方へ出て良さそうな子がいないか探してみるか)


 こうして、机上の空論を続けていたって仕方がない。

 おれは重い腰を上げて席を立つと、「ちょっと、外出てきまーす」と声をかけて、自分のジャケットとカバンを椅子からひったくったのだった。


                △ ▼ △


 数時間後――。


「はあ……」

 あの威勢の良さはどこへ行ったのやら、おれはすっかり肩を落として、家路を急ぐ人々や仕事帰りのサラリーマンの人波に流されるがまま、渋谷の駅構内をゆっくり歩いていた。


 というのも、今日のスカウトも収穫0だったのだ。

 ……いや、実を言うと、何人かには声をかけた。

 だけど、皮肉なことに、群を抜いてスタイルが良かったり顔がいい子というのは、すでに他所にも目を付けられており、別の芸能事務所と契約していることが多いのだ。なによりも――。


(一番の敗因は、おれ自身に作りたいアイドルグループの明確なヴィジョンがないことだよなぁ……)


 カッコいいなと思う子はたくさんいる。それこそ、正統派ジャ○ーズから、ゆめかわいい原宿系男子、今風のこなれた古着男子まで。

 だけど、そもそもおれの頭の中にまだグループの全体像が全くないため、道行く人に声をかけようにも、どこから手を出せばいいのか考えあぐねていたのだ。


「一年間で武道館……斬新で目新しいグループコンセプト……」

 駅ホームの鈍色のコンクリートを見つめながら、おれは一人ぶつぶつと呟く。


 社長に言われた言葉だけが、何度も脳裏を反芻する。そして、まるで呪文のように、その言葉にすっかり憑りつかれていたおれは、前から迫りくる瓶底みたいな分厚い眼鏡をかけたおっさんに気付くのが遅れてしまった。


 ――ドンッ! カシャーン!

 鈍い衝撃とともに、何かが弾け飛んで地面に転がるような音がしたかと思えば、おれは思いっきり地面に尻餅をついていた。


「いってて……す、すみません。ちゃんと前を見てなかったもので……」

 腰をさすりながら顔を上げると、目の前には四十代後半と思しき、もっさりした冴えないサラリーマンが、同じくホームに座り込んでいた。


 第一ボタンまでぴっちり閉めたワイシャツ、キュッと根本まで上がったネクタイの結び目、きちっとセットされた髪から、冴えないが、真面目で几帳面という印象を受ける。だが、衝突した拍子にぶつけたのか、手でこめかみ辺りを押さえていて、その顔立ちや表情までは、こちらからはよく見えない。


「い、いえ……こちらこそ……」

 そう言いつつ、相手は何かを手探りで探すように、もう片方の手をしきりに動かしている。

 どうやら、ぶつかった時に、かけていた眼鏡が吹っ飛んでしまったらしい。相手のものと思われる眼鏡が俺の手元に転がっていた。


「あ、もしかして眼鏡ですか? それなら、こっちに……」

「ん? あ、ああ。どうも……」

 だが、差し出された眼鏡を受け取るために、相手が押さえていた手を顔から外した瞬間、おれは今世紀最大の衝撃を受けた。


(こ、これだ……!)


 なぜなら、ただの冴えないサラリーマンだと思っていたおっさんは、驚くほどのドえらい美形だったからだ。


「……!」

 眼鏡を渡すのも忘れ、ごちそうを前にした時のようによだれを口の両端からたらーっと流し、物欲しそうな目で相手の顔をまじまじと見つめるおれ。

「な、なにか……?」

 そんなおれを見て、恐怖を感じたのだろう。相手はバケモノでも見るような目をして、訝しげに眉をひそめる。


(おお…っ! そんな、蔑むような表情もイイ……っ! それに、)


 それに、よくよく見れば、スタイルもめちゃくちゃ良いではないか。すらっと伸びた細い指や手足、キュッと引き締まったフェイスライン、年齢をまるで感じさせない腰回り。


(もう、これは行くっきゃない……!)


 おれは覚悟を決めると、相手の手をガバッと握って、出し抜けにこんなことを言いだした。


「あ、あの…っ! 突然ですが、おれと……」

「い、いきなり、何を…!」

 見知らぬ男に両手を握られ、たじろぐサラリーマン。だが、おれは掴んだそのチャンスを絶対に離さぬまま、一息にこう叫ぶ。


「お、おれと、一緒にアイドルグループを組んでくださいッッ!」


「……はああああ⁉」


 こうして、行き交う人々が「なんだ、なんだ」と注目する衆人環視の中、おれはおじさんをアイドルにスカウトしたのだった。

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